050_1600 書き綴ろう、無価値にして無謀なる戦記をⅠ~幕が上がる~


 九月末のその日、神戸市は朝から静かに騒然としていた。


 神戸市に籍を置く者だけでなく、なにかの用事で訪れていた者まで、携帯通信機器が一斉に音を立てた。気象庁や地方公共団体が発信する、緊急速報メールが配信された。

 通常エリア内の加入者に、通信会社が一斉に緊急地震速報や災害情報などが配信するものだが、今回は違う。そのメールを見た者は、不具合で配信されたものかと考えた。だが一斉送信メールは複数回配信され、内容も微妙に変化した。


――今夜八時、東遊園地。

――邪術士ソーサラーが災厄を起こす。

――命惜しくば逃げ出せ、陽のあるうちに。


 最終的な文言は、このようにあった。そして署名は、修交館学院の演劇部と、総合生活支援部とある。


 これを見た人々の反応は、大きく二種類に分かれた。

 一方は大事件への警告として捉えた。本来警告に使われる、緊急速報メールによるもので、しかも先日 《魔法使いソーサラー》による大事件が起こったばかりだ。危機を覚えた人々は、最低限の準備を整えて、神戸市から離れた。


 もう一方はイベントとして。大々的に芝居がかった文言を公表し、しかも演劇部の名があるためにそう捉えた。実際にその場所で準備が進められていることも関連しているろうか。

 だから話題の《魔法使い》たちがなにをしようとのか、好奇心を刺激された人々が我が目で確かめようとした。しかもネットで知った物見高い人々が、県外から流入する事態も起きている。


 修交館学院に問い合わせても、事前情報は一切明かされなかった。ために一般人が知る範囲ではこの程度だが、官省庁では別の動きがあった。

 公式に非常事態宣言が発令されたわけではないが、神戸市内の警察、消防、医療機関、周辺の自衛隊駐屯地などでは、召集待機が言い渡された。具体的説明はなかったが、メールの騒動を知れば嫌でも関連を察するため、現場の混乱は少なかった。

 マスコミ各社は当然この動きをかぎつけたが、真相が修交館学院理事長名義で連絡があり、しかも協力を呼びかけられたため、報道協定が結ばれ公表されなかった。ネットが深く浸透した現代社会、簡単なことで情報漏えいが起こりうる。だが既に一斉メールでどうとでも判断できる発表と、文面に対する様々な憶測が飛び交っていたため、真相は簡単にまぎれてしまった。

 多くの一般人は、自分たちが人質であると知らぬまま、静かな混乱に身を置いていた。


 ただ事態を待つのではなく、己の目で確かめようとした人々は、まず神戸市の南北を走る県道三〇号線・通称フラワーロードの変化が目に入る。

 警察によって車両通行禁止されて、徒歩で移動するしかない。その中心駅三宮駅から続く長い人の列には、なぜか十数メートル間隔で沿うように、水の入ったポリバケツが設置されていた。

 その道をいくらも歩くことなく、知らされた場所にたどり着く。

 東遊園地。『遊園地』とついても遊具のない運動公園で、名前も特徴がない。神戸にゆかりを持つ者でなければ、聞いてもピンと来ないだろう。しかし毎年冬に行われる『神戸ルミナリエ』は、聞き覚えがあるはず。それが開催される場所が、神戸市中心部に存在する、この都市公園だった。


 公園内では機材設営がされ、冬に行われる光の祭典のような大規模設営はされていない。やはりポリバケツが方々ほうぼうにあるが、ステージとなるものは存在しない。テレビのものと思われる本格的なカメラマンも存在するが、中継を行うほどの人数も機材もない。

 訪れた人々は、なにが行われるのか予想できないまま、その時を迎えた。ただしらされた午後八時には、まだ幾分の余裕がある。


 一気に暗くなった。周辺ビルの窓が黒く染まり、公園内に設置されていた照明も消灯した。

 人々が疑問を持つ間もなく、一斉に駆動する。大型発電機が、ポンプが、エンジンが発する騒音に、皆一様に心拍を跳ね上げた。

 そのひとつが移動し、ヘッドライトで行き先を照らして公園内に進入すると、今度は電動駆動音を鳴らす。それはトレーラーの貨物部分を改造したステージカーだった。

 注目を集める中、コンテナ部はゆっくりと開口する。故意に薄暗くしてある照明で、中に誰かがいるのわかるから、話題の《魔法使いソーサラー》がいるのかと期待が高まる。

 しかし確認できるまでに開かれると、人々は違うと落胆した。ネット上に広まった画像・映像で、総合生活支援部部員の容姿は、おおよそ知られている。その中に大学生と思える大人の雰囲気漂わせる日本人女性は存在しない。

 ローブを着ている彼女もまた、このような状態とは予想外だったらしい。コンテナが開くと集中した大量の視線に、怯えたように一歩だけ足が下がった。


 だが女性に関わらず、事態は進む。

 一緒にコンテナに乗せられていた、大雑把に作られた大砲のようなものが、音と物とわずかな白煙を吐き出した。しかも周辺に立つ建物の屋上でも、同様の破裂が起こった。

 パーティ会場を連想する火薬音の後、宙に白いものが大量に舞った。飛行機を使ってのビラまきなど、昭和でなければ許されない光景だろうが、話に聞くそれを連想する光景だった。しかし放たれたものは、空気抵抗を受けにくく重いため、ビラなどよりも速く落下する。

 誰かは空中でうまくキャッチした。誰かは頭に落ちてきてようやく気づいた。誰かは掴めず仕方なく地に落ちたものを拾った。誰かは植え込みに落ちたものを手にした。そしてページの少ない冊子を確かめる。手に入れられなかった人は、横からそれを眺めた。

 かれたものは、カラー印刷されているが、手作りのパンフレットだった。表紙だけはなぜか分厚い。記されているのは、今日の本題と言っても過言ではない、《魔法使いソーサラー》たちの情報だった。

 しかしこの場の全員に行き渡る冊数ではなかったため、また暗い中ではよく読めなかったため、それに見入ることはない。


『これは、いつとも知れない、ここではないどこかでの、題目のない物語の一幕』


 だからヘッドセットのマイクが拾い、スピーカーで拡声された静かな声に、また視線を集中させた。

 コンテナのステージに立つ、パンフレット配布の間に立ち直った彼女――修交館学院・演劇部部長に見入った。


『人と妖精が争った、お話です』


 言葉を皮切りに始まった。

 公園を取り囲むように、いくつもの照明が灯った。建物を背にして、水の壁が高々とそびえ立った。都市の空き空間に、古めかしい鐘のと剣戟が響き渡った。


 丁度午後八時となったが、開演と呼ぶべきではない。彼ら、彼女らは『劇』と呼んでいるが、そう呼ぶのは演劇の神デュオニュソスが拒むだろう。

 この舞台は、戦神マルス守護女神アテナの管轄だから。

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