第三章 12
「武郎! あんまり無茶しないで!」
夜の公園。林の中で銃声が響き渡る中、美穂の叫びもすぐに銃声にかき消される。
武郎が肉体面で強化されており、多少の銃弾を浴びたくらいではすぐに再生するのはわかっているが、それにしても敵の的になりすぎているかのような動きが、美穂をハラハラとさせた。
どの程度の不死身具合かは不明だが、生物なのだから限界はある。急激な肉体の再生には相応のエネルギーの消費も同時に作用すると、純子も言っていた。
過信しているわけではないだろうが、武郎は積極的に囮になるかのように、敵から見えやすい位置に踊り出ている。國男が不可視の塊でなるべくガードはしているが、何発かは銃弾を食らっているようだ。
敵の数が多すぎて、美穂達は苦戦を強いられていた。
外法により肉体を強化された兵士達と、それを遠くからバックアップする呪術師達は、強力な超常の力を持つ美穂達にとっても、一筋縄ではいかない相手だ。
國男は味方全体のガードに手一杯で攻撃はできない。武郎は囮をしつつ手近にいる敵に肉弾戦を挑んでいるが、攻撃に集中しきれないでいる。
美穂は術者複数の攻撃を一人で凌いでいた。
彼等はファンタジーの魔法使いのように、火の玉を出したり稲妻を放ったりなどの攻撃手段は行わない。代わりに何をするかと言ったら、怨霊を放ってくるのである。少しでも油断すれば仲間は霊に憑かれ、取り殺されるだろう。焼き殺された怨霊に触れれば火傷をするし、絞殺された霊に憑かれれば呼吸ができなくなる
芥機関を崩壊させた術もそうだったが、星炭の呪術師が主に用いる術とは、恨みに満ちた霊を作り出し、その怨念の力で対象を取り殺すことであるという。美穂だけがその攻撃から仲間と自分自身を守ることができる。
霊達がどんな方法で殺されたのか、美穂には全てを知ることが出来た。
出産間際に犯されながら、錆付いた包丁で少しずつ腹を割かれて殺された妊婦とその赤子。
結婚直前にさらわれて新郎の見ている前で犯されて殺された新婦と、その後で手足と性器を切断されて失血死させられた新郎。
全くの無明の暗闇の中で監禁され続け、生きた昆虫だけを食事代わりに与えられ、発狂しつつ衰弱死していった子供達。
他にも様々な残酷な方法で殺された霊達が、恨みと苦痛と絶望と哀しみを抱えたまま、成仏することもできずに、星炭の術の道具として使われている。
(助けて! 助けて! お願いやめて! 殺さないで!)
(痛い……寒い……怖い……)
(やメろ! 彼女にテヲだすな! 俺は無力ダ! 無力ダ! あいつら殺シテやる! 殺せナい! 殺シてやりタい! 助けタイ! 無力無力ムリョクむりょ……)
(殺して……! もう殺してよっ……! 苦しいの……死なせて!)
霊達の怨嗟に満ちた心の叫びの全てを、美穂は受け止めていた。
これらの霊に憑かれれば、普通の人間にはとてもではないが耐えられない。恨みに同調し、発狂して死んでいく。肉体的な損傷を受けて死ぬこともある。
だが美穂は予め、これらの霊に対抗できる訓練を積んでいた。反吐の出るような悪逆極まりない術にも、そのために死んでいった霊の無念にも同調することなく、より強い拒絶の思念ではねのけている。
自分だけを守るのならともかく、仲間まで守るのは中々に辛い作業である。霊の数も多い。美穂はただ霊の攻撃を防ぐだけで、霊を成仏させるような力は無いので、術者をどうにかしないかぎり、美穂は徐々に疲弊していく。
「んー……消耗戦になっているね。みんな頑張ってー。早く敵を倒さないと、美穂ちゃんがもたないからね。美穂ちゃんが崩れれば、それだけで一瞬で全滅するよー」
それを見越した純子が、危機感の無い声で警告する。
「あ、それとさ。できれば星炭の呪術師さん達は、殺さないで戦闘力だけ奪う感じでおねがーい。彼等にはあとで私の研究にいろいろ付き合ってもらいたいしね。動けないくらいにダメージ与えておいてくれれば、前もって依頼しといた『恐怖の大王後援会』っていう始末屋組織の人達が、彼等を捕獲アンド回収してくれるから」
