020_0801 貴腐人王女と丁寧ヤンキー王女Ⅱ~Malware_1st Princess & Maid of All Work~


 その頃、十路とコゼットは、待ちぼうけを食らっていた。


 コゼットはソファに座り、空間制御コンテナアイテムボックスとトートバッグを脇に置き、胸元を支えるように腕を組んで。

 十路は大理石の柱に背中を預けて、立ったまままぶたを閉じて。

 ちなみに彼の顔から、バンソウコウやガーゼは消えている。普段そういう事はしないのだが、『人と会うのにその壮絶な顔は……』と危惧きぐしたことで、特例的に樹里が《魔法》で治療した。


 ふたりがいるのは、神戸市の中でも一風変わった場所だ。中央区湊島――住所だけ聞けば変哲ないが、ポートアイランドの名で親しまれる人工島だった。


 神戸が《魔法》の研究都市となっているのは、産業都市構想を立案して、関連企業の誘致を図っているからだ。この人工島には、住宅や、重機や中古車の販売会社も設けられているが、研究施設と関連企業が数多くあり、世界でも有数の《魔法》研究クラスターを作っている。


 そういった施設に用のある人物の中でも、重役クラスの人々が利用するであろう、高級ホテル『ポートホテル・テティス』に、コゼットが会う人物が宿泊しているらしい。


 しかしフロントに面会希望を連絡してから、既に二〇分ほど経過している。

 喧嘩中のふたりに会話などあろうはずもなく、ひたすら豪華なロビーでじっとしていた。


「Merci d'avoir attendu.(お待たせしました)」


 ようやく沈黙の時間を破ったのは、女性の声によるフランス語だった。


「Votre Altesse, Ca fait longtemps.(殿下、お久しぶりです)」


 コゼットが振り返り、十路が目を開き、見たその先には、ヴィクトリアンタイプのメイド服を着た、やや浅黒い肌を持つ長身の女性がいた。

 そのような格好でも、ホテルの中であれば従業員に間違えられて目立たない――などという理屈はもちろん存在せず、余計に目立っている。


「Ca fait longtemps, Roger...(久しぶりですわね、ロジェ……)」


 周囲の視線と服装の異質さが原因だろう。コゼットもあきれ気味に挨拶を返す。

 洗練された所作でメイド服の女性は礼を返すと、無感情の視線を学生服の十路へと移した。


「殿下。こちらの方は?」

「彼はトージ・ツツミ。学校の後輩です。この後、一緒に出かける用事がありますから、成り行きで同行して頂くことにしました」


 十路に聞かせるためなのか、会話が日本語に切り替わる。若干の嘘をまじえて紹介されたので、彼も軽く会釈えしゃくする。


「彼の身元はわたくしが保証します。怪しい人物ではありませんけど……プライベートな話なら一緒でも問題ないか、確認を取ってください」


 王女の微笑で出された提案に、メイド服の女性は優雅に一礼し、スカートのポケットから無線機を取り出し小声で話すが、すぐに終わる。


「お待たせしました。どうぞこちらへ」


 彼女が先に立って案内する。


 臨時客とおじがいるのは折り込み済みで、無線で話したのはやはり客となる報告のみ。その調整で待ちぼうけを食らっていたのではないかと推測した。

 原則ホテルは宿泊者以外を客室フロアに通さない。防犯のためでもあるし、最悪旅館業法に抵触する。だから軽い気持ちで宿泊している部屋に知り合いを上げると、強制チェックアウトなんてこともありうる。

