第五章 10

 真の襲撃によって捕獲された溜息中毒の四名は、雪岡研究所にて軟禁されていた。


「どうして純子姉ちゃんは私のこと信じてくれないの? どうしてあんな人達の方を信じるの? 純子姉ちゃんのことを私が裏切るわけがないのに。どうしてっ!」


 自分にあてがわれた部屋を訪れた純子に、いきなり食ってかかる夏子。


「父さんは信じても、私は信じてくれないの!? どうして!」

「落ち着いてよー、なっちゃん」


 興奮気味の夏子に純子は困り顔になる。


「落ち着きたいけれど落ち着きようがないわ! こんな状況で!」


 純子を睨みつける夏子。純子は夏子のことを子供の頃から知っていたが、こんなに怒りを露わにしたのを見るのは初めてだった。


「なっちゃんは私を信じてないのー?」


 屈託無い笑顔で逆に問い返され、夏子の興奮が一瞬冷める。


「嫌な想いさせちゃってすまんこ。でも私はなっちゃんを裏切ってないよー」


 夏子を抱きしめる純子。そして夏子の耳元で優しい声音で囁く。


 夏子はそれを聞いて、純子の背に手を回して力いっぱい抱きついて、相好が崩れたかのようにわんわんと泣き出した。

 純子に抱きしめられながら、夏子の中で小さい頃の記憶が蘇る。父親と一緒に雪岡研究所に遊びに来ては、純子に甘えてよく抱きついていたものだ。今や自分の方が純子より背が高くなってしまった事を、抱きながら実感する。


 夏子の父親は流通組織溜息中毒を作り上げたが、当時幾つもの流通組織が乱立し、時に抗争も勃発していたがために、軌道が安定するに至るまで多くの犠牲を出し、発足当時に二十人近くいたメンバーも片手で数える程になった。

 夏子は敵対する組織に人質に取られそうになるといった危険な目にあいながらも、父親の裏通りにおける奮闘ぶりを側で目の当たりにしていた。

 普通の生き方をできない父を恨んだ事もあったが、自分と組織を護るために必死な父の姿を見続けていたがために、尊敬もしていた。


 溜息中毒が抗争で崩壊することもなく、大組織に吸収されもせずに済んだ大きな理由の一つとして、雪岡純子という強力な専属契約相手がいた事がある。

 父と知己であったが故に、全面的な協力を得て、困った時には何度も足を運んでいた。夏子が狙われた時は半年以上も純子の元に預けられもした。世間的には悪逆非道のマッドサイエンティストであっても、夏子と溜息中毒にとっては頼れる味方と信じて疑っていなかった。


「でも……私達は傷つけられ、捕らえられ、しかも純子姉ちゃんは日戯威の方になびいているこの現実は、どう受け止めたらいいの?」

 鼻声で問う夏子。


「今はね、私がなっちゃんとの関係を重視して、日戯威を一方的に突っぱねられるような、そんな状況ではなくなっているんだよー。後手にまわっちゃっている。瞬一君に化けて商品の横流しをしている映像が、ネット上で出回っているし。私だけの問題なら、気に入らないから敵と判断して、実験台ウェルカムとか、あっちがやったように無理矢理でっちあげをして済ましてもいいんだ。そうでなくても、多少強引な手を使っても構わないけれど、私だけじゃなくてなっちゃん達が関わっているから、慎重にいってるんだよ。下手に動くと、そっちの今後の活動に響くからね」


 純子に説き伏せられ、夏子は冷静さを完全に取り戻した。


「日戯威のやり方――私と専属契約を結んでいる組織を吸収して、私とも契約を結ぼうとする大胆さと、その強引な手段。普通なら、これでケリがついちゃってもおかしくないよ? それでもなお抗うのなら、こっちもそれなりに考えないといけない。言葉だけで無実を唱えても、大組織相手には苦しいだろうし、裏稼業で必要なのは、弁を尽くしての信用回復じゃあないでしょー? 確固たる証明がどうしてもいるんだよ」

