第三十六幕 捻伏悪鬼との戦い



 四月の十五日からの初夏の低い満月が、南から西のほうへと架かり始めた深夜のことであった。


 白衣袴を着た俺は、白衣緋袴姿のすずさんと、赤茶色の振袖を着たおあきちゃんと共に、北本所の東の方にある雑木林に来ていた。この時代はこのあたりには、自然がまだまだ多いらしい。


 地面が柔らかい雑木林を歩いている。両脇に狐火を一対浮かべたすずさんのすぐ後ろを俺たちがついていくと、すずさんが声を発した。

「りょうぞう、おあき、いたよ。ありゃぁしらせ通り、わるさするおにだね」


 雑木林の少しだけ木が疎かな場所にて、大きな体の化け物がむしゃむしゃと牛の死骸にかぶりついていた。焼いたりなぞしていない、頭が大きくへこんだ牛の胴体を生のまま喰らっていた。


 そこにいた化け物は、俺たちの方にゆっくりと振り返り、立ち上がる。以前に見た相撲取りとは比べ物にならないほどの巨体であった。癖毛でぼさぼさの頭には一対の角が生えていて、身につけているものは腰布一枚。身の丈は一丈(約三メートル)ほどのおにであった。肩幅の広い筋骨隆々とした赤い体には、青い血管が浮き出ている。


 そして禍々まがまがしいことに、満月の光が照らした鬼の右手に握られていたのは、黒光りする鉄でできた相当な凶悪さを比喩するような金棒であった。


 鬼に金棒。


 そんな慣用句を思い出した俺は、おあきちゃんと目配せする。そして、おあきちゃんに拳銃ベレッタに変化してもらった。俺の手に拳銃ベレッタが握られ、その銃口がおにの体に向けられる。


 すずさんも、たもとの影から薙刀なぎなたを出し、柄を握り構える。


 するといきなり、俺たちの殺気を感じたのか、おにが金属棒を振りかぶりながら俺たちに向かって突進してきた。


「ごぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 獰猛な獣のような絶叫を響かせ、おには金棒を大きく振りかぶる。


 俺たちは咄嗟に、鬼から視線を外さずに手近にある木の影に隠れる。


 バキッ!


 太さ半尺(約15センチメートル)はあろうかという木の幹が、簡単にられた。木はそのまま倒れ、ばさばさと派手な音を出して横に倒れる。鳥が逃げる音が深夜の雑木林に響く。


 俺は、五メートルくらい離れた所にいるおにに銃口を向ける。狙いはもちろん頭だ。


――この距離なら外さない!


 タタタン! ガキキキン!


 拳銃ベレッタの銃弾は全て、鬼が素早く構え直した金棒で防がれてしまった。


 脇目では、すずさんが薙刀なぎなたの刃を向けて、鬼に一直線に突進する。


 ガキン!


 すずさんの刃もまた、おにの手に持つ金棒にて弾かれてしまった。


 しかしすずさんは、そんな事は想定内だといった余裕の表情で、左手を鬼に向ける。


 ボワワワァァ!

 すずさんの左手から、炎が勢い良く噴き出す。


 しかし、鬼はそんなことなぞ予見していたかのような表情を見せ、その場から消える。


 俺は叫ぶ。

「すずさん! 上です!」


 鬼はその場から垂直に三メートルほどの高さまで跳躍し、すずさんに向かって金棒を突き立てようとした。


 俺は、おにの手に持つ金棒に向けて、咄嗟とっさに銃弾を発射した。


 ガキーン!


 金棒の切っ先に銃弾が当たり、金棒の先がぶれて地面に突き刺さる。鬼が着地する寸前にすずさんはバックステップで鬼をかわす。


 すずさんは即座に後ろに薙刀なぎなたを放り投げ、自らは背を反らして両手を地面につけ、バック転を二回繰り返す。そして二回転して立ち構えたところで、先ほど放り投げた薙刀なぎなたの柄をがしりと掴む。


 おにがじろりと俺を見る。そして俺に向かって金棒を振りかぶる動作をする。


 すずさんが、俺に向かってげきを飛ばす。

「りょうぞう! 広場だよ! 広場に誘い込むよ!」


 その言葉に俺は承知して、威嚇射撃を続けながら木の影に隠れつつ、後退する。


 木の影に隠れながら銃弾をおにに向かって撃つも、鬼は俺の視線と銃口の向きでどこに当たるかを判別できるようで、あの金棒にて全て防がれてしまう。金属音がいくつもいくつも、満月の明かりが通り抜ける雑木林に鳴り響く。