「この状況で随分と身勝手で難しい注文をしてくれるもんだ……。マッドサイエンティストとしては、貴重な実験台が手に入れば嬉しいことこのうえないのかもしれねーが、まず自分の身を守らねーと。死んだら元も子もねーだろ」
國男が額に汗をびっしりとにじませて、苛立たしげな声を発する。
「ていうか、うちらどっちかというと、防御面は長けているけれど、攻撃面はいまいちだな。相手が同じくらいの数ならともかく、こんだけ多いとさ」
「俺達は無敵とか言ってたじゃない、國男」
美穂が突っ込む。
「んー、こんだけの数凌ぎながらトークする余裕くらいはあるんだから、大したものだとは思うよー」
と、純子。ちなみに彼女は傍観者に徹していて、何もしていない。雑談かましている余裕があるというのとは、違うんじゃないかと美穂は思ったが、口には出さないでいた。
「ていうか、あの真とかいう子。別行動しないで、こっちにいてもらえばよかったんじゃない?」
美穂が純子に向かって意見する。
敵を分散させるための囮と純子は言っていたが、あの真という男の子が一人で囮が務まるほどの腕ならば、それこそ皆で固まっていた方がよかったように思える。彼に攻撃要員になってもらえばよかったのだ。
「んー、そのへんは考え方の違いあるかなー。真君が君達といると、君達が目立たないというか、うまく戦力活用しきれない感じになりそうだし」
「目立たない、ね」
純子のその言葉に反応し、國男は意味深な笑みをこぼしていたが、誰も気付いていなかった。
「今の戦い方にもちょっと問題あるかなー。武郎くーんっ。素手での戦闘は効率悪すぎるから、敵の落とした拳銃と、私が渡したコンセントを使って、銃撃戦でたのむよーっ。で、國男君もガードは最小限に留めて、目についた敵を攻撃する方に移った方がいいね。壁があると、武郎君が銃撃つのにも邪魔になっちゃうし」
「わかったーっ」
純子の指示に武郎は、はきはきとした笑顔で応じたが――
「それだと武郎は今まで以上に敵の攻撃にさらされるじゃない……」
美穂が純子を睨みつけ、呻くような声で抗議する。
「あいつはどれぐらい不死身なんだ? いや、どんなに不死身でも、肉体の再生にはエネルギーを消費するから限度があるって言ったのは純子だろ。だから俺はあいつのガードしてたんだぞ」
國男が真顔で尋ねる。
「んー、対戦車ミサイルで吹き飛ばされても、時間かければ元通りになるくらいだよー」
「あっそ……それ聞いて安心した」
その後の展開は激変した。防戦気味だった形勢が一気に逆転し、敵が一人また一人と確実に沈んでいく。
純子の指示を一応忠実に従い、術者と見られる黒い着物の連中は、殺さずに足を撃つなり、あるいは足の骨を折るなりして身動きできないようにするに留めた。
「ふう、やっと終わったねー。これニ十人くらいいるんじゃないかなー。まさかこんなに大勢を動員してくるとは思わなかったよ」
一息ついたような顔で言う純子。何もしてないくせに、と、疲れ果てた顔で口の中で悪態をつく美穂。
純子は戦闘員ではないのだから、文句を言っても仕方無いとは理屈ではわかっているが、それでも一人落ち着き払ってあれこれ指示している姿を見ると、苛立つものを感じてしまう。
ふと、美穂は背筋が凍えるような猛烈な悪寒を覚えた。
「まだ何かくるよっ」
鋭い声で美穂が警告を発し、純子を除く三人が再び気を引き締める。
「何か、とは心外な言われようですな。私には小池隼人という立派な名前があります故」
からかうような声が、美穂達のいるすぐ真横から発せられた。
美穂は驚愕する。公園一帯に思念の網をめぐらし、敵の位置は把握していたつもりだった。自分達に近づく者がいれば、見逃すことなく察知できたはずである。にも関わらず、その人物は美穂達からほんの数メートルほどの場所に、悠然と佇んでいる。
星炭の術師であることを表す黒い着物姿の、痩身の老人だった。月明かりに照らされて、顔まではっきりと見える。こけ落ちた頬といい刻まれた無数の皺といい、百歳くらいはいってそうだ(この時代の平均寿命は百を超えているので珍しくはない)。友好的と言ってもいいような、朗らかな笑みを張り付かせている。