「そのために純子姉ちゃんは日戯威に接近したわけね?」

「うん、そういうことー。監視するためにも探りをいれるためにも、相手に近づけるポジションは便利だからねー。なっちゃん達には手が届かない部分を、私と真君が担当するよ。瞬一君も独自に動くと思う。私の方で美香ちゃんにも応援を要請しておいたし、皆で頑張って日戯威に立ち向かおうとしている所だから、心配しないで」


 夏子を抱きしめたまま、そして優しい声音のまま、現状を解説する純子。


「まずは盲霊師からブツを取り戻すことだねー。それができない限り、私が許したと言い張っても、世間からの信用は回復できないからさ。彼女は東京ディックランドにいるって。日戯威も私達も、力霊を取り戻すために明日ディックランドにのりこむことになったよー」

「私も行きたい」


 純子から顔だけ離して、真紅の双眸をじっと見つめ、夏子は決然たる面持ちで言った。


「私の組織だもの。組織の長である私が、他人任せのままでなんていられないわ」

「そう言うと思って、向こうにも話を通してあるよー」


 純子の屈託無い笑みが不敵な笑みへと変わる。


「本当は事が済むまでここにいた方が安全なんだけれどねー。それじゃあなっちゃんも納得しないだろうし、一緒にこの状況を打破しよっ」

「うん」


 眼鏡を外して涙をぬぐいながら頷き、夏子は笑みをこぼした。


***


 珍しく真はいつもの制服ではなく、表はダークブルーで縁取り部分と裏地が蛍光色の水色のジャケットに、黒いジーンズという私服姿だった。さらにぶかぶかした大き目の帽子もかぶっている。いくらなんでも遊園地まで制服で行く気にはなれなかったし、浮いてしまう。

 普段の制服は純子が作った特注品で、ユキオカブランドの高性能防弾繊維が編みこまれており、いたる場所に武器弾薬小道具を隠し持てる代物だが、今回の私服も同様に純子があつらえて改造した特注品だ。ジャケットの胸の部分の蛍光色の髑髏のプリントだけは気に食わなかったが、それ以外は別段抵抗が無かった。


 一方の純子はというと、相変わらずTPOをわきまえない白衣姿。白衣の下には水色のカーディガン、ブラウス、青と緑のストライプのネクタイ、スタッズを付けまくったベルトと、同じくスタッズだらけで赤い蛾の刺繍入りの黒いデニムショートパンツという、いつもの純子らしいファッションである。


「冠婚葬祭もこれでいくしー。海も水着の上にこれだしー。あ、私カナヅチだけどさ」


 そう笑いながら自慢げに言っていたのを聞いて、真はそれを想像しながら、本気で馬鹿じゃなかろうかと思ったものだ。

 しかしいざ現地についてみて、服装など一切気にする必要など無かったと、真は考えを改める。


 東京ディックランド。下ネタ豊富なキャラとアトラクションばかりという、通称『世界一下品な遊園地』。それが子供達のハートを見事に鷲掴みし、子供達が行きたがる遊園地の第一位に君臨していた。その一方で、親が子供に行かせたくない遊園地でも、堂々のナンバーワンであり――こちらはオンリーワンでもあった。

 愛らしいデザインで性器や巻き糞や乳房を模した建物や乗り物であふれたその場所は、確かに十歳未満の子供達の姿が多く見受けられたが、カップルなどは皆無だった。強いて言うなら自分達が傍からはそう見えるだろうと思い、真は嘆息したくなる。


「おらおらーっ、著作権料よこしやがれーっ」


 股間の部分の盛り上がりが強調された、いかにも悪そうな形相の汚らしいドブネズミの怪人の着ぐるみが、子供達を追い掛け回す。名物キャラクターのディックラットだ。

 子供達は嬌声をあげて逃げ回り、金色に輝くボールがいっぱい入った籠を持つ係員のお姉さんの所へと行くと、ボールを手に取って楽しそうにディックラットへと投げつける。ボールをぶつけられ、悲鳴をあげて大袈裟にひるむディックラット。

