FF0_0520 追跡、そして戦端Ⅳ ~サハラ砂漠のどこか①~


 オートバイにまたがる『羽須美』は、《無銘》を持つ『羽須美』に向けて、腰から煙幕手榴弾を放った。同時に右手で《熱力学擲弾発射筒》の発射を指示する。通常ならば空気成分を固体化させて発射し、一気に昇華させた衝撃波で攻撃する榴弾グレネードだが、わざと不完全な《魔法》で加熱させ、ドライアイスのような濃密な過冷却霧で視界を塞いだ。


「十路! 撤退するわよ」


 そして十路の側まで車体を回してくる。応じて彼は考える間もなく、スリングを回して小銃を背負い、その後ろにまたがった。

 

「しっかり掴まりなさい。カッ飛ばすわよぉー」

「ちょ――」


 彼女がなにをする気か理解できた。『正気か?』とも思った。

 もう止められないことも理解したから、十路はただ羽須美の腰にしがみついた。


【術式 《熱力学推進機関》解凍実行】


 そして予想どおりの術式プログラムを、《使い魔ファミリア》が実行した。取り込んだ空気を冷却して液化圧縮させ、一転、強烈な熱を与えて爆発的に体積を増やす、液体燃料不要のジェットエンジンが稼動した。


「どぉぉぉぉぉっ!?」


 足場の悪い不整地で超高速走行など、自殺行為だ。落ちて地面が受け止めてくれることも期待できない。速度は全開ではなくても、風圧を防御しなかったので、安全要素はゼロだった。

 でも羽須美は実行した。重力制御による安定装置スタビライザーで車体を地面に押し付けなかったため、半分空を飛んでいたのだけが幸いだったと思うべきか。



 △▼△▼△▼△▼



「……! ……! ……!」


 十路は地球の偉大さを思い知った。母なる大地は支えのない宇宙空間に浮かび、超高速で自公転していても、住む者には実感させることなく全てを支えている。

 比べてどうだ。所詮人間は最高時速三六キロでしか走れないのだ。機械動力を使えば超音速を実現できるが、生身では耐えられない。危険アクティビティで体験できるのは時速三〇〇キロくらいまで、それもせいぜい数分間のことで、しかも最大限の安全対策がなされているのだ。


 超危険な緊急離脱を行ったオートバイから崩れ落ち、地面に手を突き涙目で荒い息を吐いていたら、のん気な声が投げかけられた。


「あの程度で情けないわねぇ?」

「羽須美さんを基準にしないでくださいよ!? 時速一〇〇〇キロなんて正気じゃないですよ!?」


 不安定な移動を長時間耐えるのは、戦闘時とは全く違う、未知の恐怖だった。《使い魔ファミリア》を扱う訓練はしていても、マスターではなく機能接続ができなかった当時、亜音速走行など未体験の領域だった。

 まぁ、修交館学院に入部する頃には慣れてしまったから、神戸市内で同じように後輩女子高生を後ろに乗せてやったので、この時と同じようなことを言われてしまったが。


 他のことが全て吹っ飛んだ心理だったため、無責任無配慮な言葉に反射的に叫び返したが、遅れて十路はハッとした。


「……羽須美さん、ですよね?」

「そうよ? 十路が昔から知ってる羽須美お姉ちゃんですよー? 確かめてみる?」


 おちゃらけた軽口も、シャツの襟首を下げる軽々しくシモに走る性格も、十路の知っている彼女だった。

 同時に殺意を向けてきたもうひとりの『羽須美』は、姿形だけが同じ、別人だと強く実感した。


「さっき攻撃してきた、羽須美さんそっくりのアレは、なんですか?」

「知る必要ないわ」


 取り付く島もないほどの拒絶だった。反対に彼女から問うてくる、『アレについて話すことはない』といった態度で。


「というか。なんでここに十路がいるのよ? 私が出した課題、サボったわけ?」

「それどころじゃないですよ。途中で正式に命令が変更されました。羽須美さんの身柄を確保しろって」

「あっちゃぁ……そう来たか。タイミングいいのか悪いのか」


 少ない返答だけで理解してしまう。やはり十路には、彼女の理解が全く伝われない。

 階級の差で伝達される情報に差があるのは当たり前だが、この時ばかりは彼女の隠し事に不満を抱いた。


「教えてください……なにが起こってるんですか? 羽須美さんが行方不明になったと思えば、反逆の疑いがかけられてるし、俺に処分命令を下されたと思えば、羽須美さんそっくりの別人が出てきて……しかもアレは《無銘》を使ってましたよね? 《杖》は双子でも使えないでしょう? どういうことですか?」


