055_1050 【短編】DIGITAL PIXY DIALY Ⅵ ~仮想現実(VR)・拡張現実(AR)まではともかく、複合現実(MR)・代替現実(SR)になるとわからん~


 学生服を着ているのだから、十路が身分証明書と警察の名前を出しても、それなりに手間はかかった。家電量販店のバックヤードに突入し、責任者にデータで送られてきた警察からの協力要請書類を提示しても。


「修交館学院、総合生活支援部――《魔法使い》です。ご協力を」


 現場責任者を引っ張り出し、手っ取り早く身分を告げて、野依崎が《魔法回路EC-Circuit》を形成して見せた。

 十路たちの顔を見て分かるかはともかく、神戸で市民生活に混じる人間兵器の存在は、以前の一件で広く周知されている。


「だから店舗販売は嫌いなのであります……ネット販売なら、こんなわずらわしいやり取りをせずに済むのに」

「その代わり、ポチる以外の融通は利かないぞ。今回みたいな特殊な状況は対応できない」


 完全な新品ではない、店頭展示している実機ならば、セッティングの必要がない。あくまで購入検討のための展示なので、ネット接続していない店舗も多いが、バックヤードからケーブルをを引っ張ってくればなんとかなる。売り場側にも業務に必要なパソコンはある。


 そんな理由で野依崎の指示で、十路と従業員たちは、パソコン用品売り場の一角に機材をかき集めて、準備を進めた。

 一部の機材は売り物を提供してもらわざるをえなかったので渋られたが、交渉を面倒くさがった野依崎がクレジットカードを叩きつけた。『不満なら使った機材は買取する。また見てくれでカード使えないとか言うなら知らんわ』の意を込めて。


 あと《バーゲスト》も店舗に乗り入れた。これも店側から散々嫌がられたが、こちらは十路が『これがないと神戸中で大惨事になるかもしれないけど、そちらで責任持てる?』と脅しつけた。


 エスカレーター・エレベーター・階段前に『KEEP OUT』の非常線テープを貼り、フロア全体を一時的に封鎖して、ひとまず準備は完了した。


「俺はどうすればいい?」

「まずは《バーゲスト》に機能接続。そして自分とリンクを。時間がないであります」


 野依崎はセーラーワンピースを脱いで、下に着込んだ、妖精の衣装めいた強化服――《ハベトロット》を見せている。かき集められた機材はその服と、《バーゲスト》に接続されている。

 普段は外しているグローブを装着し、見えないキーボードを叩きながらの言葉に、十路はスタンドを下したままのオートバイにまたがり、脳機能接続を行う。


『接続中、自分たちは無防備になるであります。念のため《バーゲスト》は周辺の警戒を』

【了解】


 なにが始まるのかと、遠巻きに見ている従業員たちに軽く目をやり、野依崎は無線でAIに指示を出す。

 この店舗を利用するは成り行きのため、サイバーテロ事件の関係者が紛れ込んでいる可能性は低いが、それでもなにがあるかわからない。警戒するのは当然だ。

 この社交性にとぼしい少女だったら、『従業員なんかチョッカイかけてくんじゃね?』的なことを直接口走る気がしないでもなかった十路は、無線での指示に意外に思ったが、さすがに口をつぐんだ。


 それはともかく。


「《V.mcqp》overwrite.(《仮想現実パターン認識型共感覚シナスタジア再現術式プログラム》上書き」


 ネコミミ帽を脱いだフォーが術式プログラムを実行した。

 《魔法》は、目に見える形で効果が発揮されるものではない。なにが起こったのかわからずとも、リンクした十路の意識も否応なく巻き込まれる。



 △▼△▼△▼△▼



 いつの間にか閉じていたまぶたを開くと、そこは大型家電量販店の売り場ではなかった。

 六畳ほどの部屋だ。壁際には中身のないキャビネットが並び、素っ気ないデスクがワンセットあるだけ。オフィス然としているが、それを加味しても殺風景な部屋だ。

 しかも現実感が乏しい。調度はホログラフィのように透けて見える。


 現実感という意味では、十路自身もおかしい。

 自身の体を見下ろすと、学生服ではなかった。着替えた覚えもないのに、着慣れた迷彩服になっている。それもグローブに装備BUDベルト・ベスト、肘・膝プロテクターを装着した完全装備だ。

 ただしその割に武装はない。拳銃も銃剣も小銃も爆発物も暗器も、一切を所持していない。


仮想現実VR、か?」

「それが手っ取り早い解釈でありますかね」


 平坦なアルトボイスが背後から届いた。ただし聴覚ではなく、脳で音声を認識した。


 十路は振り向く――厳密にはそう意識する。生体コンピュータの稼動状態を見れば、生命活動に必要なものを除いて、運動神経は切り離されている。明晰夢を見ているような状態に近い。

 ともあれ振り返ると意識すると、脳で見ている空間の中でも視点が動く。


 見知らぬ女性がいた。

 赤い髪と土器色の肌は、ついさっきまで見ていた人物と同じ色合いだが、『少女』ではなく完全に『女性』だ。色彩以外の全てが一致しない。


「…………誰!?」

ホワッツ?」

「いや、思わず叫んだけど、フォー以外いないってのはわかってる……」


 胸の高さだった身長は、拳ひとつ分まで差を縮めている。子供子供した丸っこい顔は、卵型の輪郭りんかくに目鼻パーツがバランスよく再配置されている。あまり気にならない程度に薄く浮いたソバカスは消えている。

 第二次性徴などきざしも感じられない幼い体は、女性らしい曲線を描いて隆起している。メカニカルなバレエ衣装チュチュといった強化服も体型に合わせて変化し、SF作品の特殊工作員として登場しても不思議ない様相になっていた。

 電波な気配を感じるやる気ゼロの無表情は、今の顔だと憂鬱そうになにやら思案しているようにも見える。


 身近な美人といえば、やはりパーフェクト・プリンセスぶりを披露するコゼットを思い浮かべる。彼女がライオンだとしたら、こちらはクロヒョウやヤマネコのような、ひっそりとした存在感と野性美を示す、タイプの違うの美人だ。半ヒキコモリで面倒くさがりだというのに、エアリーウルフボブの髪も相まってか、妙に野生的な雰囲気がある。


 未来予想図のひとつ。五年後、一〇年後にありえるかもしれない可能性。


「なんでフォーが大人になってんだよ……?」

「そう言われても、そう置換されている、としか。というか、自分が大人に見えるのでありますか?」

「自覚ないのかよ」

「誰かとリンクした状態で術式プログラムを実行するのは初めてでありますから、自分がアバターとしてどのように認識されるかなど、知らないであります。仮想空間内に鏡などないでありますし。そもそも興味もないでありますし」


 興味の対象以外への素っ気なさに、『あ。中身はやっぱ変わんねぇ』と納得する。そして自身に対するこの無頓着ぶりでは、一〇年後にこの未来予想図は到来しない予感も覚える。


「置換ってのは?」

十路リーダーが脳で認識しているこの空間は、ソースコードを《魔法》によるフィルターを通して構築された仮想現実であります。人工的かつかなり特殊な共感覚、といったところでありますかね」


 共感覚とは、一部の者しか持ち得ない、特殊な知覚現象をいう。


 特定の文字に色がついて見える。

 比喩ではなく、本当に『黄色い声』が『見える』。

 味を『形状』として感じる。

 オーラのように性格や姿で人に色がついて見える。

 誰かが誰かに触れているのを見ると、自分も触られた感触を覚える。


 五感のひとつへの情報を、複数の知覚で感知する、稀有な感覚現象だ。


「例えばこの建物全体は量販店のサーバーで、この部屋は直接接続しているパソコンであります。個人のパソコンであれば様々なデータで個室っぽく見えるのでありますが、店頭展示のサンプル機ではスカスカであります」

「それだと単に機械的に変換するだけで、共感覚ではないだろ?」

視覚情報プログラムを視覚以外の感覚でも認識できるのでありますから、違いないであります。加えてアレもあるであります」


 金属繊維と装甲に包まれた野依崎の腕が上がり、部屋の出入り口を指し示す。

 扉であろう空間一杯を、人型標的マンターゲットが占めている。射撃場でもないのに不自然に。


「セキュリティの脆弱性が、ターゲットとして認識するのであります。種類や状態に応じて適切なハッキングツールを選択できるよう、わかりやすく可視化されるのであります」


 プログラムの解析は一種の職人芸と言える。缶詰の不良品を音だけで区別する打検士や、ヒヨコの雄雌を鑑別する鑑定士のような要素がある。

 細かい手順でひとつひとつ見ていけば、知識さえあれば可能なことだろうが、いくら時間があっても足りない。

 しかし熟練経験者は、未経験者には『なんとなく』でやってるとしか思えない手際で、ごく短時間で判断する。


 この『なんとなく』を後付けするのが、野依崎の《魔法》ということか。


 昨今の人工知能事情を見れば、簡単そうにも思えるが、現実には違う。使うだけなら簡単だが、作ることにとんでもない労力を要する。

 要するに野依崎の《魔法》は、解析専門の凄腕ハッカーを頭の中に増やすのと同義の、超科学の人工知能プログラムだ。脆弱性を判別するフィルター能力だけでも充分凄い代物なのに、高度な仮想現実能力まで併せてある。


「道理でお前のハッキング能力、ありえないわけだ……どこかから悠々と機密情報を探してくるし」


 脳に機械的性質を持つ《魔法使いソーサラー》限定だが、プログラミングに精通した者にしか見えない世界を、五感で認識できる形に作り変える。

 意識そのものを第五の戦場サイバースペースに送り込み、VR式のゲームをやるような感覚でハッキングが行える。

 地味で限定的ではあるが、ハッカーとしての彼女を支える、とんでもない術式プログラムであろうことは、十路でも理解できた。


「別にこの術式プログラムを使わなくても、ハッキングは可能でありますよ。時間短縮の手段に過ぎないであります」


 大人な野依崎が子供っぽく唇を尖らせる。実力が《魔法》頼りだと思われたくないとでも言うように。


「そういう風に作られてるなら、当然と言えば当然だろうけど、本当に現実と大差ないな……」

「そうでもないであります。見た目だけならともかく、距離という物理的概念は再現不可能でありますから」

「そりゃそうか」


 野依崎が近づき、ターゲットが描かれた扉をスライドさせる。

 肩越しに見える隣は、やはり小規模のオフィスに見える部屋だった。しかしキャビネットにはファイルが詰め込まれ、家族写真を引き伸ばしたように思える壁紙だ。

 けれどもすぐに、建物がスライドしたように隣室が変わる。壁紙がネコの写真になり、女性が持ち主と知れる可愛らしい小物が追加される。


 野依崎が行ったのは、店舗のサーバーに接続されたパソコンの閲覧だろう。仮想空間内では歩く必要なく移動できるらしい。


「説明はこれくらいにして、行くであります」

「そうだな。のん気にしてられないな」

「少々なら大丈夫と思うでありますが、早いに越したことはないであります」

「変に確証ある言い方だな?」

「脳内時計を確認するであります。ナノ秒単位で動作する世界に生体コンピュータを直結しているのでありますから、現実空間リアルと時間感覚が違うでありますよ」


 隣室が屋外の光景に切り変わると、野依崎は先立って部屋を出た。

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