國男が反射的に動き、老人を不可視のブロックで抑えにかかる。
「……っ!?」
小池と名乗った老人の手が動き、顔の前で何かを掴む形でぴたりと止まった。
同時に國男の目が驚愕に見開かれ、自分の腕を前方に突き出した姿勢で、硬直した。
手首が万力のような見えない力でしめあげられ、手の血の気が引いていく。それ以上手を動かすことができない。國男の動きも、國男のブロックの動きも、小池の念動力によって封じられた事が、一目瞭然だった。腕がひきちぎられそうな激痛に、國男の顔が歪む。
戻ってきた血まみれの武郎が、小池に向かって銃を撃つ。
小池は満面に笑みをたたえたまま、百歳を越える老人とは思えぬ俊敏な動きで、それらをかわす。
「うおっ!」
國男武郎が叫び声をあげる。國男と武郎の体が垂直に反転し、頭と足の位置が丁度逆転した位置で、逆さ吊りの状態にされる。
「モルモットさん達には大人しくしてもらおうかな。私は雪岡純子殿と話がしたくてきたのですからな」
残った美穂に向かって目を細めて見せながら、小池は言った。あっという間に二人を無力化したこの老人に、美穂は慄然とする。
「んー、話って、交渉か何かかなー?」
純子が小池の方を向いて訊ねる。
「ええ。まずは一つ聞きたいことがありましてな。我々は貴女を目の仇にしてはいるが、超常の力を用いて国家を守護するという立場に関しては同じであり、その大任を重視するのなら、本来は争う間柄ではなかったはずです。いや、争うべきではない立場同士だったと言うべきか」
「何、勝手なこと言ってるの? あなた達の方が純子や芥機関を目の仇にして、こうして刺客を送り込んできたり、あんな惨たらしい術を使ってるんじゃないっ」
怒りに満ちた面持ちで口を挟む美穂。星炭の呪術師達が用いる術のその禍々しさを最も知る事ができたおかげで、美穂の星炭に対するイメージはすこぶる悪い。
「おっしゃる通りですが、私はモルモットと話はしておりません。雪岡殿と話をしているのでな」
「んー、それなら最初に彼女の質問にも答えてあげてほしいな。それとさあ、皆をモルモットと言って侮辱し続けるつもりなら、私も話を聞かないよ?」
静かな口調で純子にそう告げられ、小池は肩をすくめてみせた。
「星炭流呪術は長らくにわたって、国家に仕えてきた。それが我々の矜持だ。にも関わらず、当代においてそれを失うという事になったとあっては、その原因を作った者を葬らねば治まらないということ。さもなくば、こちらが返り討ちにされて戦える状態では無くなるまでは、この争いは続くことになりましょう。しかし――これは無益な争いだ」
「ようするにー、小池さんの考えは、星炭の一族の他の人達と若干違うってことねー?」
純子が確認するように口を挟む。小池は小さく微笑んで頷いた。
「私は一族のこと、国家のこと、双方を真剣に憂いておりますが故。我々と貴女が互いを潰しあったところで、国にとっては無益。芥機関を損失したことは国にとっても損失。星炭と芥機関双方が存在して国家守護に努めれば、それだけこの国の護りも強固になっていたというのに」
「それは確かにそうだよねー。いやー、星炭の中にもちゃんとそのことがわかる人はいたのは驚きだねー」
「皮肉を申されるな。いや、皮肉ですらないか。私以外は皆、貴女への恨みと星炭の矜持のみにとらわれて、この現実を直視しようとはしない。かといって争いを止める手立てもない。そこで――どちらが勝利するかはわかりませぬが、相手を徹底的に潰さずに、きりのいいところで降伏するなりして手打ちにしたいのです。その後は共に国家守護に努める方向へもってゆきたい。もし雪岡殿が優勢であったら、我々が降伏し――私が一族の者を説得します故――雪岡殿の口利きで、政府に再び我等を国家守護の任に就かせていただきたい。さすれば私も一族の者を説得しやすい。逆に我々が優勢であれば、雪岡殿の口利きで国家守護の任に再び就かせてもらうという条件の下にそちらの降伏を受け入れる、と」
