第四十一幕 陰摩羅鬼との戦い



 六月の四日の昼下がり、白衣袴姿の俺と巫女装束姿のすずさんは、深川にある『霊巌寺れいがんじ』という大きなお寺の境内にやってきていた。


 境内には杉の高木が何本も天に向かって屹立きつりつしている。


 このお寺は、名賀山稲荷社から東南東の方角に四町(約436メートル)ほど離れた所にある大きなお寺である。


 俺たちのすぐかたわらには、以前に文蛤はまぐり付喪神つくもがみに呪われた時にお世話になった和尚おしょうさんがいる。すずさんが妖孤であることを知っている和尚おしょうさんであり、ここの霊巌寺れいがんじの住職から妖怪の調伏ちょうぶくを頼まれたのだという。


 数珠を持ち袈裟けさまとった和尚おしょうさんは、寺の敷地の南東の隅っこにある、杉の木々の根元に俺たちを案内した。


 そして、上を見上げて俺たちに告げる。

「おすずさん、ここにございます。ここの杉の木の上に、夜な夜なあやしき鳴き声でうめあやかしがいるとのことでございます」


 その言葉に、俺もすずさんも上を向く。ただ、今は昼間なので当然の事ながら俺の目には妖怪の姿は見えない。


 すずさんが、上を見上げながら口を開く。

「ふぅん? 確かにあやかしの気配を感じるねぇ。どれ、和尚おしょうさん、ちぃときょうを唱えてみておくれよ」


 すずさんの言葉に和尚おしょうさんは合点がいったという顔をして、持っていた数珠じゅずを合わせた両掌りょうてのひらにかけ、何やらお経を唱え始めた。


 すずさんは、上を見上げながら目を細めた。しかし、人間である俺には当然のことながら何が起こっているのかわからない。


 すると、すずさんはたもとから例のまだら模様の文蛤はまぐり膏薬こうやくを取り出し、俺のまぶたにするりと塗り付けた。


 俺のまなこが、あやかしまなこになったのがわかる。すずさんも実体のない金毛こんもうの狐耳と尻尾が生えている様子になった。


 杉の木々のうち、最も高い杉の木の近くを、奇妙な黒い鳥が飛びまわっているのが見えた。


 その鳥は、体と羽はからすのようであるが、つるりと禿げた頭と、ぎょろついた目を持つ怪物であった。大きく開いた口からは鋭い牙が見える。


 俺の隣にいるすずさんが、俺と和尚さんに対して伝える。

「ありゃあ、陰摩羅鬼おんもらきだねぇ。おおかた、死んでから生臭坊主なまぐさぼうずに経をあげられたってとこかねぇ?」


 すると、和尚さんが応える。

陰摩羅鬼おんもらきでございますか、聞いた事がございますぞ。死して存分に供養くようを受けられなかった哀れな霊の化けた怪鳥かいちょうであるとか」


 その言葉に、俺が応える。

「じゃあ、今からでも和尚おしょうさんがお経を唱えれば消えるんじゃないですか?」


 すると、すずさんが首を横に振る。

「ありゃ、供養くようされなかった恨みが形になってるから、もう駄目だよ。鉄砲で打ち抜くなり、炎で燃やすなりして無理にでも成仏させなきゃさ。お経を唱えても、少しだけ苦しんでじたばたするだけさ」


 すると、和尚さんがこんな事を言った。

「そうでございますか。迷える魂を成仏させられぬのは僧として心残りでございますが、おすずさんにお任せいたします」


 すると、すずさんが返す。

「でもさぁ、この調伏ちょうぶくって御祓おはらいのおあし五十両ごじゅうりょうなんて別格なんだけど、誰が頼みごとを持ってきたんだい?」


 すずさんがそう言うと、和尚さんは小声で俺たちに伝える。

「他言無用でございますぞ。白河しらかわ松平まつだいらさまでございます」


――白河しらかわ松平まつだいらさま?


