第四章 15

「睦月ちゃんを見て思ったんだけれど」


 雪岡研究所の一室にて、満身創痍の真の治療を行いながら、純子が口を開く。


「漫画やゲームじゃ、男装少女って曝しの下は巨乳が定番なのに、睦月ちゃんはおっぱい小さかったよねー。三年経ったのにあまり育ってなかったしー。んー、残念」

「最初に述べる感想がそれか」


 下着姿で寝台に寝かされ、体中に包帯を巻かれた真。必要以上に巻かれている気がしたが、いつもの事だ。純子は過剰に包帯を巻くのが好きらしい。


「真君は知らないだろうけれどさー、おっぱいが好きなのは男の子だけではなくて、女の子も女の子のおっぱいが好きなんだよー」

「お前みたいな一部の女だけだろ」

「まあ貧乳もそれはそれで風情があっていいんだけれどねー」


 どちらかというと巨乳派の純子だった。


「僕とよく似ている……。そっくり……です。世界を……呪って憎んでいるあたりが……特に」


 着物姿の累が、途切れ途切れの口調にか細い声で、口を挟む。


「でも、あいつがここに来た時と比べると、それが薄れたような感じはある。ここに連れて来てしばらく暮らしていた時は、もっと怒りと恨みに満ち満ちていたムードだったけれど、さっき見た印象では、すごく明るくなっていた」


 喋りながら身を起こそうとして両脚に激痛が走り、そのまま寝台で寝る真。


「私も見ていてそんな印象かなー。多分、あったかい人達の心に触れて、それでいい方向に向かっていると思うんだよー」

「じゃあ累が中々いい方向に向かわないのは、僕や雪岡がろくでもない人間だからなんだな。なるほど、すごくよくわかる理屈だ」


 無表情かつ淡々と喋っているので、第三者が聞いたら冗談か本気か判別しづらいことを言う真。


「いえ……僕は結構リハビリ……進んでいますよ……。真と純子のおかげで……」


 うつむいてはにかみながらも、微笑みを浮かべる累。


「完全に憎悪が……消え去った……わけではないから、睦月は……殺人を止められないんでしょう……。でも……きっかけさえあれば、それも……その憎しみからも……きっと解放されます……。僕みたいに」


 語りながら、累の微笑みは消え、寂しげな面持ちへと変わる。


「睦月は運命を呪っていた。世界を呪っていた。研究所に来た時、始終呪いの言葉をわめき散らし、あげく悪魔と契約だ」

「その悪魔って私―?」


 真の言葉ににっこりと微笑む純子。


「あいつは沙耶というもう一つの人格に呪縛されて、あいつの言う運命ルーレットのハズレとやらを自ら背負い続けてしまっている」


 それを睦月自身の責任と断ずるのも、真には躊躇われた。


「生まれついての当たり外れは、実際あるけれどねー。睦月ちゃんは極端な例だけれど、問題はその外れという概念を子供の頃から植え付けられて、意識し続けられてきたことじゃなーい? そこから解放されるきっかけは、それなりのものじゃないと難しいんじゃないかなあ」

 と、純子。


「意図的に、周囲との対比による絶望を強調されて……植えつけられた……というのも、ひどい話です」

 うつむき加減になって、暗い面持ちで述べる累。


「いまいちそれが僕にはわからないんだが。不幸な人間はいくらでも世の中にいるし、周囲と比較して自分が劣っているという劣等感を抱くこともある。それをなじられることもな。でもそうした人間全てが殺人鬼になるわけでもないだろう」


 真は睦月が殺人鬼となった経緯も理解し、同情もしているが、睦月自身がその行為にブレーキをかけなかった事は、認められない。

 憎悪に身をゆだねるのは楽だ。真もそれは知っている。しかしそれを制止しなければ、取り返しのつかない悲劇を生み、結局罪の意識に苦しむことも知っている。

 だが果たして睦月に罪の意識が沸く事があるだろうかと、疑問に思う。思い込みで自己正当化している睦月では、それは有り得ないのではないかと。


「殺される直前に改心するお約束展開さえ、あいつの場合は期待できそうにないな」

「殺しちゃだめだよー。生け捕りにしてくれなきゃさー」

「あんなのをどうやって生け捕りにできるんだ……」


 先程の戦いを思い出しつつ、純子の言葉に呆れる真。完全に凍結させたならば連れて来られなくもなかったとは思うが、頭部は無事だったが故に、それもできなかった。


「それにさー、このまま睦月ちゃんを殺しちゃうのも可哀想だよー」

「あいつのことが気に入ったわけか? 研究素材としてだけでもなく」

「うん。面白い子だと思う。ここの一員として加えたいなーと」


 純子の言葉に、累が意外そうな顔をする。


「純子が……人にそこまで興味を惹くなんて……珍しいですね……」

 と、累。


(ごくごく一部の人間以外には、全く関心を持たないのに)


 純子とは何十年もの付き合いの累だが、純子は、自分と一部の人間とそれ以外という区別を恐ろしく徹底している。その一部の人間の中に入る者は極めて少なく、それ以外に関しては、モノか何かという認識しか持ちあわせていないように見える。


