009
モリスが酒場に足を踏み入れると、キンスキーは隅のテーブルで仲間らしき男二人と、スタッド・ポーカーをしながらスコッチウイスキーを飲んでいた。「エースとジャックのツーペア」「8が三、4が二のフルハウス」「甘いな。スペードのフラッシュ」「チキショーまた負けた」「おい、まさかイカサマしてねえだろうな?」「イイことを教えてやる。バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」
そちらを横目に観察しながらモリスはカウンターへ。ほかの客にまぎれる。
「ビールくれ」
「うちにはションベンみたいに生ぬるいヤツしかねえぜ」
「いいね。理想的だ」
「それとお客さん。うちは禁煙だ」
「やれやれだぜ。世知辛い時代になったもんだ……」
マスターがビールと一緒に灰皿を差し出してくるが、ビールだけ受け取って、キンスキーの背後へと移動する。
モリスは何食わぬ顔で、吸っていた葉巻をキンスキーのグラスのなかへ落とした。音を立てて火が消え、ウイスキーの水面に灰が浮かぶ。
キンスキーは不機嫌な顔で振り返った。「いきなり何をしやがる」
「スモーキーフレーバーを足してやったんだ。薫りはスコッチの命だからな」
「だったらてめえが飲め」
「あいにくだが、おれは基本的にビールしか飲まない主義だ」
「ふざけるなよこの野郎ッ――てめえ、ぶっ殺されたいのか?」
「酔ってるからって、そんな物騒なことを軽々しく口にしちゃアいけねえな。まァおれは心が広いから、ヨッパライのタワゴトは聞き流してやる」
「へえ、そいつはお優しいこって。けどてめえとは違って、俺様は心が狭いヨッパライだ。だからたとえくだらないジョークだろうと、聞いたとおり真に受けちまうのさ。……表へ出ろ。出ろ! 殺してやる!」
ほかの2人はあわてた様子で、「おい、よせって。大事の前なんだぞ。今もめごとを起こすのはまずい」
モリスは得意げに、「そうとも、やめとけ。おれは強い」
キンスキーは仲間の制止を振り払う。「どけ。そこのカンチガイ野郎を教育してやるんだ。この俺様に生意気な口をきけるのは、これまで一度も死んだことがないからだってことをなァ」
「……ほう、そこまで言うんだったら、おれに死の恐怖ってやつを味わわせてくれ。殴り合いなんてケチなことは言わねえ。――
キンスキーの瞳に燃え盛っていた火が落ち着く。「……正気か? ヨッパライはてめえのほうじゃねえのか? とてもシラフとは思えねえ」
「おれは酔ってねえ」そう言うやいなや意表をついて、モリスはキンスキーの仲間を2人とも二挺拳銃で撃ち殺した。「ほら、ちゃアんと当たる」
その瞬間、店内にいたほかの客たちが、全員一斉にピストルを抜いてモリスへ向けた。数にして8人。どうやら今夜はキンスキー一味の貸切だったらしい。
「待て。てめえらは手を出すんじゃねえ。……上等だ
キンスキーは懐中時計を取り出してフタを開いた。オルゴールが動き出して、曲を奏でる。
「いいか。このオルゴールが止まった瞬間が合図だ」
「案外古臭い趣味だな。つまり、ピストルで暁の決闘か」
「古きもまたよし。それが紳士の勇気を試す、ゆいいつの方法だぜ」
「おまえに紳士の資格があるか? ――いいぜ。ただ、せっかくの酒だ。こいつを飲み終わるまで待て」
「頼むから外でやってください」マスターは泣き顔で言った。
ビールを飲み終わると、ふたりは酒場の外へ移動した。先ほどの銃声に呼び寄せられた野次馬を、キンスキーの手下たちが脅かして追い払う。あまり騒ぎを大きくしたくはないので、なるべく早めにケリをつけたいところだ。殺すのは一瞬だが、死体を担いで逃げるのはそうもいかない。
