045_0130 【短編】ヘッポコ諜報員剣風録Ⅳ ~ある時は、首狩りエルフ~


「七番コカトリスとマイコニドあがりまーす!」

「あと刺身追加! 盛り合わせじゃなくて、クラーケンとケートス!」


 迷いネコを依頼者の元に送り届け、五時まで事務所で仕事したナージャは、続けざまに同じビルの一階でバイトをしていた。


「ケルピーも!」

「……なんでしたっけ?」

「馬刺し!」

「あぁ~」


 『変』と言われるほど突飛でもないが、テーマパーク型のコンセプト居酒屋なので、普通の店のカテゴライズからは間違いなく外れる。

 薄暗い店内は木材とレンガで仕上げられた店内は、雑多なものが飾られている。具体的には剣であったり槍であったり盾であったり。本物ならば銃刀法的にマズいが、亜鉛合金製レプリカを動かないよう打ち付けられているので安心してください。


 ここは、いわゆる中世ヨーロッパ風の酒場に仕上げらた居酒屋だった。『刺身があるのに?』と言ってはならない。どこの漁師でも生食していることが多く、地中海沿岸部でも魚介類を生で食べる。生食に対する日本人の執念は確かに外国人がドン引きするほどだが、文化自体は日本独自ではない。

 それに客はごく普通の格好をした、ごく普通の日本人たちだ。こんな店でも、ハロウィンイベントででもない日に、コスプレした客が入ってくれば困惑する。


「料理わからなくても、ケルピーが馬って、なんとなく察しない?」


 コカトリスの唐揚げとマッシュルームマイコニドのアヒージョを運んでから、ケルト風の衣装でいかにも酒場の娘という風情の女性が、大きなため息をついた。

 甘粕あまかす杏子あんこ。和菓子屋に生まれる予定だったのに、神様の間違いでこのようなコンセプト居酒屋をいとなむ家に生まれたとしか思えない名前の、修交館学院大学部経営経済学科に所属する学生だ。

 大学生と高校生で、ナージャに学科への興味はないが、彼女もまた料理研究部に所属するため、直接の先輩になる。


「そう言われましてもね~? ロシアの半分はヨーロッパですけど、日本でいう『中世ヨーロッパ』にロシアは含まれてると思えませんよ?」


 厨房に立つナージャも、エプロンでほとんど隠れているが、一応それらしい服装に着替えている。

 なにより耳。エルフのような尖った付け耳が、彼女が動くたびにピコピコ動く。

 不健康なまでの白い肌、紫色の瞳、腰まで届く白金髪プラチナブロンドという、ナージャの現実離れした容姿を生かすのに、これ以上ないコスプレだろう。ただし一部には『エルフは貧乳だろ。巨乳はダークエルフだろ』と不評だった。


「それがどうしたのよ」

「太陽神といったらアポロンではなくダージュボグ。水の妖精といったらウンディーネではなくルサールカかヴァジャノーイ。剣といったらエクスカリバーではなくクォデネンツ」

「どれも知らない……」

「このように、日本の中世ヨーロッパ風ファンタジーは、わたしにとって未知の文化なのです」

「本物だと思ってウチに引っ張ってきたけど失敗だったか……アンタは純和風料亭のほうが似合う気してきたわ」


 糸造り・鳴門なると造り・鹿の子造り・花造りと、無駄に手法にったイカクラーケンの刺身を見て、杏子が再びため息をついた。容姿だけならこの居酒屋のコンセプトにピッタリかもしれないが、人選ミスだったかもと。


「まー、太陽神といったら天照あまてらす大神おおみかみ、水の精といったら河童、剣といったら村正だと思いますからねー」

「アンタ、生まれた国、絶対間違ってる」


 ナージャはハマチケートスの短冊も冷蔵庫から取り出し、切り方を変え、一種類で複数の楽しみ方ができるよう工夫していった。迷いのない包丁運びは、プロの料理人から見ればまだまだに違いあるまいが、素人の域は充分に超えている。

 刺身包丁の扱いからすれば、袴姿で洋モノ侍にでもコスプレさせたほうがよかったかもしれない。


 ちなみにケートスとは、ギリシャ神話における海生哺乳類の特徴を持つ海の怪物だ。あまり知られている名前ではないが、意外とファンタジー界で海の魔物は少ない。大海蛇リヴァイアサンは大物過ぎるし、世界鯨バハムートは日本では大御所RPGのせいで竜のイメージが強すぎるため、魚介類を当てはめるのに他に手頃な選択肢がなかったからに違いあるまい。まさか料理の材料に人魚や半魚人はナシだろうし。


