040_0820 嬉し恥ずかし逮捕軟禁Ⅳ~部屋とYシャツと私~


 今度は気絶からの復活は早かった。


「兄貴。じゅりちゃんのオッパイ揉んで、ナージャ姉をパンツ一丁パンイチにして、一緒にトイレ駆け込んで、そんで今度はハダカ見て。ラッキースケベもここまで続けば犯罪じみてくるから、真面目に言うね?」


 最後をラッキースケベと称するのが適切かはともかく。

 深刻な顔で南十星なとせは、ジャンパースカートの平たい胸元に手を置き、目覚めた十路とおじに自己犠牲精神を発揮する。


「そんなにヨッキューフマンなら、あたしがなんとかするよ?」

「なんとかするのは、その短絡的かつ意味不明な思考回路だ」


 真顔で繰り広げられる兄妹きょうだいのボケツッコミはさておき、樹里が柳眉を寄せた不安げな顔で問う。


「堤先輩……変な意味じゃなくて、頭は大丈夫ですか? 脳震盪のうしんとうが癖になってません?」

「そこは大丈夫だと思いたいが……」


 自信なく十路が自己判断する。《治癒術士ヒーラー》の樹里が《魔法》で診断したらしいので問題はないはずだが、彼女に問診されることで逆に不安になる。

 脳震盪を繰り返していると、よくボクサーがわずらうパンチドランカーになる。

 その不安はひとまず脇に置き、十路は改めて自分の状態を確認した。


 脱衣所でナージャの膝蹴りによりされて記憶は途切れているが、その間に他の面々が運んだらしい。学生服姿のままベッドに寝かされていた。

 右腕には手錠がかけられたままで、その鎖が伸びる先には、ナージャの左腕がある。


「くすん、くすん……」


 そして十路のワイシャツを着た彼女が、ベッドの隅で三角座りをし、膝に顔を埋めてすすり泣く姿には参った。どう考えてもナージャの態度は、十路が全裸を見たせいだ。

 だが、今度は謝る気はない。


「それで、今度はどうされたんですか?」

「兄貴、ホンキでヨッキューフマンなん?」


 呆れ気味に訊く樹里と南十星は、ナージャの不自然さに気づいていないらしい。考えてみれば当然のことなのに、実体験してみないと理解できないだろうから、無理ないのかもしれないが。


「悪いが、その話は明日にしてくれ……それと疲れたし、今日はもう寝させてくれ」

「や、まぁ、先輩がそうおっしゃるなら、私は構いませんけど……」


 これからナージャの尋問だと思っていたのであろう。樹里はやや拍子抜けした様子を見せる。


「なら、昨夜ゆうべと同じように、私となっちゃんが交代で見張って――」

「それもいい。監視つきだと俺もゆっくり寝られないし、二人とも疲れてるだろ」


 言葉をかぶせて付け加えると、樹里は南十星と顔を見合わせた。十路の言葉の裏を感じ取ったのだろう。

 無理矢理な理屈であることは、彼自身も理解している。けれども他に上手い方便など思いつかなかった。考えを話すにも、ナージャ当人と彼女たちが一緒にいる場では、どうかと迷う。

 二人の無言裡の会話がなったか、ややあって南十星がわざとらしく声を張り上げる。


「じゅりちゃん。兄貴がそーゆーなら、あたしの部屋でゆっくり寝よっか」

「そうだね……」


 樹里も応じ、二人はきびすを返す。

 そのまま十路の部屋を出るかと思いきや、南十星が首だけ振り返って、真面目な顔で言葉を残す。


「だけど用心のために、ドア開けておくからね」

「あぁ」


 目顔で感謝を伝えて、十路は見送った。彼女たちが向かいの部屋にいても、南十星は《魔法》を使えば、樹里は動物じみた鋭敏聴覚で、会話内容は筒抜けになってしまう。しかし彼女たちの最大限の譲歩であろうから、これ以上は求められない。


