(7) “わたしたち”のステージ!

 アドベンチャーラグーン・ステージの時計は8時40分を過ぎていた。みんなはきれいになったレストルームに満足して、バックステージに戻ろうと表に出たところだった。


 だが先頭を歩いていたこまちが足を止め、入り口付近で軽い渋滞が起きた。

 いずみが、なに? どうしたの? と尋ねると、こまちが外を指差して、「あめ!」と教えた。外からは大きな雨音が聞こえ、風に乗って雨の匂いがみんなのもとまで届いてきた。いずみがこまちを追い抜いてレストルームを出て軒先まで小走りで進んだ。

 

 「げ、土砂降りじゃんか!」


 舞もいずみに追いついて、いずみの隣に立った。地面には水たまりができて、通りを挟んだ向こう側のパラソルの下には出勤途中のキャストが逃げ込んでいてハンカチで腕を拭いたりしていた。いずみが空を見上げて、舞の背中を軽くたたいた。


 「大丈夫、通り雨だよ。ほら、青空も見えるし」

 「うん……ステージ大丈夫かな…?」


 幸いなことに通り雨は5分も続かずに終わり、黒い雨雲も東に向かってゆっくりと流れて行った。厚い雲の間からは陽射しも差し込んできて、雨はしばらく降りそうにはなかった。


 パーク内にはBGMも流れ始め、クリンナップ・アーティストのキャストたちも大きなフロアースクイージーを引きながら急いで地面の水たまりを除去し始めた。雨の後は空気も洗い流され、雨に濡れた建物や植物たちが日に照らされて輝く。その姿は雨の直後だけに見れる美しい光景で、それはそれで見る者の心を弾ませるものではある。舞は、その光景をみて素直に感想をつぶやいた。


 「雨上がりってきれい……」


 だが、つばさが頭をかいて弱っていた。ある事実に気が付いたからだった。

 後頭部の髪をなでながら、つばさは口をひらいた。


 「客席拭いたの、無駄になっちゃったけどね……」


 つばさの気まずそうな視線の先に雨に濡れて輝く場所があった。

 客席のそばまでみんなで歩いて、そこから客席をのぞきこんだ。さっきまでみんなで雨水を処理した客席やステージが、また雨に濡れてたっぷりと水を抱きかかえていた。みんなからため息が聞こえ、SVも舞にどう声をかけたらいいのかわからず黙って客席を眺めていた。こまちが残念そうにSVに顔を向けた。


 「しょっく!」

 「まいったわね。ナイトさんはほかの場所にいるし、クリンナップさんも開園準備で忙しいだろうし……」


 気落ちする舞と考えこんでるSVを交互に見て、さくらは美咲に視線を戻した。


 「どうしよう……次、もうスケジュール、あるよね……」

 「うん……みんなでやれば20分ぐらいでなんとか…」


 それを聞いたSVは腰に手を当てながら諭した。


 「だめだめ! フローラもSTARもグリーティングあるでしょ?」

 「ちぇー、せっかくきれいにしたのにー」


 美咲が残念そうにしているのを見て、いずみが口を開いた。


 「しょうがないでしょ。私たちはアンバサダーなんだから、そっちが優先!」

 「でもさーキャンセルになったら、まいちんたちステージ減るじゃん?」

 「まあ、そりゃ、そうだけどさ、今からじゃ……」


 美咲といずみが話していると、そこに、畳んだ傘を片手にもってステージマネージャーがSVを見つけて小走りで駆け寄った。


 「うわ、全部濡れてるな」


 SVが頭をかきながらステージマネージャーに説明した。


 「ええ。せっかくこの子たちがお手伝いしたんですが」

 「うーん……30分はかかるよな? この後に除水に取り掛かるとすれば……初回は中止するか?」

 「そうですね……」


 これからの準備時間を考えて中止の判断が妥当だと判断したSVとマネージャーが、その決断をしようとしていた時だった。


 舞が、おずおずと声をかけた。SVとステージマネージャーの視線が舞の顔に重なり、一瞬言葉に詰まったが、SVが優しそうな顔をして、「どうしたの?」と言ってくれたので、舞は改めて口をひらいた。


 「あの、私、次はここだし、私が拭いたらダメですか?」

 「一人でやるつもり? ショーの開始は10時よ?」

 「でも、客席だけでも雨を拭ければ……」

 「客席だけでも時間がかかるわよ?」


 確かにその通りだった。舞にもそれはわかる。でも、最初にお手伝いを言い出した舞としては、みんなに手伝ってもらったのにそれが無駄に終わるという事がどうしても納得できなかった。みんなに悪いような気もするし胸の奥がモヤモヤしてしまう。

