最後の一撃

 ここは神奈川県小田原市。

 後北条氏の拠点として、天下の堅城と謳われた小田原城を有する城下町である。


 神奈川でも西側にあるこの街の、その最東端。最も東京に近い位置で――白峰神達は、栄える都市部の明かりを遠くに見つめながら、小さな神社の軒先を借りていた。


 郊外の小さな神社には、管理する人間もいないのだろう。

 伸びた草で境内は荒れ、小屋のような神社の本殿は、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。当然、このような廃神社に神はいない。人々から忘れ去られ、その存在を維持できなくなって消滅したのだろう。


 白峰神達が何故こんな場所で宿を取っているかというと。白峰神達は昼間にサタンからの襲撃を受け、天神やツクヨミ達とはぐれてしまった。悪魔の軍勢はシスター・マリアンヌやウリエルら、キリスト教勢と共に何とか討ち倒すことができた。

 しかし出雲丸で移動してしまった天神達には徒歩で追いつくことはできず、ひとまず安全圏である小田原まで、日が暮れてでも歩き続けることで到着できた。

 しかし体力の限界が来て、周囲に泊まる宿もなく、仕方なくこのオンボロ神社で一夜を過ごすことにしたのだ。

 

「いだだだだだだだ……。身体動かない……お腹減った……。せめてプリン食べたい……」


 白峰祭神に仕える巫女の榊原神子は、今にも床が抜け落ちてしまいそうな神社の木板に横たわり、指一本動かせず泣き言を呟き続けていた。

 とっぷり日が暮れて夜になっても歩かされ、それ以前にサタンの配下であるバフォメットと戦うために、丸子橋で肉体を酷使された。憑依させた白峰神との相性が良かったために快勝できたが、その後返却された神子の肉体は、全身が筋肉痛になっているという有り様だった。

 それもこれも、乙女の身体で人間離れした動きを見せた白峰神のせい。巫女装束の紅い袴も、動きにくいからという理由で破かれてしまった。ミニスカートのような状態にされ、風が吹くと足元が寒くなる。


 神子は文句の一つでも言ってやろうと、カビ臭い神社の中から外へと首を向ける。

 信仰心によって昼間よりも更に力を取り戻し、半透明の肉体が見えるまでに回復した白峰神。彼は、もう誰も小銭すら入れなくなって久しい賽銭箱の上に座り、空を眺めている。

 その透けた身体の向こうには、スサノオが狛犬の石像に背を預けて佇んでいた。白峰神と同じく、暗雲を見上げながら。


「……? 雨でも降りそうですかー?」


 神子も空の様子に気付く。昼間は暑いくらいに晴れ渡っていたのに、今は西の空から重く暗い雲が迫ってきている。その暗雲は、あっという間に神子達の頭上まで到達し、月も星空も隠してしまった。

