000_0750 それが罠であろうともⅨ ~大手オートバイ買取専門店「バイク王」~
(こんな無茶、二度とやらねぇ……!)
軽度とはいえ、ひりつく全身の火傷に、
五月時点からの未来では、もう一度体験するとも知らず。具体的にはバネ式対戦車消火器を抱えて、強電磁波の中、自動車に特攻するという、彼自身『意味わからん』と言いそうなことを実行するのに。
(逃がしたか……)
だから、つい先ほどまでいたはずの『ニンジャ』と『蟲毒』が、姿を消したことに気づいた。
ならば仕方ない。得物を突きつけた、ようやくハッキリと視認できた『彼女』に意識を移した。
最初の印象は、美人。顔のパーツも肉体の曲線も、完璧な黄金比を描いた、申し分のない。直接吹きつけられたわけではなくとも、消火剤や粉塵で薄汚れていたが、その程度では彼女の美しさは損なわれていなかった。
顔立ちや体つきからは、あまり年齢差は感じられない。ヨーロッパ人となるとあまり観察眼に自信ないが、アジア人の成長差を考慮すると、十路と同年代か、もしかすれば年下かとも思えた。
(コイツ……人を殺したこと、ないな)
誰かを殺めることで一人前など、そんな狂った判断は持っていない。いかなる理由があろうとも、人を殺した経験など、ないほうがいいに決まっている。
だがこの場面においては決定的な差であり、敵という立場に立つには甘すぎると、十路は冷たく勝因を推測した。
そこまで考えた時、軽快な音楽が鳴り響いた。日本人ならばきっと誰もが聞いたことがあるだろう、三分料理番組で使われている曲だった。
「アンタのケータイか?」
荒くなった息を整えた、この状況における第一声は、他にあるのではないかと思いつつも、十路は問うた。音楽は女性の体から聞こえてきたから。
「えぇ……」
「電話、出ないのか?」
「いや、この状況で、どーやって出ろと……」
「出ろ。俺にも話が聞こえるように」
十路は
彼女もそれを理解したか、勘違いが起こらないよう、ゆっくりとジャケットからスマートフォンを取り出した。
電話に出させたのは、情報収集のため。
相手の身元がハッキリとしない。フリング社Sセクションの人間ならば、なぜ『ニンジャ』や『蟲毒』と敵対していたのか。ここに来て第三勢力の出現したならば、話が変わる。
それに目的の二人が消えた今、情報を得る手段は彼女しかない。
「Allo? (もしもし)」
女性はスマートフォンをスピーカーモードに切り替えて、フランス語で電話に出た。
『あ、コゼットちゃん。さっき言い忘れてたんだけど』
聞こえてきたのは、なぜか十路にも聞き覚えがある、のん気な若い女性の声だった。敵性 《
『今回の件、外部協力者がいるんだよ』
「外部の……協力者……?」
『キミより年下の男のコなんだけどね?』
スマートフォンから顔を上げて、『彼女』が青色の視線を送ってきた。ただのオウム返しではない、視線の質だけに留まらない声の怪訝な響きに、十路が抱いたものと同じ予感が表れていた。
『そのコにも連絡したんだけど、電話に出れないみたいでさ』
渡された十路の携帯電話は、海水に浸かった上に
『それで、お互い知らないだろうから、問題起きる前に連絡しなきゃいけないって思い出してね』
「…………理事長?」
事態の予想が正解だと、『彼女』が決定的な一言を呟いて、大きく息を吸い込んで。
「ざっけんなぁぁぁぁっ!? 遅ぇんだっつーの! 重大な連絡を忘れんじゃねぇっ!?」
既に大問題が起こったと、
元より十路は感情の起伏が少ない。しかも一足早く、彼女が激情を吐き出してくれた。ため息を吐くに留めて、拳銃をホルスターを収めて近づきながら、会話に加わった。
「長久手理事長……」
『あれ、トージくん? もしかして、コゼットちゃんと一緒にいるの?』
「えぇ。俺の目の前にいる『コゼットちゃん』は、どこの誰ですか?」
『修交館学院大学部理工学科二回生、総合生活支援部部長、コゼット・ドゥ=シャロンジェちゃん』
視線を向けると、彼女はジャケットの内側から、パスケースのようなものを取り出した。今朝見た樹里のものとは少し違って、大学生の学生証と、消防庁・警察庁・防衛省の身分証明書を見せてきた。
人を殺したことがないのも納得した。性格も戦術もなかなか苛烈で、戦力としては上回るかもしれないが、結局あの
「今回の件、
『今朝から別件で東京に行ってもらってたんだけど、思ったより早く帰ってきてくれたから、そっちの応援に行ってもらったんだ』
「だったら先に教えてください。お陰でさっきまで交戦してたんですけど」
『…………………………………………』
一分前までの事態を端的に伝えると、長い沈黙があった。のん気なつばめでも、反省なりなんなり、思うところがあったかと推測するような間が挟まれた。