小池の話を聞いて、それなら最初から争うなと突っ込みたい気分になる美穂。
「おいおい、どっちにしても星炭サイドが得する話じゃんかよ。虫がよすぎだろ」
逆さ吊りのまま、國男が茶々をいれる。
「得する話――というのも確かだが、それは国家を憂いたうえでの話であるのが大前提。そうでなければ、私はこのような交渉をまだ勝負の趨勢すら見えぬうちに、こうして自ら出向いて雪岡殿にもちかけるはずもないでしょう。それに……」
小池は倒れて呻いている星炭の術者達に一瞥をくれる。
「どういう目論見があったのかは計りかねますが、我等の術者のみを殺さずにしておくという、雪岡殿の措置も、手打ちにもっていくのには都合のよい材料となりましょう」
「わかった。信じるよー。抗争をほどよい所で終わらす手打ち案としては、その路線でいくね」
あっさりと小池の出した提案を呑む純子。
「国家守護の任に再び就くって、またあんな術を繰り返すってわけ?」
小池を睨みつけ、美穂は挑みかかるように問う。
「苦しませて殺した怨霊や、生かさず殺さずの状態の生霊なんか使って、国を守るも何も無いじゃないっ。一方で人の命奪ってるわけだからさ」
「幸福とは、他人の不幸の上に築かれるもの。この国は数百年の間、我々が多くの怨みを抽出し、それを武器と変える術を用いて護ってきたのです。一握りの者が多くの者の礎となって死ぬことで平穏が守られる――これは我々に限った行いではない。人類皆がそうしてきた事では? 市井の者共の多くの幸せに満ちた笑顔を作るために、私達がその汚れ役を背負ってあげているのです。感謝されるならともかく、非難される謂われはありませぬな」
猿のような皺くちゃの顔に憎々しい笑みをたたえ、傲然と言い放つ小池。
「本家の星炭流妖術の汚れ仕事を担うために生み出された分家の星炭流呪術は、本家が歴史の裏舞台で妖怪退治やら怨霊調伏など華やかな活躍をする一方で、歴史の裏のさらに影で蠢く惨めな存在だった。本家と縁が絶たれてもそれは変わらず、数百年間、外法屋と罵られ蔑まれてきた。我々にはこの力しか無かったのだ。この力を極め、国を護る。それだけが我々の生ける証。貴女が我々の一族の子として生を受けて、果たして今の貴女と同じ考えに至りますかな?」
自分の言葉が、ほとんど自己満足に等しい、無意味な非難だということを、美穂は思い知った。肉食獣に肉を食べる事を非難するような、そんなレベルだ。
普通の世界に生きてきた美穂が、今は普通ではない領域に足を踏み入れている。だが美穂のいた素晴らしき普通の世界は、その普通ではない世界によって支えられているという事実。
もし無事にまた日常生活に戻れたとしても、今後はことあるごとに、『平穏と幸福を裏で支えている怨念』を意識してしまいそうに思えて、ぞっとしない。
美穂がうなだれて言葉に詰まっているのを見て、小池は満足げに目を細め、武郎と國男を地面に下ろし、純子に向かって軽く会釈してから、堂々と四人の前で背を向ける形で踵を返して立ち去った。
(普通に戻りたい……普通に……)
いつもの言葉を心の中で呟き、美穂は膝をつく。こんな現実など、知りたくはなかった。一生知らなくてよかった。なのに何でこんなことになったのか。
「美穂」
武郎がそんな美穂を案じて、そっと肩に手を乗せる。
「気にする事ないよー。世の中には確かに必要悪な存在もあるだろうけれど、星炭の人達はどう見ても、やりすぎだしね。別に彼等がいなくても、世の人々が幸福に暮らせないわけでもないしさー」
あっけらかんとした感じで、純子も慰める。
「あいつらはあいつらで、呪われた運命と共に生きていかなくてはならないし、せめてそんなプライドでも持たないとやってられないんだろうな」
國男が複雑な表情で言った。その理屈は美穂にもわかる。
考えるな。考えなくていい。落ち込まなくてもいい。皆が無事に元の世界に戻れればそれでいいと、美穂は自分に言い聞かせ、痛々しい微笑みをこぼして立ち上がった。
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