030_1300 嘘つきは《魔法使い》のはじまりⅡ~爆弾おにぎり カンガルーもも肉角煮~


 土曜日。

 世間一般では休日扱いされるそんな日の、夏のためにすでに明るいが、まだ人々の活動するには早い朝の時間にて。

 今日も暑くなると感じる日差しの下、樹里は学生服の上からエプロンを重ねた姿で、マンションの前にいた。


「うーん……?」


 彼女の目の前には、ツツジの植え込みに立てられた笹がある。七夕の日に南十星なとせの歓迎会も兼ねて、支援部員といつもの部外者とで飾ったものだ。本来の七夕の仕儀ならば、笹は当日に川に流すものなのだが、現代日本の都市部では推奨されることではない。

 だから枯れて変色しかけた枝に結び付けられた短冊が、まだ夜の涼しさが残る風に揺れている。


 ――強敵ともに勝てますように

 ――兄貴を守れますように


 その中でも、お世辞にも綺麗とは呼べない字で書かれた二枚を見て、樹里はノコギリ片手に首を傾け、うなっていた。


「こんな朝早くから、なにやってるんだ?」


 背後からかけられた男の声に振り返ると、トレーニングウェアを着た十路がいた。毎朝のランニングのために出てきたのだろう。


「あ、おはようございます。先輩」

「はよ。それで?」

「や~。七夕は過ぎちゃってるのに、いつまでも笹を飾っておくのもあれですから、片付けようと思ったんですけど……」


 《魔法使いソーサラー》たちが生活するこのマンションは、管理人など常駐していない。

 厳密にはつばめが管理人なのだが、理事長の仕事と当人の性格により、それらしい業務を行っていないため、同居人たる樹里が自主的に、時折こうして共用部分の清掃などを行っている。

 それは十路も知っている。だからここで彼女が、笹を片付けようとしていても疑問を抱くことではないが、ノコギリを持ったまま腕組みで考え込んでいたら、誰でも奇妙に思うだろう。


「なっちゃん、なんでこんなこと書いたのかなーと、ふと疑問に思って……」


 そう言いつつ樹里は、視線を短冊へと向けたので、つられて十路もそれを見る。

 ウケ狙いとしか思えない願いと、どこか切実さを感じる願い。


(なんで堤先輩への告白がうまくいくようにって、願わなかったのかな……?)


 それこそ七夕に願う内容のように、樹里には思える。


(人の目に入るから、最初から書く気はなかったのかな……?)


 同時に、昨夜の南十星の涙と、必死に誤魔化そうとしてことを思い出し、自己完結する。

 ただそれは、口に出さない。南十星にも女の意地があるだろうから、樹里が明かしていいとは思えない。十路にも本心を誤魔化したと予想つき、樹里がそれを知ったのはタイミングが悪かっただけだろう。だからそれを暴露できるはずはない。


「…………」


 十路はというと、南十星が書いた短冊の一枚――『兄貴を守れますように』と書かれたものを手に、真剣な顔で考え込んでいる。


「先輩?」

「……いや、ちょっとな」


 彼自身もその真剣さは、無意識だったのだろう。気遣わしげに樹里が呼びかけると、十路はバツが悪そうに首筋をなでて、短冊を手放した。


「なとせはヤバイから、気になってな」

「ヤバイ?」

「俺が通ってた前の学校のこと、木次きすきは知ってるよな?」

「えぇ、まぁ……おおよそですけど」


 問われ、樹里の脳裏に、これまで聞いた話が再生される。

 陸上自衛隊特殊作戦要員育成機関・富士育成校。十路はそこで《魔法》を使う特殊部隊員としての教育を受け、そして《騎士ナイト》とあだ名され、世界に五人といない最強の《魔法使いソーサラー》に数えられる。

 過去を詮索しない部の暗黙の了解があり、十路自身も話したがらない様子もある。触り程度ならば樹里も知っているが、それ以上は知らない。


「アイツはどうも、俺がそういう経歴を送ることになったのは、自分のせいだって考えてる節があるんだ……」


 だから過去に十路と南十星が、どういうやり取りをしたか、苦々しげに言われても理解できない。


「そのせいなのか、アイツ、俺のことになるとすぐキレるんだよな……」

「キレる……?」


 締まりのない笑顔を浮かべる南十星を思い起こし、怒る彼女を想像できず、不思議そうに問い返したが、樹里は思い出した。

 オートバイの後ろに乗せられて、南十星が初めて部室に連れてこられた日、突然ナージャとの組手が始まった。

 あの時は別段、十路がらみのことではなかった。ただ、向けられた敵意に反応した彼女は、それまでの天真爛漫てんしんらんまんさとは全く違い、砕けた氷片のような冷たさと鋭さを放っていた。


「俺が育成校で生活してた時、《魔法使いソーサラー》のこと毛嫌いしてて、顔を会わせれば嫌味言うヤツがいたんだ。で、南十星が会いに来た時、たまたまそいつと会って、イラっとすること言われたんだ」

「それで、どうなったんですか?」

「聞き流せばいいのに、なとせはそいつをボコボコにした……」

「えーと……育成校関係の人ってことは、自衛隊の訓練を受けてる人ですよね? そんな人をなっちゃんが……?」

「油断もあっただろうけど、なとせも容赦なく急所攻撃しやがったからな……」


 十路がそんな言い方をするならば、よくある『男の急所』を蹴り上げたという話だけではないだろうと、樹里は予想する。

 人体で急所とされる場所は多い。戦闘術と医学の両方を学ぶ《治癒術士ヒーラー》の樹里は、それをよく承知している。だから格闘経験のある少女でも、鍛えられた人間を打ち倒すこと自体は、不可能ではないとは思う。

 同時に、実行するとなると、やはり相当に厳しいことも知っている。

 だから考えられる可能性は、その訓練生が特別弱かったか。

 目潰しのような、耐性も取り返しもつかない急所攻撃を行ったか。そのどちらかだ。

 もしも後者だとすれば――


「なとせは、そういう爆弾みたいなところがあるから、なにやるか怖いんだよな……」


 兄として妹を持て余していると、十路は弱ったため息をついて、もう一度、短冊を見ながらつぶやいた。


「……日本に帰ってきた理由を聞いた時、アイツ言ってたんだ。『長靴をはいた猫になるために帰ってきた』って」

「グリム童話でしたっけ?」


 有名な童話のため、内容は簡単に思い出せる。

 粉引き小屋の三男坊が、親の遺産として猫を引き取った。

 小屋を継いだ長男、ロバをゆずり受けた次男と比べ、はずれを引いたとなげく三男坊に、猫は人前に出るための靴を要求した。

 それを作ってやると、猫は外に出て、三男坊のために知恵を活用して。

 最後には彼を王様にして、幸せにさせた。


「どういう意味でしょう?」

「さぁな……」


 そのたとえがなにを意味するのか、樹里も十路も理解できない。


「アイツ、なにか気がかりでもあるのか……?」


 ただ、漠然ばくぜんとした不安を、十路は口にした。

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