第二章 神話の領域

第一〇話

「これは……人狼か?」



 そうこぼすリネーシャに、テサロが何事かと伺う。



「どうかされましたか?」


「南南西、距離十二ギルク約一五キロメートルに気配が四つ。高速でこちらに接近しつつある」



 リネーシャの返答によって空気が一変し、固まったかと思えるほど空気が止まる。


 至誠も何事かと視線をリネーシャに向け、その手を止めた。



「一人は……人狼のようだな。だが……様子がおかしい。襲われている――いや、あとを付けられているようだな」



 エルミリディナは椅子の座りを浅くし、瞑想するかのようにまぶたを閉じている。



「追っ手は人狼じゃないようだけど、気配を消すのが上手くて分からないわねぇ……他にも隠れてそうな気もするわぁ」



 わずかな時間でそう告げるエルミリディナの口調は、まるで見てきたかのようだ。


 ――これも何かの魔法の力なのだろうか。

 至誠がそう考えていると、リネーシャはため息交じりに告げる。



「こちらに向かってきている以上、静観というわけにもゆくまい」


「そうね。スワヴェル、見てきてちょうだい」


「畏まりました」



 面倒さをにじませたリネーシャの代わりにエルミリディナが指示を下すと、スワヴェルディは二つ返事で返す。すぐに日本刀を取りに壁際に寄り、扉から出て行った。



「詳細な索敵を行いましょうか?」



 杖を手に取り進言するテサロを、いや――とリネーシャが静止させる。



「嫌な予感がする」



 その怪訝な表情は、いとわしい顔貌に変わっていた。



「三千年の勘はよく当たるのよねぇ」



 勘以上の根拠はない様子だが、その事を言及する者はいない。



 むしろエルミリディナは対照的に嬉々としつつある。

 下まぶたと口角をつり上げる不敵な笑みだ。



「有事に備え、今のうちに優先順位を明確にしておく。第一に至誠の保護だ」



 断言する彼女の表情には、一切の迷いも感じられなかった。



「状況が戦闘へ移行した際は最優先とする」



 その『戦闘』と言う表現がどれほどの意味を持つのか至誠には分からない。

 だが腕っ節が強かった記憶はない。姉弟喧嘩で勝ったことなどほとんどなかったし、学校ではもめ事は仲裁する側が多かった。



「次に至誠の所有物の確保だ」


「それはスワヴェルに命じとくわ。人狼を回収した後にそのまま向かわせる予定よ」



 エルミリディナの提案に、「任せよう」と一言で返し、視線をリッチェに向ける。



「現在の保管場所は?」


「第三と第四隔離室に」



 リッチェの表情には不安や緊張が浮かんでいる。

 



