第五章 12
「こんばー。遅れてごめんなさい。仕事依頼された鳥山正美、鳥山正美です。何かすごい遅れたよね、私。怒ってない? ねね、怒ってないかな? 怒ってる怒ってない以前に信用問題かな、うん。でも仕事はきっちりとするから、安心していいよ? で、どんな仕事すればいいの? 教えて。ねね、黙ってないで早く教えて」
ノックも無しに部屋のドアが開き、一人の女性が入ってきて鼻声気味の早口でまくしたてる。毅も青島も表情にこそ出さないが、明らかに唖然としてその女性を見ていた。
髪はピンクに染められている。全体的には薄化粧だが、マスカラだけはやたら濃い。上下セットの黒いレザージャケットとスボン、ジャケットの下はヘソの出たピンクのTシャツ、靴もピンクのスニーカーと、全身黒とピンクの二色の組み合わせ。服そのものは見た目にも機能性に優れている代物だ。
年齢は二十代前半といったところか。鼻筋は整っているし、顔の造形だけを見れば美人と見えなくもないが、口がずっと半開きなうえに三白眼で、とろんとした目つきで毅達のことを見つめている。
「ねね、どうして黙ってるの? 仕事の依頼じゃないの? 早く教えて。ねえ、教えて」
馴れ馴れしい口調で更にせっつく正美。
「いや……黙っているも何も、こちらに口を挟む余裕が欲しいというか……それに依頼内容は事前に知らされてないのでしょうか」
「見てなかったよ。どうせ直に会うのならそこで教えてもらえばいいし、見るの億劫じゃん? なら見ないで直に会った時に教えてもらえばいいと思うしー。その方がリーズナブルだよね。ねね? そう思わない? そう思うでしょ? 思うよね?」
「いや……うん、まあ、そうかも……しれませんね」
初対面の相手に対して一切の礼儀も無い正美の態度に、毅は苦笑いがこぼれるのを抑えきれない。
「うん、じゃあ教えて。私ってどんな仕事すればいいの? 早く教えて」
「こちらは貴女に来ていただいた時点で、仕事を引き受けたものと受け取っておりましたが? もしここで依頼内容を述べて引き受けていただけなかったとしたら、こちらの予定も大幅に狂いますよ?」
口元やこめかみを微妙に引きつらせながらも、それでも必死で営業用スマイルを浮かべて、毅は正美に問い返す。
「そうなったら別の人雇えばいいだけだと思いまーす。私以外にも腕利きなんていっぱいいるしー。とりあえず仕事何すればいいから教えて? ねえ、早く教えて?」
「我々日戯威が、溜息中毒の月那瞬一の横流しを暴き、彼と、彼と取り引きした盲霊師を追っていることは御存知ですか?」
今度は青島が口を開き尋ねた。
「知ってるよ? それくらい私だって知ってる。クライアントの現状確認とか面倒だからしないけど、それは噂になってるから知ってる。あ、わかった。その月那瞬一と盲霊師ってのが意外に手強かったから、そのための助っ人でしょ? ねね、そうだよね?」
「そういうことです。御理解いただけて僥倖です」
「ギョーコー? 何その言葉。そんな難しい言葉普通使わないでしょ。偉い人が記者会見で使うような言葉を日常会話で使うのって、何かキモくない? キモいよね? おじいちゃんだからって気取ってる? 何かすっごく変。わからない言葉使って自己満足してるってみたいだし。意識高い? で、その言葉の意味って何? 教えて。私もちょっとは賢くなりたいから、お年寄りの知恵頂戴? ねね、教えて」
皮肉を交えて恭しく一礼してみせる青島だったが、正美には皮肉の意味すら伝わらず、鼻声で矢継ぎ早に質問をぶつける。
丁度その時ノックがしたことに、青島はほっとした。
「どうぞ」
「遅れたかなー。こんばんはー……って、懐かしい顔があるねー」
入室した純子が、正美のほうを見てにっこりと微笑む。
「あれー、雪岡純子がいるー。ひょっとしてこの子とかちあわせるために私呼んだの?」
「いやいや、彼女は味方ですよ。貴女に相手をしていただきたいのは、先に名の挙がった二名です」
何故か不審そうな面持ちになって尋ねる正美に、毅が否定する。
「そっかー、ならいいんだけれどねー。あ、こっちの子って、あれだよ、あれ。雪岡純子の殺人人形とかいう子でしょ。私会うの初めて。何かさ、ちっちゃくて弱そうなんだけど、本当に強いの?」
純子の後ろにいる真に近づいて、かなりの近距離から真の顔をじっと見つめながら尋ねる正美。真は無言のまま正美のことを見つめ返していたが、頭の中では何だこいつといった感じの自分の顔を思い浮かべていた。
「ちょっとちょっと、その方々は我々にとって大事なお客様なのですから、あまり無礼な態度はやめていただきたい。貴女は我々に雇われる立場でしょ?」
