第二章 2

「おっはよーっ、教授かける三人」


 白衣を纏った真紅の瞳の少女が、コーヒーポットとカップを乗せたお盆を両手に室内に入り、元気よく挨拶をする。


『おおっ! 雪岡君、丁度いいところに来た!』


 室内に人影は一切無かったが、室内よりスピーカーを通した声が響き渡る。


『峰と坂口はもう駄目だ! 脳に限界が来ておる! 発想が貧困になりすぎていて、私や君にはもうついて来られないだろう!』

『何を言っとるか! この阿呆が!』

『突飛な案や奇をてらう事しかできんくせに、何を偉そうに!』


 室内には無数のコンソールが並べられており、何十にも及ぶ立体ディスプレイが宙に浮かび上がっている。部屋の中央には、巨大なシリンダーのような容器が三つ置かれており、中には液体がたたえられ、チューブが何本も取り付けられた脳髄が一つずつ浮かんでいた。


「また喧嘩しているのか、こいつら」

 少女の後に続き、制服姿の小柄な少年が室内に入る。


『真、目上の者に対する口の利き方くらい、いい加減に覚えんか! 純子、しっかりこやつを調教せいっ!』


 脳の一つが高飛車な口調で喚く。真と呼ばれた少年は無表情かつ無言のまま、コーヒーポットを手に取る。真が空中に投影されたボタンの一つを押すと、コンソールの上にあった蓋が開く。真はその中へとポットを傾ける。


『あぢあぢあぢぃっ!』

『何するんじゃ! 小僧!』

『しかもこれは私の大嫌いなブラックコーヒーですよ!』

『はんっ! これで砂糖とミルクが入っていたら悪夢じゃわい!』


 脳だけの『教授』達が口々に喚く。彼等の味覚を共有にして、熱いブラックコーヒーを冷まさずに、味覚伝達ボックスに一気に注ぎ込んで味あわせた真であった。


「余計うるさくなったか。脳だけで体が無い分、元気もてあましているのかな、こいつら」

 淡々とした口調で真。


「一晩中喧嘩してたのー? 無駄に電力使わないで欲しいんだけどなー」

『いやはや、面目ない』


 少女――雪岡純子が冗談めかした口調で言うと、脳の一人が謝罪する。


 彼等は純子と同様、所謂マッドサイエンティストと言われる者達だった。

 ここ数十年の間に過度なエコロジーブームが流行り、科学文明の発展が悪という風潮が出来て様々な規制が設けられたが、一方でそれらの規制を一切無視して、反社会的な研究に励むマッドサイエンティスト達が多く出現した。

 ここにいる三人のマッドサイエンティストは、純子に才能を認められ、本人等も寿命で死ぬのを拒み、脳だけの状態で永遠の命を与えられて、純子に未来永劫協力する運びとなった者達である。


「んでさー、例の革命家さんだけどー」


 椅子に座ってカップにコーヒーを注ぎながら、純子が笑顔のまま切り出す。


『ああ、件のマウスなら純子ちゃんの読み通り、この国へやってきたぞい。月那美香(つくなみか)ともネット上でコンタクト済みじゃ。何もかも思い通りじゃのお』


 脳の一人が先回りするように答えた。


「何もかも思い通りにいったらつまんないけどね。イレギュラーが発生する可能性があるくらいが、面白いんだからさー」


 容器の中の脳に悪戯っぽく微笑んで言う純子。


「どんな展開が一番お前にとって面白くないんだ? お前の遊びを邪魔するための参考に訊いておきたい」


 抑揚に乏しい声で訊ねる真。


「それはもちろん、何も起こらないっていう展開かなー?」


 真の方に一瞥をくれてそう述べると、純子はカップに口をつけた。


***


 久しぶりに日本へ帰国した天野弓男と四十万鷹彦は、成田から電車で安楽市へと向った。


 東京の西部にある安楽市は、複数の市町村を併合して出来た暗黒指定都市である。

 暗黒指定都市とは、裏通りの組織や住人が特に集中している都市を指すが、表通りの住人からしてみれば、安楽市は普通の都市にしか見えず、裏通りの住人が多いと言われても、ピンとこない。

 裏通りの住人達からすると、あまり悪さをしすぎて表通りの住人に害を成すのもいろいろと不都合が大きいので、可能な限り社会の裏表の区別をつけている。そのため、多くの表通りの住人からは、いまいち裏通りの存在がわからない。街中で銃撃戦が起こった際に、「ああ、裏通りの抗争だな」と、わかる程度だ。


「何つーかしばらくぶりに帰ってくると驚くな。日本てこんな息苦しい国だったのか? どいつもこいつも、生きているのか死んでるのかわからねー面してやがるし。あーやだやだ」


