030_0340 兄と彼女の絶対領域Ⅴ~野性のヒグマ(トラ用)~


 帰宅して、今日は一人でゆっくり入れた風呂から十路が上がると、Tシャツにオーバーオールという部屋着に着替えた南十星は、フローリングでくつろいでいた。

 十路のノートパソコンにスマートフォンを接続して映画を観ている姿勢が、大の字ではなく『土』の字という、誰が見ても奇妙に思うくつろぎ方だが。


「体柔らか……」

「兄貴、これできないの?」

「平均よりは柔らかい自信あるけど、そこまでできるか……」


 一八〇度開脚をし、その上で前屈してあごを床につけられる柔軟性の持ち主は、そういないだろう。

 十路はバスタオルで頭を拭きながら、冷蔵庫からスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、コップに空けずじかにラッパ飲みしながら訊く。


「なとせ。学校どうだ?」

「んー。フツーかなー?」

「部活は?」

「つってっても、今日はあたしの装備チェックしただけじゃん」

「……というか、なんで自爆したんだ?」

「あたしが知るわけないじゃん」

「ま、それもそうか……」


 なんともいい加減な感想だが、転入初日ではその程度でも仕方ない。十路は早々に話を切り上げて、ただでさえボサボサの短髪頭の水気を乱暴にぬぐう。

 だから代わりに今日一日の感想を、柔軟体操しながら南十星は何気なく語る。


「兄貴さぁ、女の子と仲いいんだね」

「そうか?」

「じゅりちゃんとも、ぶちょーとも、ナージャ姉とも、あと結局はフォーちんとも、めっさ仲いいじゃん」

「クラスメイトと部活仲間だから、仲悪ければやってられない」


 以前コゼットと喧嘩し、樹里が子犬のようにビクついてたのを思い出しながら、十路はベッドの端に腰かける。周囲にも迷惑だから、あぁいうことは二度と起こさないよう気をつける心がけくらいは彼にもある。


「それと世話焼き」

「それこそそうか?」


 十路は枕元に放り投げているボール二個を、片手でジャグリングしながら思い出すが、誰かに世話を焼いた自覚は彼にない。

 彼は自分のことをワガママだと思っている。そしてトラブルご免を自称する割に、トラブルの元になると感じたら、空気を読まずに遠慮なく行動することが意外と多い。それが新たなトラブルの種になることを考慮していても。

 樹里の無防備さを苦言するのは、そういう意識であり。

 ナージャの接触に文句つけるのも、単に鬱陶うっとうしいだけで。

 野依崎には忠告は言うが、単に彼女が聞き流すだけで。

 そして最近の最大のワガママは、退部して国に帰ろうとするコゼット絡みで戦闘したこと。

 だからそれが、他人の目から見れば世話焼きに映ることを自覚していない。


「誰がタイプ?」

「は?」


 急に話が変わった。南十星と話すと、話題が唐突に変わることなど珍しくはないのだが、対する十路が困ることに変わりない。


「一番! ちょーっとおふざけが過ぎるけど気の置けないグラマラス留学生!」

「気が置けないどころか、ナージャはむしろ警戒する」

「二番! 素直になれないけれどデレ期間近な見目麗しいパツ金女子大生!」

「部長にデレ期って来るのか?」

「三番! 自分色に染める開発のやりがいありそうなミステリアス小学生!」

野依崎アイツは服とか髪がアレだから、そういう言い方もできるかもしれんが」

「四番……あんまパッとしないから目立たない後輩女子高生?」

木次きすきの扱いヒドイだろ!?」


 弁護はするが、樹里が埋没しがちなことは十路も否定できない。普通ならば彼女も充分個性派に属するだろうが、他のメンバーと比べ挙げられる特徴キャッチフレーズが少なく、相対的に大人しく地味に思えるので。


