第二話

 程なくして少女は木製のコップを片手に戻ってくる。

 取っ手はなく、木をくり抜いただけの簡素なコップだ。



「さて、そろそろ言葉が出せる頃合いだろう」



 そうリネーシャが言うので、至誠は声が出せるか再度試してみる。


 直後のそれは言葉と形容できるものではなかったが、しばらく試していると喉が音を発し始める。



「――こ、ここは?」



 至誠が始めに口にしたのはそんな疑問だった。



「ヴァルシウル王国領内のザマーゾエロギ山脈の麓だ」



 言葉による疎通は出来た。

 だがリネーシャの口にした単語に聞き覚えがない。


 会話の流れとして固有名詞であることは理解出来たが、『ここはどこか』の疑問に対して納得し理解できる回答ではない。


 それが表情に出ていたらしく、リネーシャはさらに言葉を続ける。



「心当たりがないならそれでも構わない。君はどこから来た? こちらの知っている場所であれば相対的に地理が説明出来できるかもしれない」


「えっと――」



 確かにこうなるに至った経緯は覚えていないが、住所については確実に覚えている。

 しかしリネーシャその西洋的な容姿や先ほどの聞いたことのない国名から、ここがそもそも日本ではないのは濃厚だ。


 そもそもなぜ流暢な日本語を口に出来ているかという疑問がある。

 だが逆に言えば、日本語を口にしていると言う事は日本を知っているとも言えるはずだ。



「日本です」



 至誠はそう結論づけ、都道府県を省き国名だけを答える。



「ニホン――。ふむ……」



 しかしリネーシャは心当たりがないのか、記憶を手繰るように視線をそらし、顎をかるく指でなぞる。



「ニホンというのは国の名前で間違いないか? あるいは都市や特定の地域名、またはそれ以外の固有名詞だろうか」



 ――心当たりがない。

 そんな意味を含んだ問いかけに、至誠の動揺を覚え精神が大きく振れる。



「日本は、国名です。アジアの東にある島国です――」



 そう説明するが、先ほどと変わらず心当たりはない様子で、残念そうに答える。



「ニホンと言う国も、アジアという国も聞いたことがないな」



 少女が嘘をついているようには感じなかったが、信じられない言葉の返しに自信は無かった。



 ――日本はおろか、アジアも知らない?



