LIMINAL CODE(リミナルコード)
ブリードくま
プロローグ ― 焼かれた残響
東京湾岸地区。
かつて倉庫街だった場所に、時代の名残をとどめる廃ビル群が点在している。鉄骨のむき出しになった無骨な建物たちは、再開発を待たされるまま取り残され、風雨に晒され、時折不法投棄の温床にもなっていた。
その一角に、朝から規制線が張られていた。
現場に到着した田所勝は、薄く眉を寄せた。
「またこの手の……か。連中はこういう場所、よく見つけてくるもんだな」
捜査一課の警部。齢50を過ぎた田所は、刑事人生の大半を殺人や凶悪犯罪の捜査に費やしてきた。
長身痩躯、無精髭にくたびれたスーツ姿。現場に似合う風体とは言えないが、その目だけは鋭く生きている。
後に続いたのは、部下の警部補・日原宗一郎。30代前半。柔らかな印象とは裏腹に、ロジカルな分析と確実な捜査で上層部からの信頼も厚い男だ。
「被害者は男性1名。焼死体で発見されました。室内に放火の痕跡はあるものの、火元が不自然です」
「火元が“不自然”ね……」
2人は白線をまたいで廃ビルの一室に入った。
そこは、もともと何に使われていたのかすら分からない荒れた空間だった。四方の壁は煤け、天井は剥がれ落ちて鉄骨が露出している。
そして、その中央。座椅子のような木製の台の上に、“それ”はあった。
焼け焦げた男の遺体。
まるで「意図的にそうされた」かのように姿勢が整い、手足を折り畳むように胡座をかいた体勢で、丸ごと炭のように変質していた。
「……仏像かよ」
田所が吐き捨てるように言った。
「爆発の痕跡なし。可燃物なし。周囲の焼損も局所的。火災というより、何か1点にだけ“熱”が集中したような……そんな焼け方だな」
「鑑識も困惑してます。近くの監視カメラには不審者の映像はなく、出入り記録もゼロ。事前に火種を仕込まれた形跡もない。」
日原の報告に、田所は鼻を鳴らす。
「最近、こういう“妙な死体”が続いてるな。3件目だろ。だがメディアはどこもほとんど扱いやがらねえ。どういうわけか“報道しづらい事情”があるらしい」
「共通点は、傍らに紙片が落ちていたことくらいですかね。あれも意味不明だ」
そのとき、背後からシャッター音が響いた。
「どうも。そういう“報道しづらい事情”に首突っ込むのが、俺の仕事ってね」
低く擦れた声。振り向くと、男がひとり、規制線の向こうで笑っていた。
「またお前か……!」
田所が呻くように言った。
現れたのは、週刊誌『真相』の記者、鷹野修平。
白髪まじりの髪をラフに撫で付け、くたびれたジャケットにカメラとレコーダー。どこか飄々としているが、鋭さを内に秘めた老獪な目つきが印象的だった。
「ずいぶん久しぶりですね、田所警部。……あれ以来、3カ月か。骨董屋の事件ぶり、だったかな?」
「帰れ。現場に記者が踏み込むな」
「踏み込んでないですよ。あんたらが喋る声が外まで聞こえたんで、少しだけね。……“不自然な焼死体”。これは記事になる」
鷹野はすでにカメラに何枚も収めたようだった。
「やめてください」と日原が制止する。
「まだ身元も不明ですし、情報の扱いを誤れば混乱を招く可能性がある」
「ほう、エリートの坊ちゃんは慎重だ。……だが、情報ってのは、誰かが“使い方”を決めなきゃ意味がない」
「お前のは“使い方”じゃなく、“売り方”だろうが」
田所が低く言い放った。
鷹野は煙草に火を点けながら笑う。
「まあ、あんたらみたいな“真実を掘る人間”と、俺みたいな“真実を取引する人間”じゃ、見てる景色が違うってこったな」
ふと、鷹野が何かを思い出したように日原へ顔を向ける。
「そういや、紙片が見つかったとか。なんて書いてあった?」
「関係ありません。調査中です」
「ふーん……なにやら共通の文字が印字されてたって聞いたが?」
田所が舌打ちした。
「黙って帰れ、鷹野。次に現場に顔出したら、今度こそ署に引きずるぞ」
「そのときゃ記事になるな。『警視庁、週刊誌記者に暴行』ってな」
鷹野は肩をすくめ、くるりと踵を返した。
残された田所と日原は、しばらくの間沈黙していた。焼け跡の中央にある不気味な死体が、ふたたび二人の視線を引き寄せる。
田所はしゃがみ込むと、焼け焦げた床に手を伸ばした。
焦げ跡の中心に、人間のものと思われる骨が残されている。だが、それはあまりに整いすぎていた。
「……焼けた臭いがしない」
低くつぶやいた田所に、日原が目を向ける。
「焼死体なら、本来もっと……鼻を突く匂いがするはずです。油脂や血液が焼けた匂い、タンパク質の焦げるような……でも、ここは」
「妙に、埃っぽい臭いだけだな」
田所が天井を見上げる。焦げ跡はあるのに、煤(すす)の広がり方が不自然だった。火の勢いが一気に集中して、爆ぜるように燃えた。
そんな跡に見える。
「天井、床、壁。身体は全部焼けてるのに、周囲も空気も澄みすぎてる」
「気流の影響……とは言えませんよね」
日原は少し声をひそめた。
「それに、焦げ跡の形が妙なんです」
「妙?」
日原が示したのは、灰の中にかすかに残された円形のパターンだった。崩れかけた文様のようにも、ただの偶然の焼け跡のようにも見える。
「中央だけが完全に炭化してて、周辺は焼き残ってる。“中心に何かがあって、そこから燃えた”っていうより、“中心だけを焼いた”みたいな」
「……仕組まれたような焼け方、ってことか」
田所が小さくうなずいた。「だが、こんな焼け方、俺は見たことがねぇ」
その声は、どこか張り詰めていた。
数多くの現場を踏んできた田所が、こんなにも言葉を選ぶのは珍しい。
「火災原因の報告が出るまでは断言できませんが……これ、単純な事故とは思えません」
「事故で人間ひとりだけを、ここまで綺麗に“消す”ことができるかよ」
田所はそう言って、煙の抜けた天井を見上げた。
その目には、言いようのない違和感と、かすかな警戒が宿っていた。
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