 日も沈み、帰路に着こうというサラリーマン達で溢れる安楽駅のホームにて、電車から降りた鷹彦が溜息混じりの口調で毒づく。


「こらこらこら、声が大きいですよ、鷹彦。確かにバナラの人の方がよっぽど活き活きと表情が輝いていましたがねえ。うん。圧政下にあってもね」


 たしなめる弓男も、内心では同じ想いだった。

 日本にいる時はわからないが、国外に長く滞在して帰ってくると、生まれ育った祖国の方に対して違和感を覚えてしまう。

 学生時代、帰国子女の転校生が海外留学自慢をして日本を貶める語り草を聞いて、鬱陶しくて仕方なかったが、今はちょっとだけ気持ちがわかってしまった。


「そりゃあ民族解放の希望をもって戦っていたからな。でも――あの国がたとえば遠い未来に日本並に近代化したとしたら、この国の人間みたいに、腐った魚の目で日々を生きるようになるのかもしれないんだぜ?」


 最後の台詞は冗談のつもりの鷹彦であったが、弓男はそれが冗談ではなく起こるかもしれないと考える。


「独裁者の尻の下に敷かれているよりはマシでしょ。ま、独裁者イコール必ずしも悪ってわけではなくて、私欲に捉われない良い独裁者もいるんですがね」


 実際にその良い独裁者とやらに御目にかかったことはない弓男だが、歴史上の人物においては、多少なりと好感のもてる独裁者もいる。


「話は変わるがよ。俺達も裏通りで生きていた時期あったけれどさ、日本は裏社会に至るまでお行儀がいいよな。裏通りの住人同士はドンパチしてばかりだけど、カタギにはできるかぎり迷惑かけず、裏表はっきり区分けするっていうお約束まであるし」


 今から丁度十年前、弓男と鷹彦は共に弱冠十五歳にして裏通りへと堕ちた。

 そこで五年間、裏通りでポピュラーな職業の一つである始末屋――所謂何でも屋をしていたが、更なる刺激を求めて海外へ飛び出て、戦場を渡り歩いた。


 戦場を渡り歩く事さらに五年。

 虐げられている弱者側については、一国の政情を引っくり返す革命や少数民族の解放を幾度となく成し遂げて、いつしか天野弓男は『二十一世紀最大の英雄』、『彼が味方をした方こそが正義』『実在する正義の味方』とまで謳われる、高名な革命家となっていた。


「所謂あれですよ、あれ。日本人特有の和を保つという国民性からきているんじゃないかと。そういう風にした方が互いにとって都合がいいですし。警察も裏通りの住人同士で殺しあっている分には、あまり干渉せず済ませていますしね」

「俺等干渉されまくってたじゃんかよー。何度少年課に掴まったことか」

「未成年に対しては妙に厳しかったですねえ。すぐ補導されて説教地獄でしたし」

「懐かしいなー。裏通りでの日々も、安楽市も」


 二人は安楽市の生まれであり、裏通りで過ごしていた時代もこの街を拠点としていた。そして今回のターゲットである武器密売製造組織『破竹の憩い』も、安楽市にアジトを幾つも構えていた。


 駅を降りた弓男と鷹彦は、かつて贔屓にしていた武器製造密売組織『車椅子の七節』の売人を訪ね、銃と弾薬とプラスチック爆弾と防弾繊維を編みこんだ服を売ってもらった。入国する際のチェックが厳しく、武器の持ち込みは一切できなかった。


「拳銃は大量に出回っていますが、マシンガンやアサルトライフルや手榴弾といった類は、未だ厳しく制限されているんですよねえ。裏の人間同士が殺しあうのは勝手でも、堅気は巻き込まないようにするための配慮でしょうが」


 ホテルのツインルームに入り、仕入れた得物をチェックしながら、二人は会話を交わす。


「拳銃だって流れ弾はあるだろ。本当この国の考え方はおかしいよ」

「私は日本のそういうファジーな所やグレーな所はね、大好きですけれどね。うん」

「俺は合わねえなあ……。で、お前は例の協力者、信用できると思えたか? うわ、ダセー歌」


 テレビの音楽番組を見て、鷹彦は顔をしかめながら尋ねる。


「ええ。直接喋ったわけではないんですが、ネット上で接触してみた限りは、信用できそうなんですよね。メールで接触しただけですけど。文章だけでも妙に熱い感じが伝わってきましたし」