 この状況をどのように飲み込めばいいのか分からない。

 大人びているために忘れそうになるが、リネーシャは少女だ。


 外国の少女が地理に詳しくなくても仕方が無い。


 しかし横にいる老婆も知らないのか、まったく話に入ってこない。



  全員で示し合わせて嘘をついている、あるいは、ははぐらかしている可能性もゼロではないだろう。

 だからといってそれを証明できなければ意味はなく、疑うだけではキリがない。



「この話は後に回そう。ぜひ君の名前を聞かせてもらいたい。名前という文化がなければそう答えてくれ」



 至誠の脳裏には不安が募る。

 しかしここはひとまず自分を落ち着かせる為にも新しい質問に答えることにした。



「加々良至誠です」


「カガラシセイ――か。ニホンには姓名の文化はあるかね?」


「はい――『加々良』が苗字です」


「なるほど。ではシセイと呼ばせてもらおう。私のことはリネーシャで構わない」



 リネーシャが白湯の入ったコップを差し出してくる。



「ではシセイ、まずは喉を潤すといい。それだけ喋れるのであれば問題ないはずだ」



 初対面の人に対しては苗字で呼ぶのが至誠の常識だったが、リネーシャは違うようだ。


 欧米でも同様だと思っていたが、思い違いによるものか。

 あるいは少女がそういう性格をしているだけなのか。

 それとも、ここが欧米や北欧ではないということなのだろうか。


 至誠は嫌な推察を払いのけるように、起き上がろうとする。

 横になったままでは飲みにくい。そう思ってのことだ。


 しかし上体を起こせるほど回復していないらしく、思ったように起き上がれなかった。



「まだ難しそうだな」



 気を配るようにリネーシャは片手を至誠の背中に忍ばせる。


 子供の腕では難しいと思ったが、至誠の上半身は難なく持ち上がった。

 その動作を目にしていたが、リネーシャは決して力を込めているような素振りには見えなかった。



「持てるかね?」



 強い違和感を抱いたが、ともかくコップを掴もうと手を動かそうと試みる。


 かろうじて動かすことは出来たが、うまく手に力が入らず震えが混じる。



「難しいようだ。飲ませてやろう」



 リネーシャに背中を支えられコップを持ってもらい、そこまで介助されてようやく至誠の口に白湯が届いた。


 コップの中身は人肌の温かさの白湯だった。


 熱くも冷たくもないそれは、ストレス無く喉を通過する。


 至誠は特に料理や味に詳しい訳ではなかったが、水道水のような印象は薄く、むしろ軟水のミネラルウォーターに近いものを感じる。



「無理に飲む必要はないぞ」



 何度かこぼしそうになりながらも、かろうじて飲みきることができた。



「よし、だいぶ飲めたな」



 不思議と、たった一杯の水で体に力が戻ってくるような感覚を覚える。

 それが勘違いなのか幻覚なのかは分からなかったが、その間にリネーシャは足下にいた女性に声をかける。



「リッチェ、状況に変化は?」


「問題ありません。食道、胃、その他正常に反応を示しています」



 そのリッチェと呼ばれたその女性は、まだ十代後半といった印象を受ける。


 まず目に留まったのは特徴的な髪色だ。

 緑を基調に、赤や黄、紫に変化する輝きを持つ髪色は、玉虫色と形容するのが最も近いだろう。

 後ろ髪は短かったが、前髪はやや長く、右目が完全に髪の毛で覆い隠されている。もみあげから伸びる髪の毛は非常に伸ばされており、胸元で結われ、彼女の豊満な胸の上に乗っかっている。


 その服装は装飾が多分に施されたローブのように見えるが、少なくとも洋服ではない。印象としてはゲームや漫画でよくある、ファンタジー的な服装とでも形容すべきか――そう至誠は感じていた。




「テサロ、進捗は?」


「回復は想定通り、順調でございます。完治までは……そうですね、あと半日はかかるかと」



 テサロと呼ばれた老女の方を見てみると、やはり高齢の女性がそこにいた。

 顔中に皺が巡っている。しかし凜とした表情や体勢は、実年齢よりも若く見えそうだとすら思えた。


 髪色はリッチェと同じ玉虫色に近いが、彼女ほど色艶はない。


 こちらの服装もローブのように見えるが、その独特な装飾はどのようにたとえるべきか至誠には分からなかった。



 



「――あの」



 至誠は口を開く。

 確かに体が少しずつ回復しているような感覚を覚える。

 しかし比例するように、疑問や不安が大きくなり、それを口にして聞かずには居られなかったからだ。



「ここは……ロシア、とかですか? それともヨーロッパでしょうか?」


 ここは日本ではない。

 そして彼女達は日本もアジアも知らない。

 そんな中先ほど聞こえた固有名詞がロシア語かもしれないとの疑念からそう問いかける。

 さらに問いかける範囲をヨーロッパにまで広げた。


 これでどこかしら伝わるだろうと至誠は考えての問いかけだった。



「――何れも聞いたことのない名称だな」



 と至誠は思わず言葉を詰まらせる。


 ――ヨーロッパやロシアを知らないと言うことがあるのだろうか? 世界には独裁国家がまだあるし、情報統制されている国なのだろうか。


 ――そもそもの話、日本から出たことがないはずなのに、どうしてここに居るのだろう。大昔に漂流し外国に流れ着いた日本人の話は知っている。そのような経験を今しているのだろうか。


 そんな至誠の怪訝けげんな思考が表情に出ていたのか、リネーシャは諭すように言葉を続けた。



「――シセイ、戸惑いはあるだろうが、焦る必要はない。今は体の回復を行う事が先決だろう。もっとも、山場はすでに越えている。安心していい」


「体……あの、なんで――」



 そんな不安そうな言葉と表情に、リネーシャは考える仕草を見せた。

 どうしたものか――そんな面持ちで。



 一拍おいて視線を戻すと、リネーシャはゆっくりとした口調で教えてくれる。



「君は地中深くで見つかった。仮死状態で劇慟硝石げきどうしょうせき――より分かりやすく表現するならば、地下深くの氷層に閉じ込められている形で発見された。肉体が激しく損傷していたが、幸い頭部に傷はほとんどなく、蘇生治療が辛うじて間に合う状態だった」



 ――地中深くで仮死状態だった? いったいなぜ?


 疑問は湯水の如くあふれ始めるが、リネーシャの言葉が先に続く。



「なぜそこにいたのかは、むしろ我々の方が聞きたい事だ。だが君はまだ完治している訳ではない。詳しい状況の確認はまた後ほど改めて行う事としたい」



 ――それで今は納得してくれ。


 そう告げるリネーシャに、「分かりました」と即答できるほどの余裕はなかった。


 だがリネーシャの言動は決して敵対的でもなく、蠱惑こわく的でもなく、そこに悪意を感じる事ができなかった。



 不安を苛立ちに変換し周りにぶつけられれば、多少は不安から来るストレスも発散できるかもしれない。

 だがそのような事をしても事態は何も好転しない事は、目が覚めたばかりの至誠でも理解できた。


 そのうえ、リネーシャ達は仮死状態のところを救ってくれたという。

 それが本当ならば、彼女達は恩人と呼ぶべきなのだろう。


 そんな人たちに対し、八つ当たりをする事はしたくなかったし、するべきではない。



 そんな折、部屋の奥にあった扉が開くと、少し前に出て行った男性がトレイを片手に戻ってくる。

 