「ナージャ。俺、シャワー浴びてないから、このままだと汗臭いまま、お前と一緒に寝る破目はめになるんだが」


 気を取り直して、ナージャに振り返る。

 声をかけても、彼女は顔を埋めたまま動かない。


「それが嫌なら手錠を外せ」


 更に言葉を重ねると、彼女の肩が怯えたように一度震えた。

 離れた隣の部屋でも、物音が一度だけ発生した。驚きでとっさに動こうとして、思いとどまったかのように。


「なに使ったか知らないけど、手錠外せるんだろ」

「……いつ気づきました?」


 隠した失敗を親に見つかった子供のように、恐々とナージャが顔を上げるのに、十路はさしたる表情も浮かべない。


「気づいたのはナージャがタオルを掴もうと手を出した時。だけど今朝着替えた時点で気づくべきだった」


 誰かと手をつないだ状態では、上着を脱ぐことはできない。繋いだ腕の袖は抜けないからだ。

 だから手錠で繋がれたナージャが服を脱ぎ、それを置き、シャワーを浴びれるはずがない。

 昨夜捕獲してから登校する際、黒装束からジャージに着替えた今朝の時点で気づくチャンスはあった。しかしドタバタしていたのと、十路は学生服のままで着替える必要がなかったため、見逃していた。


「というか、あのまま交代して俺が風呂に入ったら、その時点で嫌でも気づいたと思うけどな?」

「う……」


 考えていなかったのか、それとも誤魔化せると思っていたのか、十路の指摘にナージャは赤くなった目を、気まずそうにそらす。

 そんな彼女に構わず、十路は突き出した右腕を振り、無言で手錠を外せと示す。


「わたしが言うのもなんですけど、皆さん警戒が足りてないですよ……身体検査を一回したら、安心しちゃってません?」


 ナージャは諦めたように小さくため息をついて、ずっと隠し持っていたのだろう物を見せる。

 ストローとボールペンの芯だった。学校でも部屋でも入手可能な物だから、どこで彼女が手に入れたのか、全くわからない。

 手錠の構造など、さして複雑なものではない。ナージャが二つを使って、ガチャガチャと鳴らしていると、ものの数秒で金属の輪が緩んだ。


「十路くんは鍵開け、できないんですか?」

「手錠くらいならできるけど?」

「…………そうですか」


 きっとナージャの脳裏には、苦情が色々とよぎっただろう。トイレでの出来事や先ほどの風呂での出来事の記憶と共に。しかし結局は口にしなかった。

 そもそも文句を言われても困る。いくら生活に不便だとしても、監視している側の十路から、解錠などするはずもない。

 手首を動かし、一日ぶりに自由になった右腕を確かめて、十路は風呂場に向かう。


「それじゃ、シャワー浴びてくる。とりあえず逃げるなよ」


 その途中、開け放たれた玄関の向こう側から、緊張感が流れてくるのを感じた。樹里と南十星が自由になったナージャを警戒している違いない。

 しかし、ひとまず彼に任せるつもりらしい。警戒以上の動きは見せないのを確かめてから、十路は脱衣所の扉を閉じた。



 △▼△▼△▼△▼



 手早くシャワーを浴びて戻ると、ナージャはぽつねんと、ベッドの上で膝と髪束を抱えて座っていた。

 逃げ出す様子は全く見受られない。


「そういや、なんで俺のシャツ着てるんだ?」


 身長は大差なくとも、やはり男女の体格差なのか、やや大きめのワイシャツに身を包んだナージャに、今更ながら問う。


「いつも寝る時は普段着ですし、パジャマがないですから、勝手にお借りしました……」


 緊急性を要する職業の者は、着替えずに寝る。とはいえ、それは当直の時に限った話で、非番の時は普通に着替えて寝るだろうが。


「男のロマン的な格好に礼を言っとくべきか?」

「う……」


 下着はつけているだろうが、下半身にはなにも履いておらず、付け根近くまで白い太腿を見せている。言われてナージャが座り方を変えて、シーツで下半身を隠す。

 そんなことをしても、魅惑的な格好に変わりはないのだが。胸元を押し上げる物体のため、ボタンを首元まで留められないのだろう。白い鎖骨を見せて胸の谷間まで覗けそうだった。


