第五章 32

 園内の至る所で起こった爆発に、幸子は呆然とする。爆破により内郭結界も破壊されて、最早力霊を抑える手段がない。

 結界が崩壊したことにより、すでに力霊は解き放たれて飛び去った。あの霊が暴走すれば、現在起こっている無差別爆破以上の惨事が起きかねない。


「あいつら……何てことを……」


 拳を強く握り締める幸子。

 軟体動物専門水族館内部もひどい有様だった。水槽は片っ端から割れて、タコやらクラゲやアメフラシやらが床の上で蠢いている。

 爆風で死んだ子供の死体の上に、名称不明な異様な形状の軟体動物達が群がる光景は、流石の幸子も怖気が走った。


「な、何だ、こりゃ……」


 幸子の足元で失神していた瞬一がようやく目を覚まし、周囲の惨状を見てぽかんと口を開ける。ちなみに手足を縛られて拘束されている。

 その瞬一を幸子は怒気に満ちた目で睨みつける。


「私に力霊を売り渡してくれたことは礼を言うわ。でも、雪岡純子やらいろいろ連れてきてくれた事はいただけないわね。おまけにこの有様よ」

「俺はあんたなんか知らない! あんたも俺も騙されてハメられたんだ!」

「騙されてハメられたのなら、何でこんな所にまだいるの?」


 瞬一の釈明など全く取り合うことなく切って捨てる幸子。普段の冷静な幸子なら多少は話に耳を傾ける所だが、この爆破騒ぎと力霊の解放による焦燥が、彼女の心の余裕を奪っていた。


(とりあえず力霊を探さないと――でもその前にこの子の始末はつけておくか)


 と、幸子が瞬一に殺意を向けたその時――


「やはりここでしたか」


 背広姿の禿かけた頭の初老の男が、幸子を見てほくそ笑む。一見してくたびれたサラリーマンにしか見えない外見だが、サラリーマンがこんな場所にこんな状況で現れて、幸子を見て笑うわけもない。

「青島憲太……」


 幸子がその名を呟く。裏通りではそれなりに有名な人物だ。日戯威のナンバー2で、日戯威の発足当初から先代を支え、数多の修羅場をくぐりぬけて今の大組織にまでした立役者である。この男がいたからこそ日戯威は大組織になったとも言われている。その武勇伝は幸子も耳にしている。


「おお、私の名を知っているとは光栄なことで。ずっと同じ結界内に引きこもっていたというわけですね。しかしボスの作戦があたったようですな。月那瞬一と盲霊師、一挙両得とは」


 青島が悠然とした足取りで、幸子と瞬一の方へと歩み寄る。


「よくもこんなひどいことを……」


 薄笑いを浮かべて語る青島に、幸子は怒りのあまり言葉がうまくでなかった。この状況でこの台詞を口にする時点で、青島らが爆破を行ったことは明白だった。


「うちの者が一度交戦していたましたし、貴女のおおよその居場所はわかっていましたが、確証は無かった。別の場所に移動したかもしれませんでしたしね。結界にこもっていたら私達には手も足も出ない。引きずり出す必要があったわけです。よって、最も合理的なこの手段とあいなったのですよ」

「ああ、そう……」


 残った盲霊のストックは数少ないが、幸子は出し惜しみなく出すことにした。気を抜ける相手ではない。


 六体の盲霊が放出され、様々な角度から一斉に青島へと襲い掛かる。


 青島は笑ったまま、避けようとしなかった。盲霊の直撃を受けながら、平然たる様子で銃を抜き様に撃つ。

 幸子は驚愕しつつ、危ういところで銃撃をかわす。

 さらに青島は続けて二発撃ってくる。回避しながら苦し紛れにけん制の銃撃をお返しする幸子であったが、銃弾の軌道が大きくそれていることを見切って、青島は避けようともしない。


「まさか貴方、最初から目が見えてない?」

「まさかね。最初からボスは貴女との交戦も想定していたのですよ。ボスの言いつけで、ここ数日ずっと見えない状態での戦いの訓練を行っていました。この歳ではキツいかと思いきや、中々いい感じに仕上がりましたよ。まあ、見えている時ほどスムーズにはいきませんがね」


 先程の真と美香を思い出す幸子。あの二人も盲目になってなお銃撃戦を行っていた。一日のうちにそんな芸当が出来る化け物を何人もお目にかかることになるとは、思ってもみなかった。雫野累の件も含め、とんでもない夜になったと思いつつも、幸子は不敵な笑みを浮かべた。


***


 飲食店の下敷きになっている者はあらかた救助し終え、真と正美は一息ついた。掘り出した七名のうち五名は息があったが、夫が妻をかばう格好で揃って頭の潰れた老夫婦は即死状態だった。


「きりがないが、救出活動続けるか?」


 たまたま目についたから仕方なく助けていたが、園内全てを助けてまわる暇など互いに無い。やることがある。そう示唆する真。


「そっちがやめるなら私もやめるよ? 仕事の方優先しないとやっぱダメかな。ダメだよね。うん、やっぱり仕事は大事だと思う。私はいつ仕事に戻ってもいいけれど、君次第で少しの間戻らなくてもいい。でもそうしたら、また戦いに戻るだけだよ? それでもいい? 君じゃ私に勝てないと思いますけれどー? どうする? ねね、どうする?」

