040_2000 秘剣Ⅶ~謎解きはディナーのあとで~


 敷地の隅にあるため、戦闘の被害をこうむっていない支援部部室に、ひとまず再集合した。照明は点かないので、廃油を燃やして明かりを確保する。


「兄貴! 初めて知った! 足があるってスバらしい!」

「また無茶しやがって……どこまで人間辞める気だ?」


 数々の常識外の経験をした十路とおじでも、真っ二つにされた経験などない。そんな状態で生きていられると想像したこともない。

 だから切断された体を接合し、諸手もろてを挙げて喜びを表現する南十星なとせに、OAチェアに座る十路は呆れるより恐怖した。


「とっとカタつけるつもりだったけど、おっちゃん相手にゃ、あれくらいしないと一撃入れるなんて無理だったしさぁ。いやー、《魔法》の機能的にはできるだろうと思ってたけど、イットーリョーダンされた時には気が気じゃなかったね」

「…………ヒトデかプラナリアみたいに増殖するなよ」


 あっけらかんと語る南十星に、なにを言っても無駄な気がしたので、十路は疲れた態度でそれだけ言うに留める。

 ただし本気を込めて要求した。妹がなんでもアリになってきた気がするので、切断面からえて二人に増える空想を否定できない。いくら《魔法使いソーサラー》といえど、現状でも充分化け物じみているので、これ以上の人外行為はつつしんで頂きたい。


 そして足の素晴らしさは、少し離れた壁際でも、コゼットと青いオートバイに収められたイクセスにより語られていた。


【手があるのはなかなか便利ですけど、二足直立のなんと難しいことか……】

「普通に動いてたみたいですし、変形後の動作プログラムはあるでしょう? 機械の分際でなに言ってますのよ」

【《神秘の雪ミスティック・スノー》対策で、外部センサーを完全遮蔽した目隠し状態で、いきなり実戦投入ですよ? グチりたくもなりますよ】

「つーか、そもそもなぜその機体に寄生してますのよ?」

【私はノミかなにかですか……甲子園球場で合流したユーアに、なんの説明もなく移植させられたから、理由は不明ですけど……鹵獲ろかくされたから機密保持のためにとか、そんな誤解で破壊されるかと泡を食いましたよ】

「…………」

【『ぶっ壊されればよかったのに』とか考えませんでした?】

「いいえ。それは誓って考えてませんわ。ついでに性格を矯正できなかったのかとは、少し考えましたけど」

【なんだか釈然としませんが、まぁ、いいとしましょう……それにしても実感して、つくづく疑問に思いますね。どうして人間は直立歩行なんて非効率な動作をするんですか?】

「人間にはタイヤが付いてねーからですわよ。つーか、二輪走行も三輪以上と比べりゃ非効率ですわよ」


 そんなオートバイと理工学科大学生による、毒気あるボケツッコミはさておいて、十路は視線を移す。


「うぅ~……!」

「動かないでください。お腹に穴が空きますから」


 ソファにナージャが寝かされて、その側に膝を突く樹里が、爆弾の取り出し手術を行っていた。

 手術と言ってもメスも麻酔も一切使わず、露出した腹部に樹里の腕が潜り込んでいる。《魔法》で触れる部分の細胞をリアルタイムに移動させて、粘性の高い液体に手を浸すように直接取り出す、超自然的で不気味な方法だが。昨夜爆弾を取り出した時、また体内に戻した時、そして今と都合三回同じことをしているのだが、やはり慣れはしないだろう。ナージャは泣きそうな顔で、自分の腹に突っ込まれる腕を見ていた。


「よし……」


 やがて、樹里が腕をゆっくりと引き上げた。慎重な手つきで体内の爆弾を完全に取り出すと、《魔法回路EC-Circuit》が消えて、ナージャの腹にはなにも残らない。

 十路が座ったまま腕を伸ばすと、樹里がその手に乗せる。

 爆弾は真っ二つになっていた。電池にはあまり人体によくない電解質溶液が使われているため、起爆装置の電源を傷つけていれば、ナージャの体を内側から焼いていた。更に体組織で通電すれば、信管が誤作動する危険もあった。