 その聞いた事あるフレーズにより、俺が中学生時代に歴史で習った微かな記憶が掘り起こされる。


「あっ! 寛政かんせい改革かいかくの、松平まつだいら定信さだのぶですか!?」


 俺が叫ぶと、すずさんが即座に俺の頭をぽかりと手刀で叩いた。そして、俺に顔を近づけて凄む。

「りょうぞう!? 白河しらかわ松平まつだいらさまをけっぴろげにいみな(本名)で呼び捨てにする奴があるかい!? 役人の耳に入っていたら無礼ぶれいってことでとっ捕まってたよ!?」

「す、すいません!」


 俺がすずさんに凄まれながら冷や汗をかいていると、和尚さんがいきなり笑い出した。


「ほっほっほ! 白河しらかわ松平まつだいらさまのいみなを知っているとは! こりゃぁただの小僧さんじゃございませんなぁ!」


 すると、すずさんが返す。

「でもさぁ、白河の松平さまが何でこんな江戸の外れのことを気にしているんだい?」


「白河の松平さまが七年ほど前に、深川の海沿いに屋敷を構えたことはお知りでございましょう。それ以来、ここ霊巌寺れいがんじ和尚おしょうとは懇意こんいでございましてな。まぁ、己の死後の安らかなることを願ってのことでしょうな」


 和尚さんの言葉に、俺はここ霊巌寺れいがんじ境内けいだいを見渡す。


 そこで気付いた。ここは幼稚園のすぐ近くにあった、あの大きなお寺だ。


 平成の世では、俺がいるこの南東の辺りには深川江戸資料館が建てられていて、すぐ近くには俺が通っていた幼稚園があったはずだ。


 そして、幼稚園のネット越しにいつも見ていたお寺の境内には松平まつだいら定信さだのぶのお墓があるということを、ずっと後になって知ったのだった。


――そうか、この辺りは元々、俺の通っていた場所だったのか。


 俺はそう気付くと、江戸時代の見知らなかった深川の町がなんだかとても懐かしいものに思えた。





 その日の晩が過ぎて日付の変わった六月五日の深夜未明、俺とすずさんとおあきちゃんの三人は、妖怪退治のために霊巌寺れいがんじの境内に来ていた。


 杉の木の高木の根元付近で、俺たちは上を見上げる。そして、狐耳と尻尾を生やしたすずさんが口を開く。


「りょうぞう、経を唱えるよ。おあきに鉄砲に化けてもらいな」

 すずさんがそう言うので、俺は同じく狐耳と尻尾を生やしたおあきちゃんと目線を交わせうなずき合い、手を握って散弾銃ショットガンに化けてもらった。


 俺は散弾銃ショットガンを持ったまま少し離れた所に移動し、杉の木の上の方に銃口を向ける。


 そしてすずさんがたもとの影の中から数珠じゅずを取り出し、両手を合わせて経を唱え始めた。


 すずさん曰く、一字一句間違えずに明確に経を唱えないと、あの陰摩羅鬼おんもらきという妖怪には効果がないらしい。


 すずさんが経を唱え始めてしばらくして、バサバサという羽音と共に杉の樹高30メートルはゆうに超えているであろう高さの木の先から、一羽の怪鳥が飛び出した。


――現れた。


 月の光はないが、はっきりと見える。俺の目をあらかじめ、あやかしの目にしてもらっていたからだ。


 すずさんが経を唱えている間、あの陰摩羅鬼おんもらきは苦しみつつ飛び回る。いずれは疲れてどこかの枝に留まりたがるはずだ。


 今、すずさんが経を唱えるのを止めた。


 すると、陰摩羅鬼おんもらきは一息ついたかのように、杉の木の上の方にある枝に留まった。


――今だ!


 ダァン!!


 俺は、散弾銃ショットガンの銃口を陰摩羅鬼おんもらきに向けて、引き金を引いた。


 当然の事ながら、散弾銃ショットガンの銃口から硝煙の噴出とともに撃ち出された散弾ショットシェルが、陰摩羅鬼おんもらきの体を打ち抜くはずであった。


 しかし、そこにいたはずの陰摩羅鬼おんもらきは夜の闇の中に消えていた。


――あれ?


 俺がそう思ったところ、顔のすぐ左、左耳からかすかに離れたその場所で、ふしゅうふしゅうという生臭い息遣いを間近に感じた。


 俺は、左を見る。


 首から下が烏の体である不気味な鼻のない顔が、空中にホバリングしていた。


「う、うわっ!」

 俺は叫ぶ。


 それと同時に、その陰摩羅鬼おんもらきは大口を開け、音もなく俺にかぶりついた。


「がぁぁぁ!!」

 俺は大きな声で叫ぶ。左耳をかじられ千切られた。


 俺は、よろめきながら散弾銃ショットガンの銃口を、耳たぶをくちゃくちゃとガムのように噛んで味わっている陰摩羅鬼おんもらきに向けて、引金トリガーを引いた。


 バァン!


