第三章 2

 安楽市は暗黒都市指定されている市の一つである。

 裏通り向けの特殊施設や店が多く、そのうえ建物の立地条件等も、裏社会に生きる者や裏組織にとって、とても都合がよくできている。


 当然そのおかげで、必然的に裏の住人達が多く集まり、衝突も絶えない。故に、闇の公的機関である『中枢』が、中立地帯と指定した区域が多く存在する。そこでは決して争いを起こしてはいけないという決まりがあるため、裏の住人達にとっては安心できる場所となっている。

 抗争中に追われて逃げ込むという利用法はもちろん、情報収集や商品の取引などにも使われる。ただし逃走としての利用法は最終手段であるし、取引も誰に知られてもいいような代物に限る。中立地帯には多くの裏の住人が集まるので、情報がダダ漏れになるからだ。


 安楽市の中央にある繁華街、絶好町にあるカンドービルという名のビル及びその周辺も、中立指定された場所の一つだった。


 杏はカンドービル内に裏の住人が集うバー『タスマニアデビル』にて、友人と待ち合わせをしていた。タスマニア島に生息するという有袋類タスマニアデビルの絵が描かれた鉄の扉を開け、中へと入っていく。

 中はかなり広めの、しかし見た目はごく普通のバーだ。かなりの数の客が入っているが、表通りの一般人は一人もいない。


(おや?)


 店内にピアノが流れているのを聴いて、杏は店の奥へと歩を進ませた。ここのピアノの弾くのは、一人しかいない。


「累、随分久し振りね」


 杏の声に応じて、ピアノを弾いていた累と呼ばれた少年が、顔をあげて杏に会釈する。金髪緑眼の、驚くほど美麗かつ愛くるしい容姿の美少年だ。天使のような――という形容詞をつけても、全く誇張にならないほどに。しかしその表情には陰りがあり、杏を見上げた際も、心なしか怯えたような面持ちだった。

 西洋人の容姿ではあったが、名は雫野累(しずくのるい)という日本語名だ。その名前だけならば、恐らく裏通りの誰もが知っているであろうが、実物を知る者はそう多くない。超常関係の業界では高名な大妖術師とのことである。


 杏とは店で会った際に会話する程度の友人関係だった。妖術云々はともかくとして、彼の演奏と絵画に杏は着目していた。

 タスマニアデビルの店内には、幾つかの絵がかけられており、それらの絵はこの少年が描いたものだ。特に目立つ縦横2メートルにも及ぶ油絵は、入り口から見たタスマニアデビルの店内のそれであった。杏も風景画を描くのが趣味なので、累にも累の描く絵にも興味があった。


 対人恐怖症なので気をつけてくれと、常に熊の着ぐるみに身を包んだマスターに言われているが、累の方で杏に対しては心を開いているようで、それなりに会話は交わす。

 ここにピアノ弾きのバイトに来ているのも、対人恐怖症を直そうというためのリハビリらしい。何もそのために、裏社会の住人専用の酒場でバイトという手段を取らなくてもいいだろうにと思うが、この少年も闇の住人なのだから仕方が無い。奇妙な話だが、一般社会よりも裏社会の方が、累にとっては安心できるものらしい。


 ピアノに近いボックス席に座り、依頼者を待つ。

 この店は裏通りの中立地帯であるが故に、ここで情報交換や仕事の取引は頻繁に行われる。ただし同業者に聞かれてもさほど問題の無い内容に限られるし、この場においては他者のそうしたやり取りには聞き耳をたてないようにするのが、暗黙の了解になってはいるが。


「悪ィ、二分遅刻しちゃったよ」


 黒い革ジャンを羽織り、迷彩ノースリーブにショートのアーミーパンツという、この季節には寒そうな服装の女性が、杏の前の席についた。中々の美人だがかなりの猫背だ。やや斜視も入っている。

 席についても背を丸めたままで、ポケットに手をいれたままという姿は、常に身構えて戦闘体勢を崩さないように杏には見える。


 彼女の名は樋口麗魅。杏より二つ年上の二十五歳。フリーの始末屋だ。安楽市では『霞銃(かすみじゅう)の麗魅』という異名を持つ凄腕のガンマンとして、名が通っている。

 過去幾度と無く杏と組んで仕事をこなしてきた仲で、プライベートでも親友と呼べる程親しい間柄だ。杏が協力を求める事もあれば、麗魅が杏に依頼をする事も多い。今回の場合は後者で、麗魅からの仕事の依頼だった。


 始末屋とは、裏通りではポピュラーな職業の一つだ。殺人、護衛、工作、文字通りの後始末などジャンルを選ばず仕事をこなす、所謂何でも屋である。実際に何度も肩を並べ仕事をしている杏は、麗魅ほど心強い存在はいないし、彼女に勝る者など今まで見た事が無い。いや、想像すらできない。