 なのに十路たちはエレベーターに案内された。これからコゼットが会う相手には、宿泊約款やっかんを無視させるなにかがあるらしい。


 体にわずかな加速度を感じ始めてから、十路はメイドの後ろ姿を見ながら、コゼットにささやいた。待たされている間にすれば済んだ会話だが、ケンカ中なので仕方がない。


「少しは説明してもらえません? あの人が目当てじゃないみたいですけど?」

「ロジェ・カリエール。これから会う女の身の回りの世話だけでなく、秘書みたいな事もやってるみたいですわ……わたくしも詳しくは知らないのですけど」


 しかしこれから、十路にとって見知らぬ相手との会話に乱入しないとならないので、全く情報なしではコゼットにとっても困ると妥協したか。


「それで、これから会うのは、わたくしの敵ですわ……」

「どのレベルで?」

「顔を合わせるたびにケンカ……よくチェスで対局してましたので、そういう意味でも敵ですわね」

「日本で言う碁敵ごがたきですか」

「ちなみに対戦成績は〇勝〇敗引き分けニ一七」

「引き分けばっかりって……」


 やがてエレベーターは止まった しかし下りることはできない。

 両開きの扉が開いた先には、女性が待ち構えていた。


「ゲッ!?」


 メイド相手にはプリンセス・モードだったが、女性が浮かべる満面の笑みに、コゼットは王女の仮面をかなぐり捨てた。


「なに待ち構えてやがるんだっつーの、クロエ……!」


 普段コゼットが使う日本語は、ガラが悪いと評するのも中途半端で、とても正しい言葉とは言えない。


「コゼットが殿方連れて来たっていうじゃないザマス!? それは是非とも顔を拝まないと一刻も早く見てやろうと思って待ち構えてたザマスよ! まーその人ザマスか!?」


 しかしコレと比べたら、マトモに思えてくる。

 見た目からして、彼女はまだ二〇代だろう。その特殊な日本語を使うのはマダムキャラだと思うので、似合っていないことこの上ない。


「……あの、部長?」


 早口でまくし立てられ戸惑う十路に、コゼットは頭痛をこらえる顔になった。


「その女が今日会う相手……ワールブルグ公国第一公女、クロエ・エレアノール・ブリアン=シャロンジェ……」


 そして心底嫌そうに、言葉を付け足す。


「わたくしの姉ですわ……」

「Comment faites-vous? M.Tsutsumi.(はじめまして、ムッシュ・ツツミ)」


 一転した王女らしい高貴で優雅な微笑と一礼に、十路はどう反応していいのか困った。



 △▼△▼△▼△▼



「で? わたくしを呼びつけた用事、さっさと言いやがれ」


 喧嘩腰のコゼットが、荒々しくポーンを動かす。


「まっ! 一年ぶりに可愛い妹に会いに来たというのに、なんて冷たい態度ザマスの!」


 わざとらしく驚きながら、クロエもポーンを動かす。


 ホテルというより豪華なマンションを連想するスイートルームの一室いるのは四人だけ。ふたりの王女は備え付けらしいチェステーブルを挟み、それぞれの付き添いは離れた壁際に控えている。


 だから王女サマたちは仮面を脱ぎ捨てて、地を気兼ねなく遠慮なく遺憾いかんなく申し分なく容赦なく躊躇ちゅうちょなくモロ出しにしていた。


「それはそれはご心配ただいてどーも? クロエに心配されずとも元気にしておりますわよ? ついさっきまでは」

「あら、どうしたザマスの? ここに来るまでになにか拾い食いでもしたザマス?」

「さぁ? 誰かさんのツラ見るまでは清々しい気持ちだったんですけどねぇ? 今は胸がムカムカしますの。不思議なことですわねぇ?」

「あらヤダ。ウチのロジェを見て不快になったってことザマス?」

「鏡を見やがれ! つーか、なんでクロエがここにいるんだっつーの! そっから説明しやがれ!」


 とげを含んだ言葉のたびに、高価そうなガラス製の駒が動く。そんなハイテンポな対局と共に行われる、王女たちの私的会談に強制的に巻き込まれた十路は思う。


(こんなイロモノ王女がいて、王家って大丈夫なのか……?)


 クロエをイロモノ認定してしまうのは、特殊な日本語が原因だからで、国許くにもとではまた違う評価になるかもしれないが。

 そんならぬ心配をしつつ、十路は王女姉妹を見比べる。


 一卵性双生児ほどではないが、コゼットとクロエはよく似ている。白い肌に青瞳ブルーアイ黄金髪ゴールドブロンドと、色彩は全く同じ。凛としていれば聡明な美人、そうでない時はきつい印象を与える、吊り目がちな顔立ちも共通している。

 着ているのも、街中で見ても変哲のないブラウスとスカートだ。あまり頓着とんちゃくしていなさそうに思えて、そのじつ着こなしに品の良さを感じさせる。もしかすれば服装の趣味も似ているのかもしれない。


 明確な違いといえば、クロエの左目の下に黒子ほくろがあること。妹の金髪は波打っているのに対し、姉は真っ直ぐであること。

 そして雰囲気。コゼットにはひたきな勝ち気さを感じるのに対し、クロエには人をけむに巻くような余裕を感じる。


(似てるようで似てない姉妹だな……)