「さぁ兄貴! 選ぶがよい! 巨乳か! 豊乳か! 普乳か! 無乳か!」

「選択肢を胸に集約するな……」


 順番にナージャ・コゼット・樹里・野依崎のことだと、二人は共通認識ができている。樹里が標準カテゴリーに入れられてる辺り、正当な評価がされているだろう。


「じゃぁ、オッパイ押しつけるえちぃワガママボディ。裏表あるから夜に豹変しそうなオトナのオンナ。ツルペタロリータ。ドジなパンツ見せっ

「余計に選びにくいわ……それで答えたら俺の品性が疑われる」


 コゼットについては多分に偏見が入っているが、他三人の表現には異論を挟めない。挟めないからこそ十路は反応に困る。


「あ。社会的地位のある二九歳独身を忘れてた」

「それはいらない」


 二九歳独身つばめについては即答だった。十路は彼女を嫌っているわけではないが、普段のエーカゲンな性格とそうでない時の策略家ぶりを考えると、そういう対象に見るには問題が多すぎる。

 しかし他のメンバーへの感情については、十路は答えない。南十星の言い方が選びにくくさせているせいもある。それ以上に男同士なら『クラスの誰が好みか?』なんて話もできても、当人たちとも繋がりができるであろう、女の南十星に答えるのは少々はばかられる。

 さらに十路は思う。


(まぁ、そういう感情は持っていないし……)


 彼にとって彼女たちは、部活仲間とクラスメイトであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 十路がそう考える理由はいくつかある。異姓に対する興味が希薄なのもある。相手の見た目だけで好意を抱ける精神年齢は通り過ぎてしまったのもある。

 なによりも。


(俺たちは《魔法使い》なんだっての……)


 一番の理由を考えて、彼は小さくため息つき、十路は片手でお手玉しながらスポーツドリンクをラッパ飲みする。

 実状は全く違う通称で呼ばれる者たちは、こういう意味においても『普通』ではなくなる。『普通』を望む十路としては困ったことだが、どこか諦観ていかんを感じている部分もある。

 そんな彼の内心を理解したのか、それとも最初から答えなど期待してないのか。南十星はそれ以上の答えを求めず、床から身を起こして大仰に首を振って感心する。


「いやいや、兄貴も転校してから変わったもんだねー。こんなに女のコをはべらせてるなんて」

「男女比が偶然そうなってるだけだ」

「そうじゃなくてもさ、兄貴はやっぱり変わったと思うよ」


 声も笑顔も明るいままだが、なんとなくニュアンスの変化を感じたために、南十星が真面目な話をしているのだと十路は理解した。家族とはいえ顔を合わせていなくても、この程度ならば彼にもわかる。