「伝えておくわぁ」



 エルミリディナの返答を待って、リネーシャはリッチェとテサロに向けて指示を飛ばす。



「二人は至誠の防衛に専念せよ」


「畏まりました」


「はい」



 テサロの表情はリッチェと対照的に凜と引き締まっている。

 そこには貫禄を感じさせるものがあった。



「ミグは念のため至誠の体内へ戻っておけ。極力戦闘には介入せず、至誠の負傷に備え待機せよ」


「ういっす」



 ミグが残っていた料理を一口で骨まで平らげると立ち上がり、至誠の背後に回り込むと手の平を背中に添え、鬼道を発現させる。


 同時にその血液で出来た体は音を立てて崩れ落ち、足下に血だまりを作り出した。



 至誠は足下へ飛び散った血に驚くとともに、少し気分が悪くなったのを自覚した。これほど大量の血が飛び散る状況下など初めてだったためだ。


 さて――と、その合間に思考を巡らせていたリネーシャは疑問点を挙げる。




「問題は人狼を襲う者が何処どこ何奴どいつで目的は何か、と言う事だ」


「愚直に推察するなら、劇慟硝石げきどうしょうせきの鉱脈かしらねぇ」



 エルミリディナの口調は、至誠ですらダメ元で言っているのが分かるものだった。

 その硝石がどのような代物か分からないが、今は邪魔にならないよう静観する方がいいだろうと考えた。


 ひとまずは下手に邪魔をせず、重要そうな会話は覚えておく事に徹した方がいいだろう――と至誠は耳を傾ける。



「過去最大規模の鉱脈だったからな。火種としては十分だ。だが仮にそうだとしても、こちらに向かってくる意図はなんだ?」


「知ってるのは王国でも上層部と一部の者達でしょう? 場所の特定までは出来てないから、探してるんじゃないかしらぁ?」


「その可能性は捨てきれないだろう。だが狙うのは誰だ。情報の流出元もそうだが、この気配の消し方や尾行の練度を鑑みるに、そこらの夜盗ではない」


「そうね。現にここまで接近されて全貌が見えてこないって事は、英雄程度の手練れってことですものね」


「その域に足を踏み入れているのは、ヴァルシウル王国では国王と、王国軍でも数人だけだろう」


「王国の反旗――は考えにくいわね。独占したいならはじめから聯盟れんめいに報告なんてしないでしょうし。私たちに対する謀反も、国力差を十分に理解している国王には無理ね」


「だがそうなると、残りの可能性は必然的に他国の正規兵となるな。ならば、すでに先端が開かれている可能性がある」


「隣国で仕掛けてくるとすれば……まぁレギリシス族長国連邦でしょうねぇ?」



 至誠は会話内容を理解するためには知識が足りないが、隣国の工作員が接近してきているという解釈をした。


 レギリシス族長国連邦というのは国名だと推測できた。アラブ首長国連邦と同じような印象を受けたからだ。


 自分なりに考え、理解できそうなところはかみ砕いておく。

 それが今できる数少ない選択肢だと考えたからだ。




「前回の三日戦争は一〇年くらい前だったかしら? 聯盟が介入する前にあっけなく終わったのよねぇ」


「魔法も鬼道も未成熟だったからな」


「でも、今向かってきている追っ手は魔法か鬼道で気配を消しているわね」


「レギリシス軍ではない。となれば――」


「あそこかしらねぇ」



 リネーシャは不快さを、エルミリディナは愉快さを表し、実に対照的だ。



「マシリティ帝国」



 その言葉を耳にし、リッチェの表情があからさまに動揺を示す。

 テサロは表情を崩さなかったが、眉がわずかに眉間に寄っていた。



「あの国が直接手を出してきたとすれば、追っ手の練度にも納得がいくな」


「でもあの国はしたたかよ? 正面切って私たちや聯盟と戦争する気かしらぁ?」



 何度目かの聯盟という単語が耳に残る。

 規模は分からないが、戦争に介入する組織という事はかなり規模が大きいのだと推測できた。


 国連のようなものだろうか――そんな至誠の思考は、「あっ」と何かに気付いた様子のエルミリディナによって遮られる。




「マシリティ帝国にとって最大の障壁である私たちが――レスティア皇国の皇帝と皇女が、大した護衛も付けずに辺境のヴァルシウル王国に居るのよねぇ?」



 リネーシャが小さい舌打ちを響かせる。



「人狼を隠密で追っているのは、泳がせて私たちの場所を探るため――ともすれば、腑に落ちるわぁ」



 リネーシャは面倒くさそうに大きなため息を一つもらすと、椅子の姿勢を浅くし肘をつく。



「本国で一度確認してみるか」



 ゆっくりと目を閉じた直後、その頭上に浮遊する王冠のような装飾が回転を加速させる。


 静寂が、辺りを包む。


 しばらく――時間にしてみれば一、二分後。

 リネーシャは目を開き言葉を続ける。



「数日前よりレギリシス軍に侵攻の兆候があったようだ。だが本国では侵攻の事実は未確認」


「情報が古い可能性が――ああ、今スワヴェルが人狼を確保したそうよ」



 ――それで?