「陛下、お食事をお持ちいたしました」



 その男性の服装はスーツにもタキシードにも似て非なる様相だが、いかにも正装といった雰囲気だ。

 髪は男にしては長いが、決してロン毛というほどではない。

 体格は服で隠れているが細身であるように見えるが、身長は一八〇センチメートル強はあろうかと言う長身だ。


 近寄りトレイを受け取るリネーシャと比べると、まさに大人と子供だ。


 その男は確か、スワヴェルディと呼ばれていた――と至誠は少し前の記憶を掘り起こす。


 彼の持ってきた食事はパンらしきものと、シチューらしき白いスープだった。

 それぞれが用途に合った形をした銀の食器が使われている。


 しかし食事はリネーシャが受け取ったものの、至誠には差し出されなかった。



「まだ固形物はきついかもしれんな」



 リネーシャの言葉に深々とスワヴェルディは頭を下げる。



「失礼いたしました。作り直して参りましょう」


「いや、必要ない」



 そう言うとパンを一口大に手でちぎるとスープにひたして自らの口に運ぶ。

 少しの間租借すると、前触れなく至誠の顎に手をやり、口を開かせる。



「――!?」


 リネーシャを経由し口移しで至誠へと渡される。


 不意の出来事に体が追いつかず、リネーシャにされるがままに口をふさがれた。


 ちょっと待って欲しい――と声を上げようとしたが、口がふさがれていては声も出せない。そのため一度引き離そうとしたが、なぜか叶わなかった。



「よし、飲み込めたな」



 飲み込むまで口をふさがれては至誠に選択肢などなかった。


 リネーシャは少女とは思えないほど力が強い。

 外観は少女である彼女のどこからそんな力が出ているのか不思議だったが、それ以上に自分が抵抗するだけの回復をしていないのかもと至誠は考えた。



「今回は一口で様子をみよう」



 リネーシャは残飯をスワヴェルディに渡すと下げるようにしぐさを送る。



「血圧、心拍とも上昇。ちょっと急激すぎるかも」



 足下にいるリッチェがそう端的に告げる。



「欲情できるならもう大丈夫だろう」


 リネーシャがそう冗談めかして零すと、呆れたような白々しい口調がリッチェから帰ってくる。



「いえ、単に驚いただけかと思われます」


「どちらの仮説が正しいか検証は簡単だ。リッチェが試しに脱げばいい」


「拒否します」


 そう笑みを浮かべながら提案するリネーシャに対し、少し恥じらうように視線をそらしつつ、淡泊な口調で否定した。



 口移しされるという驚きが収束し始めた頃、リネーシャが再び至誠に対して諭すように声をかける。



「焦る必要はない。君がどこから来たのであっても、我々は歓迎する。治療と、衣食住の面倒はこちらで見よう。今は治療に専念するがいい」



 スワヴェルディはリネーシャの事を「陛下」と呼んでいた。

 リネーシャは一見して子供のような外観をしているが、少なくとも人を従えるほどの立場にいるようだ。


 そして彼女は、蘇生してくれるだけに留まらず、その後の面倒も見てくれるという。



「あの――」



 不安も疑問も、数え切れないほど溢れてくる。


 だが助けようとしてくれている彼女たちに対してかける言葉は、そんな疑問や不安じゃないはずだ――そう至誠は考え、口にする言葉を選びなおした。



「ありがとうございます」



 彼女達が何者なのか分からないが、感謝の一言すら口に出来ないのはあまりに筋が通らない――それが、まがいなりにも九州男児として育った至誠の考えだった。


 至誠の言葉に、リネーシャは興味深そうに観察するような視線を向けるが、すぐに顔を綻ばせる。



「かまわんさ」



 そう言ってリネーシャは立ち上がると、すたすたと背を向け扉に歩いて行く。



「何かあればテサロかリッチェに遠慮なく言うといい。――テサロ、後を頼むぞ」


「畏まりました。陛下はどちらへ?」


「こちらは問題なさそうだからエルミリディナの方を見てくる」



 テサロの問いかけに、新たな単語が出てくる。

 地名か人物名か分からなかったが、至誠以外は通じたようで頭を垂れる。



「承りました」



 テサロが同意を返すと、リネーシャはそのまま部屋から出て行った。





 結局、至誠にはまるで状況は分からないが、ともかく今は彼女たちの厚意にあずかることにした。




 ――恩を返すのは体が回復してから考えよう。




 そう考えていると、急に忍び寄ってきた睡魔に抵抗する暇も与えてくれず、至誠を再び眠りに落としていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!