 弓男がそこまで言うのなら平気だろうと、鷹彦も納得する。


「裏通りの事情も、五年も経てば大分変わるからなあ。俺等がいた頃の有名人がいなくなってたり知らない奴が名売れてたりと」


 天井を仰ぎ、心なしか寂しげな面持ちになる鷹彦。

 日本で活動していた記憶の数々、出会った者達の事を思い起こしていた。

 裏通りで活動していた時代は、正直ぱっとしない二人であったが、あの頃はあの頃で思い出が沢山ある。


「協力者というより、同志と言った方がよいですね。これから一緒に遊ぶわけですし」


 弓男は破竹の憩いという組織に関して事前調査をしているうちに、現在、破竹の憩いが一人の始末屋の手によって莫大な被害を被っている事を知り、その人物と手を組もうと考えていた。

 一人で一つの組織を敵に回すなど、狂気の沙汰のようにも聞こえるが、有り得ない事ではない。弓男と鷹彦もたった二人で犯罪組織に立ち向かい、滅ぼした事が幾度もある。その始末屋が、自分達と近いレベルの凄腕であろうことは間違いない。


「伝説の革命家様と組める名誉をね、たっぷりと味合わせてあげちゃうとしましょうか」

「あ、すっげー偶然。今そいつテレビに出てるぜ。ほれ」


 テレビを見ていた鷹彦が、弓男にも画面を見るよう促す。


「テレビに出ているって……裏通りの始末屋なんでしょう? どういう事ですか? それ」


 空中に浮かぶ画面を訝しげに覗き込む弓男。


「どういう事も何も、こういう事だよ。接触したんだろ? これから会う相手のことくらい、もっとちゃんと予習しとけっての」

 と、呆れ顔で鷹彦。


 画面の中には、おかっぱ頭の芸人の司会者と、セミロングの髪の少女が映っている。

 裾の短い藍色のTシャツと真っ白なハーフパンツという簡素な衣装で、メイクは一切していない美少女。芸能人定番の愛想笑いが無く、それどころか鋭い目つきと真剣な面持ちが、弓男には印象的に映った。凛々しいという言葉がぴったりあてはまる少女だ。


『お久しぶり~。裏稼業の方はどうですか~?』

『繁盛している! 前の出演以来、銃撃戦も十一回ほどやった!』


「ぶっ……何ですか、これは」


 出だしのやり取りからして、弓男は吹いてしまった。隣では鷹彦が面白そうににやにやと笑っている。公共の電波で裏通りの仕事をしている事を堂々と口にする芸能人など、どう考えても前代未聞だ。


『いやー、そっちの稼業も大事でしょうけれど、くれぐれも無事でいてくださいね。歌手としての貴女のファンの方達を、哀しませたりしないように~』

『心配無用! 私は絶対に誰にも負けない!』


 たっぷりと気合をこめて、少女はカメラ目線で言い放つ。まるで視聴者を睨みつけるような目つきだ。そういうパフォーマンスなのではあろうが。


『では月那美香さん、今夜はテレビ初の新曲ということで』

『応! 今回もポジティヴな曲だ! 聴いてくれ!』


「何でこの人は、いちいち叫ぶように喋るんでしょうねえ? 見ていて痛々しいっていうか、こっちまで決まりが悪くなるっていうか」

「そういう芸風なんだろ。俺は好きだぜ、こういうの」

「ふむむ。MCならわかるけれど、司会とのトークでまであんなノリなのは、そういうキャラ作っているんですかねえ?」


 やがて歌が終わり、司会が少女に声をかけた。


『じゃあ~、いつもの宣伝もしてもらっちゃいましょうか』

『裏通りのトラブルなら私の所に遠慮せず相談しにこい! 絶対に力になる!』


 マイクを握ったままカメラに向って勢いよく指差し、力強い口調で宣言する少女。熱唱の後に頬をつたう汗が、弓男には輝いて見えた。


 弓男はその少女の名前と、裏通りにおける評判だけは予習して知っていた。

 月那美香――実力評価はそれなりに高いフリーの始末屋。

 一人で組織一つを丸々相手にするくらいだから、相当な凄腕なのであろうとは思っていたが、ミュージシャンとしてテレビに出演して顔を出し、あまつさえ全国放送で裏稼業をしている事を暴露するという行為は、かなり常軌を逸している。


「本当に知らなかったのかー。わりと有名なのに」

「よく調べておくべきでしたねー。というかこの情報サイトがいい加減なんですよ。裏通りの評価しか書かれていない」

「それよりさ、こいつ、俺達と似てないか?」


 鷹彦が弓男の方を見て、意味深に笑う。


「あー、鷹彦もそう思いました? 私もですよ。同じ匂いがぷんぷんしますね。日本にもまだいたんですねえ、こういうタイプの人」


 鷹彦に同意し、弓男も笑みをこぼした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る