「まずはこちらの邪魔をしてくる掃き溜めバカンスの奴等を、殺していく方針でいいか」

 真が話題を変える。


「んー、まあそんな所だねー。でもそうすると、睦月ちゃんをこっちに引き込むのも難しくなーい?」

「そうしなくてもこっちに引き入れるなんて無理だろ。それにあちらさんが僕を殺すつもり満々なのを、相手にしないわけにもいかない」

「殺すしか……ないですね……」


 累がいつの間にか寝台にやってきて、真の頬を撫でながら、いたわるかのような視線を注ぎながら言う。

 累は自分の心を見抜いているかのように、真には思えた。またあんな残酷な方法で殺そうとしなくてはならないのかと、睦月が炎にあぶられ苦しみもがく様を思い出すと、胸が痛む。あの行為と睦月の苦しむ様は、嫌な記憶として残ってしまいそうだ。


「それにしてもこれ、面白いねー」


 純子の手には、睦月の蜘蛛の足の破片があった。一見すると刃物の先が欠けたようにしか見えないそれは、純子の手から逃れようとするかのように動いている。


「ファミリアー・スピリットならぬファミリアー・フレッシュねえ。生物を体内に取り込んで、自分の命令通りに動く僕へと作り変える能力ってのも、発想として面白いよ。ただ、自分より小さい生き物だけに限られるし、数も限界あるだろうけれどねー。でもこの能力を誰でも使えるようになったら、凄く面白いことになると思わないー?」


 時代の変わり目――物質至上主義の科学文明が頭打ちの時代に、超常の領域に科学のメスが入れられるようになった現代において、純子の目指す所は、誰でも安易かつ安全、そして永続して超常能力を得られる方法の確立である。

 真紅の瞳をきらきらと輝かせて、手の中の刃足に視線を降り注ぐ。


「まあ残念なことに、現段階ではアルラウネを移植された子だけに可能な芸当なんだよねー。アルラウネ移植の時点でハードルが高いし、さらには能力開花にもいろいろと条件必要そうで、結局これも他と同じで没、と。あー、何かすごく勿体無いなー」

「あの研究は……途中で止めたんじゃなかったんですか?」


 累が尋ねる。


「あの研究チームは米中大戦のおかげで解散したけれどねー。その後も違う角度から独自で研究していたんだよ。それで睦月君がここに来たときの望みを聞いて、この子ならいけるかなーと」

「どういう研究なんだ?」


 今度は真が尋ねる。


「地球上のものとは思えない有機物質を含んだ生物組織が発見されてね、それを利用、複製できないかという研究が行われていたの。『アルラウネ』っていうコードネームで呼ばれていたけれど」

「あの十年前に現れた怪獣か?」


 十年前、東京湾に現れた全長120メートルの大怪獣植物が、アルラウネと呼ばれている。怪獣映画さながらの大規模な破壊などが行われる事は無かったが、退治されなければ、そうなった可能性は大であったと見なされている。

 裏通りで得られる情報によると、純子ら日本の三狂も含め、世界中のマッドサイエンティスト達が嬉々としてこれの討伐にあたったという。


「んー、十年前のアルラウネは、かなり純度の高いものが超進化した代物だねー。それを移植された生物は、ある程度自分の意志で、自分の体を進化させる事ができるようになるの」

「都合のいいチート仕様だな」

「でも多くの生物は自己意志で進化する事ができず、出来たとしても急激な進化に耐えられず、死んじゃうんだよねー」


 微苦笑を浮かべる純子。


「かつて日中合同チームで研究されていて、その中に私もいて熱をあげていたんだけれど、米中大戦のせいでチームは解散。アルラウネの所在も不明になっちゃった。以後、私はそのアルラウネと同じものを作れないかなと思って、研究を続けていたんだよー。んで、いろんな人にリコピーのアルラウネを移植したんだけれど、生き残ったのは限られているというか、何が生き残る条件かわからないんだよねー。確実性が無いと無意味だから、私も研究に行き詰って、たまに気まぐれに移植していた程度で」

「その生き残りが、マウスの中に稀にいるやたら強い奴か。睦月のように」

「そういうことだねー。睦月ちゃんが備えた能力は、再生力旺盛な強化細胞の応用で、自分の体の中でイメージした生物を作り変える力」


 純子がそこまで解説した所で、来客を告げるベルが鳴る。


(また自殺か復讐目的の、実験台志願者か)


 げんなりする真。研究所に訪れる者の九割以上が実験台志願者である。


「昨日メール来てたんだ。じゃあ、ちょっと出迎えてくるねー」


 そう言い残して純子は部屋を出て、研究所の入り口へと向かう。


 自動ドアの向こうには、禿頭の大男が、血走った目と強張った顔でたたずんでいた。


「は、ははじめまして。俺、め、めめメールした則夫です」

「はじめましてー。いいタイミングで来たねー」


 屈託の無い笑みでもって、則夫を迎える純子。


「あああああいつらに、ふ、ふふ、ふ復讐できる力、欲しい。欲しいです。ください。ははは掃き溜めバカンスに復讐、復讐、復讐したい、ですっ」


 どもりながらも、怒りと悲しみに満ちた声を喉の奥から搾り出し、則夫は己の要望を口にした。

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