あらためてオルゴールを鳴らすと、キンスキーはいつものように葉巻をくわえて、煙を深く吸い込む。
「マリファナか」
「ああ。メキシコ産の最高級品だ。よくわかったな」
「鼻には自信がある。しかし、ラリった状態で決闘するつもりか?」
「中毒なもんでな。いざってときに禁断症状で手が震えたら困る」
「……まァ好きにしろ。死ぬときくらい気分よくいたいだろう。おれもこうして葉巻を吸ってるわけだしな」
チャンスは公平ということだが、実際のところキンスキーのほうが明らかに有利だ。なにせ自分のオルゴールだから聴き慣れている。どのタイミングで曲が終わるか、完璧に把握しているはずだ。
さらに聞いた話では、キンスキーの早撃ちは文字通り目にも留まらぬ速さだという。コマ落とし映像のように、ピストルを抜く瞬間がまったく見えないのだ。
気がつくと終わっている。
相手は死んでいる。
心臓を撃ち抜かれて。
しかもそれをシングルアクションリボルバーによるファニングショットではなく、オートマチックピストルで行うから驚きだ。オートマチックには
キンスキーは余裕の笑みを浮かべ、オルゴールに合わせて歌を口ずさむ。「漕げ漕げ漕げよ ボート漕げよ ランランランラン 川くだり」
「やっぱりラリってんじゃねえか。これから殺し合おうってときに何だが、本当に大丈夫か?」
「てめえも唄えよ。楽しいぞ。漕げ漕げ漕げよ、ほら唄えって。漕げ漕げ漕げよ。唄え。唄え」
「歌なら聴かせてやるよ。ただしおれじゃなくて、おれの銃がな」
とはいえ、そもそもモリスはまともに早撃ちで競い合うつもりなどない。あくまで彼はオトリなのだ。
オルゴールが止まるまで、キンスキーはその場からけっして動くことはない。しかも意識は目の前のモリスに集中している。これ以上のチャンスはほかにない。より万全を期すのなら、曲が終わる直前を狙うのが一番有効だろう。
徐々にテンポが遅くなっていくオルゴールの旋律。なかなか耳に届かない銃声。永遠にも感じられる時間。並大抵ではないストレスが襲いかかる。自分は絶対に大丈夫だと心の底から信じられなければ、とても耐えられない。
そして、オルゴールが止まった――。
夜空に響く銃声。
モリスが胸元を撃たれて倒れた。
アタリマエの結果として、決闘に敗れたのだ。
次の瞬間、キンスキーは右手を狙撃されてピストルを取り落とす。あわてて拾おうとしたが、続けざまの連射でピストルが手の届かない遠くへ弾き飛ばされた。さらに応戦しようとした手下どもの反撃を許さず、かたっぱしから撃ち殺していく。
「忘れていたのかしら。決闘にはかならず、見届け人がいるものよ」
そうしてローラはライフルをかまえたまま、悠然と決闘の場へ舞い降りた。倒れたモリスを挟んで、15ヤードくらいまで近づき対峙する。
事前の打ち合わせに反して、彼女はモリスを見殺しにした。すべてはキンスキーの懸賞金を独り占めするため。山分けなど冗談ではない。それにしてもバカな男だ。ローラに裏切られることを予想できていれば、最初からこんなつたないオトリ作戦が成り立たないこともわかっただろうに。
キンスキーの手のケガは、すでにバンパイアの回復力で完治している。だがその程度で状況は覆らない。丸腰でライフルを向けられているとあっては。
ただし、一方でこの状況こそ、まさしく同時にキンスキーが生き延びる可能性でもあった。
「なんで心臓を狙わなかった? あの1発で俺を仕留めようと思えばできたはずだろう。なのにそうしなかった。バンパイアハンターらしくない。おいシスター、てめえはいったい何者だ?」
「ジョン・マルコヴィッチ」
