姫路涼の左右逆転
暗
転
そして、
明
転
瞬間、僕は変化に気が付いた。気が付かずにはいられなかった。だけれど僕は、それを無かったことにして、見無かったことにして眠りに就いた。
何も見無かったことにした僕は翌朝、清々しいまでの違和感と共に目覚めた。
「気持ち悪い」
目覚めた途端に吐き気を催したという訳では断じてない。そのような感覚も少なからず感じてはいたが、問題はそこではない。問題にすべきは枕元に置いてあった、現在進行形でも置かれている目覚まし時計だ。
まずは、昨晩見無かった事にした左右逆転した部屋の事は忘れて落ち着こう。
深呼吸。
一拍置いてもう一度。吸って、吐く。酸素を吸収して二酸化炭素を排出する。
一通りの儀式が済んだところで再び目覚まし時計を確認。うん、やっぱり見慣れない針が左回りの目覚まし時計は気持ち悪い。
だが、一番気持ち悪いと思える要素は針の動きではない。本当に気持ち悪いのは文字盤の方。本来なら上から右回りに12、1、2、3、4……と記されているあれだ。
察しの良い人ならばこう思っているのではないだろうか?
「部屋が左右逆転していて、目覚まし時計の針が左回りならこの物語の主人公のような立場にいるこの男、ここまで全十話の流れから姫路涼だと思われる男は今回の物語で鏡の世界に来たのだろう。そして、鏡の世界で姫路涼が見た目覚まし時計の文字盤は上から左回りに12、1、2、3、4……反転した文字で記されているのだろう」
と、エクセレント。素晴らしい。正解だ。部分点を差し上げよう。満点はあげられない。でも、こう思っているさらに察しの良い人には満点をあげよう。
「姫路涼は左右逆転とは言ったが一度だって鏡のように左右逆転したとは言っていない。つまり、目覚まし時計の文字盤は上から左回りには記されているものの反転はしていないのだろう」
これが正解だ。残念だが、文字の反転云々は蛇足でしかない。
と、まぁ、目覚まし時計だけでよくここまで話を広げることが出来たと自分でも驚くほどに関心をしている所だが、この関心は右から左にこの左右が逆になった世界で使うのなら左から右に流して話を前に進めよう。
目覚まし時計の違和感に関しての気持ち悪さには一度句点を打って僕が、読者の想像通り姫路涼が見無かった事にしていた部屋を少しずつゆっくりと目を向けていくことにしよう。
句点を打って心機一転した僕が見たのはベッド脇にある本棚だ。左右逆転という事で、ベッドの左脇に二つ並べて置いてあった本棚は右脇に移っていた。それに関しては別に許容範囲内だ。
僕がそう言ったという事は、全十話を通じて僕であって僕ではない十人十色の僕を見て来た読者なら察してくれるはずだ。ここから見始めてくれている読者はまぁ、僕のテンションに引かずにゆっくりと見てくれればいい。勘違いしないでほしいがこんなメタ発言をしているのは今の所この話くらいだ。
おっと、話が脇道に逸れた。逸らしたのは僕自身だけれど。えっと、どこまで話したかな? そうだ、今回で十度目の再会になる読者なら察してくれただろう。そう、許容範囲内の本棚の中で許容範囲外の出来事が起きていたのだ。ん? 十度目の再会になるけど分からなかった? そうか、それは残念だ。今すぐ『雨傘』から『黒鳥』までを読み返してくることをお勧めする。心配しないでくれ、僕たちは数行開けて待っているから。さぁ、今すぐ読み返してくると良い。僕のお勧めは『仮面』だ。前の僕たちに宜しく。
やぁ、お帰り。いや、待っていないよ。僕たちもたった今この行に辿り着いたところだ。さて、話を再開しようか。
許容範囲内の本棚では許容範囲外の出来事が起こっていた。それはやはり左右逆転。考えればわかることではあるのだが、この左右逆転は不意を突かれたような感じがしてならない。
簡潔に言うと通常ならば左から1巻、2巻、3巻と並べるものが左右逆転したことで右から1巻、2巻、3巻と並べられていた。このような並べ方をしている人が読者の中にも居るかもしれないが、僕個人は左から並べていく派閥の人間であるため違和感が激しかった。と言いつつ、右脇に置かれているのなら右から1巻、2巻、3巻と並べられていた方がだらしなくベッドに横になりながら本を読むときに便利だと思ったりもした。
同じ現象がベッド脇以外に置かれていた本棚でも起こっていたのだが、流石にこれはベッド脇の本棚と同じように便利だと思うことは出来なかった。
この辺で一度、語るのを中断して質疑応答に入るとしよう。質問がある読者は周りの迷惑にならないよう黙って心の中で質問の内容を考えて欲しい。まぁ、『異能』の僕とは違って心を読む事はこの僕には出来ないから適当に質問されそうな質問を考えて回答するけれど。
取りあえず、ありきたりな所から。「他に左右逆転しているものは?」なんてどうだろう? きっと見てくれている読者の中にはそんなことを思って見てくれている人がいるはずだ。その疑問にお答えしよう。
確かにこの部屋だけでも左右逆転したものはまだまだある。その中でも二つほど例を出して話をしてみよう。
先ほどの許容範囲で許容範囲外の本棚から出て来たギリギリ許容範囲内の本に関する左右逆転だが、手元に漫画本でも文庫本でも週刊誌でも良いが本がある読者は少しそれを手に取ってもらいたい。
