070_1800 クルミ割り人形は、呪いを受けた青年ではない
宝塚市山間部で起きた事件報道が、ワイドショーのトップから二番手三番手になり始めた、ある日曜日の朝。
「?」
支援部関係者が暮らすマンションから出た
注目しても動きはない。誰かは離脱するわけでもなく、飛び出すわけでもなく、息を潜め続けている。心当たりはありすぎるが、あまりにも素人くさい行動で、敵対心を持った者と考えにくい。
マスコミ関係者だろうかと内心首をひねった時、マンション駐車場に赤いMINIクーパーが進入してきた。
「お疲れ~」
レディーススーツもタヌキ顔もショートヘアもくたびれた、
「ずっと留守みたいでしたけど、東京のゴタゴタ、片付いたんですか?」
「政治的な後始末は、なんとか道筋ついたってだけ。細々したことはぜーんぜん。だけどわたしが神戸に帰ってこないわけにもいかないでしょ」
「…………」
「『いなくても問題なくね?』みたいな顔で黙るのやめてくれない!?」
「理事長の被害妄想です」
『半分くらいは』という
とはいえ今回は、学院最高責任者がいないと、困る可能性はありそうだった。学院内で襲撃されて一般学生にも被害が出て以来、臨時休校だったが、校舎も修復されて明日から授業・講義を再開するのだから。
「それで。状況的にはヤバいんですか?」
「今のところはまぁ、小康状態? ただ、悪くなることはあっても、よくなることはないと思ったほうがいいよ」
支援部や学院に対する世論は、依然厳しい。当事者とはしては『そんな責任こっちに持って来るな』と言いたくなる。
幸いにしてその翌日、宝塚市周辺にて、強硬的・物理的手段で叩き潰した行為が取り沙汰されている。学院襲撃事件と繋がっているのだから、引き続き学院襲撃事件の続報も流れるわけだが。
「悪くなる見通しが?」
「今回自衛隊と協力して戦闘したからね。しかも住宅地近くで。人外被害を出さないためには仕方なかったけど、かなり強引に事を進めたからね。他にも色々と突っつかれる心当たりはありすぎるよ……まぁ、すぐどうこうって話にはならないだろうけど」
民間の超法規的準軍事組織という、総合生活支援部の無理や矛盾が出てきたということか。
とはいえ散々十路が訴えてきたことなので、今更感しかない。
「それよりトージくん、どこか行くの?」
「悠亜さんから修理終わったって連絡があったんで、
「木次家なの? ゲイブルズ家じゃないの?」
「知りませんけど、どっちでもいいんじゃ」
つばめの問いに答えながらも、十路の五感は別の場所へ集中する。物陰に隠れた誰かは、やはり息を潜めて聞き耳を立てたままのようだ。
どうやらつばめが目的でもないらしい。
「そろそろジュリちゃんを家出先から迎えに行くのかと思った。まだ戻ってないんでしょ?」
「違います。木次とは
物陰で身じろぎする気配があった。
だからわかった。隠れている者の正体を察し、十路は拍子抜けしてしまう。
「ま、いいや……わたし、酒飲んで寝るから」
「まだ朝ですけど」
「明日から学校なんだから、好きにさせてよ~」
立場ある社会人としてどうなんだと思う
ともあれ、彼女がいつもの態度でいられるくらいには、支援部を取り巻く事態は、今日明日で変わるものではないらしい。
もう少しは、この『普通』を楽しんでいられる。
そう割り切ると、十路はバス停まで歩き始めた――
△▼△▼△▼△▼
――と見せかけてすぐUターンすると、隠れていた人物は姿を現していた。相変わらず物陰からマンションを覗いているが、十路からは丸見えだ。
「う゛~……余計に帰りにくくなったぁ……」
パーカーと膝丈キュロットパンツの後ろ姿は予想どおり、
「でも、ずっとこうしてるわけにも……」
側には家出先を提供していた、友人の
樹里が家出を止める決意をしたものの、どうにも煮え切らないから、愛が付き添って来た。そんなところだろうかと見当つける。
足音を殺して接近すれば、さすがに愛に気付かれた。人差し指を唇の前に立てて黙らせる。
そして《ヘミテオス》で、脳内センサー常時起動状態の樹里は、背後を取っても十路に気付かない。優れた六感を持っていても、他に集中しているから意味はない。