 これほど早く動く雲は初めて見た。神子は違和感を抱いたが、その本質に気付かず「雨が降らなければいいなー」程度の認識しかしていなかった。


 しかし。神社の遠くで一筋の稲妻が光り、数秒後に落雷の音が聞こえてきた時。神子は悪魔と出会った時以上に心臓を跳ね上げた。


「ひゃあぁっ!?」


 全身が筋肉痛で動かないはずなのに、瞬時に耳を塞いで背を向ける。

 そしてカミナリが苦手な神子は、祖父母から昔教わった言いつけを実行する。


「おヘソを取らないで下さい、カミナリ様……! くわばらくわばら……!」


「……お主、意外と古臭いこと知っとるんじゃな」


 両手で腹部を押さえてヘソを隠し、『桑原桑原』と唱える神子を見て、白峰神は笑う。

 2020年の若者で、こんな慣習を知っている若者も珍しいだろう。感心したような、しかしどこか呆れたように白峰神は笑みを浮かべていた。


「そんなことせんでも、別に道真公はお主のヘソなぞ取らんわい」


「え? 湯島先生がどうかしましたか?」


「こやつマジか……」


 『雷が鳴った時はヘソを隠せ』という知識は持っているくせに、菅原道真=天神=雷神、つまりカミナリ様であるという図式が成り立っていないようだった。

 常識があるのかないのか、「やはり最近の若者はダメじゃわい」と白峰神は呆れてしまう。

 そんなことなど露知らず、神子は天神の名を聞いて、昼間のことを思い出す。


「湯島先生、ツクヨミさん、それに皆も……。無事に出雲大社へ向かえたかな……」


「………………」


 激しさを増す雷光を見上げ、白峰神もスサノオも薄々気づいていた。全国各地の天神神社は、今頃パニック状態だろう。

 遠く離れたこの小田原の地でも、木々がざわつき風が怯えている。それを察知している神々は、難しい顔をして空を見上げるばかり。その顔は、神子の方からはよく見えない。


「ま、大丈夫じゃろ」


 神子への返答か、あるいは自分へ言い聞かせているのか。しかし白峰神はいつもと変わらない飄々とした口調で、古い賽銭箱の上に寝っ転がる。


「……そうだな。向こうには俺の姉ちゃんも付いてるし、何より道真もいる。何も心配するこたぁねーよ神子ちゃん」


「……そうなんですか?」


「お主も知っとるじゃろう神子。道真公がいれば、大丈夫じゃって」


「……それもそうですね!」


 すっかり安心した神子は落雷を警戒しつつも、疲労困憊した肉体を休ませるため目を閉じる。

 神子が眠りについた気配を背中で感じつつ、スサノオと白峰神も信じていた。

 口から出た言葉は偽りではない。天神がいれば、大丈夫。それは願望でも祈りでもない。強いて言えば、『信頼』という一種の信仰であった。


「……道真公……!」


 チカラを取り戻しつつある白峰神は、この暗雲の向こうにいるであろう『同族』を想う。あの雲の下で戦っているであろう、雷神に想いを馳せていた。




***




「雷撃・飛梅ッ!!」


 雷撃で周囲を吹き飛ばした雷神は、まずは小さな雷球をラミエルに向かって放つ。

 両足のブースターですぐに体勢を立て直したラミエルは、両腕のガトリング砲から銀貨を射出し、その雷球を撃ち落とそうとする。

 それを見越していた雷神は、小さな雷球達を一つ一つ『操作した』。

 そして弾幕をかわしつつ雷球をラミエルの背後に回り込ませ、自らは雷撃を身にまといながら突進する。

 銀貨を熔かしながら突撃し、防御壁を破壊してラミエルを殴りつける。再び後方に吹き飛びそうになるラミエル。

 しかし、その背中に雷神の放った雷球が直撃し、天使は再び雷神のいる方向に倒れ込む。

 そこを殴りつける。また吹っ飛ぶ。そこを雷球が背中から押し戻す。正面から殴られ、背後からは雷球で押し戻される。殴られては元の位置に戻されるラミエルは、さながらサンドバッグ状態。

 エラー音が激しく鳴り響く中、雷神は一切の容赦をすることなく何度も何度も殴りつける。

 やがて堅牢な天使の装甲を砕き、その内部に潜んでいた柔らかい生身部分を殴打した。勿論、百万ボルトの電流を拳に込めて。


『損傷……甚大……自己修復機能、ガガー、ピピー……戦闘継続、不可……ガピュ、キュピー……』


「フィニッシュ!!!」


 ラミエルの装甲を破壊し、殺戮兵器の天使は出雲丸の車上から力なく落下していった。

 雷神はその様子を見届けることもなく、肩を大きく上下させ呼吸を整えている。

 トールは雷神の姿、そして真っ黒に焦げた両腕を見て、その悲しき運命を悟った。


「自らも……感電しとるんか……!」


 電気ウナギという生物は体内に発電器官を持ち、大型のワニすら電気ショックで仕留めるほどの電撃を放つ。その際に自分自身も僅かに感電しているが、分厚い脂肪に包まれているため感電死するほどのダメージは受けない。

 だが、雷神は――人々の信仰を得て人間の姿を取った天神道真は、感電を防ぐ手段を持っていなかった。


 その実力は間違いなく日本最強クラス。トールのハンマーを耐えて押し返し、フール・フールの速度に追いつき、ラミエルの砲撃すら無力化する。その膨大な神力と魔力は、パワーとスピードと技を操る正確さに割り振っている。戦闘に関する全ての要素が高水準でまとまり、最高クラスのステータスを実現しているのだ。


 しかしその代償に、雷神自身もダメージを負っていた。今までの咆哮は、ただ感情的に昂ぶっただけが理由ではない。外国の雷神達を相手にして、一柱の実力だけで圧倒する。そのために、想像を絶する激痛を味わっていたのだった。