「ドンピシャだな……」


 しかし、そんなヘマをせずに破壊している。思い通りの結果に、十路は大きな安堵と少しばかりの自慢を抱く。


「堤十路……」


 今度こそ爆薬から信管を引き抜いて、視線を手元から声の持ち主に移す。十路だけでなく、この場にいる五人全員が部室の外に振り向いた。


「お主の《剣》は、なんだ?」


 源水オルグが地面に座らせられている。両足と左腕は、装着されたままの強化パワード外骨格エクソスケルトンの部品を、コゼットが原子レベルで操作して一体化させている。

 そして右腕は、やはり肩口から先が存在しない。


「……ただ《マナ》で直接物質操作しただけだ。まぁ、俺の《剣》はかなり特殊だけど」


 説明しなければならない義務はない。ただ『剣』に関するとなれば、知りたくて当然だろうと、わずかな苛立ちを込めて十路は口を開く。


 物体を形作る原子・分子列に、原子レベルの操作が可能な超微小マニピュレータ群で、強引に隙間を作ることで切り裂く、非実体の白兵武器の形成。致傷性の高さの割に原理は単純で、誰もが考えることであるため、近接戦闘武器に精通する《魔法使いソーサラー》ならば、この手の術式プログラムを所有していることは少なくない。

 十路の《剣》も同じ機能だが、余計な機能が付随している。なので『剣』と呼ぶことも適当ではない。

 斬るだけでなく、必要であれば再び貼り付け、一瞬前と同じ状態にできる。

 そしてなぜか生き物に対してだけは、復元機能は強制的に働くため、結果として斬ることができない。


「だからナージャごと斬って爆弾だけを真っ二つ、なんて手品みたいな芸当も不可能じゃないわけだが……」


 そんな機能は《魔法》であれば無意味だ。人を斬らずに背後の物を切るにしても、人に命中する部分だけ効果を消せばいいだけだから。

 ただし今回ばかりは、この無意味な機能に助けられた。

 万物を切るが人は斬れない、任意選択及び修復機能付加非実体ブレード術式プログラム刃無きUnbladible正義justice》。ナージャの体内に《魔法》を届かせ、爆弾のみを切るには、『斬りながら治す』機能が必須だった。ただ神経を一瞬切断した事実には変わりないため、痛みだけはどうすることもできなかったが。


「それがお主の、出来損ないの《剣》か……」


 源水オルグは納得の息を吐き、怪訝そうに眉を動かす。


「なにやら思う所あるようだな?」

「偽善めいてて嫌いなんだよ。対人戦闘なら非致傷兵器として使えるけど、大きさからそれも無理。しかも結局は兵器だろ」


 海上で艦艇を切れば、乗組員は退避する間もなく沈没に巻き込まれる。

 陸上の施設を切れば、中にいた人々は倒壊に巻き込まれて生き埋めになる。

 直接は人を斬れずとも、結局は人を殺すための破壊だ。


「それに、正義って言葉自体、大嫌いだ」

「ふ……確かに、己が正義と声高に叫ぶ者に、ろくな者はおらんからな」


 子供のように無知でなければ、正義などに憧れることはできない。

 悪の反対は善であって、正義ではない。

 正義とは、己の正当化でしかない。悪でも正義を行えるのだ。

 だから正義の名の下に起こされた戦争や虐殺が、歴史上いくつも存在する。


「すごい……綺麗に消えてる……」


 声に振り返ると、ソファから身を起こしたナージャが、不思議そうに自分の腹を撫でていた。そこにあった火傷の痕も、みぞおちに走っていた手術痕も、綺麗になくなっていた。また右耳の後ろもしきりに触れている。

