《魔法使い》のお見合い

025_1000 【短編】 彼女は何者たるかⅠ~妹として~


 彼女は、前置きなくやって来た。



 その日の放課後、学内のなんでも屋、《魔法使いソーサラー》たちの部活動・総合生活支援部では、いつものように部員たちが集まっていた。


 木次きすき樹里じゅりは、OAデスクでキーボードを、時々つっかえながら叩いている。部に送られてくる依頼メールの処理や、《魔法》を使った際に義務付けられる報告書ではなく、現代国語の課題として出された作文をパソコンで作成していた。

 つつみ十路とおじは、ガラクタ一歩手前なテーブルに参考書を広げ、数学の問題を解いている。高等部三年生なので、受験勉強に励んでいた。

 コゼット・ドゥ=シャロンジェは、二人がけのソファに寝転がり、肘掛けに頭と足を置いて、行儀悪く本を読んでいた。靴まで脱いで完全にくつろぎモードに移行している。

 あとついでに、《使い魔ファミリア》と呼ばれる人工の意思を搭載するロボット・ビークル《バーゲスト》も、特になにをするわけでもなく、充電コードを伸ばして大人しくしている。


 彼ら、彼女らは決して無口ではないが、必要がなければ口を開かない性分だ。やることをやっている邪魔をしてまで世間話をするほど、我を通すというかワガママな人間でもない。

 だから夕暮れ近い放課後のガレージハウスは、遠くから運動部の声が聞こえるほど、静かなものだった。


 その静寂を破ったのは、テーブルに置かれたスマートフォンだった。メロディは『Parade der Zinnsoldaten(おもちゃの兵隊の観兵式)』。そんなタイトルは知らずとも、日本人ならばまず間違いなく耳にしたことがある曲だ。


 十路と樹里はチラリとそちらを見て、コゼットを開いた本を胸に置いて音源に手を伸ばす。そこまではいい。


「ア゛ァン……?」


 液晶画面の表示を見て、彼女が顔をしかめたのも問題ない。普段はおしとやかな王女の仮面を被り、パーフェクト・プリンセスを演じているが、この部室では丁寧ヤンキーとでも呼びたくなる二面性を見せるのも、今更のことだから。


「Allo...? Pouvez-vous vous aider, une connasse.(もしもし? なんの用だっつーの、クソ女)」


 寝たままフランス語で電話に出たのもまぁいい。ドス声のままであることに若干の疑問を感じた十路が、参考書越しに上目視線をコゼットを送ったが、なにも言わない。相手を把握しているわけではないので、彼女の地を知る者が国元にいても不思議はない。


「…………え?」


 しかしスマートフォンを耳につけているうちに、コゼットの顔色がハッキリと変わったことには、誰も看過しなかった。十路と樹里が首を巡らせただけでなく、《バーゲスト》のAIイクセスも、小さなモーター音を鳴らして視線カメラを移した。

 部員と備品たちの怪訝な視線に構わず、身を起こした彼女はスマートフォンを投げ出して、脱いでいた靴を大急ぎで履く。ただでさえ今日はショートブーツをチョイスしているため、時間がかかりそうなのに、慌てているせいで余計に時間がかかっている。

 社交性に難があるほど起伏が少ない十路から見れば、コゼットは相当に感情豊かだ。しかしその一方で、常に冷静でもある。口調が荒くなるのはしょっちゅうだが、突然の事態にもパニックになることなく、部の責任者や部員唯一の成人として頼もしいところを見せている。


「ど、どどどどどうしましょう……!?」


 なのに今の彼女は、見たことがないほど慌てふためいている。


 だから向かいに座る十路は、その原因である、目の前まで転がってきたスマートフォンを手に取った。通話相手の女性は、電話が放り出されたことも知らず、スピーカーからフランス語を流している。

 なぜか日本語で登録されている、液晶画面に映し出される『クソ女』で、話し相手の見当はついたので、十路は勝手に電話に出ることにした。


「もしもし? クロエ王女ですか?」

『……その声、ムッシュ・ツツミですか?』


 日本語に切り替わった声は、聞き覚えのあるものだった。コゼットの姉、クロエ・エレアノール・ブリアン=シャロンジェだ。王女様が相手とはいえ、プライベートだろうし、別段無礼を働くつもりもないので、そのまま話を続ける。


「部長がいきなり慌てだしたんですけど、どうしたんですか?」

『丁度いいです。ムッシュ・ツツミ、コゼットを助けてあげてください』


 意外な言葉に面食らう。

 彼女たちは姉妹でありながら、お互いを『敵』とまで言い張るほど、仲が悪い。コゼットが《魔法使いソーサラー》なのが原因である確執が存在し、留学前には命を狙うほどだったと聞いた。しかも神戸市内で大規模な戦闘を行うまでに発展している。