 雑木林では、双方が攻めづらく守りやすい。そこら中に木が生えているのだから、薙刀なぎなたを振ることができるスペースも限られる。


 だから、広場にて炎で包んで一気に焼き殺す。それがすずさんの作戦だろう。


 俺とすずさんは、弩級どきゅう咆哮ほうこうを絶え間なく続ける鬼に背中を取られないように慎重に後退し、なんとか雑木林の切れた開けた場所までたどり着いた。


 深夜であり、満月の月明かりが道や畑を照らしているだけである。人家じんかはかなり遠く、草がそこら中に生えた広場であった。


 雑木林を出た俺とすずさんは、十メートルくらい離れた所にて、鬼が木々の間から出てくるのを待っていた。おあきちゃんにも、拳銃から自動小銃に変化しなおしてもらった。


 すずさんも目の前に赤い狐火を渦巻かせて、爛々らんらんとした表情で両手を構え鬼が出てくるのを待っている。


 出てきたところを銃弾と炎で痛撃つうげきを叩き込む算段であった。






 やがて、鬼が出てきた。まさに鬼のような形相で。俺たちが攻撃を加えようとした瞬間に、金棒を握っていない左手を俺たちに向けて開きてのひらを見せた。


 どくん。


 その時、異常が起こった。


 俺が手に持っていた自動小銃は、しゅるりとおあきちゃんの姿に戻ってしまった。おあきちゃんは、戻ってしまった自分の両手を見て、目をぱちくりさせている。


 横を見ると、すずさんの目の前に浮いていた炎も、消えてしまっていた。


 俺は叫ぶ。

「まさか!?」


 月の浮かぶ反対側の地面に浮き出た俺の影からは、中に閉まってあったはずのスポーツバッグが地面の上に現れていた。横を見るとすずさんのたもとの影からは、薙刀なぎなたや日本刀や小刀や弓矢、更には夜の町を歩くときに使った提灯のような小道具などがぼろぼろとこぼれ落ちていた。


 すずさんは、冷や汗をかきながら口を開く。

「ふっ! ふふっ! 相手のすべせるすべかい! 趣味が悪いねぇ!」


 俺は、あの屈強なおにが使う妖術を理解した。

――使なのだ。


 と、いうことは、おあきちゃんの治癒の妖術も使えない。あの金棒で打ち据えられたら相当な重症を負うだろう。しかも、あのおにが生きている限り、おあきちゃんに治癒してもらえないのである。


 俺は、おあきちゃんの手をとって背中に回し叫ぶ。

「おあきちゃん! おあきちゃんは下がっておいて!」


 その言葉におあきちゃんは何も言わず、スポーツバッグの傍に寄る。


 ふと、雑木林の近く、八メートルくらい離れた所にて、おにがそのてのひらを下に向けて何度もくい、くいと曲げている。こっちに来いと挑発しているのだ。


 いきなり、すずさんは地面に落ちていた薙刀なぎなたを掴み、一直線におにに向かって駆け出した。俺も、すずさんのいた場所の近くに落ちていた日本刀を拾い上げ、すらりとさやから刀を抜く。


 ガッキーン!

 すずさんの持つ薙刀なぎなたの刃が、おにの持つ金棒とぶつかる。


 鬼は金棒に、すずさんは薙刀なぎなたに力を込めてぎりぎりと力で押し合う。


 すずさんの方が力比べでいえば分が悪く、おには余裕の表情であった。そこで、刀を振りかぶった俺は、がら空きになったおにの向かって右側へと刀を振り斬り付ける。


 シュッ


 おに俊敏しゅんびんな動きで体をかわし、すずさんの薙刀なぎなたの刃を金棒で大きく弾き飛ばす。


 するといきなり、鬼がその手に持つ金棒を大きく横に振りかぶり、俺の頭を打ち据えようとする。


 ヒュン!

 俺は咄嗟にしゃがむ。俺の頭の数センチメートル上を金棒が通過した。頭頂にある髪の毛が、鋭い牙のような風を感じた。


 頭をかち割り損ねたおにの挙動を好機と見た俺は、鬼の喉を突こうと刀を突き立てる。


 ざくり。


 俺が手に持つ刀で突き立てたのは、鬼の金棒を持っている右腕の外側であった。おにがまさに鬼のような反射神経で、瞬時にガードしたのであった。


――浅い!