しかし。
『でさ、コゼットちゃん。話は変わるんだけど』
「スルーすんじゃねぇぇぇぇっ!!」
『それだけ叫べるなら、ケガしてるわけでもなさそうだし、死んでないなら別にいいかなーと』
「よくねーですわよ!? 辛うじて無傷ですけど、
変わらずマイペースなつばめに、コゼットが激情をもって蒸し返した。
『やんごとなき身分を考えれば、傷害やら殺人事件になっちゃうと色々と問題だけど、そうならなかったんだし』
どこか不満そうな、つばめの呟きに、聞き捨てられない単語が混じっていたから、十路は首筋をなでながら問うた。火傷を忘れて癖で触れて、顔をしかめてしまったが。
「どっかの政府高官の娘とか、そんなのですか?」
『いんや。王女様』
「…………はい?」
日常生活でなかなか聞けるとは思えない。十路の非日常生活でも聞けるとは思えない。そんな単語を聞き間違えかと反射的に訊き返したが、説明が詳しくなっただけで変わらなかった。
『王族がいる国なんて、今でも結構あるでしょ? 日本も一応そうだし。コゼットちゃんはそういう国の、王様の娘。ガチのお姫様なんだよ』
「…………」
十路は電話越しに紹介された『お姫様』の顔を思わず見た。
コゼットは『なんですのよ?』とでも言いたげに見返してきたが、相手にすることなく、彼女を眺めながら考えをまとめると、冷や汗をかきながら瞼が半ばまで降りた。
冷や汗は、外交問題を考えたから。どういう経緯で彼女は日本に留学し、《
ただ、間接的に防衛省に関わっている外国要人なのだ。任務中の事故扱いになり、自衛隊法で裁かれるとは思えなかったが、誤って殺傷していれば大問題に発展していた。そして彼女が無傷のは、ただの偶然だとも理解していた。
半眼になったのは、彼女の言動を思い出したから。
「中途半端にガラ悪くても、王女なんて務まるものなんですね」
「うっさい黙れ。あと
コゼットは吐き捨てるが、そう思うのは当人だけだ。周囲の人間は肩書きに相応しい人間性を求める。美貌を険しく歪めて、流暢でも中途半端に汚い日本語を吐き捨てていたら、誰もが王女に相応しくないと思うだろう。
「で? 理事長? わたくしの目の前にいる、やる気なさそーなツラした、目つきの悪い外部協力者、どこのどちら様ですの?」
意趣返しのつもりか。
「堤十路。陸上自衛隊富士育成校訓練生」
「陸自の《
正体は言い触らすことではないから、簡潔に嘘と呼べない真実を伝えたが、意味はなかった。完全な正解を当てられたわけではないとはいえ、見た目は完璧に外国人なのに、日本語も知識も充分と来ている。
「政治の話は知らん。アンタのところの理事長か、防衛大臣にでも聞いてくれ」
「その防衛大臣から、そんな話、一言もなかったですけどね……?」
「……?」
防衛大臣と一緒にいたかのようなセリフに、十路は疑問を抱いたが、関係ないと思い口にしなかった。政治の話は首を突っ込むと厄介だから、トラブル回避本能が働いたというのもあるが。
ともかく任務であるはずの、樹里の救出には失敗したのだから。
△▼△▼△▼△▼
ひと通りコゼットの文句を発し続けたスマートフォンを、スーツのポケットに収めて、つばめは大きく安堵の息を吐いた。
その映像は、離れて起動している野依崎の遠隔操作型 《
「今のはちょっとヤバかったなぁ……」
先に十路へと連絡したのが失敗だったと、タヌキ顔を歪めた。離れて撮影した映像からでは、十路が携帯電話を起爆装置にしたなどわからなかったため、コゼットを殺傷しかねない彼を止めようとしたのだが、それがコゼットの命を危うくさせた。
その表情変化に、ジャージ姿で車のボンネットに座る野依崎が、額縁眼鏡越しの視線を送った。
「なぜ、
部員であるコゼットが、十路を殺さないであろうというのは、かなり高い確率として予想はできただろう。
しかし十路がコゼットを殺傷しない保障は、なにもなかったはず。
「んー……ちょっとねぇ、相手の準備ができてないみたいだからだけど……なーんで
「都合を合わせる必要を感じないであります。スマートに
「そうもいかないんだよね。でしょ?」
つばめが顔を上げて、野依崎の向こう側でボンネットに座る、街乗りライダースタイルの女性問いかけた。
「あのね、つばめ? 話を聞いた時にも言ったし、私は今でも反対してるんだけど?」
ゲイブルズ木次
「あのね? ユーアちゃん。それ聞いた時にも言ったけど、このままキミたちに任せ続けるわけにいかないの。リヒトくんも言い張るから、あのコの入学から一ヶ月ほど様子見てたけど、このままじゃダメだって判断する」
返してつばめはタヌキ顔を作り変えた。彼女に普段接する者たちでもまず見ない、真剣なものに。
「ジュリちゃんは、キミたちの
「…………」