 爆弾を取り出した後も、ナージャがなかなか起き上がらないとは思ったが、耳に埋め込まれた無線機インプラントも取り出していたのだろう。


「お待たせしました。治療します」


 完全治癒を終えた樹里が立ち上がり、拡張装備を外した長杖を抱え持ち、体ごと向き直る。


「あー……わたくしの怪我は大したものじゃねーですけど……」


 申し出に対し、軽度の火傷を負った頬に氷嚢ひょうのうを押し当てるコゼットは、目を泳がせる。

 部分鎧を外したTシャツ姿の彼女は、こめかみに絆創膏ばんそうこうを貼り、体から湿布独特のハッカ臭を発している。


「細かい傷までは手が回らなかったけどさ……」


 改造学生服の腰から下――スカート部分がないため、レギンス丸出しの南十星は言葉を濁す。

 《魔法使いの杖アビスツール》の電池切れ間際に、体を両断される致命傷を治療するのが精一杯で、露出した肌のあちこちに絆創膏を貼り付けている。


 十路は身につけていた装備は外したが、切り裂かれ血に染まった学生服のままだ。

 樹里は夏場には使わないジャケットをどこかから持ち出して、焼けた学生服の上から羽織っている。

 ナージャは脱いだベスト以外、切り裂かれた黒装束のままだったが、部室に常備している十路のジャケットを勝手に使っていた。


 誰もが激しい戦闘の後で、酷い格好だった。服だけでなく、相応に負傷もしていた。

 そして酷い傷は樹里が応急処置したが、重傷患者が多かったのと、ナージャの爆弾を優先させねばならなかったため、細かい傷は後回しになっていた。だから部室に常備してある救急箱で、コゼットと南十星は自分で処置していた。


「……ゴメン。じゅりちゃん。しばらく話しかけないで」


 頭をかいて少し迷っていたようだが、すぐに息を吐いて意を決し、表情を消した南十星は口を開いた。


「じゅりちゃんのマトモじゃない姿を見たから、どー捉えていいのかわかんないのさ。ハッキリ言って怖い。だから治療もされたくない」


 誤魔化しようのない言葉で、樹里を拒絶した。

 こんなことを面と向かって言えば、誰か非難の声を上げるだろうが、誰もなにも言わない。

 当然だと思うから、十路も口出ししない。戦闘があるから後回しになっていた話だが、ここにいる全員が、樹里の異能を知ってしまったのだから。

 それもただ《魔法使いの杖アビスツール》なしで《魔法》を行使するだけでなく、自身の体を異形化させる技は、見た目からして人外のものだ。あれを見て尚、受け入れる度量の持ち主など、期待する方が間違ってる。


「…………」


 きっと樹里も秘密を知られ、こうなる未来を予想していた。衝撃で固まらないのがその証拠だ。だが実際に容赦ない言葉を叩きつけられ、目に見えて消沈する。


「木次。ハンカチかタオルないか? 俺、血まみれな上に全身火傷状態なんだが」

「え……? あ、はい……」


 だから十路は重い雰囲気を意図的に無視し、いつもと変わらない程度を取る。


「あと部長。先になとせ引き連れて、撤収準備を始めといてくれません?」

「……そうですわね。拘束してる連中は、トラックのコンテナにでも詰め込んどきますわよ。あと木次さんが撒き散らした低レベル放射性物質も、回収しとかねーとならねーですし……」


 樹里が洗濯したものを置いているタオルを取ってくる間、コゼットにも言っておくと、彼女たちは部室を出ていった。

 南十星は完全に、コゼットはやんわりと、拒絶した相手を一緒にしてもいいことなどありはしない。


「ナージャも行っていいんだぞ」

「…………いいえ」


 気にするように、システムキッチンでタオルを濡らす樹里へ視線を送ったが、ナージャはかぶりを振る。

 彼女の視線の先は、源水オルグがいる。なにかまだ話があるだろう。


「先輩……」

「さん――きゅ?」


 濡らしたタオルを受け取ろうとしたが、樹里はそのまま近づいて、十路の顔を拭き始めた。

 部活で無茶して流血すると、文句を言われながら、顔の皮が剥がれるような強い力で拭かれるのが常なのだが、今回はそれがない。彼女はごく普通の力で、黙って顔の血をぬぐう。

 しょぼくれた顔を至近距離で見れば、彼女が今どんな気持ちかくらい、十路だって理解する。

 だからなにも言わずされるがままになり、小さく顎をしゃくって源水オルグに問う。


「アンタも木次が気味悪いから、治療を拒否ってるのか?」


 出入り口脇に置いたクーラーボックスから、ビニール袋に包まれた、切断した彼の右腕が覗いている。蓋を閉めることができないので、ドライアイスの蒸気を盛大に漏らしている。

 打ち倒した特殊部隊スペツナズ兵たちは、現状に拘束した上で樹里が治療した。既存を上回る防御性能を発揮する戦闘用スーツに身を包んでいたため、十路たちも手加減するわけにはいかず、想像以上に重傷者も多かった。

 その中で、ナージャが切断した右腕も治療しようとしたのだが、源水オルグは拒んだ。


「我等はお主たちを殺そうとしたのだぞ。それを恥知らずにも、部隊の者たちの治療を願った。これ以上は求められぬ」

「アンタ治そうと治すまいと大差ないし、腕なんて放置されても迷惑なんだがな……」


 文句をこぼしつつも、十路もこの件についてはそれ以上は言わない。

 負傷した部下達の助命と治療は頼んだが、結局は敵に情けをかけられたくないという、プライドの問題か。

 時代遅れの戦士の矜持。十路はそんなもの持ち合わせていないが、理解を示すくらいはできる。


 それに、切断された部位の再接合限界時間は、素人が思うより長かったはず。しかも傷口から一切体液が流出していない。冷やして保管すれば、明日の朝に事態が動いてからでも、手術可能かもしれない。

 再接合が不可能だとしても、十路の知ったことではない。源水オルグは隻腕の覚悟を決めているのだから。


「それで、これより我等をどうする?」


 源水オルグもそれ以上治療の件に触れることなく、そして木次の異能についても触れず、別の懸念を出してきた。


「さぁな。俺たちは明日の朝、しかるべき届けを出すだけだ。隠し立てせずにな」


 街中から離れているとはいえ、これだけ盛大に戦ったのだから、世間に隠すことはできないし、隠す気もない。

 ロシアの特殊部隊が襲撃されたため、返り討ちにしたと関係省庁に伝えるだけだ。


「俺たちは正当防衛で戦っただけだ。お役所がどう判断して、アンタらをどう処理するかまでは、知ったことじゃない」

「あれを正当防衛と呼ぶか……」

「怪しいのは認めるが、呼べるさ」


 十路たちは攻撃手段として、第一段階は手製の兵器、第二段階で《魔法》を使っている。


「まず、俺たちの《魔法》は一時的に封じられた。《神秘の雪ミスティック・スノー》の発生は外部でも観測してるはずだから、第三者の証言は得られる」


 戦闘直前、発生源ズメイ・ゴリニチごと敷地全体を沈降させて、強電磁波を岩盤に吸収させ、《神秘の雪ミスティック・スノー》を弱めた。

 それでも街への影響を皆無にしたとは思えない。更に上方向は全く遮っていない。電子機器の破壊は防いだとしても、通信電波やレーダーに長時間影響が出たはず。


「それに《魔法》以外の攻撃手段は、学校内で手に入るもので作ったローテクばかりだぞ」


 大学生レベルの科学知識と、材料と器具があれば作れるものばかりだ。

 火薬製造に関しても、無許可製造数量というものが存在する。個人が興味本位で作成すると問答無用で御用になるが、研究・教育機関の実験などでは、規定数量以下までは作れる。使った火薬もその限度量までだ。

 今回それが適用できるかは怪しいところだが、一応は規定量を守った上に、命に関わる緊急事態だったのだ。更に防衛行動を社会実験チームとしての活動と言い張ることができれば、通用すると見込んでいる。


「《雪》で《魔法》が封じられたと信じぬ者もおるだろう。あるいは封じられても使える《魔法》や、強電磁環境下でも使える強力な歩兵兵器の存在。そんな架空を持ち出し、水掛け論を仕掛けるやからもおろう」

「自称専門家の素人が、自分で恥を広めるだけの意見なんて、勝手にさせておくさ」


 最新鋭兵器を装備した特殊部隊兵を、ガラクタで返り討ちにした事実より、新兵器や特殊魔法の方が、信憑性があるかもしれない。

 しかし第一級の特殊部隊員が、《魔法使いソーサラー》たちをなぶり殺しにするため、入念な準備をした上で返り討ちにされた事実は、どうやっても消すことはできない。

 なにをどう取りつくろっても、《魔法使いソーサラー》たちが強かったのではなく、特殊部隊スペツナズが弱かったという結論になる。結果を考えれば大差ないように思えるが、持つ言葉の意味は大幅に異なる。

 プロの格闘家が綿密な用意をして、拘束衣を着用して足枷もつけた対戦相手に敗北すれば、果たして『相手が強かった』と言い訳して納得するだろうか。


 それに、ありえない架空の《魔法》や兵器を持ち出せば、議論を呼ぶことになるが、最終的にはただの言いがかりという結論になる。

 支援部はどういう手段で対抗したか証明できるが、反論の架空方法の実在証明は不可能なのだから。


 更にはロシアの特殊部隊が、日本で学生を襲ったという事実だけを見ても、どちらに非があるかなど素人でもわかる。たとえ国家に管理されていない《魔法使いソーサラー》の危険性を訴えようと、日本国内の問題であって外国軍の出る幕ではない。


「これ以上は政府の問題だ。否応なく巻き込まれるだろうが、俺たちの知ったことじゃない」


 今回の戦闘行動は、ロシア陸軍と特殊部隊スペツナズだけではない。日本政府も消極的に参加していることになる。

 非公式に海外の正規軍事組織を、国内で活動させている。

 軍事目的で人為的に発生した《神秘の雪ミスティック・スノー》を、自然現象として公表して民間人に注意を呼びかけている。

 それらの事実を全て公表すれば、対露心情悪化と内閣支持率激減は必至の事態を、政府はどう判断して処理するか苦慮することになる。


 そして総合生活支援部は、事後処理についてなにも要求しない。あるとしてもせいぜい現状維持と賠償くらいだ。この辺りの交渉は顧問のつばめが行うだろうが、策略家の彼女ならば絶対にそうすると確信を抱いている。

 口出ししないことで、貸しを作らせる。不利益があれば事実を全て公表すると、無言裡に脅す。


「くく……考えおったな」


 源水オルグは、髭面ひげづらしわを深めて肩を揺らす。


「超法規的準軍事的組織とは、そこまで考えねば戦えぬか」

「その通りと言いたいが、ほとんどは後付だな。秘匿ひとくは一応考えてたけど、アンタら相手に後始末まで考えて作戦立てる余裕なんてない」

「そう言う割には余裕を作っておったろう」


 きっと彼が本当に聞きたい話は、これと、もうひとつだけなのだろう。愉快そうに歪めていた顔を静かに戻し、十路の目を真っ直ぐ見つめてくる。


「なぜ、我等を殺さなかった? あの戦い方から察するに、ナジェージダにも我を殺すなと言い含めておっただろう?」

「俺たちは学生。これは部活動。誰かを殺す必要はないし、殺さなければならない立場でもない……」


 それに十路はいつもより疲れた態度で、いつもの偽善を返す。

 だが、少し迷い口ごもってから、不要な言葉を追加した。


「……それに、俺は師匠で姉貴みたいだった人を、この手で殺した。だからナージャに、アンタを殺させるわけにいかなかった」

「「……っ」」


 ナージャが小さく息を漏らし、横から固まった鼻血を拭き取っていた樹里の手が、一度小さく震えて止まった。

 彼女たちがなにか言葉を口にするかと思ったが、彼女はなにも言わず、彼女は再び手を動かし始めたので、十路も気にしないことにする。

 口の中に生まれた苦味を吐き出した方がよかったかもしれないとは、少しだけ考えたが。まだ薄れるほどの月日を経ていない過去、『彼女』の体を貫いた感触まで、ありありと思い出してしまった。