 そんなことを十路が考えている間も、王女姉妹の会談口ゲンカは対局の進行と共に続く。


「言ったザマス。わたくしが来た理由は、コゼットに会いに来たからザマスよ?」

「神戸じゃなくってそもそも日本に来た理由だっつーの! 東京方面にも行ってるでしょうが!?」

「もちろんザマス。仕事でウチの国の大使館に寄ってるザマスよ」

「だったら非公式に来日した理由は? わたくしがなにも聞いてないっつーことは、そういうことでしょう? 仕事だったら公式行事にすればいいだけじゃねーですのよ」

「ノンノン。公式行事にしたら、大勢をわずらわせることになるザマス。だから少数でお忍びで来たザマス」

「ウソぶっこくんじゃねぇ。どーせツラ隠して秋葉原か池袋でBL本大量に買うためでしょう……相変わらず腐ってやがりますわね」

「腐ってるだなんて……中世から王侯貴族で同性愛は文化として根付いてるザマスよ?」

「勝手に文化にしてんじゃねーですわよ!?」

「しかもそれを腐ってると言うなら、コゼットにもその血が流れてるザマスよ?」

「遺伝子由来にして巻き込んだ先祖にびやがれ!? 男同士の絡み見てニヨニヨしやがる変態はテメェだけですわよ!」


 イロモノ認定が特殊日本語だけで終わらなかったことに、十路は思わず西を見て、顔も知らぬ現ワールブルグ公に語りかけた。


(御子息いますか? いなかったらマトモな婿むこをロイヤルファミリーに迎えてください……でないと次世代ヤバいです)


 公的な場面ではともかく他に関係者がいないこの場でも、クロエには敬意を払わないとならないかと考えていたが、貴人相手に不要のような気がしてならない。


「アレ、放っといていいんですか……?」

「…………」


 紅茶を淹れて以来、壁際で彫像のように立っているメイドロジェに問うと、彼女はそっと目をらした。

 王女サマの特殊性癖は、もうスルーらしい。


 ならばと十路は、ちゃんと相手の顔を見て話題を変える。


「ところで、さっきから俺を見てどうしました?」


 仮面をつけたような無表情を浮かべているため、彼女がなにを考えているかはわからない。しかし見つめ返してきたころから、なにか心の機微があったのは間違いない。


「……失礼しました」


 謝罪は否定ではない。少しばかりの意地悪さと、相手の反応を見るために、親指で隣のドアを指す。


「そんなに気になるなら、隣から人呼んだほうがいいんじゃ?」


 護衛任務は最低でも二人一組ツーマンセルで行う。なのに部屋にはロジェしかいない。なんとなく気配を感じるから、控えてはいるのだろうが。

 彼女たちから見れば同じ王族であるコゼットはまだしも、十路は誰とも知れぬ馬の骨だ。入室前に軽く身体検査されたが、警戒されて当然の対象になる。

 それに、なんらかの形で十路の経歴を知っていたら、警戒心も一入ひとしおに違いない。


「気付かれましたか」

「なんとなく」


 メイドの無表情がわずかに崩れ、猛禽類を連想する鋭い視線を放ってきた。

 冗談のような格好をしていて、紅茶を淹れる手つきから世話役も兼ねているだろうが、彼女は守るために戦う人間に違いない。不審者を分別し襲撃者を予測する、身辺警護の観察眼を向けている。


「でだ。いい加減見苦しくなってきたから、王女殿下の語らいに割り込もうと思うんだが、問題ないか?」


 確認を取りながら壁際から一歩踏み出す。

 ボディーガードは護衛対象との間に、決して第三者を入れずに警戒する。十路がクロエに近づけば、そのスペースに入ることになる。

 ここで不用意に動いて、騒ぎを起こすつもりはないから、声に出す。


「どうぞ」


 ロジェは壁際から動かない。身分差が絶対視される場なら、上位者から話しかけられるまで口を開いてはいけない、中継ぎなく直接言葉を交わしてはならない、なんてルールもあるが、私的な場だからかそれもない。

 十路を警戒から外したのとは違う。なにかあれば背後から襲う気だ。距離をへだてていても問題ない攻撃手段を持っているに違いない。


(おっかね。メイド服になんか得物忍ばせてるな)