 おには、その金棒を上の方に振りかぶり、俺の頭めがけて今まさに金棒を撃ちつけ下ろそうとした。


 その刹那だった。


 ザクリ。


 すずさんの薙刀なぎなたの刃が、鬼の腹筋に刺さった。すずさんは、にやりと口元を歪めた。


 しかし、おには余裕の表情で自らの脇腹に刺さった薙刀なぎなたの刃に近い柄の部分を掴み、すずさんを薙刀なぎなたごと持ち上げてしまった。


「がぁっ!!」

 鬼は、怒号と共に薙刀なぎなたをぶん投げてすずさんごと遠くに飛ばした。すずさんは、少し離れた場所に背中からどさりと音を立てて落ちる。


――こいつ、強い!


 俺がそう思ったところ、直近にいるおには俺に向き直り、右手に持った金棒をもう一度上に振りかぶる。


 そして、鬼は咆哮を響かせ俺の頭に振り下ろさんとする。頭蓋骨を叩き潰すつもりだ。鬼が叫ぶ。

「ぐぁぁあぁぁぁあぁ!!」


――死ぬ!


 俺がそう思い、気休めに刀でガードしたところ、ひゅるるるという音を出して鬼の顔に何かが当たった。


 パン!


 その何かは、鬼の顔のすぐ近くで爆発した。どうやら打ち上げ花火のようであった。


 ヒュルルルルル。パン! パン!


 何度も何度も、打ち上げ花火の炸裂音が鬼の顔の間近にて響く。


 後ろを見なくても、後ろで誰が何をしているかはわかる。おあきちゃんが、花火とライターを使って援護してくれているのだ。


「ぐがぁぁあぁぁ!」

 火薬の音と煙に油断したおには、花火を撃っているおあきちゃんの方に目を向け、一瞬だけ俺から視線を逸らす。俺はその好機を見逃さなかった。


 ざくり。


 刀の切っ先で、おにの右目を突き刺してやった。


「ぐがぁぁぁぁぁ! ごぉぁぁぁぁぁ!」


 相当に痛いのだろう、鬼は手で顔を覆い、叫ぶ。もう片方の目もつぶり、絶叫する。


 その隙に俺は後退し、花火セットとユーティリティライターを持っているおあきちゃんの方向へ駆けようとする。


 俺の後ろから、どす! どす! という鈍い足音が近づいている。おそらく鬼は俺を追いかけて金棒を振りかぶっているのだろう。だが、俺は後ろを振り返らずにおあきちゃんの下へ駆ける寄る。


 ばきり!


 後ろから、鬼の脳天を揺さぶるような肉の音が響いた。すずさんがおそらく何かしてくれたのだろう、飛び蹴りあたりか。


 俺は、花火セットとライターを持っているおあきちゃんを抱えて、大急ぎでおにの周囲をぐるりと回るように駆ける。


 視界の中では、すずさんが薙刀なぎなたを構えて何度も何度も斬激を加えている。鬼の金棒に何度も防がれている。薙刀なぎなたの刃は少しだけ腕をかすりもしているが、どれも致命傷にはなっていないようであった。


 少し離れた場所にて俺は、日本刀と引き換えにおあきちゃんからライターと花火セットを受け取る。そして、ヘビ花火をありったけ出し、全てに火をつける。


 そして火のついたヘビ花火を、鬼の足元に次々と投げる。


 もくもくと煙幕が出てきて、鬼の周囲をすっかり煙で隠してしまった。


 すずさんは、煙にくらまされたおにから離れ、体勢を立て直す。


 俺はおあきちゃんに、花火の種類を少しだけ教えてから、すずさんに加勢するためおにに向かって駆ける。俺の手にはもちろん受け取った日本刀が握られている。


「すずさん! けむりにまいて挟み撃ちです!」

 俺が叫ぶと、すずさんが大声で応える。

「あいよ!」


 すずさんがおにの正面、俺がおにの背中から攻めるように回り込む。


 満月の光の下、もくもくと立ち込める煙の中におにがいる。そして、おあきちゃんが手に持った十連発の打ち上げ花火から、火花が次々と発射されて鬼に向かう。


 ひゅん! ひゅん! ひゅん!


 打ち上げ花火の玉が何発か鬼に当たる。鬼の正面からは、すずさんが薙刀なぎなたで応戦している。


 俺はその隙におにの後ろから、おにの後頭部、脳髄の詰まっている急所に向けて刀を突きたてようとする。


 すると、おにが体を後ろによじって、不安定な体勢ではあるが片手で握った金棒をぶんっと力強く横にぐ。


「がぁあぁ!」

 ばきり!