 と遮られた会話はそのまま置き、リネーシャは報告の続きを求める。



「対象はヴァルルーツ第一王子。護衛もなしにリネーシャへの謁見を求めてきたようね――」



 エルミリディナとスワヴェルディは互いに連絡が取り合える状態なのだと推測できた。それが携帯電話や小型の無線機で言葉のやりとりをしているような印象を受けた。




「周りはやはり追っ手のようね。スワヴェルディが把握しただけで八名。人種の判別は確定出来なかったけれど、おそらく魔女とのこと」



「そうなると十中八九マシリティ帝国だな」



「追っ手は散開して闇夜に隠れたみたいねぇ。ただ、撒けたかは怪しいわ。スワヴェル一人ならまだしも王子の気配まで消すとなるとねぇ」



 気配を消して連れてくるのを優先するか、位置を露呈することになろうとも王子から事情を聞くか。その二択がリネーシャに迫る。


 追っ手が王子を狙っているならば、スワヴェルディに離れるように指示を出せばそちらに引きつけられるだろう。


 だがもし、追っ手の標的が皇帝や皇女我々だった場合、スワヴェルディという戦力をわざわざ手放すことになる。


 さらに、加々良至誠の所有物の回収を他の者に割り当てる事となれば、戦力の分散は必至だ――そうリネーシャは思慮を巡らせる。



「追跡者を撒いたうえで連れてくるように伝えろ」


「分かったわぁ」



 いずれにせよ、すでにスワヴェルディが王子と接触してしまった。

 どちらが目標であろうと、大規模な索敵術式を使われれば隠蔽し通すのは難しい。


 そう考え、リネーシャは命令を下す。



「各員、状況を開始する」











 ヴァルルーツ王子は吃驚する。

 魔法を使った高速移動の最中、急に体が何者かによって体が捕まれたからだ。


 体が無意識に反撃を繰り出そうとするが、言葉によって遮られる。



「レスティア皇国の者です。殿下の命により参りました」



 一見は若い男だ。

 しかしその顔を見ると確かにレスティア皇女殿下の配下だと思い出す。



「こ、これは失礼を――」



 そう謝罪をするが、相手の言葉を待たずヴァルルーツは言葉を続ける。



わたくしはヴァルシウル王国第一王子のヴァルルーツ・ヴァルシウルと申します! 無礼を承知の上で、何卒、皇帝陛下に拝謁はいえつ――」



 ここで門前払いとなるわけにはいかない――そうヴァルルーツは必至に言葉を上げたが、次の言葉に言葉を詰まらせた。



「何者かにつけられております」


 何事かと再び動揺を露呈させていると、男が想定外の言葉を口にしていた。


「――っ!?」


 ヴァルルーツは言葉を失った。


 ここまで一日以上走り抜けてきた。体力と気力が限界をすでに超えていたが、それでも確固たる意志がヴァルルーツの体を動かし続けていた。


 だが、その跡をつけてきている者が居るという。


 いつから尾行されているのか。これほどの高速で移動についてこられている。すなわち敵の魔の手がすでに領土奥深くまで潜り込んでいる。


 それらが急速に脳裏に過ぎり、溢れた情報が混乱を巻き起こす。



「これより尾行を撒きます。少々手荒な動きになりますが、ご容赦ください」



 男は事務的にそう告げると、ヴァルルーツを抱えたまま爆ぜるように体を加速させる。それはヴァルルーツの比ではなく、めまぐるしく光景が反転する。







「戻ってきたみたいね」


 扉越しに聞こえる足音は早足を分かり、そこに焦りがうかがえる。軽量な金属を軋ませているのが鮮明に理解する頃には、扉の開く音が混じり、そしてその人物が部屋に入ってくる。


「あら、ヴァルルーツ王子。そんな慌ててどうしたのかしらぁ?」


 スワヴェルディに肩を借りたもう一人の男が現れる。だがその容姿は至誠の知る『人』とはずいぶんとかけ離れている。


 甲冑を身につけたその者は人のように二足歩行だが、その顔はまさに狼そのものだ。甲冑のない箇所の肌は露出しておらず、代わりにふさふさとした毛で覆われている。


 人狼。リネーシャがそう呼んでいたのを思い出した。



 あるいは狼人間とも呼べるであろう彼は部屋に入ってくるなり、スワヴェルディから離れふらふらとした足取りで駆け寄ってくる。



「皇帝陛下ッ! 皇女殿下ッ!」



 スワヴェルディが一礼し部屋から出て行く一方で、ヴァルルーツと呼ばれた彼は、野太く勇ましく響く声を部屋中に発し、リネーシャとエルミリディナに近づき平伏するように膝を折る。