「でさぁ。キッチンに閉じこもってないで、ホールにも出てよ?」

「ヤですよ」

「常連さんが気になってるみたいなのよ。相手しろとかそこまで言わないけど、近くで見るくらいは許してやってよ?」

「忙しければ別ですけど、そうでなければホールに出ないって、事前にお話ししたじゃないですか――」


 非合法諜報員イリーガルが顔を売るわけにはいかない。十路に説明していたことを、この時のナージャもまた、持って行く酒の用意をしている杏子に告げ、断ろうとしたのだが。


 そこで陶器やガラスがぶつかる音が響いた。同時に男の怒号も届いた。

 見れば、テーブル席で酒と料理を楽しんでいたサラリーマン客ふたりが、アルコールが入って気が大きくなったのか、立ち上がり胸倉を掴み合っていた。酔った勢いで日頃の不満が噴き出し、本格的ではないとはいえ手も出てしまったか。


「冒険者が集まる中世ヨーロッパ風酒場なら、これくらいの騒動、当たり前じゃないんですか?」

「それコンセプトってだけ。実情は平和な日本の居酒屋でしかないから。拳で語るのが当たり前とか、そんなのあるわけないでしょ」


 それでも客商売にトラブルはつき物なのか、ある程度は慣れた風情で、杏子は他の客のように硬直してはいない。


「こんな時に父さん外に行ってるし……しょうがないなぁ」


 とはいえ、トラブル収拾に自信があるわけでもなかろう。店員でありオーナーの娘としての責任感を発揮しようという気概は見せるものの、足がなかなか動かない。大学生の小娘が大の男が争ってる場に割って入る勇気を求めるのは酷だろう。


 責任者がいないとはいえ、このまま放置するのも店にとってよろしくない。あと楽しみにしているまかない飯がマズくなる。

 仕方なくナージャはキッチンから出た。


 ふと杏子が持ってるものに気づく。

 彼女が用意していたのは水割り、しかもキッチンで作って持って行くのではなく、氷の入ったアイスペールと角瓶のウィスキーを運ぶところだった。

 伝票を確かめると、絶賛トラブル中のテーブル宛だった。丁度いい。


「これ、わたしが持ってきます」


 一式乗ったトレイを奪い取り、ナージャは騒動のテーブルに近づいた。


「お待たせしました。火酒のボトルでーす」


 明るく言ってもテーブル越しに言い争う客たちは、言葉も手も引っ込めない。『邪魔するな』と言わんばかりの視線と態度を向けてきただけだ。


 仕方ないので、睨み合うふたりの目にも入るよう振るった手刀で、未開封のボトルの首をスッパリ切った。

 落ちた首は乾いた音を立てて皿の間に転がった。掴み合う客たちの視線も追って下がり、再び上がり、ナージャが持つボトルから落下したものだと認めた。


 厳密には『叩き折った』だけ。角瓶の胴と細くなった首の接合部に、些細でも的確に衝撃を与えてやれば、一気にひびはしりポッキリ折れる。

 理屈ではそれだけの話だが、瓶切りは空手上位段者のデモンストレーションで行われるように技術が必要で、しかも傍目には『切断』にしか見えない。


「他のお客様のご迷惑になりますから、お静かに、お願いしますね?」


 ナージャが首なしボトルからウィスキーを注ぎ、水割りを作って置いた頃には、ヒートアップした客たちは静かに着席していた。


 垂れ目の柔和な顔立ちやポヤポヤした雰囲気に反し、彼女の本質は猛獣のごとく苛烈だ。奥地に住むからか人間に対し比較的温厚とはいえ、凍った岸壁を駆け回り獲物に牙を突き立てる雪豹だ。

 声を荒げたわけではない。グラスを叩き付けて大きな物音を立てたわけでもない。だがにこやかに威圧して、『ヤベェ。騒いだら首狩りエルフにチョンパされる』と危機感を煽らせて事を収める辺り、その気質がよく出ていた。


「アンタねぇ……ちょっと無茶よ?」


 店内が元の喧騒に戻り、そこはかとなく満足してキッチンに戻ったら、杏子から苦渋の顔が向けられた。


「無茶ですか?」

「そうよ……相手にその気はなかったとしても、止めるつもりでケンカに割り込んで、ケガするかもしれないじゃない? あれで止まらなかったらどうしたのよ?」

「…………あ」


 そうなる可能性に遅れて気づいたのではない。なぜそんな心配をされるのか。ナージャは少し考えなければ理解できなかった。

 杏子は彼女のことを、高等部の後輩としか認識していない。面倒見のいい先輩ならば、無事に安堵し、心配心から注意しても不思議ない。

 ロシア対外情報局SVR所属 《魔法使いソーサラー非合法諜報員イリーガル役立たずビスパニレズニィ』を知らない。酔っ払いが手を出してきたところで、軽々と返り討ちにできる戦闘能力など知るはずもない。『ごく普通の女子高生』と呼べるであろう、埋没した生活を送り、異常な部分など見せてはいないのだから、当然の話だ。


「あれでケンカ止まらなかったら……そうですね――」


 普段だったら長い髪の尻尾を振り回すところだろうが、バイト中しかも厨房に入っていたのだから、三つ編みを複数作ってひとつにまとめ、前に流してエプロンに挟んで固定している。

 目だけで上を見て、しばし言葉を選んだナージャは、杏子に視線を戻すと、ほがらかな笑顔を浮かべた。


「お茶目しちゃってました♪」

「…………」


 果たしてなにをする気だったのだろう。それは当人以外、誰にもわからない。

 だが絶対に平和的解決方法でなく、精神衛生上聞くべきではないことは、杏子にも伝わった様子だった。



 △▼△▼△▼△▼



 高校生は夜一〇時以降の労働はできない。

 なのでまだ営業中にも関わらず、帰る前にエルフから女子高生に復帰したナージャは、厨房の片隅でまかない飯、しかも念願の肉を食べていた。


「ねぇ、ナージャ。アンタにお客さんなんだけど」

「ふぁい?」


 そこに杏子あんこが半分だけホールから体を突っ込んできた。


「エルフはもう終わりですよ?」

「そうじゃなくて、アンタ名指しで」


 ホールには顔を出しただけなので、白金髪巨乳エルフをじっくり見たい客の御指名かと思いきや、全くの別口らしい。となれば見当がつかない。

 仕方なくナージャは、箸を置いて立ち上がった。


「あれ。じんさん?」


 ホールに顔を出すと、事務所を閉めて帰宅する道すがら、立ち寄った風情の恭一郎がいた。彼に直接同じビル内でのバイトを話した記憶はなかったが、事務のゆかりからでも聞いたのか。


「ナージャちゃん。いきなりで悪いんだけど、明日出てこれる?」

「えーと」


 前置きなく問われ、どうしたものかナージャは少し考えた。探偵事務所のバイトは週二回で、次は三日後の予定だった。

 返事の遅れをどう捉えたか。恭一郎はやや言いづらそうに顔を歪め、前線に後退のきざしがある頭を撫でた。


「実はナージャちゃんがバイト終わってから、学生さんが事務所に来てね。ほら、昼間の件。高遠たかとお和真かずまってったっけ」

「あー……早速ですか?」


 ネコ探しで屋根をブチ抜いてしまい、修理費に関しては事務所に頼むと名刺を置いていった件は、もちろん恭一郎にも報告した。

 故意ではないとはいえ、損壊についてはナージャが全面的に悪いと理解はしていたが、いきなり告白してきたあの男子学生を思えば、出勤は関わりたくない話に早変わりした。


「ナージャちゃんの知り合いなんだって?」

「同じ学校同じ学年ですけど、まともにしゃべったのは、今日が初めてですよ?」


 幸いというべきか、和真の話はすぐに終わった。


「たまたまなんだけど、彼から聞いた話が、僕の仕事に関係あってね……だけど僕ひとりだと、都合が悪くて。それでナージャちゃんに手伝ってほしいんだ。詳しくは明日でいい? ここで話せるようなことじゃないし」


 どこにでもいる温厚そうな中年男性の姿が掻き消え、探偵らしい怜悧な光を瞳に宿した。人様のプライベートに関わる仕事も請け負うため、誰が聞いてるかわからない場で話はなかったが、真剣味は嫌でもわかった。

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