「……そいつはとっくの昔に死んだヤツの名だ」
「クリストファー・ウォーケン」
「そいつも死人だ」
「そうでしょうね。なにせあなたが殺したんだもの」
「てめえは何者なんだ……?」
「別にわからないままでかまわないわ。わけがわからないまま、虫ケラのように死ねばいい」
ローラには明らかな油断と慢心があった。キンスキーを不意討ちの1発で殺さなかったこと。姿をさらして目の前まで近づいたこと。キンスキーからピストルを手放させただけで安心したこと。この段階になってようやくトドメを刺そうとしたこと。普段の彼女ならありえない手抜かり。
けれども一番の油断は、ちゃんと狙撃が成功したかどうか確認しなかったことだ。「まったく、おれは世のなかの汚さを見過ぎてるぜ」
モリスがゆっくりと立ち上がる。何事もなかったかのように。
そんなはずはない。確かに心臓を撃たれて死んだはずだ。現に撃った当のキンスキーも困惑している。
ローラはとにかく危険を感じて、なかば反射的にモリスを撃った。今度こそ心臓を射抜くようにと。
銃弾は狙いあやまたず命中し、モリスは倒れた。
しかし、ふたたび何事もなかった様子で立ち上がる。「おい、どうした? バンパイアを殺しけりゃア心臓を狙え」
わけがわからないままもう1発撃ちこんだ。ちゃんと命中してモリスは倒れたのだが、やはり立ち上がる。
「どうしたシスター? 心臓だ。心臓を狙うんだ」
撃っても撃っても立ち上がってくる。ありえない。ただの人間だろうとバンパイアだろうと、心臓を撃ち抜かれれば死ぬはずだ。そのはずなのだ。たとえ服の下に防弾ベストを着込んでいたとしても、この至近距離で.458ウィンマグ弾が貫通できないわけがないのだが。
「心臓を狙え」
気がつけば、あっというまに全弾撃ち尽くしてしまっていた。あわてふためくローラに見せびらかすように、モリスはシャツをはだける。
彼の胸元は赤く染まっていた。
ただしそれは血ではなく――
「鱗、ですって!」
「ジークフリートはドラゴンの血を浴びて、甲羅のように硬い肌を手に入れた。だったらドラゴンの血を直接受け継ぐ
それはまぎれもなく鱗だった。鱗以外のなにものでもなかった。まるで半魚人のように、彼の心臓を守るように、皮膚を破って赤い鱗が生えていたのだ。
「てめえはおれを怒らせた。忘れたとは言わせねえぜシスター。ついさっき教えてやったばかりだろ。おれを裏切ったヤツが、どうなるか」
この事態に混乱していたのもあり、キンスキーのことも忘れて、ローラはなりふり構わず逃走を選択した。蛇から逃れるために、鷲の翼を羽ばたかせて。二挺拳銃の乱射をギリギリかわしながら。
ローラにとって運がよいことに、このタイミングを反撃のチャンスと見たキンスキーが、隠し持っていたデリンジャーピストルでモリスの後頭部を撃った。モリスの意識はキンスキーへ逸れ、彼女はまんまと逃げおおせることに成功した。
ちなみに後頭部へ当たった弾丸だが、その瞬間に鱗が生えて防いでいた。傷ひとつ与えられていない。
「おれはジークフリートとは違う。背中に菩提樹の葉の跡なんかねえ」
そう得意げに語りながら振り返るモリス。たとえローラを始末したところで、一文の得にもならない。それよりも目の前の賞金首が最優先だ。
けれども不可解なことに、そこにはすでにキンスキーの姿はなかった。今まさしく背後から撃ってきたなのに、次の瞬間には足音ひとつさせず、跡形もなく消え去っていたのだ。まるで
モリスはため息とともに葉巻の紫煙を吐き出して、ポツリとつぶやく。「泣けるぜ」
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