「わかってるってばぁ……でも急かさないでよぉ……」
肩をトントンしても気付かない。
「も~……」
しつこく叩き続けていると、樹里は振り返った。だが相手が小柄な愛だと思った目線で、長袖Tシャツの胸元を不思議に思ったように止まる。
疑問に思っただけなのか。はたまた遅ればせながらなにか予感したか。樹里がぎこちなく首を動かしたことで、ようやく視線が合った。
「~~~~!? ぐへ!?」
いまや珍しくなったアルコール式温度計のように、首筋から顔が赤くなった。その反応を訝しく思ったものの、一時停止が解けると逃げ出す予感を覚えたため、十路は先じて丸太か米俵のように樹里を担ぎ上げた。
「佐古川。
片手で樹里を肩に安定させ、空けたもう片手で、愛からスポーツバッグと赤い
「俺が言うのも変だけど、親御さんによろしく。理事長か木次の姉貴から、またなんかあると思うけど」
「いえ、それはどうでもいいんですけど……それより堤先輩……木次さんのその運び方は……」
「最近はお米様抱っことか呼ぶんだろ?」
「それじゃないと思います……!」
普通に担ぐと抵抗されそうだったので、十路はこちらを選んだだけであって、家出・幽霊部員化への懲罰的な意味はない。
「お゛……! をごっ……!」
プロレス技にドン引きする愛に構わず、彼はマンションに戻る。エビ
「理事長。届け物です」
そうして五階のインターフォンを押す。
「なんだよ~、届け物って」
「お宅の家出娘が戻ってきたみたいです」
スーツのジャケットは脱いで、一層だらけた姿のつばめの前に、樹里を下ろして立たせる。
強引というかムチャクチャな十路に批難の目を向けてきたが、すぐに樹里は足元へ視線を落とす。彼に対しても気まずいだろうが、それ以上につばめの顔が見ることができていない。
「えぇと……その……」
『
しばらく気の詰まる空気が玄関を満たす。
親子関係には無関係かつ樹里と微妙な十路が、間に割って入らないかと考えた時、つばめが空気を変えた。
「じゅりちゃ~ん、お腹空いた~。なにか作って~」
いつもどおり、立ち場ある大人なのに、だらしない同居人として。家出のことにも言及しない無責任っぷりも加わっている。
彼女は言っていた。『長久手つばめ』は独身。結婚暦も離婚暦もナシ。娘もいないと。
未来時空のオリジナルは『麻美』の母親だったとしても、
「…………わかりました」
樹里は重々しいため息をついて、靴を脱いだ。
「というか、つばめ先生? 冷蔵庫にモノあるんですか?」
「カップ麺と酒以外はほとんど減ってないはず」
「だったら家出する前そのままってことじゃないですか!? 腐ってますよ!?」
親子ではなく、あくまで同居人。樹里の保護者たちを通じた知人同士で、学生と理事長で、部員と顧問で。
彼女たちがこれまでと変わらぬ関係を保つことが、正しいのか否か。十路には判断できない。
ただ、これもひとつの正解なのだろうとは思える。
つばめが親子関係を否定することは、『娘』の一部として見ているのではなく、『木次樹里』個人を認めている証左なのだから。
△▼△▼△▼△▼
「修理、思ってたよりずいぶん早いですけど……」
「基本的には予備パーツと市販品を使ってるし、そうじゃない部品はリヒトくんが《魔法》でちゃちゃっと作ったからね。逆にこれでよかったの? 前となにも変わってないけど」
「一応は共用してる部の備品ですから、俺に合わせてカスタマイズするわけにもいかないですし。あと
「この間、《
機能的に整えられた貸しガレージ中央に鎮座する、十路が見慣れた赤黒大型オートバイのシートを、作業着姿のゲイブルズ
全壊した《バーゲスト》は、設計そのまま、全て新規パーツで再製造された。十路が乗るようになって半年だが、やはりその間に失われていた新品特有の光沢が蘇っている。
【やっと元通りです……】
既に搭載されているイクセスが、やはり新品の擬装スピーカーを震わせる。普段の怜悧な印象とは異なり、安堵に隠しきれない嬉しさが含まれた声だ。
十路も安堵した。《
「色々とお世話になりました」
