090_0700 招かざる来訪者は二日目来たるⅢ ~アリス・イン・アンダーグラウンド~ 


「……十路くん」

「言いたいことは、わかる」


 三年B組の女装メイド・男装執事喫茶は、二日目の今日もそれなりに忙しい。女子生徒の場合はまだしも、男子生徒の知り合いや父兄が来た日には悲鳴や笑い声が上がるので、一日目よりも賑やかだ。


 しかしナージャと十路とおじは、良くも悪くも騒ぐ気になれない。訪れた女性客ふたりに、死んだ目を向ける。


 人間関係からするとメインになるであろう側も問題だが、こちらはまだいい。金髪碧眼へきがん白皙はくせきの若い女性という、日本人が考える典型的白色人種コーカソイドの特徴はさておいても、服もアクセサリーも高級品で固めて着飾っているわけでもなさそう。なのに見るからに高貴な人オーラを放っている。

 そう。高貴さしか見て取れない。年齢的にも性格的にも貴人オーラは微塵もない。

 精一杯のことをしているとはいえ、安っぽい学生の模擬店に訪れるのが場違いに思えてしまう人物像だ。とはいえ修交館は留学生の多い学校で、神戸は《魔法》の実験都市だ。本国のエリートが来日し、その子女子息が修交館に通っているから、セレブリティな若い母親や姉が学院祭に来る可能性は充分考えられる。


 なので問題は連れのもうひとりだ。

 メイドだ。まごうことなき本物のメイドだ。アジア系の浅黒い肌を、本格ヴィクトリアン・メイド服で覆った若い女性だ。服からして安物のレンタルではなく、所作もキビキビとし、座る背筋は針金でも入っているように伸びている。


 『なにしに来やがった』以外に考えることができない客だった。『敵対関係にあるのに何故?』という疑問は当然、『メイド喫茶に本職が来んじゃねーよ』の意味でも。


 野依崎が入場を報せてきたから校内にいるのは知っていたが、まさかここに来るとは。


「執事。ゴー」

「メイドさんにお願いしたいですけど」

「女性客相手なら男装執事の出番だろ?」

「あの人たちと支援部が交戦したの、わたしが入部する前ですよ? 面識がないです」

「入部前でもナージャも首突っ込んだ件だろうが」


 面倒ごとを押し付けたいものの、互いに小さくため息をついて妥協した。


「……ふたりで行くか」

「ですね……どうせ支援部わたしたち目当てでしょうし」


 オーダーされた紅茶のセットを手に、十路とナージャは揃って、ふたりの席に近づく。普通ならば女性客は『お嬢様』か『奥様』、男性客は年齢に応じて『若様』『旦那様』などと呼び分けるだけだが、十路は必要以上に丁寧そして慇懃無礼に声を掛けた。


「お帰りなさいませ。クロエお嬢様、ロジェお嬢様。本日はいかなる御用でこちらにお越しになられましたか?」

「……ッ! …………ッ! ム、ムッシュ・ツツミ……! その格好は……!」


 クロエ・エレアノール・ブリアン=シャロンジェという名のお嬢様というか王女様は、体を折り曲げて肩を震わせていらっしゃる。コゼット同様に二面性を持ち、地をモロ出しすると公女殿下の肩書きが疑われる人物だが、さすがにここで机をバンバン叩いてザマス語で笑い転げない節度はあるらしい。


「なんですかそのいい加減な出迎えは。我々召使いセルヴァントおおやけの場では存在しない者として扱われますが、人前に出ることを当然としています。そのような態度で許されると思っているのですか」

「コスプレのなんちゃってメイドしかも男相手に先輩風吹かせんな」


 ロジェ・カリエールという名のお嬢様からは、秒速二〇メートルくらいの風を感じる。猛禽類を思わせる無表情だから真相不明だが、嬉々としてイジってきてる気がしなくもない。十路が感知するところではないが、以前の部活で半ば騙し討ちのような形で彼女をノックアウトさせたから、その程度は恨まれていても不思議はない。


 直接の面識がないため話は十路に任せて、ナージャは警戒するつもりのようで、いつでも《魔法使いの杖アビスツール》を抜けるよう上着の中に手を入れて、ロジェの背後へ立つ。

