第6話

 都大路をゆったりとした足取りで歩むのは、柳の直垂ひたたれに身を包んだ長身の青年である。腰には当然のように太刀を帯びているものの、雑色のような平禮ひれをおざなりに被っている。何処かの家中に仕える侍でもあろう。よほど旅慣れてでもいるのか、動きやすさを優先させたいたって実用的な身なりではあるが、さほどひなびた印象を与えぬのはすっきりとした着こなしと物腰のせいだろう。

 引き連れた愛馬の背には、いかにも妙齢の女性が一人。笠から下ろした虫垂れ布のせいで、そのかんばせまでは周囲から窺うことはできないが、しっかりと手綱を握る手は遠目にも白く滑らかだ。

「ここまでくれば、いま少しの道程です。お疲れでありましょうが、しばしご辛抱めされよ」

「まあ、そんな……綱さまこそ、お疲れでございましょう」

「これくらいどうということもございませんよ。ただ、そろそろ降りていただかねばなりません、翠鳥みどりどの。権門の方々の邸の門前は、余程の身分の方でもない限り、徒歩かちで通らねばなりませぬゆえ」

 いかに彼が剛勇で知られた渡辺綱であろうと、余計な揉め事は避けるに限る。殿上人が乗る牛車でさえ対策を怠れば、投石などといった狼藉ろうぜきうのだ。権門の家人は己が主人の威勢を誇るあまり、しばしばこうした蛮勇を発揮する。

 まさに虎の威を借る狐といえるが、仕える者たちの立場からすれば、自らの主人が侮られるなど我慢ならぬ話なので、勢いこうした示威行動に走りがちになるのだ。

「承知いたしました」

「本来ならば、すでに一条のお邸に着いていてもよいところ。当方の用事にお付き合いいただき、誠に申し訳ないことです」

 馬上から彼女が降りるのに手を貸しながら綱が言うと、翠鳥は軽やかな笑い声を上げた。

「お気になさらず。京の市はさすがの賑わいで、珍しいものも多く、大変に面白うございました。わたくしのようなひなの者からすると、良い土産話になりましてございます」

「では、また日を改めてご案内いたしましょう。京にご滞在中の間であれば、いくらでも機会はございます」

 扇や香炉といった気の利いた小物は、いかにも京の土産らしかったし、小さな貝殻に詰められた紅などは、いつでもどこでも女性達に変わらぬ人気を誇る品である。各地からもたらされる特産品や近郊から運ばれてくる農産物などがあふれんばかりに並び、貴族も庶民もこぞって足を運ぶ様は確かに他では見られぬ風物詩ではあった。

 その一方、こうして通りを歩いていると目につくのが、打ち棄てられたむくろの多さだった。古来、遺骸は鳥辺野とりべのやあだし野へと運ばれるのが慣いであったが、先年より猛威を振るい続ける赤もがさの影響で、もはや珍しくも何ともない光景と化している。

 栄華を極める貴族らの邸宅、その多くは極楽を模しているという。しかし、今や築地ついじ一つを隔てただけで、地獄が隣り合うのが京の都という地の恐ろしさであった。

「このもりは?」

「神泉苑と呼ばれる禁裡の庭園で、主上も臨席される様々な行事が行われる場所です。どんな旱魃ひでりの年でも決して涸れぬかの池は、一説によると龍王が棲む宮へと繋がっているとか」

「まあ、ここが……」

 朝廷の神事においても数々の役目を担う聖域として知られ、殊に重要な雨乞いの儀式は必ず神泉苑で行われてきた。かの空海上人もこの禁苑にて祈祷を行い、見事、成功せしめたという逸話が残る。

 無論、それだけではない。春になれば花見の宴が催されるし、夏や秋には管弦の宴が開かれることもある。綱ら滝口の者も警備として駆り出されるので、そうした際に見聞きした話を訥々と語る。あまり上手な語り手とはいえぬ綱だが、彼女には十分興味深いものであったようだ。もしくは単に翠鳥が聞き上手なのかもしれないが。

 ともかく。

 ようよう二人が二条大路にさしかかろうとした、まさにその瞬間……。


 何者かの嗤う声がした。





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