第21話 セヴァン谷の汚物
――門を抜けてもそこは暗闇が延々と広がる冷たい空間だった、体内の蟲達が疼くせいで気絶すらできなかった僕は、背中にのしかかる優奈さんを担ぎなおす。
「永井さん、大丈夫ですか?」
同じく疲労と激痛に顔を歪ませる永井さんはその小さな体に気を失った夢子ちゃんを背負おうとしていた。
【
「もちろんですわ。急ぎ離れましょう、無駄にはしたくありません」
何を無駄にしたくないかはすぐに理解できた。
未だ対抗する術をもたない僕たちはその場から逃げ出す。
懐中電灯の明かりで辺りを照らすと、僕たちが使用した門の両側にも同じような門が並んでいるのがわかる。それは明かりの届く先までズラリと続いていた。
行く当てもなく歩みだす、地面には人の背丈もあろうかという得体の知れない足跡が元の門へと続いていた。
「ハァ……ハァ……」
いくらか時間をかけたにもかかわらず距離を稼げなかった僕と永井さんは互いの体力の限界を悟りヨレヨレとくたばる。
「すこし……ハァハァ……やすんだ……あとに……」
「えぇ……かしこまりましたわ……ハァハァ……」
だが一度座った僕らが動き出す事はなかった、死を受け入れる覚悟の無さに
【
そんな中、何かが聞こえた……聞き覚えのある声……まさかそんな……。
気づいたときには残りカスになっていた気力で叫んでいた。
「丁字先生!……亜美さぁ……ん」
声がした暗闇の先から数人の駆け足が聞こえてくる、その頼もしい音を聞きながら力が尽きたのか目を
――瀕死の僕たちを亜美先生が率いるイギリス人探索者チームが保護してくれている、どうやら専門の医師もいたようで心身ともに持ち直していくのがわかった。
【
見れば気絶していた優奈さんや夢子ちゃんも気を取り戻し、イギリス人が用意してくれた飲み物を
僕にもそれを届けてくれた亜美先生と話をする。
「あの、ここは大丈夫なんですか?」
「全然大丈夫じゃないわよ、迷宮の主ことアイホートの
「そっ、そうですか……それは残念です……」
「それより、あなたたちはどの門からイギリスへ来たの?」
「どうしてですか?」
そう聞くと手を前に突き出し青い水晶を差し出しながらこう言う。
「これは土岐源蔵と言う男が15年前、イギリスから出国する際に税関が押収した
「みっ、見せていただいても?」
「えぇ、どうぞ」
他のイギリス人3名が心配そうに見守る中、僕はその水晶を手に持ち裏面を確かめる、ミミズが這ったような英語の筆記体で何かが書かれていた。
【
『迷宮の主に抗う者へ 魔避けの呪詛を込めて』
「優奈さん、赤い水晶を……」
「うっうん……」
僕がそういうと狂気から回復していた優奈さんが素直に水晶を渡してくれる、それを見た亜美先生とイギリス人たちからどよめきが上がったのがわかった。
僕はそれらの切断面を重ね合わせてみる……ピッタリと符合した、その刹那っ!?
10日間出なかった腹痛混じりのお通じがスッキリと体外へ放出されていく夢のような快感に抵抗できようはずも無く、僕は仲間たちが見守る中、体内の嫌な物全てを出し切ってしまった。
「……あの永井さんと優奈さんも……」と1つになった水晶を彼女たちに差しだせば「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」と言う悲鳴と共に左右の頬が腫れ上がるのも当然の結果だった。
結局、永井さんと優奈さんもそれを使用する覚悟がついた様子でコソコソと暗い岩場まで移動し、水晶は亜美先生に持って来て貰っていた。
僕の汚れちまったズボンはその場に捨て去ることになり、軍人風のイギリス人が大笑いしながら予備のズボンを提供してくれた。
僕がズボンをはいていると夢子ちゃんが沈んだ顔で聞いてくる。
「あのあかいすいしょうは、ははうえのか?」
「うっ、うん……」一瞬、言葉に詰まったが、誤魔化さずにそう返事をすると彼女は
「そうかまにあわなかったのだな、うっうわぁぁぁぁぁぁ」と僕に抱きしがみ泣いてくるのだった。
全部知ってたんだ、この子は……。
処理を終えた永井さんが駆け寄って夢子ちゃんを優しく慰めている、得意の技能に頼らずに……。
そんな中、僕らは改めて互いの情報を交換し、イギリスチームとの協力体制が決まっていく。亜美さんたちはアイホートの封印が目標であり、こちら側の目的である三島さんの救出と土岐源蔵の対処は問題にしていない事を告げてきた。
しかし封印には日本への門前にある石版、こちらが所持している赤い水晶と日本側にも協力者が必要であると説明される。
つまり協力するなら青い水晶を貸してやると亜美先生が仲間たちを説得し、こちら側へ提示してきたのだ。