悠亜も、あとリヒト・ゲイブルズも、協力関係にあったとしても、支援部関係者ではない。親しさで協力を求められるような関係にもない。
しかし彼女たちは今回、その度を越して力や物資を提供してくれた。
それも《バーゲスト》の引渡しでひとまず終わる。ケジメとして、十路は深々と腰を折った。
「別に《
悠亜が破顔する。かつての上官と同じ笑顔で。
それが
「それに、《
でもこの発言に、再度視線を悠亜の顔に戻さざるをえない。悠亜に険しさなど全くなく緩いまま、近所のオバちゃん風に顔前で手を振っているが。
「や~、ほら? 《
「旦那の手綱はなんとかしてくださいよ……」
どうでもいいと流そうとしたが、真剣味を増した悠亜の声が阻む。
「私はあなたをそれなりに認めてるけど、リヒトくんは違う。私のせいで、しかも樹里ちゃんが勝手に心臓移植しちゃったわけだから、《
つまり、本格的な『試験』があるかもしれない。未来技術に責任を持つオリジナル《ヘミテオス》として、なし崩しに《ヘミテオス》になってしまった十路が相応しいかを。
悠亜たちの協力は、
「……その旦那は?」
「お店で仕込みしてる。《
十路に一発カマすつもりもない。これまでの彼とは違い、実に理性的だ。
『試験』という推測を裏付ける。
「その時、悠亜さんは、旦那と一緒に敵になるってことですか?」
「まだわからないけど、そうなるかもね?」
悠亜に止めるつもりは、まるでない。
また『麻美』と戦うことになるのか。
しかも今度は『初源の《魔法使い》』と共に。
「ま、今日明日じゃないから。リヒトくんから伝言あったし。『シケたツラなンとかしろ』だって」
△▼△▼△▼△▼
【あ゛~~~~……やっぱりこの体が一番ですね~……】
国道二号線に出て本格的な疾走を開始すると、イクセスは風呂で疲れを癒すOLみたいな声を上げる。
《バーゲスト》に乗り始めて半年ほどだが、この機体はその間、共に幾多の激戦を潜り抜けてきた。セクハラ扱いされながらもメンテナンスを欠かしていなかったが、やはりガタが来ていたと思ってしまう。全壊直前と比べるべくもない好調子なのは、全身に伝わってくる。
同時に新品特有の固さも伝わってくるため、十路は性能を試すような真似はせず、ツーリング気分で流す。
【この風を切る感覚、トージにはわかりませんか?】
「バイク乗りにとっちゃ、空気抵抗なんぞ
【私がユーアの体で乗った時は、そこまで気にならなかったですけどね】
「《コシュ》は
【いや、そうですけど……】
学院に直行するつもりだったが、オートバイが勝手に車線変更する。国道と並走する阪神高速三号線に入るコースだ。
まだ走りたいのか。慣らしで高速道路までは考えていなかったが、今日くらいはイクセスの好きにさせようと、十路は文句も言わずに従った。
スピードが上がり、信号停止を考えなくて済む道路に入ると、擬装のエンジン音も高まる。ライダースジャケットを叩く風も強くなる。
会話はなく、ひたすら前方だけを見て走る。
【…………はぁぁぁ~】
「なんだよ?」
だが神戸市を出て西宮市に入った辺りで、ヘルメットに仕込まれたスピーカーから、聞こえよがしのため息が飛び出してきた。
【いえ。シケたツラしてるなーと】
「お前もかよ……俺、そんな
身なりに気を遣う
もう立ち直ったはず、という男の下らない意地もある。
【私はもう慰めてあげられませんよ。こうして気晴らしに付き合うくらいならまだしも】
彼女が高速道路に入ったのは、十路のためだったらしい。
『慰め』を思い出すと、頬の熱を自覚する。戦闘直後のあの時はなにも思わなかったが、
「慰めって……この歳で」
【人間の男性は、永遠の少年なんでしょう?】
十路は一八歳。実社会では未熟者扱いは
機械に年齢という概念があれば、イクセスは稼動から半年の、乳幼児になってしまう。
なのに大人の言い草で、彼女は嫌味なく笑う。いつも言葉がキツ目なのに、今日は
十路が完全に立ち直っていないと思っているからなのか。
それとも、彼女が変わるような経験をしたからか。
「どうだった? 人間になった感想は?」
【二度とご免ですけど……経験としては悪くありませんでしたよ】
少し意外に思う回答だった。