 ともあれ十路は気にしないことにして、チェステーブルの側で声をかける。


「王女殿下お二方。さっきからディープな会話がダダ漏れなんですけど?」


 それにクロエはプリンセス・スマイルで反論した。


崇高すうこうなる趣味になぜ羞恥を感じる必要があるザマス?」

「その趣味は高尚こうしょうすぎて一般人には理解不能です」

昨今さっこんLGBTの権利が世界的に叫ばれているザマスよ?」

「当人の愛情表現と、それをはたから見て興奮するのとでは、話がかなり違うかと」


 コゼットは忌々いまいましそうに吐き捨てた。


「誰かに聞かれても、この女が恥かくだけだっつーの」

「個人じゃ済まずに国の恥になるんじゃ?」

「結構じゃないですのぉ? そしたらこの女への風当たり、キツくなるんじゃねーです?」

「部長も巻き添え食らいますよ? 『貴腐人の妹』とかって」

「ぐ……! その程度ならまだ耐えますわ……事実だけどわたくしは違うって主張できますもの」


 まだ言葉を応酬しあう気のふたりに、十路はロジェへと振り返る。


「他に日本語が分かる人間は?」

「この場にいる者だけですが?」


 ならばスススと壁際に戻る。


「放置ですか」

「手に負えなくて、あと放置しても問題ないと思い直したので」


 もしかしたら他に護衛がいないのは、姉姫の特殊性癖を広めない措置なのだろうか。姉妹が母国語ではなく日本語で話している理由も同様なのだろうか。

 その真相は、果てしなくどうでもいい。


「ムッシュ・ツツミが貴女を『ブチョウ』と呼んでるのは、なんザマスの?」


 しかも彼が口を挟んだせいか話が変わったため、追求の必要もなくなった。クロエがルークの駒を動かしつつ、彼女の立場から見ればもっともな疑問を発する。


女性リーダーDirectriceのことですわよ……彼とわたくしは同じチームに所属していて、わたくしが代表を務めているからですわ」


 ナイトの駒で倒して、コゼットが面倒くさげながらも応じる。


 それだけでは終わらない。クロエは気のないような息を整った鼻から漏らしならがらも、尚も十路を話のネタにする。


「ふーん……それだけザマス?」

「どういう意味ですのよ?」

「この後、一緒にどこかに行くと言ってたのは、デートザマスか?」

「違うっつーの……ンな色気のある話じゃねーですわよ」


 十路がこの場にいる方便だから、コゼットもそれ以上の説明はしない。


 きっとだからこそ、クロエは目を挑戦的に細めて、突っ込んだことを聞こうとする。


「コゼットが関係のない男性を連れて来るなんて、どうしたザマス? やはりそういう関係ザマス?」

「男と女が一緒にいれば即そういう関係って、子供でももっとマシな解釈するっつーの」

「自慢するわけじゃないザマスが、わたくしたちは普通の立場じゃないザマスよ?」

「わたくしの日本での立場は学生。彼と同じですわ」

「真実ザマスが、方便ザマス。いくら言い張っても他人はそうは思わないザマス。歴史と血統と家名は、コゼットで思ってる以上に重いものザマスよ? しかも彼、平然とこの場に同席してるザマス。そういう身分か、コゼットとそういう関係なのかと、考えるのが普通ザマスよ?」


 それはもっともだろう。王族や高貴などという言葉とは無縁の十路にも理解できる。肩書きはやはり一番人目につきやすく、多くの人はその重さで人物を判定してしまうのは想像できる。あまりにも特別な意味を持つなら、見る人間は萎縮する。それは間違いないし理解できるが。


(俺が平然としてる理由? エセヤンキーと貴腐人をどーやって王女扱いしろと?)


