第二章 神話の領域

第10話 2月10日0時25分


「これは……人狼か?」



 そうこぼすリネーシャに、テサロが何事かと伺う。



「どうかされましたか?」


「南南西、距離十二ギルク約一五キロメートルに気配が四つ。高速でこちらに接近しつつある」



 リネーシャの返答によって空気が一変し、固まったかと思えるほど空気が止まる。


 至誠も何事かと視線をリネーシャに向け、その手を止めた。



「一人は……人狼のようだな。だが様子がおかしい。襲われている? いや、尾行されているな」



 エルミリディナは椅子の座りを浅くすると、ゆっくりとまぶたを閉じる。


 瞑想のようにも見受けられた至誠だったが、様子をうかがっていると、彼女はいくばくとしないうちに再び口を開く。



「追っ手は人狼じゃないようね。けど、気配を消すのが上手くて全容は分からないわね。でもまぁこれだけの練度だとしたら、逆に推測もしやすそう」



 嬉々とし頬杖をつきながら話すエルミリディナの口調は、まるで見てきたかのような口振りだった。



 ――これも魔法か何かの力なのだろうか?



 至誠の脳裏にはそんな疑問が過ぎる。

 しかし今は聞くべきタイミングではないために自重した。



「こちらに向かってきている以上、静観とはいくまい」


「そうね。スワヴェル、見てきてちょうだい」


「畏まりました」



 エルミリディナが指示を下す。

 スワヴェルディは二つ返事で返すと、壁際に寄り日本刀を手にし、すぐに部屋から出て行った。



「詳細な索敵を行いましょうか?」



 杖を手に取り進言するテサロを、いや――と、静止させたのはリネーシャだ。



「嫌な予感がする」



 その怪訝な表情は、いとわしい顔貌に変わっていた。



「三千年の勘はよく当たるのよねぇ」



 勘以上の根拠はない様子だが、その事を言及する者はいなかった。


 リネーシャは脚を組み直し、椅子の日賭けで頬杖をつく。

 同時に全員を一瞥し、凜とした口調で告げる。



「有事に備え、今のうちに優先順位を明確にしておく。第一に至誠の保護だ」



 その表情に面倒くささは残るものの、その口振りは為政者として貫禄を見せるだけの気質があった。



「状況が戦闘へ移行した際は最優先とする」



 その『戦闘』がどれほどの意味を持つのか至誠には分からない。


 だが自身に腕っ節が強かった記憶はなかった。

 姉弟喧嘩で勝ったことなどほとんどなかったし、学校ではもめ事は仲裁する側が多かった。


 そのうえ魔法などの未知の概念も扱うことはできないとなれば、今自分にできる事は、彼女達の足を引っ張らない、邪魔をしない。


 それに尽きると考えた。



「次に至誠の所有物の確保だ」


「それはスワヴェルに命じとくわ。人狼を回収した後にそのまま向かわせる予定よ」



 エルミリディナの提案に、「任せよう」と一言で返し、視線をリッチェに向ける。



「現在の保管場所は?」


「第三と第四隔離室に」


「伝えておくわぁ」



 リッチェの表情には明らかに不安や緊張が浮かんでいる。


 先ほどの紹介を受けた際の記憶を掘り起こすと、彼女はまだ一七歳と言っていた。

 この世界においては定かでは無いが、日本においては未成年と呼ぶ年端としはだ。


 そんなリッチェの表情は、現状が緊迫した状況であると至誠が読み取るには十分な顔をしている。



「テサロとリッチェは至誠の防衛に専念せよ」


「畏まりました」


「はっ、はい!」



 テサロの表情はリッチェと対照的だ。

 凜と引き締まった表情には冷静さがあり、年季の違いを感じさせる。



「ミグは念のため至誠の体内へ戻っておけ。戦闘には介入せず、至誠の生命維持を最優先とせよ」


「ういっす」



 手にしていた料理を皿に戻し、ミグは立ち上がると至誠の背後にまで回り込む。


 至誠の背中に手の平を添えると、間髪を入れず血液で構成された体が音を立てて崩れ落ち、足下に血だまりを作り出す。