 紅茶のことなら彼女が任せたほうが確かなのだが、そのつもりならば致し方ない。十路がティーセットを並べてながら、口も動かす。


「で? 質問繰り返しますけど、なんでここにいるんでしょうか?」

「コゼットの居場所、ムッシュ・ツツミならご存知かと思いまして。電話かけても無視されるので、どうしたものかと思い、こちらにお邪魔しました」

「よく俺のクラスをご存知で」

「その程度は。仮に調べていなくても、訊けば誰か教えてくださるでしょう?」

「他の女性陣はともかく、俺の知名度だとどうだか」


 クロエと話しながら紅茶の準備をしていたら、横合いから手首に手刀未満の指が振り下ろされる。ロジェに止められた。


「なっちゃいません。淹れ方を誰かから習っていないのですか?」

「だからモノホンメイドが模擬店風情の茶にケチつけんな」


 そうは言っても妥協できないらしい。本物メイドロジェが『代われ』と手を差し出すので任せることにした。


 ロジェがティーポットを傾けるタイミングで、ナージャの声が無線で送られてくる。


『このメイドさん、スカートに隠してるの警棒くらいですよ』


 ひと昔前に比べたら不審者対策も強化されているとはいえ、所詮は学校のイベントだ。入場ゲートに金属探知機を用意してチェックしているわけではない。

 警棒とはいえ武装しているが、だが王女様の護衛としてなにがしか武装するのは職務上必要とも言え、露呈しただけでは看過される可能性もなくはない。少なくとも、前に見たロジェの得物グルカナイフでくらいなければ、突っ込めない。


『どうします?』


 十路は口を開かずに、骨伝導マイクで端的に返答した。


『部長に任せよう』

『こっちに押し付けんじゃねぇ』


 データリンクしているナージャの中継を挟まず、コゼットからじかに無線音声でクレームが入ったが、十路はスルーした。

 ロジェは《魔法使いの杖アビスツール》たる洋弓を持っていないとはいえ、元軍人で素手でも戦闘能力を持つ上に武装を持つため、野放しにはできない。

 ここに居座られても迷惑であるし、コゼットの関係者なのだから彼女に任せるのが筋だろうと考える。


「お宅の妹さんでしたら、今日も一日部室にいると思いますよ。タイミング悪ければ知りませんけど」


 王家で『お宅』は適当かかなり怪しいが、ヘンな意味で庶民派というか王族らしくないこの王女サマならば、まぁいいかと十路は教えて、瞳を意図的に鋭く細める。


「で? リベンジマッチしに来たんですか?」

「まさか。折角の学園祭キルメスに無粋な真似はいたしませんよ」


 ロジェが淹れたティーカップを当然のように手にするクロエの笑顔は白々しく見えるため、『どうだか』と十路は肩をすくめてみせる。



 △▼△▼△▼△▼



「それじゃ後、よろしくお願いしまーす」


 コゼットの居場所だけ教えてそのまま放置はできないから引率してきたが、あとは完全に押し付ける腹らしい。支援部部室にクロエとロジェを連れてきた執事姿のナージャは、それだけ言って帰っていった。

 ただ単に面倒なだけでなく、コゼットひとりで対応可能と、十路も判断した、ということだろう。あるいはプライベートな話を聞くべきでないというのも加味されているか。


「まぁ? 姉上。本日はどうされました? なんにせよどうぞお座りになってください」


 シャッターが開け放たれたプレハブ小屋内部で、コゼットは片付けもそこそこに歓迎するていで、にこやかな笑顔を浮かべる。


「あらあら。部外者が学校に入れるチャンスですから、留学している可愛い妹の普段を知ろうと思っただけです」


 半屋内の、ボロっちぃ応接セットのソファを薦められると、クロエはちらりと《バーゲスト》を見て、優雅にスカートを抑えて腰を下ろす。

 

「ふふっ」

「うふふ」


 傍目にはなごやかな姉妹の再会だろう。しかし彼女たちの背後ではそれぞれライオンが威嚇し合っている。『なにしに来やがったのか知んねーですけど、このクソウゼェ状況にテメェも道連れだ』『保険のつもりザマス? なんにせよこの程度でうろたえるようじゃ、コゼットもまだまだザマスね』と。


 さすがにメイドのロジェはクロエと一緒に腰を下ろしはしない。そして一度だけだがこの部室に訪れたことがある。だから茶の用意でもしようとしたのか、奥のミニキッチンに移動する素振りを見せた。