「最近、首が回らない程仕事が入っているらしいじゃない。いいわねえ、名が売れてきて」

「なははははは、あたしの実力から言って遅すぎたくらいだよ。世間の見る目がねーからよー」


 からかうように言う杏に、朗らかな笑みを浮かべてうそぶく麗魅。


「まっ、あんたがうまくあたしのこと、売り込んでくれてるおかげだけれどさ。杏ももっと仕事数こなせば、知名度上がるんじゃないか?」

「私はあまり名を上げることには興味ないの。私自身が満足いく仕事ができればいいから」

「出会った頃には、名前知らねって言ったら怒ってたくせによー。名が広がればいろんな所から仕事の話はいるし、その分世界が広がって面白いぜ? 杏みたいなのには、特にそーゆーの必要だよ~?」

「私は自分のペースでコツコツとやっていきたいから。で、仕事の話だけど」


 杏から切り出すと、麗魅は笑みを消す。


「例の物語の続きさ」


 その言葉だけで、如何なる仕事内容を指すか、杏は察した。


 麗魅は目的があって裏通りに堕ちてきた。

 今から丁度十年前、麗魅は両親と六つ年上の姉、それに義兄が殺された。姉の結婚式披露宴当日の出来事だった。一家もろともさらわれ、麗魅の見ている前で一人ずつ嬲り殺しにされていき、麗魅だけが助かった。

 どういうわけか、麗魅はその際の記憶を断片的にしか覚えていなかった。自分がどうして助かったかも覚えていない。気がついたら自宅にいたのだ。家族が殺されたということだけは覚えていたが、どんな連中かもよく覚えていなかった。


 家族を殺した者達を突き止め、復讐を果たすために麗魅は裏通りに堕ちた。そして年月の経過と共に、徐々に記憶が蘇ってきたのである。

 麗魅の家族を殺した集団は、何やら儀式めいた事を行っていた、魔術師のような装束の怪しい集団であった事も思い出した。

 麗魅はそれらの断片的な記憶を手がかりに、杏と共に考えられる様々な線を当たってみた。カルトな宗教団体、魔術結社、快楽組織等。しかしそれら全て、麗魅の記憶と符合するものはなく、徒労に終わった。


 いつも明朗快活な麗魅が、信念をもって裏通りに堕ちてきて、そこで力を蓄えて復讐を果たさんとしている事に、不謹慎ではあるが、ある種の美のようなものを杏は感じていた。

 復讐劇そのものが一つの見世物だと、杏は麗魅に直接言ったことすらある。だからこうして付き合っているのだとも。杏の性格を熟知している麗魅は、それを聞いても笑っていたが。


「また、記憶が一部蘇ったのさ。しかも相当に重要な内容だ。あたしがあの場からどうやって助かったのか、そいつをやっと思い出したんだ」

「それはまた興味深いというか、あなたの復讐のための大きな手がかりになるんじゃない?」

「だな。でもその助かり方――ていうか、あたしを助けてくれた奴が問題なのさ」


 麗魅が苦笑を浮かべる。


「赤い目の女の子だった。医者みたいな白衣着てた」

「ちょっと……」


 麗魅の言葉に、杏は顔色を変えた。


 赤い目の女の子――それだけで、この世界に生きている者は例外なく、誰を指しているかわかるくらいに有名な存在。そして危険人物。

 麗魅がテーブルの上に、ホログラフィー・ディスプレイを開き、反転して杏に画像を見せる。ディスプレイには少女と少年が一人ずつ映っている。


「驚きだね。記憶の中と全然変わってない。十年前とさ。不老不死って噂も本当かも」


 十四、五歳くらいの、猫を連想させるはしっこそうな顔立ちの愛らしい少女。吊り上った大きな切れ長の目の中にある紅玉のような赤い瞳、白衣。麗魅も記憶が蘇った瞬間、該当するのが誰であるかをすぐわかったはずである。


「雪岡純子」


 杏が神妙な面持ちでその名を呟いた。裏通りで知らぬ者はいないマッドサイエンティスト、雪岡純子。杏もこのタスマニアデビルで、実物を何度も目にしたことがある。この店にもよく訪れる。

 数々の優秀な火器、薬物、生物兵器を開発し、ユキオカブランドと呼ばれる世界的に有名な兵器ブランドまで生み出した人物。


 表通りの住人だろうが裏通りの住人だろうが見境無く人体実験をするとか、少しでも気に入らない取引相手は、即座に商談決裂したり裏切ったりするおかげで敵だらけとか、ユキオカブランドの利権を巡って幾つもの組織が対立するまでに至るなど、様々な逸話がある。