「いい意味で? 悪い意味で?」

「モチいい意味で」


 南十星は床から起き上がり、十路が手にするペットボトルを奪い、彼女もそのままじかに飲む。

 自分は平気でやるが、女の子がラッパ飲みは行儀が悪いと、南十星の頭に軽いチョップを入れながら答える。


「今までが普通じゃなかったから、『普通の生活』しようと思えば、どうしても変わらなければいけないだろ……」


 《魔法使いソーサラー》としての生活を思い出し、両手でボール三個をもてあそびながら、十路は小さくため息をつく。

 前の学校では、移動は駆け足、生活態度は厳しチェックされ、朝から晩まで肉体を酷使し、必要な知識を頭に叩き込む、規律正しく常に緊張感に満ちた生活だった。

 そして校外での生活――主に紛争地域では、一瞬後には死が訪れる殺伐とした空気で、血と硝煙の匂いをかぎ、泥と砂にまみれ、作戦を遂行し目標を破壊していた。

 もちろんそのような生活を送ることに、必要性と誇りを見出す者がいる事までは、十路は否定しない。

 しかし彼自身は、そういう人間になりきれなかった。だからごく普通の、学校に通い、友人と談笑するような生活を望んだ。

 ただ、誰もが経験するその『普通』に染まるには、彼は年齢的にも精神的にも大人びていた。


「だけど足掻あがいてる最中って気がするけどな。俺は悪い意味で周囲から浮くから……」


 周囲が普通であればあるほど、やはり自分は普通ではないと、十路は痛感する。

 隠しても察してしまうので、南十星の前だけではこぼす弱みを聞いて、茶化すことなく、彼女なりにわかる話を続ける。


「だったらせめてその顔なんとかしなよ? 目つき悪いし、気が抜けてるから、いっつもフテ腐れてるように見えるんだってば」

「そうは言っても、これが普段の顔だからな」

「兄貴さぁ、カオのパーツ悪くないんだしさ、もーちょい笑いなよ? そんだけで絶対いんしょー違うって。カノジョできるかもよ?」

「彼女が欲しいわけでもないから、どうでもいい」

「モテない男のヒガミに聞こえる」

「違う」

「ま、カノジョは置いといて。兄貴はそもそもあんま笑わないし、笑うときはすんげージギャクテキだし、愛想ないとヤバイと思うよ」


 ペチリと音を立てて両手で十路の頬を挟み、南十星が顔を寄せた。目鼻立ちも色合いもほとんど似ていない顔同士が、至近距離と見詰め合うことになる。


「ほれ。笑ってみ」


 人は『笑え』と言われても、なかなか笑えるものではない。しかし南十星に言われて仕方なく、十路なりに口元を意識した表情を作る。


「こう、か?」

「なんてーか……野良犬がドブネズミ捕まえた時のカオ?」

「…………」


 二度とやらない。

 自分がどんな顔をしたのか不明だが、とにかく十路は心の中で誓った。



 △▼△▼△▼△▼



 スポーツドリンクは南十星が飲み干した。そして食べようと思っていたアイスは、結局は野依崎が食べてしまった。

 だから南十星は部屋着のままで一人買い物に出た。いくら引っ越したばかりとはいえ、昨日今日でコンビニの位置くらいは把握している。


(あーそだ、レンタル屋も早いトコ見つけとかないと。映画館は中心部に行けばあるだろうけど……)


 転入でごたついて忘れていたが、ライフワークの映画に欠かせないものは、早めに見つけておきたいと思い出す。

 ケーブルテレビや衛星放送で映画専門チャンネルがあり、ネット配信でデータを購入することもでき、レンタルでも宅配を行っている。映画もひと昔前とは違い、家に居ながら自由で豊富な選択ができ、南十星もよく利用していた。

 しかし映画はやはり映画館で、公開が終わった映画はレンタルショップで借りて見るという意識が彼女にはある。映画は『見る』ものではなく『見に行く』もの。目的だけではなく、その過程も楽しみたいと考えている。

 そして南十星は、たどり着いたコンビニに入ろうとして。


「ん?」


 店内の明かりが届かない駐車場の片隅に、駐車されたオートバイと、それに寄りかかる人影を見つけた。

 南十星が知るオートバイ――市街地での取り回しを重視した《バーゲスト》よりも、その大型バイクの車高は高く、未装路での走破性を重視した軽量簡素な車体は、メタリックシルバーに塗装されている。

 そしてそのオーナーであろう人物は、体のラインが浮き出た黒いライダースーツに身を包み、やはり黒いフルフェイスのヘルメットを被ったままで、一切正体が知れなかった。

 コンビニなのだから、オートバイに乗った者が立ち寄ったとしても不思議はない。しかし南十星はそのライダーの視線が気になり、足を止めた。

 夜に出歩く少女に向けて、粘つくような好色な視線を向けられているのではない。

 ただ、観察されていると彼女は感じた。ヘルメットのシールド越しに、男は南十星を確実に見ている。


「……あぁ、そーゆーこと。ごてーねーなこって。さっそく顔見せですかい……」


 相手が『誰か』はわかるはずない。

 しかし相手が『何者か』は察した。

 だから南十星は凶暴な虎の笑顔で、ある映画のセリフを放った。


「You talkin' to me?(あたしに用?)」

「…………」


 返事はない。英語が伝わったかはわからない。

 しかしヘルメットの奥で薄く笑う気配を、南十星は感じた。

 それだけで十分だったらしい。ライダーはそれ以上彼女に構うことなくオートバイにまたがり、スタンドを蹴り収めて走り去る。

 排気音を響かせて遠ざかるオートバイを見送り、南十星は反省する。


(さすがに初っ端からトバしてくるってコトはないか……けど、次からは気をつけないと……)


 今の彼女は一般人と変わりない。多少格闘技が使えたとしても、無力な少女であることに変わりない。

 だから『力』が必要だった。それも早急に。


(ま、兄貴には黙っとこ)


 そんなことを考えたが、自動ドアを開かせてコンビニの店内に入った時には、彼女の頭からつい今しがたの出来事はスッポリ消える。どのアイスを買おうか、年齢相応の少女の考えだけが占めた。

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