第五章 13
「まさか正美ちゃんがいるとはねえ」
毅の部屋を退室した後、ホテルの廊下を歩きながら、まず純子が口を開く。
「知っているのか? まあ有名な始末屋ではあるけれど」
純子と肩を並べて歩きながら真が尋ねる。実力上位番付に入るという程度に名前だけを知っているだけで、詳しいデータまでは知らない。ただ、一目見ただけでかなりできそうだとは感じた。
「以前何度も邪魔してくれたんだよねー。マウスも何人も殺されちゃったしさー」
「へえ」
興味を惹く真。純子のマウスには強力な再生能力を持つ者が多い。仮に再生能力が付与されていないにしても、純子の作ったマウスを何人も殺すなど、相当な凄腕でもない限りできない芸当だ。
「偶然だとは思うけれど、何度も私の研究と遊びを台無しにしてくれて、その話が裏通りで広まっちゃってさあ、私とトラぶったら正美ちゃんを雇うっていう風潮までできちゃったの。一時期ライバル関係みたくなっていたんだけれど、十回以上それが重なった所で、正美ちゃんがその傾向に気付いて、『特定の人物専門の妨害は気分が悪いから受けない』なんて宣言してさー。ああ見えてわりと真っ直ぐというか、ポリシーがあるみたいなんだよねー」
「それが今回は味方か」
「すぐまた敵になっちゃうけどねぇ。その時に彼女が果たしてどうするかなあ。念のため、早めにあの子を呼んどこっかー。もう少し後でもいいと思っていたんだけれどねー」
言いながら携帯電話を取り出し、メールをうつ。
「純子姉ちゃん、私達は人質にとられた格好になっているけど」
重い口調で夏子が口を開く。
「少しくらい強引な手を使ってくれても、後のケアは私達で頑張るよ?」
「んー? それは早いところ日戯威を潰して欲しいってことー?」
夏子の方を向き、冗談めかした口調で純子。
「もし、できるのなら……ね。私達の存在が足を引っ張っているのだから、何だか悪い気がしちゃってさ。こうやって一緒に来たのはいいけれど、何か今の私に出来る事は無いのかしら?」
「焦っちゃ駄目だよー」
「でも日戯威に先に盲霊師を抑えられたら、一気にこちらが不利になっちゃうんでしょ?」
「そうだけど、かといって、私や真君が盲霊師を今から捕獲するわけにもいかないしね」
「こっそり私が探しに行くというのは駄目?」
夏子がそう提案したが、
「それは瞬一の役目だ。信じて待つべきだ」
真の言葉に、夏子はうつむいて押し黙る。
もっともな話だと夏子も理解している。今自分が下手に動くのは話をややこしくして、純子や溜息中毒にとって不利な展開をもたらしかねない。落とし所かつトカゲの尻尾候補の瞬一に任せておくのが一番いい。自分が必要とされた時――人手が欲しいとされて、純子に指示を出された時にのみ、動く方がいい。
「日戯威に余計な動きを極力させないよう目を光らせているのが、私となっちゃんの役目ってことだよ」
「瞬一がピンチになったらその時は僕も出るよ。そうなったら雪岡が赤城に問い詰められることになるだろうけれど、こいつのことだからのらりくらりと適当にかわすか、あるいは……」
「卓袱台を引っくり返して、全てを御破算にしてあげるか、だねえ」
真の言葉を継ぐようにして、純子が無邪気な笑顔で言った。
***
午後十時半。
花山京は相変わらず室内で座禅を組んだまま微動だにしなかった。部屋の電気すら消したままで、暗闇の中で目を閉じている。
端から見れば、ただ何もせず無為に時を過ごしているだけに見えるが、実はそうではない。京にしてみれば断じて違う。
京は待っている。時が来るのを。何もしていないようで、京はこうして力を貯めているのだ。自分が世に必要とされる時が来て、世のために尽くすべき時が来るのを、ただひたすらこうして力を貯めながら待っていた。
「キョーちゃん、ちょっといい?」
母の花山知恵が、恐々と部屋の扉を開く。
京はいつも母に対してにべもない態度を取る。構って欲しくないし、時間を取られたくないからだ。だが母の心労は理解しているし、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。だがこれは必要なことなのだ。
「今日はね、プリンセスみどりの拝謁がかなったのよ。それでいろいろとキョーちゃんのこと相談してみたの」
母の言葉に、京は暗闇の中で眉をひそめた。
「プリンセスみどりが仰られているわよ。世界は遊び場に過ぎないって。私達はこの遊び場を使って楽しむために生きているんだってね。キョーちゃんも私と一緒に入信して、プリンセスみどりを崇めましょう。ね?」
引きこもりになった京のことで知恵は心を痛め、最近話題のカルト宗教団体『薄幸のメガロドン』に入信し、熱をあげていた。裏通りとも関連が深いと噂されるその宗教団体の信者は、突発的に犯罪を起こすことが多い。宗教団体ぐるみの組織的な犯罪ではなく、個人が衝動的に犯罪を起こすのである。
そもそも薄幸のメガロドンの教義が、『世界の主役はテメーなんだし、世界はテメーのために用意された遊び場なんだから、何をやっても釜わねーヨ!』(誤字含め原文そのまま)という代物であるがため、理性のタガを外して犯罪へと走らすのも無理はないと言われている。
「お前、まだあんなカルト宗教に凝っていたのか! どんだけお布施をつぎ込んだんだ!」
そこに父の花山半蔵が姿を見せ、千恵に向かって怒鳴りつける。
「何ですって! プリンセスみどりを侮辱する気! いくらあなたでも許さないわよ!」
千恵がすごい形相を半蔵に向ける。厳格だけが売りの家長である半蔵が、妻の怒りの形相を見て思わずひるむ。
「あなたにそんなこと言う資格なんてないわ! あの子があんな風になったのは全部あなたの責任なのよ! その自覚が無いの!? プリンセスみどりもそれは父親のせいだと仰られたわ!」
「何を! お前が甘やかすからこんなことに!」
「ほらほら! そういうところよ! プリンセスみどりの言葉通り! そういうのは人に責任を押し付けて無理強いばかりする、思考停止の能無し親だって! ああ、流石はプリンセスみどりだわ!」
「いい加減にしろ!」
すぐ隣で喧嘩を始める両親に、京は胸を痛める。こんなことになったのも全て自分のせいだ。両親のどちらが悪いというわけではない。全ては自分の責任だ。そう声に出して言いたいが、それもできない。
その時、携帯電話が鳴った。
「え? キョーちゃん?」
電話が来る相手などいたということが意外だった。しかもそれまで座禅を組んでいた京が、すぐさま電話に飛びついている。
(来た! とうとう来た!)
声に出さず叫ぶ。メールの着信による呼び出し。携帯電話を持つ手が震えている。待ちに待った時がとうとう来たのだ。
「ごめん、ちょっと行って来ます」
部屋の隅に置いてある大きなトランクを手に取り、部屋を飛び出る京。
「こんな時間にか?」
「いいじゃない。あの子が久しぶりに外に出ようとしてくれるだけで。これもきっとプリンセスみどりの思し召しだわ」
訝る父と、歓喜する母。
「東京ディックランドか……」
久しぶりに家の外の空気を吸いながら、京は呟いた。何ヶ月も引きこもって動かないわりには、しっかりとした足取りだ。一応室内で毎日運動はしていた。全てはこの時のために。
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