ルーサー・マガール牧師

 マガール牧師によって助け出された俺とヒカリは、なんとか五体満足で立ち上がることができた。


「……話は後だ。まずは移動するぞ」


 まずは安全な場所へ、という指示は福原さんと同じだが、その言い方はぶっきらぼうで威圧感を覚える。

 加えて怖い顔と低い声のせいで、ナイフでも突き付けられているかのように委縮してしまう。ヒカリは全く気にしていないようだが。


「……っと」


 ふと。俺達に背を向けた牧師は、そのままスタスタと橋の反対側へ向かうが、福原さんの遺体の前で立ち止まると、その遺体から丸い眼鏡を取り外した。

 そしてサイズを確かめるかのように、自らの顔に装着する。


「……少し度が弱いが、まぁ良いだろう」


 このままココで朽ちていくより、遺品として本来の役割を果たせた方が、眼鏡自身も嬉しいかもしれない。だが死者から物品を奪うのはどうなのか。

 牧師は窮地を助けてくれた人物とは言え、福原さんも俺達にとっては偉大な恩人なんだ。俺は抗議の一つでもしてやりたくなった。


 だがその考えも、すぐに消え失せることになる。


『……その魂は父なる主に……あーっと……永遠の安息を……ダメだ分かんねぇ。そもそもキリスト教徒じゃないだろうしな、コイツ……』


 十字架のネックレスを握り、遺体の前で何やら英語で呟いていた。

 どうやら福原さんに弔いの言葉を捧げている様子だった。英語の成績が悪かった俺でも、それは何となく理解できる。

 虚しそうな表情と、何よりその瞳を見て、俺は悟ることができた。


 胸の前で十字を切り、そして「Amenアーメン」と牧師は呟くと、また吾妻橋の上を浅草の方へ向かっていく。


「……行くぞ。モタモタするなよ」

「あ、はい……!」


 ヒカリの手を固く握り、俺達もその背中に付いて行った。




***




 東京都台東区浅草。

 いわゆる東京下町と呼ばれる趣のあるエリアだったが、俺にはあまり馴染みのない街だった。

 だが今では、馴染みや愛着がなくて逆に良かったとも思える。


 南の方角では建物のほとんどが倒壊し、見るも無残な光景になってしまっている。生き残った数少ない建物も、廃墟と化している。

 こんな浅草を見て、ここで生まれ育った人なら、相当なショックを受けることだろう。


 改めて、日本の首都であった東京が滅んだことを認識させられる。

 車も電車も、電気すらも通っていない。背後に流れゆく隅田川、その水流の音がハッキリ聞こえるほどなのだから。死の静寂だけが、この街には満たされていた。


「……着いたぞ。ここだ」


 会話もなく、早足で俺達の先を進んでいた牧師は、浅草のある一画で足を止めた。

 そこは、まだ多少は他より建物の原型を留めている場所。建物の屋根には、折れた十字架が逆さまに突き刺さっている。


「教会……。ここなら、何か神様のチカラとかそういう感じのやつで、安全なんですね!?」


 俺は期待のこもった声を上げる。

 この状況では、雨風を凌げるだけでも満足だ。加えて、神聖なる加護を受けたキリスト教の建物なら、きっと悪魔達も襲って来ないのだろう。

 そう期待した。そうであってほしいと。

 だが。黒く変色した血痕が付着した扉を開け、中に入って行く牧師の背中からは、あまり喜ばしいオーラは出ていなかった。むしろ、落胆しているかのようにも見える。


「……教会にいようと、悪魔共は襲ってくる。神々が結界を張る神社や仏閣ならまだしも、ここに『神』はいない。この教会は何の変哲もない、ただの廃墟だ」

「え……」


 割れたステンドグラス。首の折れたマリア像。滅茶苦茶に壊され、ひっくり返る長椅子。

 かつて多くの信心深い人達が礼拝に来ていたであろう教会は、ここで起きた惨劇の残骸として、虚しく存在するだけだった。


「……だが、『山火事が起きた時、最も安全な場所はどこだ』と思う?」

「……?」