彼女は日頃コゼット・ドゥ=シャロンジェと、人間と機械の常識を乗り越えた器用な口ゲンカをしている。以前の部活で《コシュタバワー》にコアユニットを搭載した時など、二足歩行にブー垂れていた。悠亜の体を借りていた時も、生き物としての戸惑いをいろいろ愚痴っていた。
なので悪感情を抱いていると思っていた。
「二度とご免か」
【何度も経験したいことではありません。トージもバイクになってみれば理解できます】
「絶対経験できないな」
十路は軽く笑いを返しつつ、少しだけ、残念に思ってしまう。
彼女が人間として隣にいた時間は、色々と手間はかかったが、悪くなかった。
【まぁ、仮に私が人間としての生活を気に入ったとしても、何度もやってはいけないことでしょう】
「どうして?」
【精神性はいくら人間に近づけられていようと、私は兵器として作られた存在です】
それまでも十路を映しているはずだが、ディスプレイ上部の小型カメラが動いて、顔を見上げてくる。
【なにより私は、ハスミ・キヌガワの代わりにはなれません】
「俺、そんなに重ねてるか……?」
【重ねている、というのは少し違うかもしれませんが……あなたはパートナーを求めていますよ】
「俺のパートナーってったら、今はイクセスになるんだが?」
自衛隊時代の十路の職種・独立強襲機甲隊員はその名のとおり、たったひとりでの任務遂行を前提とした兵力だ。パートナーと呼べるものがいたとすれば《
その《
【少なからず私もその役を担っているでしょうが、そうではなく……】
人間ならば頭かこめかみを掻いているだろう無言を挟んで、イクセスは普段以上に毅然とした声音に変えた。
【あなたは、対等の存在を欲している】
十路自身のことを指摘、それも断言までされても、自覚がなければ、やはり困惑するしかない。
【非常事態に直面した時、背中を任せられ、あなたにしかできないことを代行できる能力の持ち主……自分と同等かそれ以上の『兵士』を求めています。私がユーアの体で戦った時、強く実感しました】
「それはまぁ……否定しない」
支援部員たちを『戦力』としては頼りにできるが、彼女たちを『兵力』として扱うことはできない。半分は軍事とは無関係な経歴の持ち主であるし、残り半分もキャリア的に不安がある。
だから十路は
【そしてトージにとって、その条件を満たす相手が、精神的な
知らずに聞けば笑ってしまうだろう。武力としての《
だが十路は、余計な口は挟まずに自問する。
それこそを求めているのだろうか。背中を預けられ、別行動に不安にならず送り出せ、守り守られることのできる存在を。
【あなたが守りたいものを守るために戦う時、私はあなたを守ります。でも確実ではありませんし、精神的な支柱になりえません】
「……一応、俺を守るつもりなんだな」
今はひとまず、自問に答えは出さない。出せない以上に出したくない。
なんとなく、自分の弱さを突きつけられているようで。向き合わなければならないのは理解していても。
【
「俺を
【ハ? ご冗談を】
「うん。俺も期待してない」
この、ブリキでできたクルミ割り人形は、呪いで醜い姿に変えられた青年などではない。人となってネズミの王へ剣を振るったが、元々人形として作られ、戦いが終わればまた人形へと
マジパン城の主として少女と共にハッピーエンド、などという結末は用意されていない。
これがあるべき姿で、彼女が望む
少しだけ寂しさのようなものを抱かないでもないが、これはこれで心地いい。
「さて。この話は終わりだ。どこまで行く気だ?」
【そうですね……針
「思いつきで行くには、さすがに奈良は遠い」
【
「京都もやっぱり遠い」
【じゃあ、余野コン】
「なにが悲しゅうて山ン中の●ァミリーマートまで行かなきゃならん」
【文句多いですねぇ!?】
「関西バイカーの聖地を選ぶにしても、もっと選択肢あるだろ!? どれも休憩場所で目的地にするところじゃねーよ!」
十路はもう少しだけアクセルを開き、いつもよりも心を開いている愛車を駆り立てた。
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