悠亜は唇を尖らせた。飲酒可能年齢で、夫がいるにも関わらず、子供っぽい仕草で不満を訴えた。
しかし言葉は発しなかった。彼女たちにしか伝わらない言葉の意味を正確に捉え、つばめの指摘が正統的なものであるとでもいうように、それ以上の反論はなかった。
なんの話をしているか、野依崎は知らない。薄々は察していても、具体的には彼女も知らない。
だがそれには触れずに、興味なさげにタブレット端末をいじりながら、悠亜とのやり取りは聞こえなかったかのように、途切れた話の続きのような言葉を発した。
「そもそも先ほどの交戦で
「どうもしないよ?」
野依崎が驚いたように顔を上げた。この頃の彼女はヒキコモリ生活をし、他人を排斥していたが、それでも小うるさい知り合いの死に対して、無反応ではいられなかった。
「こんなこと、何十何百と繰り返してるけど、成功よりも失敗のほうが多いんだよ? そうなってしまったら、リカバリーするための計画を練るだけ。わたしに人並みの神経を期待しないで」
つばめは微笑すら浮かべていた。支援部部員である野依崎は初めて見るものではない、無邪気な悪魔の笑み。
並の大人以上に大人びた彼女らしくない、歳相応のポカンとした顔を浮かべた野依崎は、一転して百面相した。恐怖・呆れ、そして諦観と。
この頃の野依崎は、まだ用心して距離を取った協力体制を取っていたが、それでも彼女もそういう目に遭う未来もありえるのだから。しかもそれを、なんの誤魔化しもない言葉で伝えられれば。
「巻き込まれる側は、たまったものではないであります……だからお前は信じられないのであります……」
「フォーちゃんもそう思うわよね?」
我が意を得たりと言わんばかりに、悠亜も同調してつばめを批難するが、つばめは気にしない。
気にしていられなかったから。彼女たちが自動車とオートバイを駐車したホテル前に、自動ドアを開けて三人の男が現れたから。
「や、ノッちゃん」
体重を預けていた車から離れたつばめは、若く鍛えられた二人に挟まれて近づく、初老の男に気安い声を投げかけた。
「アリバイ作りは済んだ? このご時勢、あんまり変な行動してると、マスコミとか野党に突っ込まれると思うけど」
「人聞きの悪い……これも一応は公務だろう? それより、なにを見せてくれる?」
「それは見てのお楽しみ」
初老の男には答えをはぐらかせ、二人の青年へとつばめは語りかけた。
「護衛、ご苦労様。後は引き継ぐから、ここまででいいよ」
「しかし――」
SPたちは渋る。それも当然だろう。勝手のわかっている同僚との引継ぎではなく、その日初対面の相手に、彼らに職務から離れるよう言われたのだから。護衛するべき男から、なにか言い含められていたのか、『渋る』程度のリアクションだが、普通は一顧だされない話に違いない。
『引き剥がせなかったの?』とでも言いたげに、つばめは老年男に視線で語りかけたが、彼は『そっちでなんとかしてくれ』とでも言いたげに、軽く肩を竦めただけだった。
「仕方ないなぁ……ちょっと待ってて」
つばめは再度スマートフォンを取り出し、操作しながら少し離れる。
その間に初老男は、残る女性二人に目を向けた。悠亜は最低限の礼儀として、ボンネットから降りて立った。しかし野依崎は『お偉いさん』だとはわかっていても、話しかけられても、焦点の合っていない灰色の視線を向ける以上の反応はなかった。
「はじめまして、だね。今日は頼むよ……えぇと……」
「好きに呼べばいいであります。
子供ながらというよりも、彼女らしい無遠慮な言葉で、野依崎はそっけなく返事した。
彼の立場であれば、支援部に携わる者なのだから、野依崎の経歴を知って当然だろう。脱走したアメリカ国防総省の秘密兵器・人造 《
結局彼は、それ以上は少女を相手取ることなく、角張った実年齢よりも若い顔を隣の女性へと向けた。
「君は……?」
正面から悠亜の顔を見て、彼は遅れた戸惑いを発した。それとなしに見ただけでは、記憶を刺激されなかったのかもしれない。
「どなたかと勘違いなさらないでください。親戚でもないので」
悠亜は単なる否定とも、それ以上を言わせない
「昔はフリーランスやってましたので、『彼女』程度の戦力にはなりますから、護衛はご心配なく」
しかし暗に、全くの無関係でもない――ある意味では同種であると、自己紹介する。
「フリーランス……傭兵?」
「中東でちょっと。《デュラハン》なんて呼ばれてましたけどね……」
不本意さを示す半笑いで悠亜が肯定すると、男の顔は険しくなった。既知としているからなのか、未知だから他の言葉から推測したのか、警戒心を
「話ついたよー」
そんな微妙な空気は、のん気なつばめの声が、一刀両断した。
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