 しかし、目の前に空中停止ホバリングしていた陰摩羅鬼おんもらきはまたもや瞬時にその場から消えた。


――どこだ、どこに消えた。


 左耳のあった場所から血を流したままの俺が、銃を持っている右の方に振り返る。


 するとそこには、大口をぐわっと開けた陰摩羅鬼おんもらきが間近にいた。まさに俺の頭にかぶりつこうとしており、妖怪の開けた口の内部と舌が、生えそろった鋭い牙のような歯の数々と共に見えていた。


――頭をかじられる!


 俺がそう思うが早いか、すずさんのいだ薙刀なぎなたの刃が陰摩羅鬼おんもらきの体を捕らえ、彼方へ弾き飛ばす。


 俺は、すんでのところで助かった。


「りょうぞう! その耳、おあきに治してもらいな!」


 すずさんが俺の近くに来て、薙刀なぎなたを構えたまま俺と背中を合わせる。


 俺は、散弾銃ショットガンに変わっているおあきちゃんに変身を解いてもらい、耳の傷を治してもらうと、すぐさま拳銃ベレッタに変わってもらう。


 すずさんが、口を開く。

「りょうぞう、見たかい? 銃を撃ったと思ったら、またたうつうごいたよ。陰摩羅鬼おんもらきの持つすべのようだねぇ」


 俺は、すずさんに背中を預けながら応える。

「つまり、瞬間移動しゅんかんいどうですか。やっかいな能力ですね」


 俺がそう言うと、俺の背中に背中をつけているすずさんが俺に告げる。

「気配は消えていない。周りを飛び回って隙をうかがっているようだね。りょうぞう、用心しなよ」


「はい!」

 俺は、気味良く応える。


 そして、考える。


――あの空を飛ぶ妖怪、陰摩羅鬼おんもらきは、俺が銃を撃ったら瞬間移動した。つまり、火薬の炸裂音に反応して瞬間移動しているのではないか?


 俺は、小声でおあきちゃんの化けている拳銃ベレッタに告げる。

「おあきちゃん。今から俺の思ったものに化けなおして」


 すると、俺の手に持つ拳銃ベレッタに、サイレンサーが現れた。


――気休めかもしれないが、やるだけのことはやる。


 そう思った所、すずさんが叫んだ。

「りょうぞう! 上だよ!」


 その声に俺も上を見上げる。すると、つるりと禿頭が膨らんだぎょろ目の化け物が、星空をバックにこちらに急転直下している様が目に入った。


 俺は、サイレンサーのついた拳銃ベレッタを上に向けて引き金を引く。


 シュ! シュ! シュ!


 空気の抜けるような連続音が、寺の境内に響く。


 そして、上空にいたはずの陰摩羅鬼おんもらきはまたもや瞬時に消えた。


 ザリッ


 いつのまにか足元に移動してた陰摩羅鬼おんもらきあしについている鉤爪かぎづめが、俺の太ももを捕らえていた。口をくわっと開けて牙を見せた陰摩羅鬼おんもらきは、俺の胴体を噛み千切る寸前であった。


 しかし、すずさんはその好機を逃さなかった。


 ガシリ


「捕まえたよ!」

 すずさんが、陰摩羅鬼おんもらきの胴体を両手で捕まえたのであった。


 そして、すずさんが今まさに炎の渦を陰摩羅鬼おんもらきの体に注ぎ込もうとした瞬間であった。


 陰摩羅鬼おんもらきの体はまたもや消え、すずさんの掌握から悠々と逃れた。


 そして、俺たちから少し離れたところにて、余裕の面持ちにて飛び回っていた。俺とすずさんは、並んでそちらの方を見上げる。


「くそっ!」

 俺は思わず、そう口に出した。


――瞬間移動する能力がこれほど厄介だとは。


 しかし、何故に二度の瞬間移動で俺の傍へやってきたのだろうか。あきらかに強敵であるはずの、最初に倒さなくてはいけないはずの、武器をまだ持っていなかったすずさんではなく、武器を持っている俺の近くへと。