 実際幾つもの組織や何人もの個人が彼女と敵対し、その結果屠られている。裏通りにおける情報機関紙では、最低でも週に一度は雪岡純子絡みの記事を載せている程のトラブルメイカーだ。

 災厄と受難をもたらす悪魔のような人物とされるが、彼女の有する科学技術力は、科学文明の停滞した現代において一世紀以上進んでいるとされており、多くの死の商人と違法ドラッグ販売組織が、こぞって雪岡純子との専属契約を欲している。

 また、裏通りのみならず、表通りにおいても様々な成果や業績を残している。たとえば米中大戦以降に配備された、大陸弾道ミサイルを完全無力化した最新型レーザー衛星『月読』の製作も、雪岡純子が関わっているという話だ。十年前に日本に現れた大怪獣『アルラウネ』の討伐チームにいたという話もある。


「真っ黒ずくめの怪しい服に、白で星型の刺繍を胸の所にいれた連中がさ、あたしの見ている前で、次々と家族を殺していった。それも思いつく限り最悪な反吐吐きそうになる方法でよ。当時のあたしにはそりゃあ刺激が強かったさ。よく失神もせずいたよ。で、いよいよあたしの番かって時に、その子が現れたんだ。ここでまた記憶が飛ぶんだが、気付いたら怪しい集団は皆死んでた。多分雪岡純子に殺されたんだと思う。で、あたしに『もう大丈夫だからね』って笑いかけながら、あたしの手を引いて、捕えられていた所から連れ出してくれたんだよ。んで、気がついたら自宅だったんだけど、その間の記憶がまた無いんだなー、これが」


 頭を押さえ、大きく溜息をつく麗魅。


「何ともドラマチックね。謎だらけだし。そいつらが何者なのか、何で雪岡純子と敵対していたか、探ればいろいろ出てきそうだけれど」

「それくらいならあたしだって調べられるさ。でも何も手がかりなし。裏通りにおける魔術結社や妖術流派の組織にも、あの衣服と該当するのが無いし」


 もちろん麗魅だけでなく、杏も協力してこれまでずっと、それらしき集団を探し続けてきた。しかし長い年月をかけて調査したにも関わらず、麗魅の言う集団は見つからず。


「こう言ったら悪いかもだけど、面白くなってきたわね。興味深いわ。何で雪岡純子と敵対していたか、どういう理由であなたを助けてくれたのか。たまたま襲撃かけたところに、あなたが居合わせて、ついでに助けただけかもしれないけれど」

「だと思うよ。てなわけで、雪岡純子に接触しようとメールしてみたんだけれどよ。忙しくてしばらくお休みとか言われちゃってさ。ちと杏の力も借りたいんだ。どこかのコネを利用して接触できないかなーと」

「コネってねえ……。一応心当たりはあるけど、一度断られているの無理に接触しようとしたら、相手のヘソ曲げたりしないかしら」


 言いつつ杏は、雪岡純子の隣に映っている少年の方に目を落とした。

 黒目がちの大きな目が印象的な、白皙の美少年と言ってもよいほど整った顔立ちの少年。麗魅が雪岡純子の画像とセットで映し出す意図が何なのかは一目瞭然だった。仮にもし雪岡純子と敵対した場合は、この少年も敵にまわすことになる。


「相沢真――通称、雪岡純子の殺人人形。雪岡純子の手足となって動く凄腕の殺し屋ね」

「雪岡は何年も姿が変わらないんで、不老不死だともっぱら評判だが、こいつも昔から出回っている顔写真、全然変わってねーな。文字通り雪岡純子に作られたロボットだとか、生物兵器って噂もあるけどな。で、雪岡に敵対するモンをことごとくブッ殺してるっていうし、敵にまわしたら、おっかない奴だってのは確かさ」


 そう言って笑いながら肩をすくめてみせる麗魅だったが、杏から見たら麗魅もまた、ワクワクしているようにしか見えない。


「うーん、訪ねていくにしても最悪の事態も想定しておいて、事前に情報をいろいろ仕入れておいた方がよさそうね。何かあっても対処もできるように」

「そう思って、あんたに話をもってきたんだよ」


 にやりと笑う麗魅。


「それだけではなく、私に物語の続きを見せてくれるためでしょ。ずっとこの件には付き合ってきたんだから」


 冗談めかして言う杏だったが、わりと本気でそう思ってもいた。不謹慎だが純粋な好奇心で、麗魅の復讐劇を最後まで見届けてやりたいし、いかなる真実があるのかを知りたい。そしてもちろん親友として彼女に協力したいとも思っている。

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