 コゼットは外を指し示し、それを止める。


「お茶はいいですから、学芸員コンセルバトリスやってくださいな」

「わたしが、ですか?」

「《魔法使いあなた》なら問題ないでしょう?」


 不審に思ったか、ロジェの無表情がわずかに崩れたが、すぐに無表情を取り戻して、彼女は離れていった。


 敵対関係と読んでいい姉妹仲だが、一般市民の目が多数ある中で、早々なにか起こせるはずもない。ロジェにとってもコゼットにとっても、身を守る保険となる。

 だからロジェを人払いし、姉妹ふたりだけで話せるようにした。


 そういう意図だから、コゼットが代わりに台所に立つ真似はしない。


「あら? 持て成しはなしですか?」

「お茶でしたら、堤さんのところで飲んできたばかりではありませんか?」

「見たことない紅茶のパッケージが見えるから、ご馳走してくださらない?」

「日本産の紅茶のことでしょうか? 個人輸入でもしない限り国許ではなかなか手に入らないと思いますが、日本にいる間にお買い求めになるのがよろしいかと」


 通販ならともかく、日本国内でもそこらで店頭販売してるものではないが。


 『飲むつもりがなくて、格好が付かないだけで言ってるなら、水道水で充分だろーが』なんてことをコゼットがチラリと考えたが、クロエの興味はすぐに移り、先ほどまで読んでいたテーブルの本に向けられた。


「……珍しい本を読んでいますね」


 《魔法使いの杖アビスツール》の外装加工は、《魔法》で行えばすぐに終わってしまった。

 なので続けてできるだけ客の相手をしなくて済むよう、本型デバイス《パノポリスのゾシモス》で《魔法回路EC-Circuit》をテキトーに浮かべて、なにか作業っぽいことをしているていで、読書で時間を潰していた。


 開いていたのは『Alice in wonderland(不思議の国のアリス)』。絵本ではなく、それとわかる表紙でもない、英文の本だ。

 世界的に有名な児童文学なのだから、珍しい本であるはずがない。コゼットが手に取るのが珍しい、という意味以外でクロエが言ったとしか考えられない。


「嫌いな作品なのは違いないですけど、時をれば違ったものの見方ができるようになりましたもの」

「ならば久しぶりに『アリスちゃん』とお呼びいたしましょうか?」

「あら姉上? その名でわたくしを呼んだことが一度でもおありでしたか?」

「コゼットが物心つく前のことですから、記憶になくて当然です」


 そうして姉妹で笑い合う。全然笑ってない目で『その名前で呼ぶんじゃねぇクソ女が』『嫌がるってわかってるから呼ぶザマスよオホホ』と罵声を投げつけながら。


 コゼット・アリス・イアサント=シャロンジェ。それがかつての彼女の名だった。

 過去形なのは、幼少期の検査で先天的脳機能異常――《魔法使いソーサラー》であると判明すると、名を一部剥奪され、代わりに不名誉とされる『Doeドゥ』の号が与えられたから。

 歴史ある名家の重み――と言えば聞こえがよすぎだろうか。コゼットにとっては、カビの生えた古臭い価値観と慣習、下らない宗教観と差別感情だと、鼻で笑う考え方だ。《魔法使いソーサラー》と歴史上存在した『魔女』は全く違うのだし、日頃自由と平等にうるさく国際的にも余所の国にも文句つけるくせに、いざとなれば平気で差別的なことをする人種差別観が嫌いだから。

 とはいえ日本に留学し、大人になった今だから言えること。コゼット・ドゥ=シャロンジェになった時から、公宮殿で姉とは全く扱いが変わり、その姉からも度々たびたび殺されかけたのだから、かなり悩んだものだ。


 だからアリスの名も、エプロンドレスの少女が活躍するこの冒険譚も、好きではなかった。いや、うとましかったと評するのが正しいだろうか。

 自由に憧れ死におびえていた塔の娘ラプンツェルにとっては、疎むほどまぶしくうつった。


「…………変わったのね」

「……ハ?」


 されるほどに同じ青い瞳で真っ直ぐ見つめた末の言葉に、コゼットは危うく地丸出しで反応しそうになった。


 コゼットが、姉がなにが言いたいのかと考えを巡らせていると、そのクロエはテーブル隅に置いてあるチェス盤を引き寄せる。


「ここに対局時計チェスクロックはあります?」

「さすがにありませんけど、アプリを探せばスマホで代用できるかと……」


 つまり、公式戦のルールでチェスを打つことを提案している。


 コゼットとクロエが会う際、チェスをプレイするのは、よくあった。

 だがクロエは強い。一般人レベルで考えればコゼットも充分強いが、クロエは一時国際チェス連盟FIDEのタイトルホルダーだったこともあるプレイヤーだ。プロ級の腕前なのだから、とてもかなう相手ではない。実際一度も勝てたことがない。

 コゼットとの対戦で、ハンデキャップをつけられたことはなかったが、時間まで厳密に計測する公式戦ルールでプレイしたこともない。


 それがなぜ、同じ土俵で、本気になって。


 戸惑うコゼットに構わず、傲岸ごうがんそんな獅子の笑みで、クロエは挑発する。


「負けず嫌いのクセして、最初から負けを認めていた意気地なしが、どう変わったのか見せていただけますこと?」

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