「礼を欠いた謁見えっけんを何卒お許しください。その上で僭越せんえつながら――」


「戦争か?」



 言葉を遮りリネーシャはヴァルルーツに問いかけると王子は窮する表情を漏らす。早々にそう聞かれるとは思っていなかった――そう言わんばかりの顔をして。



「ご、御存じでしたか」


「いや、何者かに跡をつけられていたからな。その熟練度からしてマシリティ帝国あたりだと推測しているが、間違いないかね?」


「はい――い、いえ。正確には、おそらくそうだとしか」


「どういうことかしらぁ?」



 たじろぐ様子を見て、エルミリディナが説明を求める。



「先日未明、レギリシス軍が協定線を突破。国境線に侵攻して参りました。これをもってレギリシス族長国連邦の宣戦布告とし、我が国はレギリシス族長国連邦と二度目の戦争に入りました。一次同様に遠距離魔法攻撃を敢行しましたが、奴らの防御術式は以前の比ではなく、全く効果がありませんでした」



 焦燥感を浮かばせ、ヴァルルーツは続ける。



「前回との違いは明白です。上空を魔女らしき種族が占有し、レギリシス軍を護衛しております。魔女というのは憶測でしかりません。しかし、あの特徴的な三角帽とローブはまさにマシリティ帝国を象徴するまさにそれです!」



 なるほど――と、リネーシャは口を開く。



「奴ら――魔女の目的は分かるか? レギリシス軍を護衛するだけが奴らの狙いだと思うか?」



「い、いえ、私には分かりかねます。……あるとすれば、レギリシス軍が助力を求めたからではないかと。その為に奴らがどれほどの対価を支払ったのかは分かりかねますが……」


「そうね。戦争を無償で引き受ける程、頭が弱くはないわよねぇ?」


「だがこれまでのマシリティ帝国のやり口は、あくまで武器商人として振る舞いに徹していた。これが今回に限って前線に出てきたのだろうか」



 ヴァルルーツは分からず目を泳がせたが、すぐに脳裏を心当たりが過ぎる。



「ま、まさか! 劇慟硝石が目的では!?」



 その返答に、リネーシャとエルミリディナは視線を交差させる。

 返答を誤ったかとヴァルルーツは息をのむが、吐いた言葉は飲み込めない。



「まぁいい。それで、王子の目的はなんだ。我が皇国や聯盟に戦争介入を求めるためかね?」


「は、はい!! マシリティ帝国が出てきた以上、我々の国力では抑えきれません! なにとぞ――」


 何としてでも助力を得る。言質を取る。そうしなければならない。出来なければ王国が滅亡してしまう――そんな王子の気迫に対し、エルミリディナは笑みを浮かべ椅子から立ち上がり手を伸ばす。


 その優美な所作に言葉を詰まらせていると、その手はヴァルルーツの胸ぐらを掴み、まるで小石でも投げ捨てるかのように宙へ放った。




 何事か理解出来なかったがヴァルルーツはなんとか空中で体勢を立て直し、円卓の上に着地する。


 何か彼女の逆鱗に触れるようなことを言ったかも知れない――そうヴァルルーツはまずは謝罪すべきかと視線を向けるが、エルミリディナは背を向けたままだ。


 どう口を開くべきか――ヴァルルーツの思考が全力で答えを探す。

 と同時に、壁の向こう側、建物の外から急激なマナの収束を感じ取った。



 直後。



 壁に亀裂が入ったかと思うと、

 一瞬にして融解、蒸発し、

 高密度の魔法攻撃が一帯を飲み込む――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!