――散弾銃ショットガンを二回撃った時も、サイレンサー付の拳銃を撃った時も陰摩羅鬼おんもらきは俺のすぐ傍に瞬間移動した。


 俺はそう思うと、頭の中にある仮説が浮かび上がった。


 隣にいるすずさんに伝える。

「すずさん? 俺が合図したら、妖怪を弓矢で狙って射ってみてくれませんか? 射抜いてやっつけるつもりで」


 俺の言葉にすずさんは了承し、たもとの影から弓矢を取り出した。そして、おあきちゃんの化けた拳銃ベレッタに伝える。

「おあきちゃん、化けなおして」


 すると、手元に握られた拳銃ベレッタから、サイレンサーが消える。


 俺は上空に銃の発射口を向けて、引き金を引き絞った。


 タタタン!


 乾いた火薬の炸裂音が、深夜の境内に響く。しかし、空を飛び回っている陰摩羅鬼おんもらきは、こちらに瞬間移動する様子はない。


 俺は叫ぶ。

「すずさん! 妖怪を射抜いてみてください!」

「あいよ!」


 すずさんが、矢をつがえて弓を引き絞り、手を離す。


 すると、飛矢は放物運動を描きながらまっすぐ陰摩羅鬼おんもらきに向かっていった。


 俺はそれにタイミングを合わせ、上空に向かって銃口を向けつつ、引き金を絞る。


 タタタン!


 再び火薬の炸裂音が境内に響く。


 すると、俺が天に掲げた右腕の先には既に陰摩羅鬼おんもらきが現れていた。


 陰摩羅鬼おんもらきはぐわっと大口を開け、拳銃ベレッタごと俺の右腕を食べようとした。しかし、その試みはすずさんによって阻まれた。


 先ほどまで陰摩羅鬼おんもらきのいた空中を、炎の渦が襲ったのであった。すずさんが炎の妖術で噴出させたものであった。


 しかし、その炎は陰摩羅鬼おんもらきの体を捕らえず、再び瞬間移動によって遠くに逃げてしまった。


 すぐ近くにいるすずさんが、しかめっ面をする。

「まいったねぇ! 弓矢はおろか鉄砲の弾も当たらないし、炎で焼こうとしても逃げられちまうよ! どう退治してくれようかねぇ!」


 だが、俺はもう既にあの妖術の正体を把握していた。火薬の爆発音が届くと、その音がした場所にテレポートする能力なのだ。


 俺はすずさんに伝える。

「大丈夫ですよすずさん。あの妖怪の弱点がわかりました。今日は無理ですけど、明日の夜ならたおせます」


 俺がそう言うと、すずさんは目をぱちくりさせた。


 結局その日の夜は陰摩羅鬼おんもらきの退治を諦め、俺たちは稲荷社に帰ることとなった。 



 ◇



 ここ、霊巌寺れいがんじにある杉の木の上を、この陰摩羅鬼おんもらきは気に入っていた。


 この妖怪は元々は人間だったはずなのだが、生きていたときの記憶など前世の記憶のように曖昧あいまいで、理性など彼岸ひがん彼方かなたへとっくの昔に流されていたようであった。


 この寺の周りを巡るひとけものさかなの迷える霊を、時折ときおり喰らっては、威風堂々と鳴き声を上げる。それが、すっかり妖怪となってしまったこの元人間の霊の生きがいであった。