「やってみないとわからないだろう」


 強がる真だったが、勝算が薄いことはわかっている。相手はかなりのお人好しだし、一緒に救出活動という提案をすれば、案外のってきそうな気がする。それで足止めとしての役割を果たすだけでも十分な気がしたが、その一方で、久しぶりに会った明らかに自分よりも強い敵との戦いを、もっと楽しんでみたいという気持ちがあった。


(とはいえ、まともにぶつかって勝てる相手じゃないし、それなりに手を考える必要はあるが)


 真の中にその意識がある限り、危ない橋はできるだけ避けずに渡っておきたい。己を少しでも磨き、鍛え上げるために。


「あ、やる気なんだ。勇気ある子ってちょっと素敵だよね。いいよ。応じてあげる」


 正美が銃を手にして臨戦態勢を取り、真も銃を抜く。

 銃声がほぼ同時にこだまする。初弾は両者共に外している。撃つと同時に真は斜め左前方へ、正美は右斜め後方に跳んでいた。


(合わせてきたか)


 相変わらず正美の読みも動きも、真を上回っている。真に動きをあわせて攻撃をかわし、しかし互いの距離と照準は変えない正美の動きが、真の計算を狂わす。


 が――正美の読みも狙いも、真の予測も、全く及ばぬ事態が起こった。

 強烈な妖気が周囲に満ちる。視覚に捉えなくても、凄まじい怨念が撒き散らされているのが真にははっきりと感じられた。そしてそれが己の後方に何の前触れも無く出現した事に、真は戦慄する。


「何あれ? あのキモいの何? あれが噂の力霊? 何か霊というよりお化けじゃない? あ、霊とお化けって一緒? でもお化けは霊以外のお化けも含められるよね。あれ? 何か私の言ってることちょっと変な気がしてきた」


 正美と相対しているがために振り返ることができない真とは異なり、正美ははっきりとその姿を見ることが出来た。

 平べったく細長く伸びて、粘膜のようなぬめりを帯びた青白い胴体の先に、金太郎飴の切断面のような顔がついているという姿の異形の霊が、真の後方上空をゆっくりと旋回している。


「ねね、私今すごくヤバい気がするの? もう一回一時休戦しない? 私の勘ってすごくいいよ? あてにして損はないと思う。だか――」


 言葉途中に正美は弾かれたように横っ飛びに動いた。力霊が凄まじい勢いで真の頭上を飛び、己と目があった正美へと襲い掛かったのだ。

 正美がいた空間へとダイブする力霊。真は力霊のその速度に舌を巻いた。

 正美が標的となっている隙をついて、真は大急ぎで正美に背を向けて逃げ出していた。この霊が正美よりもずっと危険であることを本能が告げていた。そのスピードを見ただけでも、人間が対応しきれる代物とは思えない。


 正美は力霊のファーストアタックはかわせたものの、そのまま宙をうねって追撃してきた力霊の第二撃の接触をかわしきれなかった。

 力霊が正美に触れた瞬間、正美の体がその場から消失した。


 一目散に逃げた真はその場面を見ることができなかったが、逃げながら振り向いて、どこかへと高速で飛び去る力霊と、正美の姿が跡形もなく無くなっている光景を視界に捉える。


(今持っている護符で防げるとも思えないな)


 霊の扱いに長けた強力な術師か、強力な超常の力を秘めた魔道具、神器、秘宝、呪物等の類を所持していない限り、対応できないのではないかと真は思う。根拠の無い直感ではあるが、一目見ただけでそう思えてしまう。


「あ、真……」


 と、そこに対応できそうな人物が現れ、声をかけてくる。累だった。


「今そこに力霊がいた」

「ええ……わかっています……。強大な霊気の残り香を感じ……ます」

「瞬一は?」


 尋ねる真だったが、累が一人の時点でどうなったかはおおよそわかる。


「盲霊師を取り逃しました……。瞬一君を人質にされてしまって……無理して彼女と戦うよりも、結界を破壊した方がよいと判断したんです……」


 真の顔色を伺うかのような目で答える累。当然、真は顔色など一切変えるわけも無いし、累の失態を咎める事も無い。


「封印が……解けてしまいましたね。放っておくと楽しいことに……なりますよ?」

「すでに十分楽しすぎる。僕は盲霊師と瞬一を探すから、お前はあの化け物を何とかしろ」

「純子がそろそろ……動くでしょう……。力霊は純子の獲物……です」


 ぴったりと真に寄り添ってくる累。


「雪岡を待っていたら被害が広がるだろ。あんな奴のことなんかどうでもいいから、もし見つけたら、ちゃんと封じるなり滅ぼすなりしろ」

「霊魂は不滅です……から、滅ぼすというのは……無理だと思いますよ……。でも真がそう言うなら……速やかに冥界に送ります……」

「よし。取りあえずお前は幽体離脱して、瞬一と力霊の両方を探せ」


 了承したからには累はやるだろうし、純子に先駆けて力霊を見つけて成仏させれば、純子に一杯くわすことができる。今回は邪魔しないでおくつもりだったが、その機会があるのに見逃す手は無いと思い、真はあっさりと約束を反故にして、純子の目的を妨害することに決めた。

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