 その子供達に混じって、白衣姿の少女が片手に持てるだけボールを抱えて、ディックラットにボールをぶつけている姿を、遠巻きに眺める真。


「ちょっとー、そこのおっきいお姉ちゃーん、ボールを独り占めしすぎですよー。子供達にも分けてあげてねー」

「あはっ、すまんこー」


 あげく係員のお姉さんに注意されて謝る純子という光景を見て、真は立ちくらみすら覚えたが、それだけでは終わらなかった。


「ねーっ、真君も一緒にやろうよー」


 大声で呼び、手招きする純子に、必死に他人の振りをしようと努める真。子供達と係員の女性の目が真の方に向けられる。


「はーい、そこのおっきいお兄ちゃん、恥ずかしがらずに一緒にどうですかー?」


 おまけに係員にそう声をかけられ、真は心の中で絶望した顔の自分を浮かべる。実際どうリアクションを返したらいいかわからない状況で、その場に立ちすくんでしまっていた。とりあえず切に思うのは、今すぐ帰りたいという事だけだ。


「あれあれー? 何か不機嫌ぽいけれど、どうしたのー?」


 それからしばらくして、ベンチに腰かけて、あからさまに憮然とした顔で黙々とアイスを食べている真に、無邪気に笑いかける純子。


「せっかくだし、もっとデートみたく楽しもうよー。こうしてると私、昔を思い出すよー」

「どこにカップルっぽいのがいる?」

「あ、そういえば私達以外いないっぽいねー。子供ばっかりだし」


 真の隣にぴったりと寄り添って腰かける純子。

 真が無言で立ち上がり、隣のベンチへと移動する。


「ちょっ……何でそんなに機嫌悪いのぉ? 私、何か悪いことしたかなー?」

「本当にこんな場所に盲霊師が潜伏しているのか?」


 無理矢理話題を変えようとする真。


「霊的磁場が強い場所だしねえ。それに喜びの念であふれかえっているから、怨霊の力を殺いで封じるのには適しているよー。もっともあの力霊を封じきるのは難しいだろうけれどねー」


 言いながらまた真の横に身を寄せて座る純子だったが、真はさらに立ち上がり、元いたベンチへと戻る。


「だからどうしてヘソ曲げてるのー? せめて理由を教えてよー」


 戸惑いの表情で純子。自分が真の機嫌を損ねるようなことをした心当たりが、全く思い浮かばなかった。


「シンプルに、あいつらの言うことなんて信じないと、つっぱねられれば楽なんだがな」


 意地でも話題を変えようとする真。先程のやりとりでげんなりしていた事もあるが、純子と仲睦まじいムードになるのを避けたかった。それは真にとって、少しでもそちらに進めば帰れなくなりそうな、危険で甘美な誘惑だと、勝手に意識していた。


「私にそうさせないために、日戯威は瞬一君が幸子ちゃんにブツの横流しをしている映像を流したんだよー。無理があるシナリオと言ったけれど、彼等はその無理を承知のうえで通そうとしている」

「わかってるけどな」


 力ずくだけでは駄目なのが、シンプルな展開を好む真には面倒に感じられる。


「なっちゃんにも言ったけどさー、あの映像の疑いを払拭しないまま、私が溜息中毒の味方をし続けたり、強引に証拠無しに日戯威を潰したりしても、溜息中毒のイメージダウンは完全には払拭されないよ?」

「つまり溜息中毒がハメられたという、確固たる証拠がどうしても必要なわけだな」

「うん。もたもたしているとその証明がしにくくなるんだよね。たとえば盲霊師の幸子ちゃんが日戯威に殺されちゃって、ブツを先に手に入れられたうえで、私に手渡されたりしたらさー、私は日戯威と契約確定っていう流れになっちゃうじゃない。まあ、そうなったらそうなったでその後に難癖つけて潰すという手もあるけれど、いろいろと話がこじれちゃうしさー。世間に疑念も残しちゃう」

「いつものお前らしくないやり方は、溜息中毒を気にかけるからこそ、か」

「そういうことだねー」

「いつもとは違うお前の遊び方を学ぶチャンスになるかもな」


 ぽつりと言うと、真はアイスの棒を屑篭の中へと放り入れる。真のその言葉を聞いて純子は嬉しそうに微笑んでいたが、真は気づいていなかった。

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