第63話

蘭が単独で帰国するのは8月29日(土)。

彼女の飛行機ひとり旅は初めてではなかったが、気になって仕方なかった。まだ、妹の桂を一人で飛行機に乗せる勇気はない。蘭よりふた回りほど身体が小さく、思考的にも幼い桂は、まだ柔らかい幼児みたいな尊さがある。蘭の乗ったEVA AIR機が無事着陸したNow Landingの表示を確認した時は、バンザイしたいくらいだった。このテの心配は、親である限り、慣れることなく続くのかもしれない。


台湾では新学年、日本では2学期が始まり、娘たちがそれぞれのイデタチを整えて登校して、〝今年の夏が理想的に過ごせた〜〟と感慨深い9月1日。発案、計画、実行、実行中すべてに、ジャックの影を意識し、計画がそれにより頓挫しないか常に気を抜けないのだから、達成感は思いの外大きい。神仏に合掌する思いだ、本当に。


桂が来日中に始まった日本語講習は8月25日に終了し、次の講習が早くも9月21日にスタートした。プリザーブドフラワーやドライフラワーの製造会社の次は、縫製業の技能実習生たちだった。日本の縫製業界はしばらく、中国人労働力に頼ってきた。工場で縫っているのはほとんどが中国人で、日本人は70歳以上の高齢者しか見当たらないのが普通で、あとは内職者が支えている。私が日本語を教える中国人の多くも、縫製工場に来た人たちだった。

この講習がまた約1ヶ月間続き、終了が10月21日。この時点で、日本語を教える仕事が完全に終わってしまった方がかえってキリが良かったとも思うが、年明け(2016年) 1月上旬に中国人実習生の来日が決まっていた。これがナンとも悩ましかった。仮に、何か職(バイト)に就いて、11月12月と2ヶ月働くのと、1月を待って日本語講師に専念して1ヶ月皆勤するのと、手取りは同じくらい。なら、好きな中国語に関われる仕事を優先したい。でも、それまでの2ヶ月あまりがもったいない気持ちがせめぎ合った。都会のように、人材派遣会社に登録しておいて、単発や短期で気楽に身軽にお金儲けができる環境にもない。

田舎暮らしがもてはやされ、積極的に田舎に住もうという人々が増えているが、不便な地で生まれ育った者にすれば、複雑極まりない心境になる。

都会なら、コールセンターやデータ入力、イベントスタッフなど、1日からOKというおいしいバイトが豊富にあって、こういう端境期にぴったりだったのに。

私は悔やんでもしようがない事を10日間ほど尻目に迷っていた。


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