 至誠は足下へ飛び散った血に驚くとともに、少し気分が悪くなったのを自覚した。

 これほど大量の血が間近で飛び散る状況下など初めてだったためだ。


 さて――と、その合間に思考を巡らせていたリネーシャは疑問点を挙げる。



「問題は人狼を追う者の目的は何か、と言う事だ」


「愚直に推察するなら、劇慟硝石げきどうしょうせきの鉱脈かしらねぇ」



 エルミリディナの言うその硝石がどのような代物か分からないが、少なくとも日本では聞いた覚えがない名称だ。



「過去最大規模の鉱脈だったからな。火種としては十分だろう。だが仮にそうだとしても、こちらに向かってくる意図はなんだ?」


「現時点で知ってるのは王国でも上層部と一部の者達でしょう? 場所の特定までは出来てないから、探してるんじゃないかしらぁ?」


「その可能性は捨てきれないだろう。だが狙うのは誰だ。情報の流出元もそうだが、この気配の消し方や尾行の練度を鑑みるに、そこらの夜盗ではない」


「そうね。現にここまで接近されて全貌が見えてこないって事は、英雄格の手練れってことでしょうしねぇ」


「この国でその域に足を踏み入れているのは、国王と王国軍の数人だけだろう」


「王国の反旗――は考えにくいわね。独占したいならはじめから聯盟れんめいに報告なんてしないでしょうし。あの国王はバカ真面目だけどバカではないわ」


「だがそうなると、残りの可能性は必然的に他国の正規兵となるな。ならばすでに戦端が開かれている可能性もある」


「隣国で仕掛けてくるとすれば……まぁレギリシス族長国連邦でしょうねぇ?」



 至誠は会話内容を理解するためには知識が足りないが、隣国の工作員が接近してきているという解釈をした。


 レギリシス族長国連邦というのは国名だと推測できた。

 アラブ首長国連邦と同じような印象を受けたからだ。


 自分なりに考え、理解できそうなところはかみ砕いておく。

 それが今できる数少ない選択肢だと考え、至誠は必死に頭を巡らせる。



「前回の三日戦争は五年くらい前だったかしら? 聯盟が介入する前にあっけなく終わったのよねぇ」


「レギリシス軍は魔法も鬼道も未成熟だったからな」


「でも、今向かってきている追っ手はうまく気配を消しているわね。これは高度な技術が必要よ」


「レギリシス軍ではない。となれば――」


「まぁ、あそこかしらねぇ?」



 リネーシャは不快さを、エルミリディナは愉快さを表し、実に対照的だ。



「マシリティ帝国」



 その言葉を耳にし、リッチェの表情があからさまに動揺を示す。

 テサロは表情を崩さなかったが、眉がわずかに眉間に寄っていた。



「あの国が直接手を出してきたとすれば、追っ手の練度にも納得がいくな」


「でもあの国はしたたかよ? 正面切って私たちや聯盟と戦争する気かしらぁ?」



 何度目かの聯盟という単語が耳に残る。

 規模は分からないが、戦争に介入する組織という事はかなり規模が大きいのだと推測できた。


 国連のようなものだろうか――そんな至誠の思考は、「あっ」と何かに気付いた様子のエルミリディナによって遮られる。



「マシリティ帝国にとって最大の障壁である私たちが――レスティア皇国の皇帝と皇女が、大した護衛も付けずに辺境のヴァルシウル王国に居るのよねぇ?」



 リネーシャが小さい舌打ちを響かせる。



「人狼を隠密で追っているのは、泳がせて私たちの場所を探るため――ともすれば、腑に落ちるわぁ」



 リネーシャは面倒くさそうに大きなため息を一つもらすと、椅子の姿勢を浅くし肘をつく。



「本国で一度確認してみるか」



 ゆっくりと目を閉じた直後、その頭上に浮遊する王冠のような装飾が回転を加速させる。





 静寂が、辺りを包む。




 しばらく――時間にしてみれば一、二分後。


 リネーシャは目を開き言葉を続ける。



「数日前よりレギリシス軍に侵攻の兆候があったようだ。だが本国では侵攻の事実は未確認だ」


「情報が古い可能性が――ああ、今スワヴェルが人狼を確保したそうよ」



 ――それで?