 完全には冷静さを失っていたなかったが、今の十路が思い返せば赤面する、子供のような自分本位な感情の発露だった。


「俺は……どうすればいいんですか?」


 問いに羽須美は、しばし間を置いて、困った母親のように口元をほころばせた。


「じゃあ、死ねば?」


 そして踏み込み、目にも留まらぬ早業で抜いたナイフを突きつけた。


「私はあなたが知ってる衣川羽須美じゃない……私こそが偽者で、《無銘》を使ってたあっちが本物……そう言ったらどうするの?」

「…………!」


 彼女の殺意は本気ではない。いつもよりも度を越したおふざけだ。

 そう思いたかった。もし彼女の言い分が真実としたら、本物も偽者も、十路を殺そうとしたことになるのだから。


 しかし信憑性のある話ではあった。《真神》との機能接続と矛盾を来たすが、専用装備を使い、独自性の強い《軟剣》などという《魔法》を使ってきたのだから。

 更に、望みはコンバットナイフの切っ先が喉に触れたことで断たれた。

 思考するより早く、十路は跳び退きながら、予備武装の自動拳銃を抜く。喉から血のしたたりを感じたが、命に関わる深さの傷ではないと構わず、安全装置セイフティを外して銃口を向けた。


「ここは戦場。考えるのをやめた人間から消えていく場所よ」


 それは物理的と呼んでいいほどに、彼女自身に叩き込まれた。ベストを尽くすせる方法を考え、最悪を想定して行動し、どんな状況下でも決して諦めず、究極的には考えずとも勝手に体が動くように。


 ならば、ここで十路が取るべき行動は。


「!」


 引金トリガーを引くこと。狙いは容赦なく羽須美の体を捉えたまま。

 それを彼女は易々やすやすと見切った。普通ならば必中距離にも関わらず、わずかな動きで銃弾を避けた。

 連射は止めない。止められない。自動拳銃のブローバックを遅く感じるほど、続け様に銃弾を撃ち込んで、相手を牽制する。


 かと思いきや、十路は残弾があるまま拳銃を空に放り捨てた。左手で投げナイフを引き抜きながら、右手を背追った上下反対の小銃に移し変えた。

 いくら素早く行えるよう訓練しているとはいえ、持ち替えトランジションの間に彼女は距離を詰める。それを阻止するために投げナイフを放ったが、牽制にすらならない。しかも向けた小銃は、彼女に銃身バレルを掴まれ、明後日に向けられた。


 そこまでは予定どおり。だから十路は小銃にこだわることなく、タイミングよく手元に落ちてきた拳銃を受け取り、もう一度向けた。ナイフは体から離れているので、切り裂かれるより早く引金トリガーを引け、今度は容易に避けられない距離だ。

 そのまま動きが止まった。真意を探る目を向けると、彼女は破顔した。


「OK。目、覚めた?」

「殴られたほうがマシな目覚ましです」

「命令がなければ一歩も動けないような、情けないガキに育てたつもりはないわ」


 ナイフを収める女性が、改めて本物の羽須美であることを確信した。心身虚弱でもなぐさめるようなことはせず、胸倉掴んで無理矢理立たせてぶん殴るタイプの上官だと。


「あそこで小銃ハチキューに持ち替えたのは、頂けないけどね。私は知ってるからなんとも思わないけど、知らない人間が見ても不思議に思って警戒するわよ。敵の目の前で武器交換するなら、もっと意表を突くこと」


 彼女の殺意は本物だった。いつも通りの、失敗した時どうするつもりかわからない、十路が対応できると確信しているからの無茶振りだ。


「さて。目が覚めたところで十路に訊きましょうか。どうするべき?」

「いや。ここで俺に全部放り投げるのは、あまりにも無責任じゃありませんか? せめて目的ゴールくらいは設定してもらわないと。現状だと無人島やら雪山に置き去りにされた時よりひどいです」

「ふん。確かにそっか」


 自分本位な発言では半ギレしたが、同じ内容でも別路線の言葉を使うと、彼女は指先で顎を撫でた。さすがアメリカ国務省規定修得難易度最高ランク言語、使用方法が難しい。


「……一晩考えさせて。どこまで話してどうするべきか、整理する時間が欲しい」


 真面目な顔でそれだけ言うと、すぐさまいつもの彼女に戻った。


「水、どれくらいある?」

「五〇リットルはあります」

「いざとなれば地下水路フォガラからそう遠くないし、少しくらい水浴びに使っても大丈夫そうね。やー、さすがにそろそろお風呂入りたいわ」

「死ねますよ?」


 一般的に砂漠は灼熱地獄と思われがちだが、地面も空気も乾燥しきって温室効果がないため、夜には放射冷却が起こる。季節や風といった条件が重なると、冷蔵庫よりも寒い酷寒地獄になる。

 そんな状況で水浴びなど、普通は自殺行為だ。


 だが彼女は、十路に空間制御コンテナアイテムボックスからペットボトルを出させると、少し離れた場所でポンチョや服を無造作に脱ぎ捨て、頭から水を被り始めた。

 闇の中、辛うじて判別できる、裸身のシルエットにため息をつき、今日はここでキャンプかと、仕方なく十路も野営準備を始めた。

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