「よく胸を押し付けてくる癖に、こういう時はウブい反応するよな……」

「…………」


 なにも答えず、頬を赤らめたナージャが手錠を差し出したので、十路は右腕に再度かけた。

 捕虜が監視者に再度の拘束をうながす奇妙な状態には、それ以上触れず、十路もベッドに上がり。


「寝るぞ」

「完全に暗くしないでくださいね……」


 リモコンでLEDライトの照度を落として寝転んで、本当にナージャの尋問をせずに寝る体勢になった。



 △▼△▼△▼△▼



 アナログ時計はない。部屋の防音性も高い。

 ほとんど音の無い部屋では、互いの息遣いがハッキリ聞こえる。触れ合う背中から、相手の心音も届く。


「…………」

「…………」


 会話もない。相手がまだ眠っていないのはわかっているのに。

 だから静かな時間が薄暗がりの中を流れる。


「……なにも訊かないんですか?」


 沈黙に耐えられなくなったかのように、ナージャから口を開く。

 その問いに背を向けたまま、十路はぶっきらぼうに返す。


「話したければ勝手に話せ。俺は優しい人間じゃないから、俺からは訊かない」


 ただしはたから聞けば見当違いとしか思えない、意味不明の返答だった。

 

「どういう意味ですか……?」

「結局のところ、ナージャがどうしたいのか、だろ?」


 ナージャがシャワーを浴びていた時、南十星にだけは見せた弱みは、彼女には見せない。信じたいという思いは内に秘めて、十路は意図した平坦な声で説明する。


「理事長は支援部にお前を引き入れるつもりだ。でも一時は敵だったわけだ。俺たちが信用できない気持ちは理解できるだろ」

「はい……」

「なら、どうすればいいか、わかるだろ」


 彼の言い分は、正に野良犬の考え方だった。


「まだロシア対外情報局SVRや国にこだわるなら、俺たちを裏切ればいい」


 味方になれとは言わない。敵対するかもしれない群れに入りたいならば、それで構わないと。


「俺たちと同じように、普通の学生みたいな生活を送りたいなら、俺たちを信頼させろ」


 同じ群れに入りたければ、せめて敵ではないと降伏のポーズで腹を見せろと。


「俺たちはファンタジーに生きてる『魔法使い』じゃない。誰かの願いを叶えることなんてできない。だけど、おとぎ話に出てくる『魔法使い』に願いを叶えてもらった連中だって、なにか行動してるんだからな」


 心清き者には褒美ほうびを。悪しき者には罰を。それが様々な民話伝承に通じる基本ストーリーだ。

 そしておとぎ話の登場人物たちが、願いをかなえてもらうには、なにかしらある。神への信仰。身を切った親切。そのようなものと引き換えている。

 『魔法』や奇跡、神秘的な力であっても、結局は無償のものではない。ギブ・アンド・テイクなのだ。


「嫌な宿命だとは思うが、俺たちは戦わなきゃならない。だったらお前がなにを守るために、どんな信念で戦うか、自分で決めろ」

「……わたしには、信念がないんです」


 ナージャは、迷いからやや間を置いて、自信のない声で心中を話し始める。


「他の非合法諜報員イリーガルや《魔法使いソーサラー》さんほど、強い愛国心を持ってるわけじゃないですし……皆さんみたいに命をかけて、普通の学生生活を守るために戦えるほど、強い信念もありません……もしも入部したとすれば、次に戦うことになるのは、かつてわたしの仲間だった人かもしれませんから、それを考えると……」


 甘い考え方を吐露とろし、笑ったと思える小さな息を吐く。きっと自嘲の笑みを浮かべている。


「だからわたしは『役立たずビスパリレズニィ』なんです……」


 国家に管理される《魔法使いソーサラー》の行く末は、自分の意思で決められない。

 そして《魔法》とは、たった三〇年前に出現した異物だ。だから現在|魔法使い《ソーサラー》として主戦力になるのは、人生の行く末に迷いを持ちながらも選択しないとならない、一〇代後半から二〇代前半の若者たちだ。

 目指すべき目標、守るべきものを見出せず、みずからの意思で何かのために戦えない者も少なくない。明確な将来を見出せず、『とりあえず』で大学に進学する学生たちと大差はない。

 しかし《魔法使いソーサラー》として――明確な使用目的があるはずの人間兵器がそれでは、『役立たず』だろう。


「……十路くん。童話のシンデレラって、お姫様になりたかったと思いますか?」

「?」


 シーツがこすれる身じろぎの音が立つ。ナージャが振り返ったのかもしれない。

 だが十路は後ろを振り向かず、口を挟まずに、ナージャの好きにしゃべらせることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る