 と遮られた会話はそのまま置き、リネーシャは報告の続きを求める。



「対象はヴァルルーツ第一王子。護衛も付き人もなしにリネーシャへの謁見を求めてきたようね――」



 エルミリディナとスワヴェルディは互いに連絡が取り合える状態なのだと推測できた。

 それが携帯電話や小型の無線機で言葉のやりとりをしているような印象を受ける。



「周りはやはり追っ手のようね。スワヴェルディが把握しただけで八名。人種の判別は確定できなかったけれど、おそらく魔女とのこと」


「そうなると十中八九マシリティ帝国だな」


「追っ手は散開して闇夜に隠れたみたいねぇ。ただ、撒けたかは怪しいわ。スワヴェル一人ならまだしも王子の気配まで消すとなるとねぇ」



 気配を消して連れてくるのを優先するか、位置を露呈することになろうとも王子から事情を聞くか。その二択がリネーシャに迫る。


 追っ手が王子を狙っているならば、スワヴェルディに離れるように指示を出せばそちらに引きつけられるだろう。


 だがもし、追っ手の標的が皇帝や皇女我々だった場合、スワヴェルディという戦力をわざわざ手放すことになる。


 さらに、加々良至誠の所有物の回収を他の者に割り当てる事となれば、戦力の分散は必至だ――そうリネーシャは思慮を巡らせる。



「追跡者を撒いたうえで連れてくるように伝えろ」


「分かったわぁ」



 いずれにせよ、すでにスワヴェルディが王子と接触してしまった。

 大規模な索敵術式を使われれば隠蔽し通すのは難しいだろう。


 そう考え、リネーシャは命令を下す。



「各員、状況を開始する」










 ヴァルルーツ王子は吃驚する。


 魔法を使った高速移動の最中、唐突に足下がすくわれたかと思えば、何者かによって体が抱えられていたからだ。


 体が脊髄反射的に逃れようとするが、言葉によって遮られる。



「レスティア皇国の者です。皇女殿下の命により参りました」



 今にも攻撃せんとしていた手を辛うじて止める。


 一瞥した限りでは整った身なりの若い男だ。

 しかしその顔が、レスティア皇国の皇帝と皇女の付き人であることを理解する。



「こ、これは失礼を――」



 謝罪を口にしていた矢先、遮るように男は身を翻し走り出す。

 ヴァルルーツを抱えたまま。



わたくしはヴァルシウル王国第一王子のヴァルルーツ・ヴァルシウルと申します! 無礼を承知の上で、何卒、皇帝陛下に拝謁はいえつ――」



 ここで門前払いとなるわけにはいかない――そうヴァルルーツは必至に言葉を上げたが、次の言葉に言葉を詰まらせた。



「何者かにつけられております」


「――っ!?」



 ヴァルルーツはここまで半日以上走り抜けてきた。

 体力と気力が限界をすでに超えていたが、それでも確固たる意志がヴァルルーツの体を動かし続けていた。


 だが、そのあとをつけてきている者が居るという。


 いつから尾行されているのか?


 これほどの高速で移動についてこられているというのか?


 こちらには一切気配を感じさせずに?