 人間性の本質を知ってしまうと、肩書きが持つ重みなど羽根の軽さに感じてしまう。『えーこんな人がそんな肩書き持ってていいの?』と。


「……ま、確かに、わたくしと堤さんの関係は、普通ではありませんけどね」


 困ったようなコゼットの呟きに、『そういう関係』を肯定するものではない、微妙なニュアンスの違いに気づいたらしい。


「……貴方も《魔法使いソーサラー》?」


 軽薄そうな表情を消し、クロエは険しさを感じる顔で振り返った。

 彼女が知らなかったことを少々意外に重いはしたが、十路は軽く肩をすくめて、やる気ない態度で肯定する。


「男性の《魔法使いソーサラー》……」

「……?」


 返って来る反応は、悪感情だと思っていた。

 《魔法使いソーサラー》は破壊と混乱を招く、人から忌避きひされる邪術師だから。嫌悪されるのが当然であり、そんな顔を向けられたことも一度や二度ではない。


 しかしクロエは予想外に、なぜか恍惚とした顔を十路に向けてきた。


「子供は『愛の結晶』と呼ばれるザマス。事実、わたくしは父と母の愛により、この世に生まれてきた……」


 しかも遠くを見ながらなにやら語り始めた。ちょっと雰囲気ヤバい。


「それは自然の摂理。神が作り上げた世界の定め……」


 遠くの次元にイってしまったとしか思えず、見る者に不安を抱かせるが、衆人の気持ちを考えていようはずがない。


「ですがわたくしは世界に問いたい! 神に問いたいザマス!」


 クロエは声を張り上げる。椅子から立ち上がり、仮想のスポットライトの中、芝居がかった仕草で胸に手まで当てて。


「なぜ男同士の愛では子供が生まれないのかを!」

「……………………………………………………」


 十路は貼り付けた無表情で、ゆっくりとコゼットに振り返った。


「わたくしがこの女と会いたくなかった理由、少しは理解できましたかしら……?」


 頭痛をこらえるようなコゼットに、彼はゆっくり頷く以外の行動はできない。

 クロエ・ジュリエット・ブリアン=シャロンジェ、二三歳。二次元だけでは飽き足らず、三次元にまで求めようと、想像以上に腐敗していた。


「子供は愛の結晶……しかし愛し合う男性の間に結晶ができないのは、間違いだと思うザマス!」

「間違ってるのはクロエの脳ミソだっつーの」


 コゼットはジト目でボヤく。


「そして《魔法》には、そんな不可能を可能にできるザマス!」

「《魔法》抜きでもやってそうな研究ですけど、生命倫理を飛び超えてしまうのはさすがに問題かと……」


 十路はドン引きしながらも常識的に説明する。


 でもクロエは聞いてなかった。どこの世界を見ているのか、輝きながらも目が濁っているような気がしなくもない。


「だから男性の《魔法使いソーサラー》をもうひとり探して……うふ……うふふふふふ……」


 キモい笑いを浮かべて一転、クロエは仰々しく手を差し出してきた。その仕草と表情は王女様らしいのだが、セリフが加わると情けないことこの上ない。


「さぁ! 我が国に来るザマス! そしてわたくしに愛の形を見せるザマス!」

「……………………………………………………」


 十路はまたも貼りつけた無表情で、コゼットにゆっくり振り返った。


 彼は専守防衛をうたう日本の自衛官でありながら、前の学校では『校外実習』と称して、非公式に海外で戦闘行動に参加した。その作戦はどれも筆舌し尽くしがたいほどに過酷で、死にかけたことは一度や二度ではない。『殺してくれ』と懇願したなる目に遭ったこともある。だがその全てを遂行し、帰還した。

 遂行不可能とされる作戦でも完遂する特殊作戦要員、それが《騎士ナイト》と呼ばれた者だ。


 そんな十路でも、こんな過酷で困難な苦境は未経験だった。相手を倒せば終わりではなく、その差し出させれた手を掴めば、決して帰れない世界に連れて行かれそうで。


「部長……? どうやら俺、ピンチっぽいのですが……?」

「殴って黙らせていいですわよ。わたくしが許可しますわ」

「いや、国際問題にしたくないです……」


 物理的な手段はさすがに冗談だが、後輩が生物学の先駆者になるのは忍びないと、ため息をついてコゼットは苦言する。


「クロエ……変態っぷりを披露するのは勝手ですけど、わたくしの連れに迷惑かけないでもらえません?」

「フフン?」


 妹姫を見下したように、クロエは鼻を鳴らす。


「『彼に手を出すな』って言いたいザマス?」

「ハ……?」


 姉姫へ警戒心一杯に、コゼットは顔を歪める。


「コゼットと彼は、大した関係ではないって言ってたザマスね?」

「……言いましたけど?」

「だったらわたくしが彼にどう反応しても、問題はないザマスね」

「なに考えてますのよ……?」


 当の十路は放置して、王女たちの話は妙な方向へと進んでいく。


「ムッシュ・ツツミをもう少し知りたいから、食事にでもお誘いしようと思っただけザマス」

「薬を盛って無理矢理ナニさせようってハラですの!?」

「さすがに初対面の男性に、崇高な趣味への理解を強要しないザマスよ」

「初対面じゃなくてもやるんじゃねーですわよ!?」

「言葉の揚げ足取らなくていいザマス。ともかく、ムッシュ・ツツミをお借りするザマス」

「ハァ!?」

「この後なにか用事があるって言ってたザマスけど、それはコゼットひとりで片付けたらどうザマス? どうせ用事なんてないザマスでしょう? わたくしと合うのをとっとと帰る用事にするために、彼を巻き込んだザマス?」