 ただその時の虚無感を、ナージャに味あわせずに済んだことは、小さく息を吐いて一人で満足しておく。


「甘いことよ……」

「あぁ……自分でもそう思う」

「いつか死ぬぞ」

「かもな……」


 源水オルグに言われずとも理解している。向後の憂いを断つには、敵を殺すのが一番手っ取り早い。

 しかし、これでいい。

 敵を殺したところで、新たな憂いが生まれない保障はない。むしろ負けた当人が抱く怨恨より、殺した者の縁故が抱く憎悪の方がより濃いため、厄介に変わりない。

 それに今の、普通の学生生活を守るためには、ただ戦いに勝つだけでは駄目で、敵を殺さないことこそ肝心なのだから。


「ナジェージダ。それでもこの者たちと行くか?」


 不意に源水オルグは視線と話し相手を変えた。

 応じてナージャが進み出る。打刀を鞘ごと手にして。


師匠ぺタゴーグ……」


 そして源水オルグの前に正座し、うやうやしく打刀を差し出して置き、手を突いて深々と頭を下げる。


「わたしは、わたしの道を歩みます」

「…………そうか」


 当人から聞いた話以上のことは、十路は知らない。二人がどのような絆を結んでいるのか、想像しかできない。

 だから後は師弟当人たちの問題だと、体ごとそっぽを向く。この場をそっと離れるのが空気の読める男の行動かもしれないが、そこまで気を遣う十路ではない。それに疲労困憊の体を、もう少し休めたい。


「それにしても、今回の戦闘ぶかつ大事おおごとになったな……」


 《魔法》で火傷の治療をしてくれている樹里相手に、反省会を開くことにする。


「誰かが援護してくれたお陰で、なんとか勝てたようなもんだ……あれがなければ死んでた……巻き込まれて死ぬかとも思ったし、どうせ援護してくれるなら、もっと早くにしろよとも思うけど」

「でも、誰なんでしょう? 大口径ライフルの狙撃は心当たりありますけど……」

「木次の姉貴か?」

「はい……でも、爆弾やミサイルまでとなると、いくらなんでも……?」

「…………」


 思い当たる心当たりは、十路にはない。

 だが消去法で考えると、選択肢はひとつないし、ふたつか。


「地下室に避難した二人に、もう終わったって教えてくるか……」

「扉は明日の朝まで開かない設定にするって、つばめ先生が言ってましたよ?」

「じゃあどうしようもないか……地中貫通爆弾バンカーバスターか《魔法》でも使わないと無理矢理開けられないだろうし」


 後は源水オルグをコンテナトラックのところまで連行し、部下の兵と一緒に朝まで閉じ込めておけばいい。

 首筋をなでながら予定を考え、何気なく視線を移す先には、壁際に赤黒と青のオートバイが二台並んで停車している。


「あ」


 それを見て、ようやく思い出した。中庭で乗り捨てて以降、姿を見ていない。


「そういや《真神》はどこ行った?」

「あ。そういえば」



 △▼△▼△▼△▼



 その《使い魔ファミリア》ならば、本来の主人と合流していた。


『フレームが歪んでないか?』

【かなり手荒に扱われました。きっと堤十路にとっては、普通の戦い方をしただけでしょうが】

『まぁ、仕方ないだろうな。相手が固かったろうし』

【遮蔽していましたが、やはり《神秘の雪ミスティック・スノー》の影響か、センサーの調子も万全ではありません】

『振動が傷に響くな……』

マスターも万全ではありませんか】


 トライアル走行で、山肌が露出し木も倒れた道なき道を疾走し。

 市ヶ谷と《真神》がやって来たのは、樹里が《ズメイ・ゴリニチ》を撃破した爆心地だった。

 戦いの残滓はいまだに残り、土は水蒸気を上げて、炎がくすぶる部品があちこちに散らばっている。場所によれば超高温でケイ素がガラス化している。

 盛大に地面も壁も抉れた場所の中心には、奇跡的に辛うじて原型を推測できる金属の塊があった。


【それで、マスター。なぜメイド・イン・ロシアのところに?】

『《ズメイ・ゴリニチ》の出所探られるのはマズイからな……証拠に結びつくような物は元からないとは思うが、念のために確認と破壊をしておきたい……』


 AIに答えながら、市ヶ谷は傷ついた体をいたわるように、ゆっくりとオートバイを降りる。


 だから、そろそろいいかと動く。

 花びらのように分かれて広がるミニスカートで、バレエの衣装チュチュにも見える。体の線もあらわな、けれども肌のほとんどを隠す、新緑色の衣装に身を包んだ影は、一直線に落下する。