 演台を横に倒して椅子にしたものに牧師は座る。そして突然そんな事を言う。外国のナゾナゾだろうか。


「火事が起きたら、『おはし』で逃げるんだよ! 押さない、走らない、喋らない!」


 ヒカリは元気に手を挙げそう答える。

 福原さんの死は直接見せずとも、多少なりショックを受けているかと思ったが、どうやら大丈夫そうだ。


「……遠くに逃げるのも正解だ。だが、いずれは逃げた先にも火の手が回ってくる。そんな中で最も安全なのは……『焼け跡』だ。全てが焼き尽くされた場所には、もうそれ以上火が燃え広がることはない」


 「ほほー!」と、ヒカリは何やら感心しているが、俺には牧師が何を言いたいのかサッパリ分からない。少なくとも、今ここで山火事の話をする意図が。


「この教会は『焼け跡』なんだ。半年前の大災害で、悪魔共は神社や教会を徹底的に破壊した。だが逆を言えば、そういう建物はヤツらにとってはもう『用済み』なのさ。まさかここに生き残りの人間がいるなんて思わない。心理的死角ってやつだ。……まぁ、神の結界もないから、絶対に安全なエリアではないんだが」


 ここまで説明されて、俺はようやく牧師の考えを理解した。確かに、一度壊した建物に再びやってくるようなヤツはいないだろう。

 ヒカリはというと、明らかに頭上に疑問符を浮かべていた。山火事の話は分かっても、この話までは理解できないのか。まあ、小学生なら仕方ない。


「あ、あの……牧師さん」

「何だ」


 質問した俺を見ただけなのだろうが、その目つきのせいで睨まれたかのと勘違いし、思わず身震いしてしまう。福原さんの物だった丸眼鏡、その奥の眼光は、刃物のように鋭い。


「えっ、と……」


 言葉に詰まる。言いたい事、聞きたい事、たくさんあるはずなのに。

 走り回ったせいか、あるいは緊張の糸が切れたからか。頭が上手く回転せず、口も回らない。このままでは怒られてしまう。


「……言いたいことがあるなら、考えをまとめろ。いくらでも待ってやる。まずは座ったらどうだ。今何か、食べる物を持ってくる」


 牧師はため息と共に立ち上がり、教会の奥へ食料を取りに行った。

 俺とヒカリは言われた通り、唯一壊されていない長椅子に座り、ようやく一息つくことができた。

 そして戻ってきた牧師からペットボトルに入った水と、缶詰に保存された乾パンを貰った。

 水と食べ物。この状況では貴重品のはずだ。それを牧師は、黙って俺達に分け与えてくれた。


「ありがとう、ございます……!」

「ありがとうございます! イタダキマス!」


 全力疾走で渇きに渇いた喉を、ペットボトルのぬるい水が潤す。ただの水を、ここまで美味しく感じた日はない。

 ジュースやスナック菓子を当たり前に口にしていた日々は、実はとんでもなく恵まれていたものだと、全てを失ってから気付いた。

 そのようにして乾パンも頬張る俺とヒカリの様子を、牧師はただじっと見ていた。


「――では、俺から聞くが」


 食事にありついていた俺達に、牧師は語り掛ける。まだ質問のまとまらない俺には、そっちの方がありがたい。


「どうやって半年も、この東京で生き抜いた? 他に誰かいないのか? お前達だけか。まさか外部から来たわけじゃあるまい。今まで、どこでどうしていた」

「ッ……」


 覚悟はしていたが、イキナリその質問からか。それを語るためには、嫌なことを思い出さなければいけない。

 いや――最悪の思い出は、現在も進行中なんだ。地獄からは、まだ抜け出せていないんだから。


「……俺とヒカリだけで、生き抜いたわけじゃない。俺達は……」


 自分の肩をぎゅっと握る。『痛み』がぶり返す。

 もう、あそこへは戻りたくない。東京を地獄に変えた連中。そして、そんな奴らに頭を下げる人間達のいる場所になど。


「……俺達は……。……悪魔に、飼われていた……!」

「……!」

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