 それを察したトールは、異教の神とはいえ、天神のことが哀れになった。絶大な力を持ちながら、国を滅ぼしかねないジレンマ。いざ人を守るためにその力を解放しても、己自身を焼き殺す。

 それを哀れと思わず、一体何を哀れめば良いのか。トールは雷神の溢れ出る魔力を抑え込むことはせず、ただハンマーを降ろしてじっと見つめていた。

 日本の雷神の、その結末を。


「ハッ! ラミエルを倒したくらいで、調子に乗るなよ土着神! 俺はまだ飛べる! だが貴様は満身創痍のようだな! このまま俺が――」


 肉体を再生さえたフール・フールは、再び戦闘機のような速度で空を飛び、出雲丸の上空から飛来する。その動きは獲物を仕留めるアラワシを思わせる。

 だが雷神は、ただ狩られる野ウサギではない。真っ黒に焦げた両腕をフール・フールに向け、雷撃を放つ。最早、両腕の感覚は無くなっているとしても。


「雷撃・縛り飛梅!!」


 両腕から伸びた二筋の雷光が、フール・フールの翼を貫く。

 しかしこの程度、すぐに回復してみせる。悪魔はそう侮っていた。


(……!? う、動けん……!)


 だが、悪魔は身動きが取れなくなっていた。傷は回復しても、翼が、身体が動かない。これでは無防備な状態だ。

 とはいえ口だけは動くようなので、精一杯の虚勢を張る。


「この程度で俺を捕らえたつもりか!? だが貴様も両腕を使用し、俺にトドメを刺せないではないか! トールが俺を殺すか? 一撃でも俺に叩き込んで拘束が緩めば、その瞬間に俺はすぐに逃げおおせてみせるぞ!」


 フール・フールの言う通り、両腕から電撃を放ち続けるせいで、雷神は上空の悪魔に手出しできない。

 仮にトールが攻撃しても、殺される前に脱出すると言っている。フール・フールの移動速度なら、恐らく不可能ではないだろう。

 それに時間を稼げば、じきに雷神の腕は焼き切れる。全身が感電し、意識を保っているかも怪しいくらいなのだから。


 勝てる――。フール・フールは、己がピンチの中のチャンスにいることを確信していた。ここからいくらでも、勝ち筋に繋げることができる。そう、思っていた。


「――ではここで、理科の授業です」


「……!?」


 突然、雷神は明るい口調で悪魔に語り掛ける。

 意味が分からなかった。何故この状況で、あの男は笑っているのか。トールは後方で見守っているだけで動かない。雷神自身は悪魔を拘束するのに必死で動けない。そのはずなのに。


「二本の伝導体に電流を流すと、そこには磁場が発生します。その際に生じる電磁誘導を用いて、弾体を超高速射出する技術を、何と言うでしょう?」


 フール・フールは混乱する。何を言ってる。何故、笑っていられる。

 そして何故、列車の上に夜の女神『ツクヨミ』が立っている。今まで隠れていたのに、何故このタイミングで――。


「しっかり狙いなさいよ、雷神」


「はい、ツクヨミ様……!」


 フール・フールは気づいた。その恐ろしい事実に。

 雷神の両腕から伸びる雷光。それがそのまま『レール』になっている。そしてそこに発生する磁場は、一直線に己の『心臓』に向かっていた。

 雷神は動けない。だが、ツクヨミならば。ここまで条件が揃えば最早、パワーもスピードも技術も要らない。

 ツクヨミは拾った銀貨――ラミエルがさんざん撃ち出していたデナリウス銀貨を親指の上に乗せ、何でもないようにコイントスした。


「や、やめ……!」


 銀貨は放物線を描き、雷神の頭上を飛び越え、悪魔まで伸びる電流のレールに乗る。

 そして、出雲丸の列車上に立つ雷神自身も、移動エネルギーを列車から貰い続けていることになる。そこに電撃のエネルギーが上乗せされる。その威力は、絶大。


 これが、己の強大過ぎる力を嘆いた雷神と、己の無力を嘆いたツクヨミの協力攻撃――。






「「レールガン!!!」」






 列車の移動スピード+超電磁砲の威力。それは、銀貨一発で悪魔の心臓を再生不可能なまでに破壊するほど。

 フール・フールは心臓を撃ち抜かれ、その肉体が闇に消えていく。消滅する寸前に小さく「サタン様……」と呟いたが、その声は雷鳴にかき消され、誰の耳にも届かなかった。

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