 空中で頭部装着ディスプレイHMDの単眼ディスプレイを下ろし、一瞬だけ青白いはねを広げて速度を殺した少女が、市ヶ谷たちの背後に膝を深く曲げて着地する。


「動くなであります。お前も、《使い魔ファミリア》も」


 立ち上がり、突き出した左腕に腕輪のように《魔法回路EC-Circuit》を形成し、低い声で冷たく言い放つ。


『まさかお前が姿を現すとはな……』

「お前を破壊するだけなら、必要なかったでありますけどね……面倒であります』

『動いたらどうなる?』

「ウィリアム・テル顔負けの射撃を体験してみるでありますか?」

『リンゴを頭に乗っけて我慢すればいいのか?」

イエス。そしてリンゴごと頭部を爆散させるであります。希望するなら体ごと、《使い魔ファミリア》ごとと、バリエーション追加するでありますよ?」

『確かにウィリアム・テル顔負けだ』


 市ヶ谷の声に焦りはない。向けた背中を皮肉の笑いで一度震わせる。

 そんな態度に少女は構わず、必要な言葉だけを口にする。


「経緯が不明でありますが、お前が支援部に味方したのは事実であります。それに免じてとっとと立ち去るなら、命は見逃すであります」

『やりたかねぇんだがなぁ……俺ケガしたままだし、カームも本調子じゃないし、いまだにお前の正体わかってないし』

「なのに交戦するでありますか?」

『おめおめ帰ったら、また始末書になるからなぁ』


 《真神》には、十路たちと共闘した際にはなかった追加収納パニアケースが積載されている。ヘルメットの中ではきっと餓狼の笑みを浮かべている。

 だが彼が武装を取り出すより早く、周囲に新たな人影が現れる。


「証拠隠滅は困るのよ。夕方は治療したけど、やるなら今度は遠慮なくブチのめすからね?」


 敷地を沈降させたことで作られた断崖絶壁――十数メートルの高さを、街乗りライダースタイルの女性が飛び降りた。

 『ゲイブルズ木次ユーア』と名乗った彼女は、被ったヘルメットを脱がないまま、巨大な対戦車ライフルの銃口を向ける。


「じゃあ、何枚か始末書を減らせるように、仕事をあげよう」


 いまだ生き残っていた立木の暗がりから、ちろつく炎の明かりに照らされる位置に出てきた。

 レディーススーツ姿の長久手つばめが、童顔のタヌキ顔を邪笑に歪める。 


「『コン』のヤツに伝えてくれない? 今回はルール違反だから、少し罰を受けてもらうって」


 特定の固有名詞に対して、誰なのか、なぜ知っているのかといった疑問はない。

 普段と変わらぬ優雅な口調で、AIが主に進言する。


マスター。見逃して頂けるなら、撤退しましょう】

『お前がそんなこと言い出すなんて珍しいな?』

【見目麗しくも恐ろしそうな御婦人御令嬢三名のうち、二名は《魔法使いソーサラー》。万全ではない現状の我々が交戦すれば、結果は見えています。戦闘行動は望むところですが、犬死にはご免です】