苛立ちを込めてややキツい口調で、毅が正美を注意する。正美は何も言わず引き下がったが、純子と真の方にずっと視線を向けていた。
「で、経過はどう? 進展あったー?」
毅の方を向いて純子が問う。
「進展がありましたら、すぐにお知らせしますよ」
言って煙草を咥える毅。青島が会釈しつつソファーの前で手をかざし、純子と真に席につくよう促したが、二人とも反応しなかった。
「我々との専属契約の正式な締結は、ブツを取り返したらという話ですが、ネット上ではすでに確定扱いの噂が流れていますなあ」
白々しい毅の物言い。その噂を流しているのが他ならぬ日戯威である事は、純子らとて看破しているであろうと、毅も承知のうえで言っている。
「正式な報告が無い限り、裏通りの住人がそれを真に受けることも無いと思うよお? 私も自分のブログで、きっちりと否定したしねー」
笑顔でそう返す純子。
「これから契約する予定なのに、わざわざ否定までせずともよいのでは? 不審がられますよ? いえ、すでに私達の方が不審を覚えてしまいかねない。私達に何か落ち度でもあるのでしょうか?」
「別に落ち度とかそういう問題じゃないよ。むしろこれは当然の事じゃない? まだ真相は明らかにされていないし、溜息中毒の不誠実さが完全に証明されたら、私は見切りをつけてそちらと契約すると言っているんだしさー。私は誠実な人が好きだからねー。溜息中毒は先代からずっと私と良好な関係にあったし、その関係を保っていたかったけれど」
「仁義に欠く行為を働いたとあっては、この世界ではおしまいですなあ。彼等は貴女だけではなく、この世界において信用を失ってしまった。たった一人の裏切りによってね」
時代劇の役者のような芝居がかった口調の毅。
「溜息中毒の残りメンバーが可哀想ですよ。とはいえ溜息中毒のブランド名は地に落ちてしまいましたし。吸収という流れが一番無難なのに、ボスの高城さんがこの期に及んで中々首を縦に振ってくれません。雪岡さんですら愛想をつかして、こちらになびいてしまったのにねえ」
「別に愛想をつかしたってわけじゃあないよー? まだ決まってないって、何度も言ってるでしょー?」
「失礼します」
会話途中にドアが開き、夏子が姿を現す。
「もしもうちの構成員の横流しが本当だと実証されれば、溜息中毒は日戯威への吸収を受け入れます」
室内に入るなり、無表情かつ無感動に言い放つ夏子。
「すでに映像で実証されていますよ? しかも本人は逃げ回っている」
このタイミングで溜息中毒のボスが現れ、日戯威からしてみて都合のいいことを口にした事に、しかし毅はそれを鵜呑みにはしない。純子と夏子が組んで、自分達を油断させようとしていると見なしている。
「映像自体が作り物って可能性もあるよねえ? 溜息中毒に罪を着せれば都合のいい、誰かの仕業って線もあるわけだしさー」
悠然と微笑みを浮かべたまま、毅以上に挑発的な物言いをする純子。毅は営業用スマイルを張り付かせたままだったが、その瞳には暗い光が宿っていた。
「何にしても、月那瞬一を捕らえ、ブツを盲霊師から取り戻すことが先決ですな」
助け舟を出すかのように口を挟む青島。
「そういうことだねー。じゃ、明日にはいい報告を期待してるよー。戦力が足りないようならうちの真君を貸すよー。おやすみー」
「それには及びませんよ。貴女を幾度と無く退けた凄腕の始末屋を雇いましたしね」
正美の方を指す毅。皮肉たっぷりの態度であったが、純子はそれ以上何も言わずに、夏子し真と共に退室した。
「思ったほど面白いリアクションは期待できなかったか」
正美を一瞥し、毅は言う。
「ですな。わりとあっさりしていました。それよりも雪岡嬢は露骨に我々を敵視していますな。これは中々一筋縄ではいかないかと」
「そーみたいだな。でもまあ楽しくて仕方ないよ。裏通りでも伝説と化している、最高クラスの危険人物相手に――」
「ねね、変なやり取りあったんだけれど、詳しく教えて? 私何も聞いてないし、今の会話の意味もよくわからない。そもそも何で雪岡純子が絡んでいるのかが謎すぎるし、その辺特にわかるように教えて。そうでないとちゃんと仕事に集中できない。だから教えて。ねえ早く教えて? そうすればきっと私は輝きを放って頑張れる」
自分の言葉に酔おうとしているその最中に、また正美の質問攻撃が再開され、毅は顔をしかめて溜息をついた。
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