第57話

うしろ髪を引かれつつ、小学校に届いたばかりの1年生の教科書を蘭と一緒に校長室で受け取り、2010年4月6日、母娘3人は日本を去った。

私がうつ病で倒れたのは、このおよそ1ヶ月後。ジャックのもとへ帰ってほどなくして、心の病の諸症状は少しずつ現れていたのだと、よく考えてみたら合点が行く。

うつ病とストレスの関係の大きさはよく知られているが、私の場合、小舅というべきか、監視者というか、ダメ出し専門の見張り役か、とにかくそういう存在になってしまった自分の伴侶と同居するストレスは年々蓄積して、重篤になっていた。

その他にも思い当たるのは、父の病状である。携帯用酸素吸入器を転がし歩いたり、助手席に積んで運転やちょっとした買物を楽しんでいたが(7ヶ月間入園前の桂は、よくじーちゃんとお出かけした)、ひとり娘と孫2人が台湾へ戻る春には、家中の壁をつたって、怖々と一歩一歩をゆっくりゆっくり進めるほど病は悪化していた。

その姿は、とても不憫で痛々しかった。ショックで脳裏に焼きついた。

私は、台湾に帰るのは実は不本意で、父と母にも申し訳ない、と話したが、父の、

「それは当然や。君たち3人がここに来てる事の方が特別な状態なんやから。」

との、得心した穏やかな口調におおいに救われたのだけど……


「君はもう帰って来なくていいよ。」

と何度か言われたが、私は娘たちと離れる気はなかった。ジャックと別れる=娘たちとも別れる、経済的に困窮する、だった。それに、まだあの時は、我々夫婦関係の再建に一縷の望みを抱いていた。


なぜ、台湾在住の桂が蘭と同じ小学校に行けて、授業を受ける資格があるのか? なぜ桂を小学校に行かせたいのか? を説明するのに、多くの紙面(?)を要した。

蘭と同じように、桂にも日本に‘同窓生’がいて、いつでも机を並べられる‘同級生’がいるのだ。

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