『機体名はオオカミだしな……』


 従者然とした言葉に、反論する様子は見せない。ヘルメットの中でため息を吐き、市ヶ谷は再度シートにまたがった。

 爆発で掘り返された柔らかい土を盛大に跳ね上げ、三角形の頂点に立つ三人の隙間を抜け、黒衣のライダーは夜に消える。


 その背中を見送り、完全に消えてから、つばめは自分の顔を指差す。


「……わたしは御婦人? 御令嬢?」

「御婦人に決まってるでしょ……」


 独身二九歳つばめに呆れを漏らし、ヘルメットをようやく脱ぎ、悠亜はかぶりを振る。夫人ならば既婚者限定だが、婦人ならば成年女性全員に当てはまる。


「ところで違反って、つばめたちの戦争ウォーゲームに、ルールなんてあったの?」

「直接介入は禁止ってね。まぁ、どこまでを直接かって判断するかは、微妙なところだけど……《ズメイ・ゴリニチ》は違う」


 つばめがローファで足元に転がる部品――《魔法使いの杖アビスツール》のバッテリーを蹴り飛ばす。大きく跳んだ角平型の黒い物体は、斜面を転がり落ちていった。


「それで、ユーアちゃん。どうだった? あのコたちの戦いを直接見て」


 そして平素の微笑を浮かべる、人の食えない雰囲気に戻り、振り返る。


「非常識過ぎ。用心のためにイクセスを交換させたし、一発だけ援護もしたけど、それだけでも大変だったわよ。ギリギリの状況でよくやってるとは思うけど、危なかしくて見てられないわ」


 専守防衛と言えば聞こえはいいが、先制攻撃を相手に譲ることは、場合によっては即窮地に陥る、半ば自殺行為だ。

 だが総合生活支援部は、先制攻撃を許されない立場だ。

 しかも今回の場合、次々と移動して相手や役目を交換していた。普通ならばこんなことは起こりえない。一人で倒せない敵と思えば、防衛に努めて援護を待つ。

 人数が少なく、仕方ない事情もあるが、余りにも戦術が特殊すぎる。


「あんなこと続けてたら、いつかあの子たち、死ぬわよ」

「そうならないよう、時々でいいからユーアちゃんも協力してくれると、ありがたいけどね」

「私までつばめのゲームに利用する気?」

「ユーアちゃんもあのコたちも、駒になんかする気ないし、なりはしないでしょ。境遇やら気持ちやらを利用してるのは確かだけど、見返りは用意してるし、あくまでも協力だよ」

「充分駒にしてるわよ。そんな詭弁を振り回すから、つばめは結婚できないのよ」

「うるしゃーい!」


 未婚者つばめにとどめの言葉を放ち、既婚者ユーアは振り向く。


「それで、あなたはこれからどうする気? ちょーっとハデにやりすぎてない?」

「確かに介入し過ぎたかもしれないであります……」


 メカニカルなネコミミといった風情の頭部装着ディスプレイHMDを外すと、押さえられていた赤茶けた髪がもっさりとかさを増やす。

 視界に侵食する前髪をかき上げ、少女は上を向いて重い息を吐く。


「……ここでの生活も、そろそろ潮時でありますかね」

「だから市ヶ谷かれの前にも姿を現したのね。止めはしないけど……他のコたちへの義理くらいは果たすべきだと思うわよ」


 巨大ライフルの銃床ストックを地面に落とし、長い髪をポニーテールにまとめながら、悠亜は言葉を付け加える。


「それに、一度くらいウチに遊びに来たらどう? 口には出さないけど、リヒトくん、あなたのこと気にしてるみたいだし」

「……………」


 少女は答えない。面倒とも返さない。

 ただ、眠そうなボンヤリした眼差しを、天に向ける。



 △▼△▼△▼△▼



「これでよし。木次、頼む」

「はい……」


 彼らが使ったトラックコンテナに源水オルグを詰め込んで、全特殊部隊スペツナズ兵の収容が完了した。

 樹里が《魔法》でアーク放電を発し、適当な金属片でロック部分を溶接する。

 夜とはいえ八月、しかも男ばかり多人数を詰め込んで締め切ったコンテナなど、地獄だろう。とはいえ、厳しい訓練を耐え抜いた特殊部隊兵を、朝まで監禁するだけだ。大量の水もペットボトルで用意しておいたから、死ぬことはないだろう。


 溶接光に背を向けると、ナージャと二台のオートバイがいる。

 他には誰もいない。敷地は陥没させたままにするので、南十星と共にコゼットは出口を作りに行った。監禁作業が終わればそのままマンションに帰るつもりだから、ナージャが二台のハンドルを支えてる。


「これで部活終了……お疲れだな」

「はい……お疲れ様でした……」


 樹里はまだ作業をしている。他には部員は集合していない。いつもと違い、コゼットが号令をかけた一斉の言葉ではない。

 当然のことだった。

 部内に軋みを生んで、総合生活支援部の活動は終了した。

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