 叫んだ鬼の金棒が、俺の脇腹にクリティカルヒットした。俺は五メートルほど空を舞い、宙を抜けて吹っ飛ばされる。


「あぁぁぁっ!!」

 

 俺は地面に寝転んで叫ぶ。腰から下がまったく動かなくなった。


 おそらくは背骨ごと脊椎せきついが切れたのだろう。鬼が無理な体勢で繰り出した打撃だったので体が切断こそされなかったのだが、下半身不随のダメージを負ってしまった。


 俺は地面に横倒しになったままたもとに手を入れる。


 おにはずん、ずん、と足音を立てて俺に速やかに近寄る。そして、俺のあごを片手で掴み、そのまま持ち上げる。


 喉を締められて息ができない。死ぬ。このままだと間違いなく死んでしまう。


 俺がそう思ったところ、足元にて火薬の炸裂音が鳴り響いた。


 シュルルルルル! パン! パン!

 それは、ネズミ花火の大群だった。おあきちゃんが投げ込んでくれたものだ。おにはその騒がしさに下を向く。


――今だ!


 そう思った俺は、先ほど地面に倒れたときに握り締めていた手を開く。


 ばさっ!


 袂の中には、花火から取り出した火薬を入れていた。そしてその握り締めていた火薬を、油断した鬼の左目にばさっと振りかけた。


「ぐがぁぁぁあぁぁぁ!!」


 鬼が叫び、手で左目を隠す。花火の火薬にはアルカリ性薬品が入っているので、目に入ったら激痛を引き起こす。幸いなことに、それは鬼の目でも同じようであった。


 鬼の手から開放された俺は、下半身が麻痺したままどさりと地面に落ち、そのまま寝転ぶ。


 ざくり。


 肉を引き裂く音と共に、鬼の動きが止まった。そしておにはその体をゆっくりと崩落させる。


 どさりとたおおにの後ろには、薙刀なぎなたを構えたすずさんが立っていた。


 薙刀なぎなたの刃の先は、赤い血にまみれていた。どうやらおにの後頭部から、脳幹のうかんを突き刺したらしい。


 鬼のたおれた身体からは、命の灯が蒸発している。そしてすずさんが魂の炎を手繰る仕草をすると、大きな光点がおにの屍からしゅっと飛び出した。


 そして、そのあまりにも大きな体躯は、幻のように消えてしまった。


 すずさんは、胸元から取り出した和紙にて、そのおにの御魂をうやうやしく折りたたんだ。


 すぐにおあきちゃんが俺の近くに駆け寄ってきて、俺の腰元に手をかざしてくれた。腰から下にあたたかさを感じ、折れた背骨も脊椎せきついも元通りになったのがわかった。


 俺はすぐさま立ち上がり、おあきちゃんに感謝の意を込めて頭をぽんぽんと軽く叩く。


 すると、おあきちゃんは俺の胴体を抱きしめて、泣いて叫ぶ。

「よかったぁ! りょう兄ぃが死ななくてよかったぁ!」


 俺も、おあきちゃんの両肩に手を回して、軽く抱き寄せる。


 すると、すずさんが俺に向かって言い放つ。

「りょうぞう、女を泣かせるなんて、おまいさんも随分と罪作りだねぇ」


 すずさんは、少し茶化しているようであった。


 ぼろぼろと涙を流しているおあきちゃんを抱き寄せながら、俺は空に低く架かる満月を見上げていた。


 俺が江戸に迷い込んでから、俺を好きだった葉月はづきは泣いていたのだろうか。いきなり行方不明になった俺を思って、一人で泣いてくれたのだろうか。


 いくら月に祈っても問いかけても判らない想いが胸を貫く。


 まだアポロ計画で人が降り立ったことのない無垢な満月は、そんな俺の疑問など気にしないかのように煌々こうこうと夜の本所を照らしていた。


――葉月はづきは、あの月を見ていないんだ。

――今はまだ、江戸時代だから。


 「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」とやくした文豪は、どんなに離れていてもあの人も同じ月を見ているかもしれないという希望が胸にあったからこそ、そんなやくを考えたのかもしれない。


――あの月明かりの下に、葉月はづきはいない。


 俺はそう思うと、腰の辺りで泣き続けているおあきちゃんを抱き寄せつつ、背中を優しくぽんぽんと叩いた。


 それは、俺の事を大切に思ってくれている、かけがえのない家族同然の幼い女の子に対する、俺なりの愛情表現であった。


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