 そんなクロエが、コゼットのために頼みごとをするとは。しかも彼女は人を食ったような、『ザマス』語尾のエセ日本語を使うのに、今は使っていない。

 どうやら事態は相当に深刻らしい。


『説明する時間が惜しいですから、詳しくは省きます。わたくしたちにとって、のっぴきならない人物が、公国こちらから日本に行きました。わたくしも知ったのがつい先ほどなので、いつそちらに現れても不思議ありません』

「了解。警戒します」


 十路は注目している樹里に目配せし、警戒を促す。

 野生動物並みの聴覚を持つ彼女ならば、離れていても電話の内容が聞こえていただろう。彼女は険しい顔で小さく頷き返し、宿題を片付け、いつでも動けるようにする。

 支援部に所属する《魔法使いソーサラー》は、本来管理されるべき国家機関から外れている。だからただであさえ危険視する組織からは命を、武力を手に入れたい組織からは身柄を、常に狙われている状況にある。加えて国家に管理されていない理由ワケあり絡みもありうる。

 だから十路も樹里も、取り乱しはしない。表立った争いは避けたいが、ここは学生たちが近寄らない学院敷地の僻地。しかも樹里は《魔法使いの杖アビスツール》を持ち、十路も《使い魔ファミリア》があるので、交戦できる。

 心構えさせ作っておけば、相手が銃を持つ特殊部隊であろうと、返り討ちにできる。


「それで、クロエ王女。相手は何者ですか?」


 相手の情報を知っておくに越したことはない。十路としては、元非公式特殊隊員としての意識にスイッチを切り替える。


『わたくしたちのNourriceノリース……えぇと、日本語ではどう言えばいいでしょう……?』


 フランス語はわからないから、わかる日本語で言ってくれ。

 そんな内心の願いが届く前に、横から悲鳴未満の声が投げかけられる。


「堤さん! バイク出して! わたくしを連れて逃げてくださいな!」


 勝手に電話に出ていることはなにも文句を言わず、コゼットが日用品と学用品を入れているトートバッグを抱きしめて、泣きそうな顔で訴える。

 力を誇示しようとは思えないが、向かい来る者には容赦しない。木陰で寝そべる獅子のようなコゼットが、子猫のように怯えている。


「逃げるって、どこへですか」

「どこでもいいですから! とにかくしばらくどこかへ身を隠さないと――」


 遅かった。

 コゼットが不自然に声を途切れさせ、十路の背後――部室の外を見て、固まった。


 ちょうどその時、十路のポケットで携帯電話が鳴った。曲は『The Terminator Theme』。有名SF映画の重厚かつ不気味なテーマは、専用に個別設定されている着信音だ。

 音だけで相手は家族とわかるので、あとでかけ直せばいいとそのままに、コゼットの視線を追って十路は振り返る。


 部室の外に、ふたりの女性が立っていた。


「コゼットちゃんにお客さんなんだけど……」


 支援部顧問である長久手ながくてつばめは関係ない。客をここまで案内してきただけだろうから。なぜかいつもの、なにかたくらんでいるような策略家の微笑を捨て、ゲッソリしているが。


 問題は、もうひとりだった。なぜか鳴り響く未来の世界の殺人ロボットテーマが妙に似合う、老年の域に達していると予想する、十路には初対面の女性。

 十路は通話が切れていないことを確認し、コゼットのスマートフォンを耳に当てる。


「……クロエ王女? 警戒対象って、そこそこのお歳な、『ロッテンマイヤーさん』とか呼びたくなる人ですか?」

『ヨハンナ・スピリの『ハイジ』ですか……まず間違いなく、その女性です』


 最近は地方局でも再放送しなくなった古いアニメとして有名な児童文学は、海と国境を越えても通用した。『のっぴきならない人物ってアレ?』という戸惑いと、『遅かったか』とでも言いたげなため息と共に。

 ちなみにロッテンマイヤーさんの年齢は、ちゃんとした説明はないようだが、一説によると二六歳らしい。未婚のお嬢さんフロイラインと原作に明記されている。


 電話の内容には構わず、その老婦人は日傘を畳んで一歩前に出る。動作は矍鑠かくしゃくとしていて、シックなワンピースをまとう背筋は、針金でも入っているようにピンと伸ばされている。

 皮張りのトランクケースを地面に、その上に脱いだつば広帽キャペリンと日傘を置き、彼女は深々と腰を折り、コゼットへ挨拶した。


「Ca fait longtemps, Votre Altesse――Alice.(お久しぶりです、姫様)」

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