 それに、客席を拭いた目的を舞は忘れていなかった。


 「みんなできれいにして、ゲストをお迎えできるはずだったんです。だから……私……残念で…」


 舞の正直な心情だった。

 自分でも子供じみたことをしているという自覚があって舞はうつむいてしまった。だが、舞の背中に誰かがそっと手を触れた。舞が振り向くと、広森の穏やかな顔がそこにあった。広森の隣には藤森も立っていた。


 「でも、3人でやれば20分ぐらいで終わるでしょ?」

 「そうですよ! せっかくきれいにしたんです! みんなに見てほしいです!」

 「あやねちゃん、りさちゃん……」


 その様子を見ていたステージマネージャーは、指折り何かを数え、少しの間頭の中でいろいろ計算したあと、舞たちに顔を向けて話し始めた。


 「20分。その間に終わらせてくれ。それが終わったらすぐスタンバイだからね」


 ステージマネージャーがSVに目で確認をすると、SVもうなずいて同意した。舞たち3人が顔を見合わせて、声をそろえた。


 「はい!」


 舞がほかのメンバーたちに顔を向けた。その顔をなんだかとてもうれしそうだった。


 「みんなはスタンバイ入って。ここは私たちがやるから」


 みんながうなずいた。


 「じゃあ、まかせるね」

 「お願い、します」


 美咲とさくらが舞にそう声をかけた。

 いずみは、すれ違いざまに軽く舞の肩に手を置いた。


 「まあ、頑張って」

 「うん。いずみんもね」


 メンバーがバックステージに向かって歩き出すと、そこに入れ違いでフェアリーリングを迎えに来た城野が顔を出した。SVが城野に気が付いて視線をむけた。


 「どうしました?」


 その声に、みんなが一斉に城野の顔を見て城野は一瞬メガネの奥で目を丸くした。


 「え? なに?」


 事情を呑み込めていない城野がきょろきょろとみんなの顔を見ていた。



          **



 9時を少し過ぎたころ、今日最初のゲストの一団がアドベンチャー・ラグーンまで到達し、ステージ周辺が少しにぎやかになった。オープン準備を終わらせたシーソルト味のポップコーンワゴンからバターの焦げるにおいが漂いだして、ステージ脇の植栽で一休みしていた鴨の一家が遅めの朝食をとろうと葉の間からよたよた歩きだしていった。

 その鴨たちが出てきたアドベンチャーラグーン・ステージの入り口はチェーンがかかっていてゲストが入れないようになっていた。ステージ上にはメンテナンスコスチュームのキャストが数名モップを持って動き回っていた。


 そして、客席の中でも4人のキャストがモップやタオルダスターを持って雨水を除去して回っていた。その中の一人はスーツ姿の女性で、髪を後ろでまとめて額に汗を浮かべていた。

 その額の汗をいったんハンカチで拭きながらスーツ姿のままで作業にあたる城野の脇で、舞たちがベンチをもう一度拭きあげている。要領をつかんだのか3人とも作業スピードは朝よりも早かった。


 城野が雨水を吸い込んだモップを大型のモップ絞り器にかけながら、「演者が自分で客席整備とはねぇ」とつぶやいた。舞がベンチを拭きながら、城野に申し訳なさそうな笑顔を見せた。


 「ごめんなさい。巻き込んじゃって」

 「いいのよ、どっちみち私もやるんだから。しかし、ステージ前によく頑張るわね」

 「えへへ」

 「若さね。若さなのね。まったくうらやましい……」

 「城野さんだってまだ若いじゃないですか」

 「三十路が目の前に迫ってくるとのんきなこといってられなくなるのよ」


 城野が左手の手首をひねって腕時計を確認した。


 「あと10分」


 それを聞いた舞が、作業のペースを上げた。

 隣に腰を落として作業する藤森に手を動かしながら声をかけた。 


 「ごめんね。私が言い出したことなのに。ステージ前にこんなことになっちゃって」


 藤森も手を止めずに、少しだけ視線を舞に向けてわずかに微笑んだ。


 「舞ちゃん、ゲストのために、何かしてあげたかったんですよね?」


 舞が小さくうなずくと、藤森はベンチに視線を戻して話を続けた。


 「舞ちゃんのそういうところ、いいなぁ、て思います。わたし、自分のことでいっぱいで、ゲストのことまで考える余裕とか全然なくて」


 体の向きを変え2人の間にあるバケツにタオルダスターを雨水を絞り、藤森は舞の顔を覗き込みながら口を開いた。


 「でも、今日こんな風にお掃除とかしてみて、私たちがステージに出るためにいろんな人が頑張ってるってわかりました。ちょっとでもそれがわかって、だから、舞ちゃんにありがとうって思いました」

 「りさちゃん…」


 二人の後ろの列で広森が、スラリーコートの雨水をモップで吸い取りながら舞にいつものやさしい表情を向けた。


 「私もおんなじだよ、舞ちゃん。きれいなステージで当たり前。ゲストのことだって、ショーを見てくれればそれでいいって。そう思ってた自分がどっかにいたのかもって思ったよ」

 「二人とも、ありがとう……」


 城野の「そろそろだよー」という声が聞こえて、広森はいつのまにか下がった左腕の袖を上げながら励ますように2人に明るい顔を見せた。


 「さあ、最後のひと踏ん張り!」



          **



 雨が空気をきれいにしたのか、朝の新鮮な光の中でいばら姫の城も白い輝くに包まれていた。流れた雲の隙間から青空が広がり始め、雨でぬれた木々の緑も色とりどりの花々も太陽の光を受けてその色を鮮やかに魅せていた。


 作業を終えた舞たちは、立ち上がってステージの方へと振り返った。気が付くとステージの上でもショーサービス・キャストがステージの除水と清掃を始めていた。ステージ・ハンドラーと呼ばれる作業服姿のキャストが舞たちに声をかけた。


 「ありがとう、もう十分です。あとは自然乾燥で大丈夫です。……きれいになりましたね」


 その言葉に3人でハイタッチして喜んだ。すると、パチパチと拍手の音が聞こえた。  振り返ると、やり取りを聞いていたのか、客席入り口の脇にあるポップコーンワゴンに並んでいたゲストが数人拍手していた。

 舞が顔を赤くしながら「あ、ありがとうございます」とお礼をいうと、ゲストの間からまた拍手が上がった。広森と藤森の笑顔に、舞はえへへと照れ隠しに笑っていた。




 50分を過ぎたころには、アドベンチャーラグーン・ステージの客席も少しづつゲストが増え始めていた。ベンチに座ろうとした親子がベンチを触って雨水でぬれていないか確かめていた。母親は濡れていると思っていたのかハンドタオルを取り出していたが、ベンチに触れると「大丈夫、乾いてるよ」と声をかけた。父親は「朝、雨降ってたのにな」の不思議そうにしていた。


 レストルームの巡回にはいったクリンナップ・アーティストのお姉さんは、若い女性ゲストの2人組から声をかけられた。


 「トイレ、きれいですね」

 「あ、ありがとうございます」


 驚きつつも笑顔でお礼を口にして軽く頭を下げた。その様子を見ながらペン・ブルームを手に地面をスイーピングしていたクリンナップ・アーティストの若い女の子が、お姉さんに声をかけた。


 「なんか、こういう感じ、初めてだね」


 お姉さんはうれしそうな笑顔でうなずいて「そうだねっ!」と答えていた。



          **



 10時を迎え、ショーの開始時間となった。

 ステージマネージャーがキューを出すと、エンジニアが音楽をかけ始める。

 城野が客席後方からモニターするなか、フェアリーリングのメンバーが舞台袖から飛び出した。ゲストの視線が3人に集中する。


 舞が客席最前列のキッズ鑑賞エリアの子供たちに呼びかける。


 「さあ、今日も元気に行くよー! We ARE AdventurerS!」


 舞たちの視界のなかで、ゲストたちが笑顔で手拍子を始める。

 その拍手が周辺のゲストにも伝播して、何組かの親子を足止めし入り口近くに立つ城野がゲストを案内する。

 気が付くと客席の6割が埋まり、ゲストの楽しそうな声が客席の外まで聞こえ始めていた。巡回しているクリンナップ・アーティストのお姉さんも植栽の間から舞たちの姿をみて楽しそうにしていた。



 ショーが中盤に差し掛かるころ、入り口に立つ城野にキャストが声をかけてきた。オンステージではめったに見かけないユニバーシティー・リーダーのコスチュームを着用した人事・ユニバーシティ課の田所と佐藤だった。


 「あら、田所さん?」

 「こんにちわー。 あの、今教材用の写真を撮って回ってるんですけど、ステージの様子、撮っても大丈夫ですか?」

 「んー、……そうですね、私のとなりとかこのあたりでよければ」

 「ありがとうございます」


 佐藤さんはビデオを回し、田所は一眼レフで撮影していた。

 田所がカメラを覗きながら、城野につぶやいた。


 「3人とも、とってもいい笑顔ですね」

 「……わたしも、そう思います」


 城野はその点に自信があるのか、ちょっと自慢げだった。


 フェアリーリングの気持ちが通じたのか、それとも景観が改善されたからなのか、周囲のゲストもキャストもいつにもまして楽しそうにしていた。






 夏休みが目前に迫ったパークには各所で陽炎が立ち上り、パーク中央でゲストを迎える「いばら姫の城」はより強く輝いていた。太陽に照らされた地面が熱を帯びて、ふりそそぐ白くて眩しい日光が木々や建物の色彩と陰影をより鮮明にしていた。


 フェアリーリングの歌声とゲストの歓声がアドベンチャー・ラグーンの街に響く。


   ――それは舞たちの気持ちを伝えるかのように、

           風に乗って青空の下をパーク中に広がっていった。


 



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