 また、この陰摩羅鬼おんもらきは、坊主の唱える読経どきょうが大嫌いであった。


 きょうの声を聞くたびに、死した際にあげられた生臭坊主の出鱈目な読経どきょうを思い返してしまう。


 昨日の夜にも嫌で嫌でたまらない経を読むあやかし女狐めぎつねがいたので、そのお供の小僧の耳を喰ってやったところであった。


 そう考えていたところ、杉の木の上で留まっていた陰摩羅鬼おんもらきの耳に、あの女狐めぎつねが経を読む声が聞こえてきた。


 またか、今度こそ喰らってやる。


 陰摩羅鬼おんもらきはそう思い、杉の木から飛び立って辺りを見渡す。


 しかし、周辺には己の仲間であるあやかしが必ず発する妖気がない。


 おかしい、どこだ。


 陰摩羅鬼おんもらきは辺りを見渡す。しかし、やはりどこにも見当たらない。


 ええい、いっそのこと、あのお供の小僧が己に向けて鉄砲でも撃ってくれればよいのに。


 この陰摩羅鬼おんもらきの持つすべとは、殺意を向けられつつ鉄砲で撃たれた際に、火薬のぜた音のした場所にまたたうつうごくことができる、というものであった。


 鉄砲から発せられた火薬のぜる音の方が、弾より早く届くので、その音を頼りに音の元へ移ることができる。


 また、相手から逃げたいときは、逃げたい、と思うだけでまたたに逃げることができる。


 弓でおのれを射抜くには矢は遅すぎるし、刀や槍ではそもそも空に逃げれば届かない。


 つまり、この陰摩羅鬼おんもらきたおすには鉄砲で撃ち殺すしかないのだが、あやかしとしてのすべでそれもかなわない。


 己は無敵なり。


 そう、陰摩羅鬼おんもらきは思っていた。


 そして、あやかしの目で辺りを見渡してみると、妖狐の女はいなかったものの、昨日に耳を噛み千切ってやった小僧が何か細い串を何本も持っているのを見つけた。


 丁度良い、喰ってやる。


 そう思い、陰摩羅鬼おんもらきはその男に向かって急降下した。



 ◇



 すずさんとおあきちゃんとは別個に、俺は一人で霊巌寺れいがんじの境内にいた。


 手に持っているのは、この前鬼と闘ったときに使ったロケット花火の残り少ないストックであった。


――もうそんなに数はないけど、間に合ってくれよ。


 すずさんから預かった膏薬をまぶたに塗って一時的にあやかしの目になっている俺は、杉の木の上から陰摩羅鬼おんもらきが飛び立ち、こちらに急降下してくるのを確認した。


 俺はお稲荷さまに祈りながら、陰摩羅鬼おんもらきがぐんぐんこちらに向かってくるのをあやかしの目で見定める。


 まるでジェット戦闘機のように急降下して、陰摩羅鬼おんもらきが大口をぐわっと開けたその瞬間だった。


 カチ ピカッ


 俺は、手に持っていたLEDハンディライトのスイッチを入れ、至近距離に迫ろうとしていた陰摩羅鬼おんもらきの両目に当てた。


 シュン!


 陰摩羅鬼おんもらきの起こした風が、俺の片側を撫でる。光で目がくらんだ陰摩羅鬼おんもらきの突撃を、すんでのところでかわした。


――これで、あいつはほんの数十秒だけ、目が眩むことになる。


 その数十秒が勝負である。


 俺は、手に持っていたロケット花火の束のうち、ひとつだけにユーティリティライターで火をつける。


 シュルルルルル パン!


 手元から離れたロケット花火は宙高く舞い上がり、夜の闇の中にて炸裂音を響かせる。


 上空を見上げると、ロケット花火の火薬が爆発したすぐ傍に、陰摩羅鬼おんもらきがテレポートしていた。


――よし、目論見通りだ。


 俺はそう思うと、地面に転がっている蚊取り線香の切れ端が燃え尽きたのを確認する。


 この蚊取り線香の切れ端は、タイマー代わりに利用した。俺とすずさんで同じ長さに蚊取り線香を折り、その端っこに火をつければ、燃え尽きるまでの時間はほぼ同じとなる。つまり、蚊取り線香の燃える早さを利用して簡易のタイマーを作ったわけだ。


 何故に、こんなタイマーを作ったかというと、離れた所にいるすずさんとおあきちゃんがあの怪鳥、陰摩羅鬼おんもらきを攻撃できるタイミングを合わせるためだ。


 すずさんに経を読んでもらい、その読経をスマートフォンにて録音する。


 そして、俺がそのスマートフォンを杉の木の近くに設置して、時間と共に読経が開始されるようにする。


 陰摩羅鬼おんもらきが飛び出してきたら、俺はその陰摩羅鬼おんもらきを引き付けて目をくらませ、ロケット花火を打ち出す。


 何のために打ち出すか。それは勿論もちろん、本当の火薬の炸裂音を誤魔化すためだ。


 遥か遥か離れたところにあるやぐらにてすずさんが構えている、おあきちゃんが化けてくれたのショット音が聞こえないようにするためだ。


 ビシィ!


 今、上空にいる陰摩羅鬼おんもらきの羽が見えない弾にやられた。一拍ほど遅れて、ライフルのターンという音が、どこか遠くから聞こえる。


 ライフルの弾が飛ぶ速度は音速より速い。そして、あの妖怪が鉄砲の音を頼りに瞬間移動してしまうのならば、。それが俺の作戦だった。


 俺は、ライターを持っている右手を袂に突っ込んで、オペラグラスを取り出した。


 オペラグラスを除いて夜空を見てみると、陰摩羅鬼おんもらきの羽に孔が開いているのがわかった。


 陰摩羅鬼おんもらきの位置を確認した俺は、再びライターでロケット花火に火をつける。今度は二発同時だ。


 ヒュルルルル ヒュルルルル パン! パン!


 俺の手元から勢い良く駆け上がった花火は、宙をきりもみする陰摩羅鬼おんもらきの近くで爆発する。


 何が起こっているのか、まったくわかっていないという感じだ。500メートル以上離れた場所から狙撃されるなんて事実、この時代の妖怪が知るよしもないが。


 ビシィ!


 今、俺の上空で陰摩羅鬼おんもらきが胴体を打ち抜かれたのがわかった。


 ターン


 一拍遅れて、スナイパーライフルのショット音が夜の深川に響く。


 俺はロケット花火を上空に打ち上げてる最中に、もうあの妖怪の命運も長くないことを悟った。


 すると、陰摩羅鬼おんもらきが俺の方に顔を向けて、急降下し始めた。せめて道連れに俺を喰らうつもりなのだろう。俺は即座に手に持っていた花火を投げ捨て、スイッチを入れたままだったLEDハンディライトを口に咥えた。俺の口の先から光の放射が伸びる。


 陰摩羅鬼おんもらきは、ぐんぐんとこちらに向かっている。LEDライトの光で目がくらんでいることなんて気にしていない、光を放つ俺を目標として迫ってきていた。


 俺は、たもとから素早くコールドスプレー缶を取り出し、陰摩羅鬼おんもらきがまさに俺にかぶりつこうとしたときに、ライターの炎の前で勢い良くスプレーのLPガスを噴射した。


 ボワァァァァァ!


 この時代なら妖術使いにしか出せないような赤々とした炎が闇夜に広がる。


 陰摩羅鬼おんもらきは、その炎に驚いたのか、遠ざかる瞬間移動の妖術を使ってしまったようだ。その瞬間移動の先とは、目線のずっと上、遥か上空であった。陰摩羅鬼おんもらきの体が、俺が口に咥えたLEDライトの光で照らされる。


 パスン!


 陰摩羅鬼おんもらきの頭を、スナイパーライフルの鉛弾なまりだまが撃ち抜いた。一拍遅れて、ターン、という銃声が夜の境内に響いてくる。


 その哀れな妖怪は、腐った木の実が落ちるかのように、羽をすぼませて上空からぽとりと地面に落ちてしまった。


――調伏完了だ。


 俺が近づくと、そのむくろからは、命の明滅が盛んに蒸発していた。


――でも、俺はこの妖怪の御魂なんて出せないしな。


 そう思ったところ、一際大きな光点がしゅっとそのむくろから飛び出した。そして、陰摩羅鬼おんもらきの体も跡形もなく消えてしまった。


 そこで俺はたもとから、用意していたポリ袋を出した。


 すずさんがいつも紙で包んでいるけど燃えないってことは、ポリ袋で包んでも多分溶けないだろうと思ってあらかじめ持ってきておいたものであった。


 ポリ袋の中に収めた陰摩羅鬼おんもらきの御魂は、袋のなかで提灯ちょうちんの炎のように輝いていた。


――この綺麗な光、葉月にも見せてあげたかったな。


 俺はそんな叶えられない願いを思うと、すずさんとおあきちゃんがここに来るまで、その御魂の明かりを眺めていた。


 天の川輝く夜の空の星の下で、いつまでもいつまでも眺めていた。その魂の放つ輝きは、あの禍々まがまがしい妖怪の魂とは思えないほどに美しい光彩こうさいであった。

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