 すなわち敵の魔の手がすでに領土奥深くまで潜り込んでいる――そんな懸念が脳裏に過ぎり、溢れた情報が混乱を巻き起こす。



「これより尾行を撒きます。少々手荒な動きになりますが、ご容赦ください」



 男は事務的にそう告げると、ヴァルルーツを抱えたまま爆ぜるように体を加速させる。それはヴァルルーツの比ではなく、めまぐるしく光景が反転する。











「戻ってきたみたいね」



 扉越しに聞こえる足音は早足を分かり、そこに焦りがうかがえる。


 軽量な金属を軋ませているのが鮮明に理解する頃には、扉の開く音が混じり、そしてその人物が部屋に入ってくる。



「あら、ヴァルルーツ王子。そんな慌ててどうしたのかしらぁ?」



 スワヴェルディに付き添われ、一人の男が現れる。

 だがその容姿は至誠の知る『人』とはずいぶんとかけ離れている。


 甲冑を身につけたその者は人のように二足歩行だが、その顔はまさに狼そのものだ。甲冑のない箇所の肌は露出しておらず、代わりにふさふさとした毛で覆われている。



 人狼。リネーシャがそう呼んでいたのを思い出した。



 あるいは狼人間とも呼べるであろう彼は部屋に入ってくるなり、スワヴェルディから離れふらふらとした足取りで駆け寄ってくる。


 スワヴェルディが一礼し部屋から出て行く一方で、ヴァルルーツと呼ばれた彼は、野太く勇ましく響く声を部屋に響かせる。



「皇帝陛下!! 皇女殿下!!」



 彼はリネーシャとエルミリディナに駆け寄ると、膝を折り頭を下げる。



「礼を欠いた謁見えっけんを何卒お許しください。その上で僭越せんえつながら――」


「戦争か?」



 言葉を遮りリネーシャはヴァルルーツに問いかけると王子は窮する表情を漏らす。

 早々にそう聞かれるとは思っていなかった――そう言わんばかりの顔をして。



「ご、御存じでしたか」


「いや、何者かにあとをつけられていたからな。その熟練度からしてマシリティ帝国あたりだと推測しているが、間違いないかね?」


「はい――い、いえ。正確には、おそらくそうだろう、としか」


「どういうことかしらぁ?」



 たじろぐ様子を見て、エルミリディナが説明を求める。



「本日未明――日をまたいだので前日の未明になりますが――レギリシス軍が協定線を突破。国境線に侵攻して参りました。我が国はレギリシス族長国連邦との事実上の休戦状態が終了し、再び戦時下に入りました」



 その口調は、はじめこそ事務的だったが、次第に感情が言葉に乗り始める。

 そしてそれは、悲壮が最も近い。



「五年前の一次攻勢時と同じように――いえ、あの頃よりもさらに強力な遠距離魔法攻撃を敢行しました。が、奴らの防衛は前回の比ではありませんでした」



 焦燥感を浮かばせ、ヴァルルーツは続ける。



「前回との違いは明白で、上空に魔女らしき者達が占有し、レギリシス軍を護衛しております。ここでいう魔女というのは憶測でしかりません。しかし、あの特徴的な三角帽とローブは魔女を象徴するまさにそれです!」



 なるほど――と、リネーシャは口を開く。



「では仮に魔女だとして話を進めよう。魔女の目的に心当たりは?」


「い、いえ、私には分かりかねます」


「最近の魔女は目立つことを嫌う。にもかかわらず最前線に出てきてレギリシス軍を護衛する狙いに心当たりはあるか?」


「いえ。しかしあるとすれば、レギリシス軍が助力を求めたからではないかと。その為に奴らがどれほどの対価、あるいは代償を支払ったのかは皆目見当が付きませんが……」



 リネーシャとエルミリディナの間の席にいた至誠は気付いた。

 二人が、視線を落とす王子の方を向いていないことを。その奥の壁へ視線を向けていることを。



「そうね。戦争を無償で引き受けるほど、頭が弱くはないわよねぇ」


「まぁいい。それで? 王子の目的はなんだ。我が皇国や聯盟に戦争介入を求めるためか?」


「は、はい!! マシリティ帝国が出てきた以上、我々の国力では抑えきれません! なにとぞ――」



 なんとかして助力を得る。言質を取る。そうしなければならない。できなければ王国が滅亡してしまう――そんな王子の気迫に対し、エルミリディナは笑みを浮かべ椅子から立ち上がり手を伸ばす。


 その優美な所作に見惚れていると、その手はヴァルルーツの胸ぐらを掴み、まるで小石でも投げ捨てるかのように彼女の後方へ放り投げられる。



 何事か理解できなかったがヴァルルーツはなんとか空中で体勢を立て直し、円卓の上に着地する。



 何か彼女の逆鱗に触れるようなことを言ったかも知れない――そうヴァルルーツはまずは謝罪すべきかと視線を向けるが、エルミリディナは背を向けたままだ。



 どう口を開くべきか――ヴァルルーツの思考が全力で答えを探す。



 と同時。



 壁の向こう側、建物の外から急激な魔法術式の発動を感じ取った。





 直後。





 壁に亀裂が入ったかと思うと、一瞬にして融解、蒸発し、高密度の魔法攻撃が一帯を飲み込んだ――。

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