そのありがたい申し出を受け日本へ通じる門へと戻ることとなった。
「亜美先生、悪いんですが夢子ちゃんを頼んでいいですか? おそらくそのアイホートとやらは日本側にいると思うんですよね」
「えぇ、わかった。私が守れなかった美佐江の子供ですもの。喜んで引き取らせてもらうわ」そう寂しそうに言うと夢子ちゃんと手を繋いだ。
「わかったのだゆめこはこっちにのこるのだ」グッと涙を
全員で門前を捜索すると石版は簡単に見つかった、日本と同じく窪みが1つ空いており英文でなにやら書かれている、その後には写真に撮ったラテン語と同じ文章が続いていた。
永井さんが言うには署名がチャレンジャー教授となっている他は大した違いはないらしい。
イギリス人チームに再び戻ってくることを約束する、しかし彼らは僕らが失敗した場合には石碑に書かれた退散の呪文を試すと言ってすでに解読に乗り出していた。
現実思考な探索者チームのようだ、亜美先生が痛々しく笑う中、僕と永井さんと優奈さんの3人は再び門へ突入しようとしている。
――もう慣れたものだった、火星組の3人は気絶する事も無く門を潜り抜けた。
僕はすぐに辺りを確認した後1つになった水晶を掲げ、亜美先生に教えてもらった蟲除けの呪文を唱える。
赤い水晶を持っていた時間が短く精神に余力のある僕がこの詠唱係りとなったのだ。
「大丈夫そうだよね?」優奈さんが身を寄せながら聞いてくる。
門前の広い空間からはあのおぞましい空気は漂っていなかった。
【
【
【
「あちらの方に移動したようですわね」肌で何かを感じ取った永井さんが地面の巨大な足跡を照らしながら言う。
「あっちは確か……」優奈さんがラクガキを出して確認する、それは『きけん』と書かれた方向で間違いないようだ。
「優奈さん、三島さんの足跡は追える?」
「うっうん、やってみる」
まずは三島さんからだ、早く助けてやりたい。
【
グッと拳を上げ優奈さんの後をライトで照らしながら追いかけていく。
「あれ? これって……まさか……」優奈さんが独り言を呟いた。
皆の不安とは裏腹に三島さんの足跡は梯子の方へ続いていた、なんなく入り口まで戻ってきた僕らは梯子の上を見上げる
蓋が閉まっていた。
「僕が見てきます」
そう言うと梯子を駆け上り肩で蓋を押す……すると簡単に開いた。
ホッとした安堵感がしたものの気を取り直す、そしてそのまま物置へ侵入し、誰もいないことを確認した。
「伊吹もいないのか……」
地下に残る2人に合図を送り物置まで来てもらう。
「どうなさいますか? 恭平様」
【
「2階から声が聞こえます、もう蟲もいませんし大旦那の部屋とやらに行きましょう」
僕がそう決断すると2人は黙ってうなずいた。
慎重かつ迅速に2階へ登り源蔵の部屋の扉前まで来る、ここまで近づくと4人程度の人物が怪しげな
【
「みのりちゃん、三島さん、それからメイドさんともう1人……」
優奈さんがそう伝えてくる、全員がここにいるようだ。
この中で一番素早い優奈さんに水晶を渡しまずは三島さんの蟲の除去を考える事にする。
永井さんはなぜか厚手のストッキングを脱ぎその中に懐中電灯の単1電池を何個も詰め込み、それをビュンビュンと素振りしていた。
その様子を眺めていると。
「恭平様、生足がそんなにお好きでして?」
「鈴くん」
思わず笑みがこぼれる、こんな軽口がたたけるまでにチームの状況は回復していたのだ。
そして僕の合図と共に扉をバンッと開き、3人は中へ突入する。
――完全に奇襲が成功した、ドアに背を向けるように4人が並んでいてその正面にはギリシャ神話のような祭壇がある。
【
優奈さんは迷わず三島さんの広い背中に水晶を押し当てる、その瞬間僕と同じように三島さんはゴボゴボと口や尻から蟲の死骸を排出しバタリと倒れもがき苦しみだした。
「ゴェウゴェロ……ハァハァ……ウェうぅぅ……」
【
その彼を取り押さえようとしたが腕を払いのけられてしまった、クソッ。
【
そんな中、聞きなれない武器の名前のログが流れ源蔵の頭に炸裂した。
「ぐわあああ」
ローブを身にまとった老人がフードに血を滲ませながら杖を振り回しこちらを振り向いた。
「貴様らぁぁぁぁ」老人とは思えない豪快な罵声、怒りに満ちた表情でこちらを容赦なく睨んでくる。
「貴様らこんなことをしてただでは済まさんぞ、夢子をどこにやったぁぁぁ」
虚ろな目をしたメイドさんと、ニヤニヤと口から涎を垂らす伊吹もこちらに対して身構える。
床で汚物を撒き散らす三島さんを横目に、決戦が始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます