(7) 私、アンバサダーになります!


 月曜日の下校時間、さくらは生徒たちで騒がしい廊下で美咲を見かけた。

 オーディションのこともあるし、と多少の勇気を出して美咲に声をかけた。


 「こんにちわ、飯島さん」


 振り向いた美咲は、猫が人を疑うような妙な顔をしていた。


 「かたぐるしいよぉ」


 へっ? と驚くさくらの顔をみると、いつものぱぁっと明るい笑顔に変化した。


 「いいよ、みさきんぐで」

 「みさきんぐ・・・?」

 「なんかいつのまにかあだ名がね」


 いろいろ変化したのちに短縮形でこうなったらしい。


 「わたし、将軍野しょうぐんのの中学出身で、それで」


 とはいえ、さくらにとって相手をあだ名で呼ぶというのは軟弱地盤のトンネル掘削なみに難事業だった。心の中の軟弱な場所を強引に開削して、なんとか呼んでみようと試みた。 


 「み…さ…き…………ちゃん」


 人間無理なことは無理なのだ。

 美咲もその点は理解しているらしく、たははと小さな笑声でさくらの努力を受け止めた。


 「あー、いいよ、それでも」


 ほっとしているさくらに、美咲は微妙な視線を向けてきた。

 右手で前髪をかきあげ、いいにくそうに口を開いた。


 「ところでね……、いや……そのさぁ」


 ちいさく首をかしげて、さくらは美咲に話を促す。


 「どう、したの?」

 「実は、その……このまえのオーディションなんだけど……」


 視線を天井に移し、しばらく間をおいてから視線をさくらに戻した。


 「昨日さ、家に、なんかこの前オーデションにいたオネェみたいな人が来てね、その……なんだか合格したみたいなんだよね」

 

 美咲は笑顔と困惑を足して水で薄めたような表情を浮かべていた。さくらは、ほっとして目を細めた。自分の巻き添えで落ちていたのではないか、という心配もあったからなのだが杞憂に終わったようだ。美咲は少なくとも自分と違って合格することを望んでいたのだから。


 「えと……おめでとう……でいい、かな」

 「うん……ありがと」


 さくらが気になったのは、合格したという割には、なにか困っているような、言いにくそうな顔だったことだ。


 「合格、うれしくない、の?」


 右手であごのあたりを小さく掻きながら、美咲は視線を上目使いにしながら答えた。


 「理由さ、その、なんていうか、『さくらをフォローした事』ってのもあるみたいで」

 

 あー、そっか、そういうことか、とさくらは気が付いた。美咲はさくらが落ちたと思っているようだ。それが、美咲の心の中で引っかかっているのだろう。

 そう思ったさくらは、両手で持っていたカバンを持ち替えて、手を入れる。


 「なんか、そんな気はないんだけど、そのさ、なんか踏み台にしたみたいで……」


 さくらがカバンの中をガサゴソ探っていることに気がついて、美咲は口を止めて不思議そうにその様子をみていた。封筒を取り出し、最初から見せる気ではあった合格通知をみせる。さくらからそれを受け取り、美咲は目を通してその意味を理解したとき瞳を丸くして声を上げて驚いた。


 「うそ!? なんで!?」

 「真剣だったから、とか、いわれた」


 美咲は文字通りの満面の笑みだった。


 「じゃあ、いっしょにやろーよ! 同期、てやつだな!」

 「でも、わたし、まだ、決めてなくて……」

 「それでも、合格じゃん? お祝いしようよ!」


 先週のように美咲はさくらの手を引いて、今度は売店のあるほうへ駆け足で向かっていった。


 学食近くにある自販機コーナーは放課後だからかあまり人はいなかった。

 テーブルに向い合せに座り、合格祝いとして二人で紙コップのジュースで乾杯する。

 美咲は単純にうれしそうだった。本人以上にさくらの合格を喜んでいるようにさくらには思えた。


 その好意はとてもうれしいのだけど、そこまですごいことなのだろうか? 

 それなりに倍率は高そうだけど、未経験の自分が何かの偶然とはいえ受かる程度だし。


 「そんなに……すごいこと、かな? 私はたぶん、偶然だし……、あ、美咲ちゃんは、その、ちゃんと認めてもらえたからだと思う、けど」

 「だって、こんなチャンスめったにないよ?」

 「……?」

 「あれ? ひょっとして知らなかった?」


 もちろん知らない。

 さくらはコクコクとうなずくと、美咲はジュースを飲みほして立ち上がる。


 「図書館、いこうよ? 新聞の古いやつあったはずだし」

 「新聞?」

 「うん!」




 久しぶりに来た図書館の中には、勉強中の3年生と図書委員、そして美咲とさくらがいるぐらいで静かだった。新聞・雑誌のコーナーで、地元紙「千秋新報せんしゅうしんぽう」の記事を美咲が探していた。何日か前の新聞を専用の棚から取り出し、「県央」の面を広げる。指で記事をなぞり、「あ、これこれ」とつぶやいた。


 さくらが覗き込むと、「ここだよ」と教えてくれた。

 

 その記事のタイトルは――


  "大使"公募。競争率10倍以上の狭き門。県外からの応募も

なるか本県テーマパーク再生 一方で課題も


 競争率10倍以上!?


 広告は見たけれど、そもそも応募する気など最初からなかったさくらは、自分の目を疑って何度も読み返していた。


 「落ちる子の方が多いんだから。こんなチャンスめったにないと思うけどなぁ」


 美咲がチラリとさくらに視線を投げた。全身から「いっしょにやろう」オーラがあふれているのはわかる。

 でも、どうなんだろう? 本当に自分ができるんだろうか?


 「でも、私、性格も、こんなだし・・・」


 ぎこちない作り笑いで美咲に顔を向ける。

 美咲は対称的に自然な笑顔で応じた。


 「私がフォローするから! 同じ学校の子とこういうのできるなんて楽しいじゃん!」

 「……いいの? 私、美咲ちゃんみたいに、できないかもしれないよ」


 心底不思議そうな顔を美咲はした。


 「へ? 別にいいじゃん、友達なんだから」


 美咲の表情には「なんでそんなこと聞くの?」という無言のセリフが浮かんでいた。

 

 ――友達


 久しぶりに自分に向けられた言葉。

 さくらはその言葉で、早くなる鼓動を自覚した。

 つい1週間前までは、名前も知らなかった子。その子が自分を友達と呼んでくれた。自分には出来ないことで、うらやましくもあった。


 変えなくちゃいけない自分の、一つの目標のような気がした。


 ただ、長年の慣れは簡単に抜けず、困ったような笑顔を美咲に向けるしかなかった。その笑顔を美咲は「了解」と受け取ったらしい。 


 「実はさ、そのオネェみたいな人なんだけど。昨日親がいなくてさ。今日うちに来るんだよ」


 美咲はさくらの手を取った。


 「だからさ、よかったらうちに来てよ。それでさ……」

 「え……」


 美咲が手を取ったまま、


 「やっぱり、ダメ?」


 顔を横に小さく振ってさくらは答えた。


 「……確認したいこと、あるから」

 「本当? じゃあ、決まり! あ、そういえば家どこ?」

 「羽後いずみ、の駅のそば、だよ?」

 「うちは土崎だから、1駅手前だね。じゃあ、大丈夫!」



          **



 2時間後。


 約束の時間のほんの少し前。自衛隊通りの踏切から駐屯地側に進んだところ、JRの工場の裏手にある住宅地の比較的新しい戸建てが美咲の家だった。

 社有の白いハッチバック車でその家の前にSVが到着していた。腕時計を付けた左の手首を確認している。そこに、ちょうど歩いてきたさくらと美咲を見つけて、ちょっと驚いていた。美咲がいつもの人好きする笑顔でSVに声をかけた。


 「ひょっとして待たせちゃいましたか?」

 「いえ、時間にはまだ早いから……井川さんといっしょなのね」


 さくらはちょっと緊張しながら「こんにちわ」と頭をさげた。SVは口元を少し緩めながら、やさしそうな表情でさくらに尋ねた。


 「どうかしら? まあ、急いで考える必要はないから……」

 「あ、あの!」


 さくらは美咲が見守る中で、多少手に力を込めてSVにどうしても聞きたいことを確認することにした。


 「合格の理由、ちゃんと聞きたいです。真剣だったから、だけなのは違うと思います。オーディションはみんな真剣だったはず、です」


 SVが自分の後ろ髪を右手で撫でている。それは、相手の質問に答えようといろいろ考えるときの癖だった。


 「そうね……多少私たちに都合のいい考えかと思って言わなかったんだけど……」


 答えるべき、と考えたのか、SVは体を向けてさくらの目を見て話し始めた。


 「真剣だったから、というのは本当よ。そして、今の私たちのパークに必要なもの、というのも本当」


 そこまで口にすると、SVはさくらの隣でいっしょに聞いていた美咲の顔を見た。


 「でも、ほかにも理由はあるわ」


 SVは二人を顔を交互に見ていた。

 


 

 最初に飯島さんが歌ったとき、井川さん拍手したわよね?

 それに、私たちの前で歌ったとき、あなた、飯島さんと私のために歌ったでしょ?

 歌い終わった時には、今度は飯島さんが拍手していた。

 仲間のために躊躇なくそういうことができる、それが重要だと私は思うの。

 お互いにフォローしあって、相手のために何かしてあげたいと思うこと。

 そういう思いが誰かの感動を呼ぶのよ。


 今、私たちのパークに大切なこと、それはね

 

  ――人を感動させること。真剣に何かを伝えたいということ。




 「だから、あなたたちを選んだの。あなたたちには人を感動させる力があるって」


 決してごまかすような顔ではなく、まじめな表情で話をまとめた。

 SVの話に嘘があるとは思えない。少なくともさくらはそう思った。

 

 太陽はすでに傾きはじめ、まわりの風景はすべてオレンジ色の中だった。

 夕日の明かりが家々の窓を輝かせ、その光景はさくらの心を確かに揺れ動かした。

 

 結果や点数ではなく、自分のことをちゃんと見てくれている人がいた――――


 SVが心配そうにさくらを見ていた。


 「おかしい、かしら?」


 美咲は単純にSVの言葉に感心していたらしい。

 夕日と同じくらい明るい笑顔をさくらに向けて、「さくら……」とつぶやきながら、さくらの二の腕をつかんだ。

 

 変わらなくては、変えなくては

 

 そう思って自分で扉を開けようとしていたはずだった。


 扉にはほんの少し前までいばらで閉ざされていた。


 そのいばらは自分で育てたもので、自力ではもはや扉に届くことさえできなかったかもしれない。


 でも、今は可能性の扉が少しだけ開いて、夕日が差し込んできた。そんな気がした。


 自分一人ではきっと開かなかっただろう。


 美咲が手を添えてくれた。一緒に開けてくれた。

 

 それなら、私は美咲と一緒に扉の向こうに行ってみたい。

 私を友達と呼んでくれた人と、新しい世界を眺めてみたい。

 

 迷いはなくなった。

 

 美咲が見守る中、SVの目を見ながらさくらは決意を込めた顔を見せた。

 


  「私、アンバサダーになります!」



 SVは少しだけ驚き、そして、安心したように笑顔で小さくうなずいた。

 その時、不意にさくらは強い衝撃を感じた。


 「よかったー!! いっしょに頑張ろうね!!」


 そこには心から喜んでいることがわかる満面の笑みを浮かべ、力いっぱいさくらに抱き着く美咲の顔があった。美咲がよろこんでくれたことに安心して、さくらはそっと目を閉じた。


 「うん……がんばろう、ね?」


 さくらはそっと自分を抱きしめる美咲の腕に手を添えた。



 まったく経験のない世界へ、自分の意志で一歩踏み出した。

 それはさくらにとって1週間まえには思いもしなかったことだった。

 あの時、もし広告を見ていなかったら。

 もし説明会に行かなかったら。


 全部偶然だった。


 そして、美咲と一緒にオーディションを受けたことも。


 1年後の自分は、どうしているんだろう?



 ――この奇跡に見合うだけの何かを、自分は見つけているだろうか?



※挿入歌 「秋田県民歌」はパブリックドメインです。

作詞:倉田政嗣 作曲:成田為三 

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