第一章 12
(いくらなんでも不味いんじゃないか?)
雪岡純子のマウスを処分する仕事をあっさり放棄し、第七支部の建物の中へと戻った凛に、町田が声をかけた。
「あの子、こないだ射撃場で会った子よ」
建物の中を歩きながら、声に出して呟く凛。
「コスプレ風の子は黒い光が輝きを増しているね。うん。いい感じ。もう一人のやんちゃそうな子は、黒い炎が燃えゆらめいているって感じだし、こっちも中々のものかな」
庭で対峙した十夜と晃を思い出し、微笑がこぼれる。
「雪岡研究所を通じて、裏通りデビューしたばかりかあ。私と同じだね。まだ摘むには早すぎる命よね。今はまだ殺したくないなあ」
(はあ……全く……殺しを楽しむ一方で甘いときている。誰であろうとお前の敵だ。そんな気持ちでは殺られるぞ)
「別にいいよ。もう十分楽しんだから、いつ死んでもいい。沢山殺して楽しんだしね。フツーとかいう生き方するよりも、きっと何億倍もいい人生送れただろうしさ」
そう嘯く凛だが、かつて逃れられない死の恐怖を意識した町田からすれば、凛が本当に死を目の当たりにした際に、同じ台詞を口にできるとは思えなかった。
(だからそれは私が困ると。私の術を誰かに引き継いでもらわねばならんのに)
「で、誰と子作りしろっての?」
凛と町田の間で幾度も繰り返されたやり取りへと行き着く。凛がおかしそうに微笑み、町田は凛の中で溜息をつくという定番の流れ。
「やっぱりああいう、心に黒い炎が燃えている子達を殺すのは嫌だなあ。こないだのお姫様助ける勇者様モードの男とかは、面白くもなんともないし、殺しても何も感じなかったけれど、あの子達を問答無用で殺すと寝覚めが悪そう。うん、てなわけで、やめる」
(ホルマリン漬け大統領が黙ってないぞ)
「そうなったら純子の側につけばいいだけだし、向こうだってそれを計算するから、お咎めは無いんじゃない? それでなくても私は依頼を途中で放棄とかよくやるから、元より信用度最低の始末屋なんだし。それくらい承知で雇って欲しい」
言いながら凛は奥村がいる部屋を開く。中には憮然とも呆然ともつかぬ表情の奥村が座っていた。
「どうしたの?」
訊ねる凛。奥村のこんな顔は初めて見る。
いや、それ以前に、勝手に切り上げてきた自分に対して激怒しているかと思っていたのに、この反応は妙だ。自分が戦闘放棄した以外にも何かあった事が、その表情から伺えた。
「それはこっちが聞きたい。君が戻ってきたことも、雪岡達が引き上げたことも」
奥村は魂の抜けたような声で答え、両手で頭を抱えて机の上でうなだれた。
凛はこの後、純子達が第七支部の建物の中に突入して、構成員と奥村を皆殺しにする展開を予想していたので、純子の突然の撤収は確かに妙な展開に思える。
「向こうにも何か事情があったんじゃないの?」
凛の言葉は、ショーが台無しになったショックでうなだれている奥村の耳には、最早届いていないようであった。
***
四人が雪岡研究所に戻ると、すぐに純子が十夜の診断と治療にあたった。
研究室の一つで純子が十夜を診ている間、晃と真は別の部屋にてほぼ無言で純子が戻るのを待っていた。
晃は祈るように顔の前で両手を合わせて、うなだれたまま座っていた。
真は特に励ましや慰めの言葉もかけず、ただ一度、コーヒーを入れて晃に差し出しただけだった。晃は小さく会釈してそれを受け取り、ちびちびと飲んでいた。
「終わったよー。一応収まったし、多分もう大丈夫」
部屋の扉が開かれ、純子が入ってきて笑顔で報告する。
それを聞いて晃は安堵して大きく息を吐いたが、真の反応は全く異なった。
「ふざけるな」
純子を睨みつけて険悪な声を発する真。
これまでの無表情とは異なり、明らかに怒りを帯びた真の顔を見て、晃は驚く。
「僕の後輩だし、それなりの事情も抱えている奴に、命の危険まである無茶な改造手術をするとは思わなかった。そこまでするとはな」
「んー、私はあくまで私ルールに従っただけだよお? 真君は私のこと、悪人しか殺さない正義の味方だとでも思ってたのー? 今までだってそんなこと無かったでしょー?」
「僕を慕っている後輩なんだから、少しは考えろと言ってるんだ!」
悪びれない純子と、初めて声を荒げて怒りの表情を浮かべる真を見て、晃は胸に熱いものがこみあげてくる。
「慕っているのは晃君だけみたいに見えたけれどねえ」
「そういう問題じゃない。一昨日から僕はこいつらの面倒を見ている。その時点で僕の弟子みたいなもんだし、文字通りの後輩だ。たとえたった二日の間でもな。それをこんな扱いするのは許せない」
自分を見据えて責める真に、最初は余裕を見せていた純子も、次第にたじろぎ気味になっていった。
「んー、えっとねえ……私も悪意があったわけじゃないし、完璧でもないし、わりと安全なつもりだったのが、そうでもなかったっていうか……予想外っていうか、うん、あれだ……」
戸惑いの表情で、申し訳なさそうに弁解する純子であったが、やがて頭を下げる。
「すまんこ」
純子が口にした謝罪の言葉がふざけているようにしか思えず、晃は思わず吹いてしまった。
「十夜君は私が責任もって何とかするよ。死なせたりとかはしないから。うん、多分」
「死なせたらこの研究所爆破してやるからな」
純子を睨んだまま静かに、しかし凄みをきかせて告げる真。
「大丈夫だってー。多分。じゃあ私、ちょっと用事あるから出かけてくるねー」
ばつが悪そうに部屋を出ていく純子。
「相沢先輩! 相沢先輩って、見た目クールだけれど中身は熱い男なんだねっ!」
純子が出ていった後、晃が表情を輝かせて、興奮気味な弾んだ声をかける。
「クールというか、ただ無表情なだけだろ。こうなったのには……理由があるんだよ」
心なしか言いにくそうに真。
「僕の親が、感情を表に出すなと徹底して躾けたからな。少しでも表情を浮かべようものなら叱られ叩かれ続けたせいで、できなくなってしまったんだ。これでも無意識に表情が出せるように訓練しているんだけれど、中々難しくて……。喋り方もさ、声のトーンとか無意識のうちに抑え込まれてしまっている。親に植え付けられた強迫観念のせいで、感情と表情が繋げにくくなったのかな。たまにだけど、無意識のうちに表情が出てることがあるらしいんだが、自分では気が付かないし、もう何年も悩んでいるんだよ」
「相沢先輩も親から虐待されてたのか……」
輝いた晃の表情が一転して曇る。
「虐待とまで感じるかどうかは人次第だろうけれど、僕は親とちゃんと和解したぞ。まあ、普通の家庭環境で育った奴なら、裏通りに堕ちようとはしないだろう」
和解しても結局裏通りに堕ちたのかと突っ込みたかったが、流石の晃も自重する。
「成長過程で周囲の環境で何か不幸なことがあって、普通じゃなくなってしまった奴か、最初から不幸な環境にあったか、さもなければ前世からそういう尖った魂の奴でないと。僕は不幸な出来事と尖った魂のダブルらしいから、雪岡の言葉を借りれば、堕ちるべくして堕ちたってことになるな」
「ふーん……恵まれてる環境だと、フツーな人生の方で満足しちゃうのかな? あるいは生まれる以前からの魂に左右されないと」
曇った顔のまま、真から目線をそらして晃はうつむいた。
「恵まれた環境で育っていても、満たされずにこっち側へ来る奴も稀にいるかな。レールの上から外れるきっかけってのが、何かしらある。で、お前は後悔してるのか? 普通という名のレールから外れたことを」
晃が自分から何も話さなくても、真は晃のことをある程度見抜いていた。晃がこちら側に堕ちてきた理由が、相当に深刻な代物であることを。そして晃が、もう引き返しがきかない、ある行為を働いていることも察している。
「してないよっ。僕は自分の意志で決めたんだッ」
真の一言に反応し、晃は顔をあげる。
声に意地を張っているような響きがあることに自分でも気がつき、晃は再び目をそらす。
「後戻りできないことを衝動的にやらかして、その結果ではなく、最初から全て決めていたのか? 僕はそんなじゃなかったな。自分が普通には生きられないんじゃないかと、ずっと迷っていて、普通な人生にも憧れていたけれど、いろいろあって結果的にこっちになった」
「あはは、何だか見抜かれちゃってるよね。本当すごいや、先輩は」
晃が自虐的に笑い、また真を見る。
「僕さ、学校で伝わる先輩の伝説やネット上で見る先輩の話とかで、ずっと先輩に憧れてて、でもどんな性格の人なのかまではよくわからなくって、あれこれいろんなパターン妄想していたけれど、実物はそのどれよりも素晴らしかったよ。射撃とか体術の教え方とかすごく丁寧だし、言うこともいちいち格好よくて説得力あるしさー」
「そういうこと本人の前で臆面も無く言うなよ。これでも照れる」
言いつつも相変わらず無表情のままの真。
「だって年上の奴で僕が尊敬できる人間て、今まで一人もいなかったからね。年齢を傘にきて威張るだけの能無しは沢山いたけどさ。だからそういう意味でも嬉しいんだ。先輩が尊敬できる目上の人間だったことがさ。背は僕より低いし見た目は子供だけど」
「背は余計だ。つーか……背が低いのって、お前の中ではそんなに悪いことなのか?」
「いや……悪くは無いけど。意外だっただけで」
真が自分の背を気にしているような台詞を口にしたので、これ以上その件について触れるのはやめようと心がける晃。心がけても、すぐ忘れる性質でもあるが。
「まあ僕からしても、自分が培ってきた経験や技を他人に伝授するっていうのは、中々新鮮だし、悪くないと思えてきたよ」
「おお、なら先輩が得た全てを僕に叩き込んでっ。早速今日の訓練だっ」
弾かれたように立ち上がると、真が何か言う前にさっさと部屋の外へ出て行く晃。それを見て真は溜息混じりに立ち上がり、晃の後を追う形で部屋を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます