025_1010 【短編】 彼女は何者たるかⅡ~王女として~
一見だけでは、どこかにいそうな、品のいい老婦人としか思えない。しかし眼光は鋭く、座っているだけで全身から威圧感を放っている。手入れが行き届き、その気になれば使える、骨董品の刃物のような人物だ。
テーブルを挟んで座るコゼットは、無遠慮とも呼べる視線をまともに受けて身を固くしている。重い。空気が重い。
「どうぞ……」
「恐れいります」
湯気が立つ紅茶を、樹里が置く。彼女は冷たい麦茶を用意しようとしたが、コゼットが秘蔵の茶葉で淹れるよう指示を出したのだ。
だから樹里は、空気が重い中間地点に入らざるをえなかった。琥珀の表面が
が。一口飲んで眉がピクリと動いた。同時に様子を伺っていた樹里の肩もビクリと震える。
後輩がビクつく
「理事長。部長の関係者ってのはわかるんですけど、誰ですか?」
「姉のクロエちゃんもだけど、コゼットちゃんのナース……」
「看護婦じゃないですよね?」
「正確じゃないんだけど、日本語なら
一応納得はした。現代では死語だが、状況からしてベビーシッターを示すよりも、教育係を示す意味が強いだろう。同時にコゼットのビビり方や、クロエの警戒の仕方は、やや度を越しているとも思うが。
(小学校の頃の『教頭先生』とか『体育教師』とか、そういう感じか?
あと幼い頃に染みついた苦手意識が、そのまま残っているのだろうとも思う。
ちなみに自衛隊や育成校にも、鬼軍曹・鬼教官と呼ばれる人々は大勢いたが、新人をなめてかからせないために、わざと厳しく『演じている』パターンが多い。
(まぁ、怒った『あの人』に比べれば……)
幼い十路はそれを知っていただけでなく、他に凌駕する人物を知っていたため、そういう苦手意識は持っていない。
脱線した思考を引き戻し、十路は老婦人を観察する。
なんとなしで根拠はないが、実年齢よりも若い見た目の持ち主ではないかと推測する。元の色がわからない白髪頭と化しているが、手入れを欠かしていないのがわかる髪は、丁寧に結い上げられている。やはり年齢に応じた肌の衰えや
人の目に触れることに慣れている人物だ。上流階級の人間か、そういった立場の人物に近かったため、身に染み付いている。
ふと視界の隅に動きを感じて、十路が首を巡らすと、隣のつばめがカニ歩きに離れていくところだった。
「じゃぁ、あとよろしく……」
「あの、ダンボール入りの捨てネコみたいな目で、部長が助けを求めてますけど……?」
「ゴメン、無理……わたしもあの人、苦手なんだ……ワールブルグの公宮殿に入る時、礼儀作法で散々しごかれて……さっきもいきなり理事長室に来て、『人の上に立つ心得がなってない』とか、いっぱいお小言もらったの……」
「……もしかしてあの人、日本語相当できます?」
「うん……急になに? 話が繋がってないけど?」
「いや、部長たちに変な日本語吹き込んだ前科があるから、だったら理事長には余計に厳しくなるだろうなー、と」
「…………」
王女殿下にザマス語や丁寧ヤンキー語を仕込んだ元王室家庭教師は、そっと目を逸らし、そっと横歩きし、そっと部室を出ていった。
老婦人は横目というかジト目でそれを見ていたが、スルーすることにしたらしい。一〇年前からつばめの無責任は変わっておらず、周知のものなのかもしれない。
「木次。俺たち邪魔そうだから――」
「~~~~!!」
続けて樹里に声をかけて、十路も退室しようとしたら、コゼットが『行かないで! 見捨てないで!!』と、青い瞳を
「お待ちくださいませ。よろしければ、姫様と一緒にお話を聞いていただけませんか――ムッシュ・ツツミ」
しかも意外なことに、老婦人が鋭い灰色の視線を向けて、十路の退出を拒んだ。要請の形を取っているが、語気はかなり命令に近い。
十路の名前まで知っているとなれば、彼女の目的はコゼットだけではないのかもしれない。
話の筋が全く予想できないことに、居心地の悪さを感じるものの、十路は覚悟を決めてコゼットの背後に立つ。いささか剣呑な雰囲気のため、護衛のような態度を取ることにし、一緒に席につくのは避けた。
「俺をご存知のようですが……マダムはどなたですか?」
未婚か既婚かは知らないが、無難に呼びかける。フランス語の
「失礼いたしました。イヴォンヌ・シガルと申します。長年ワールブルグ王室に仕えておりました。アリス姫様の『ばぁや』とでも思っていただければ、充分かと存じます」
またその名前がまた出てきた。『姫様』というオマケから、該当人物は他に考えられないが、理解も納得もできない。十路は首筋を撫でながら確認する。
「前提が理解できていないですが、アリスって誰のことです?」
「わたくしですわ……」
答えたのは、やはりコゼットだった。振り向かないので十路からは顔が見えないが、なんとなく雰囲気からウンザリしている気がする。
「説明すると長くなりますけど……子供の頃、わたくしは、コゼット・アリス・イアサント=シャロンジェという名前でしたの」
「…………アリス、ですか」
複雑な心境が、思わず口からこぼれた。コゼットも不本意なのか、不機嫌オーラが濃くなった気がする。
幼い頃のコゼットが、どういう少女だったのか、十路は知らない。だが、現在の性格のまま、肉体だけ小さくなっていたのだとしたら、『アリス』という雰囲気ではないと思ってしまう。やはりその名前は、ルイス・キャロルの小説に出てくる、エプロンドレスの少女を連想してしまう。そんなことを言い出せば、全世界のアリスさんに失礼かもしれないが、とりあえず調子に乗って『アリスちゃん』などと呼ぼうものなら、コゼットから鉄拳が飛んでくるのは予想できた。
だからそれ以上は触れない。コゼットも同様だと、マダム・イヴォンヌに向けて話の続きを促す。
「それで……わたくしの留学を期に、貴女は職を辞したはずでしょう? なぜ今頃、日本にやって来ましたの?」
「ある話を耳にしたもので、直接お話を伺いたく、やって参りました」
「どう伝わっているのか知りませんけど、ロクは話ではないでしょうね……」
深々とため息をつくと、一転してコゼットは険しい気配を発した。ズレかかっていた王女の仮面を被り直した。
「《
コゼットは《
「無関係ではないのですが……それではありません」
マダム・イヴォンヌはゆっくり
(なんで俺が睨まれる?)
事情が全く予想できない。ともなれば、不愉快にもなる。自分の預かり知らぬところで、勝手に感情を抱かれて、しかも面と向かって向けられれば。
だから、十路も敵意を込めて見返した。
なんの自慢にもならないが、ただでさえいつも目を細めて人相悪く見られるのに、非公式特殊部隊として殺伐とした人生を送っていたため、十路のガンつけはなかなかの迫力がある。
だから受ければ、ごく普通の人は視線を逸らす。気の強い人間は負けじとメンチ切ってくる。護衛や軍事訓練を受けた者は、不測の事態に備えるため、それと悟られぬよう体勢を変える。
しかし老婦人は、態度を一切に変えずに視線を受け止める。年齢による経験で肝が据わっているのか、とも感じたが、異なる。
敵意ではない。彼女の視線は鋭いながらも、あくまでも観察の範疇でしかない。
だから余計にわからない。
困惑で半ば無意識に、気を抜きかけた、その時だった。
「あら」
老婦人は頭に触れようとしたのか、膝に乗せていた手を挙げた際、テーブル
入っていたのは湯気が立つ紅茶だ。しかも夏場の空気では、時間がたってもなかなか冷めない。真正面に座るコゼットが浴びれば、ただではすまないだろう。
「ぐぇ――!?」
だから十路は、コゼットの襟首と腰を背後から掴んで、ソファから引っこ抜いた。成人女性の体重だが、咄嗟のことで力加減ができず、後ろに放り捨てることになった。
「ごべっ!?」
王女らしさの欠片もない悲鳴とほぼ同時に、カップが床にぶつかり割れる。落ちたのはテーブルとソファの隙間で、コゼットを投げ捨てなくても、紅茶はせいぜい足元を濡らす程度しか飛び散らなかった。
「いっだぁぁ……!
「すみません。過剰反応してしまったみたいです」
コンクリートの床に落ちたコゼットは、批難の声を上げるが、誠意の感じられない謝罪以外は言わない。十路は老婦人を見据えたまま、背後も振り向かない。
あのまま放置しても問題なかったとしても、結果論でしかない。広がる液体の防御は難しく、護衛対象を守るためには、自分が盾になるしかない。しかし今は位置的に無理があったから、コゼットをできるだけ遠くにやるしかなかった。加えて落下地点を見定めてから動いては、間に合わなかった。
「俺を試しました?」
次への警戒で毛皮を逆立て、不信感と不快感で野良犬の牙を剥く。
「三五点、といったところでしょうか」
しかし彼女は気にも留めない。涼しい態度に悪びれた様子は微塵もなく、あまつさえ十路の行動を採点する。
「あいにく護衛が本業じゃないからな……」
十路の本領は、奇襲・闇討ち・罠にはめることだが、老婦人は小さく首を振る。
「理由にはならないかと。事態に備えて尚、想定外のことに対応しなければならない。なんであれ、そういうものでしょう?」
それは事実だが、想定外のことを起こした相手に言われるのは、気持ちがいいものではない。十路は顔をしかめたが、それ以上は口をつぐむ。このまま舌戦をしたところで意味はないし、旗色が悪いのは理解している。
もしも老婦人が本当に襲撃者であれば、一撃目は
「アリス姫様」
十路にはそれ以上構うことなく、マダム・イヴォンヌは両手を膝の上に置いて、改めて背筋を伸ばした。
「この
かと思えば、足元に置いてったトランクケースを膝に置き、開いた。
「これなのです」
そして冊子を複数、テーブルに置いた。正確には『冊子』と呼んでいいのかどうか。分厚い表紙で装丁されているが、中のページはなさそうだ。
十路が連想したのは、幼い頃に押入れの中で見つけた、両親の結婚写真だった。
「イヴォンウ……? 終わった話ではありません?」
コゼットは冊子に見当をついているらしい。手に取る様子もなく、不機嫌さを乗せた声を出す。
「終わっていないのです……わたしにも少々意外でしたが」
彼女の反応を予想していたかのように、新たに淹れ直された紅茶に、老婦人は優雅さを忘れず口をつける。
「お相手は、姫様もご存知の方です」
「それなりに心当たりがあって、絞りきれないですけど……」
迷いながらもようやくにして、コゼットが冊子の一番上に手を伸ばす。
それでようやく十路にも、見合いの釣書だと推察できた。
「ゲ……」
開いた途端、コゼットが顔をしかめて地を覗かせたが、同時に老婦人のピクリと反応する。
すぐに気づき、小さく咳払いして、王女の仮面を付け直した。
「話を持って来るにしても、なぜ一番上にバルバ家の次男が……? 昔、なにがあったか、貴女ならご存知でしょう?」
「それはフファニー氏にお申し付けください」
十路には理解できない固有名詞に、コゼットは
「こういうお節介は、クロエにでも焼いてあげてくださいな」
「エラ姫様は大層嫌がられました」
話からして『エラ』がクロエのことだとはわかるが、なぜかと少し考えて、セカンドネームとなっている『エレアノール』の愛称かと思い至った。王族の名前はよく理解できない。
「既に焼いてたのですわね……」
「それとなく話を振っただけでも、露骨に嫌がられる様子でした」
「
「……? 腐るとは?」
「……いえ、なんでもありませんわ」
『海外でも仲人大好きお節介おばさんはいるんだな』と、ついでに『この人はクロエ王女の貴
ただ当人たちにとっては、大事なのだろう。本線に戻った話は、鋭さを増している。
「あのですわね……長年ウチの一族に関わっていた貴女なら、ご存知ですわよね? わたくしがどういう立場か」
「はい。存じあげております」
嫌悪と、ある種の覚悟を感じる声音で、彼女は言外に『この話は終わり』と言い放つ。
「わたくしは、『
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