「…………ッ!」


 表情をまっさらにしたコゼットの手が、盤上をなぎ払う。それまでの対局を無視して絨毯に駒が散らばる。


 コゼットの隠しごとはバレているのは、きっと推理というより、姉らしい、妹という人間の理解から。

 だがクロエの表情が、下卑げびて見えるのはなんなのか。

 コゼットの怒りも、ただ未熟や愚かさを指摘されただけとは違う。無表情になる激怒に、憎悪が垣間見えた気がした。


(姉妹だとこんなに違うもんか……?)


 十路に姉はいないが、姉貴分はいた。思春期に入ると反抗心が芽生えて尖っていた頃、彼女は『しょうがないなぁ』と苦笑しながら変わらぬ対応をしていた。

 なんというか、大人だった。


(いやあの人、俺がウソついたり隠しごとしたら、笑顔で鉄拳制裁してきたから、比較にならないのはわかってるけど)


 十路が成長して身長や単純な腕力が逆転しても、ずっと逆らえない存在だった。反抗期など物理的に短縮・矯正されたように思うが、それが嫌だったかいま考えると、愚痴ぐち程度の文句はあれどそれ以上はない。

 彼女は下手すれば実の母親以上に、姉という第二の母親だったから。


 血縁の有無、それ以上に同性と異性の違いがあるだろうと理解している。同性の兄弟姉妹だと、互いを意識してライバル心が芽生えるとも聞く。

 それでも『姉』という存在が身近だった十路から見ると、クロエとコゼットが異様に見えた。ある意味では彼が最も見てきた人間関係とも言える。


 敵同士。それもエレベーター内でコゼットが説明したのとは違う、比較にならないレベルの悪意ある関係に。


 彼女たちに過去なにがあったか知らないし、知りたいとも思わないが、このまま放置すればまずいと警告する、トラブル回避本能は無視できない。


「部長ー」


 だから首筋をなでながら、十路は気の抜けた声で近づいて、ふたりを振り向かせる。


「俺まだ付き合わなきゃいけません? いい加減ハラ減ったんですけど。おごってくれる約束でしょう?」

「ハ……? 奢り?」

「この間バイク便させた時、晩メシ一食分と引き換えだって言ってたじゃないですか。まさか今さら忘れたとか言いませんよね?」


 完全な嘘ではない。オートバイがあることで、たまに学外へのパシリに使われる。部活に関連した用事であれば素直に部長命令を実行するが、完全な私用の場合は突っぱねる。

 理不尽を平気で押し付けてくる部長なので、食事と引き換えに交渉してきたことなど一度もないが。


「……あぁ。今日その約束を果たそうっつーことで付いて来てもらったのに、クロエのせいで吹っ飛んでましたわ」


 コゼットはすぐに意図を汲み、あくまで用事があると主張するアドリブに合わせる。瞳に一瞬浮かんだ透明な憤怒の炎を鎮火して、荷物を持って立ち上がる。


「なんでしたら、こちらでルームサービスでもお取りするザマス? ホテル内のレストランという手もあるザマスよ?」

つつしんで辞退させていただきます」


 クロエの申し出は即ことわった。『食事に変なクスリ仕込まれて、違う世界に連れて行かれそう』という偏見は、わずかたりとも見せない。


「あら? ディナーディネの相手はわたくしではご不満ザマス? コゼットの奢りよりもいい料理をお約束するザマスよ?」

「不満とかではなく、部長との約束が先なので。金額の問題でもなく、部員間で貸し借りはキッチリしておく必要ありますし」


 『尻の貞操あまつさえ出産の心配しなくて済むので、アナタではなく妹を選びます』という本音は、おくびにも出さない。


 それ以上は食い下がるつもりはないらしい。軽く肩をすくめてクロエも立ち上がる。

 メイドロジェが開いた扉から部屋を出ると、見送りはそこまでと彼女は立ち止まる。


「それでは、失礼しますわ」


 コゼットは刺々とげとげしく。


「Au revoir.(ごきげんよう)」


 クロエは優雅な微笑と共に。


「二度と会うことがありませんように」

「A bientot.(ではまた近いうちに)」

「ハッ……! お断りだっつーの……!」


 言語も内容もかみ合っていない別れの挨拶をし、コゼットは荒々しく廊下を去る。

 仕方なく、十路も一礼して追いかける。

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