持ってもらえただろうか? 僕の僅かな知識だと国語を除いた教科書じゃない限りおおよその本は右側で留められていないだろうか? 僕も手近にあった文庫小説を手に取ったのだが、左右逆転したこの世界では左で留められている。開いてみると本を持ってみている人なら留められている部分を左側に、つまり裏表紙の方を持ってみると想像がつきやすいと思うが、そちらが表紙となっていて何枚かページをめくると縦書きで書かれてはいるものの右から左へは読むことが出来ず左から右に読まなければ話の内容が分からなくなっていた。横文字の場合は古い書物のように右から左へしか読むことが出来なくなっているのだろう。この話はこれで終わりだ。手に取った本はそっと元に戻してもらって構 わない。戻している僅かな間でどこまで読んだのか分からなくなってしまうかもしれないから少し多めに改行しておこう。優秀な読者に指摘される前に予防として断っておくがこの行為は断じて行数稼ぎではない。
次に例に挙げるのはリモコンだ。ここではチャンネルを回す、今は変えると言う方が判りやすいのだろうか? つまりそのボタンが横に1、2、3縦に1、4、7、10と並んでいる体で話を進めさせてもらう。
これも例に漏れず文字であろうと、数字であろうと、ボタンの位置であろうと、左右逆転の効果を受けているのだが、面白い事にほとんど全てのリモコンで中央に鎮座しているであろう2、5、8、11のボタンに限っては左右逆転していなかった。正確にはしているのだろうが、変化が見受けられなかった。
ちなみに、10、11、12と数字が二つ並んでいるボタンは11に関しては先ほどと同じ理由で除くとして、左右逆転の効果で01、21と数字が明らかに変わっていた。
最初の疑問に関してあらかた答えたところで次の疑問に移ろう。先ほどの言葉を繰り返すことになるが、僕は心を読むことが出来ないので少なくとも一人くらいは考えていそうな疑問を選出する。「部屋の外ではどのような左右逆転現象が起こっているのか」にしよう。僕が個人的に気になっていたのが大きな理由だったりする。着替えてから外に出るので申し訳ないが数行先で待っていてもらいたい。
お待たせして申し訳ない。文字で表現している為、先ほどとの変化が全く分からないだろうが家の外に出てみた。
早速だが、疑問についてまずは一つ解答しよう。太陽についてだ。
某アニメの主題歌の一部に『西から昇ったお日様が東へ沈む』の様な歌詞がある。まだ日の入り前ではあるが太陽の動きはまさにその歌詞の通りであった。左右逆転したこの世界ではこれでいいのだ。ちなみに僕はこのアニメをリアルタイムで見ていた世代ではない。
左右逆転ネタでやりたかった事を終えたところで折角外に出て来たのだから少しこの世界を巡ってみることにしよう。
句点から改行の間に僕の足で行ける自宅周辺を巡ってみたのだが、読者の期待に沿えるような面白い左右逆転現象を見つけることは出来なかった。
左右逆転ではなくて反転世界ならば、公園にある滑り台の位置と向きが左右逆転しているだけではなく、斜面を子供が登り階段を滑り降りると言うシュールかつ危険すぎてそれなりの常識を持った読者にしか見せられないような内容に出来たのだが、姫路涼シリーズの第二十六作目に当たる頭文字が「は」で始まる回は既にタイトルが決まっているので反転世界で使うことが出来るネタは左右逆転での僕の愚痴としてこのように消費されてしまった。
意気揚々と外に出て来て右往左往、いや左右逆転しているのだから左往右往したが、僕が認知出来る限りのこの世界はシンメトリーつまり左右対称で溢れているらしい。
シンメトリーで思い出した話の流れに全く関係のない話なのだが、ピーラーの両側に付いている新芽取りはシンメトリーと掛けているのだろうか?
戻すような話は無いが話を戻そう。そんな時、運良く、タイミング良く、都合良く僕と言う人間の物語ではお馴染みの彼が登場した。
「ながいなゃじとこたえ言が俺 ?か人一にのう言てっだ中只っ真のクーィウンデルーゴ、かいなゃじ涼」
姫路涼シリーズを見て来た読者ならお馴染みの彼は別の世界線で中二病患者だったり、誘拐犯だったり、ラジオのパーソナリティーだったりする川野流という男なのだが、これは驚いた。
驚いたというよりは予想していなかった。まさか、文字だけでなく言葉までもが左右逆転しているとは。もしもこの物語に巻き込まれる際に大人の事情にも巻き込まれて縦書きの状態で読んでいる読者にこの状況をお伝えするなら、この物語の二四〇〇文字頃に言っている『古い書物のように右から左へしか読むことが出来なくなっている』そんな状態だ。こんなことを言ってはいるが、あくまでメタ的な視点から僕が話して、語っているだけで、僕自身としての視点からは違和感なく聞き取れている。ただ、違和感が無いだけで不自然ではある。
「?たしうど」
不自然ではあるけれど違和感なく聞き取ることは出来ているので次からは読者に読みやすく伝わりやすく僕の方で修正しておく。ちなみに先程の流は「涼じゃないか、ゴールデンウィークの真っ只中だって言うのに一人か? 俺が言えたことじゃないがな」「どうした?」と言っていた。
「僕に何か用事でもあったのか?」
僕のすべきことが無くなった瞬間に運よく、タイミング良く、都合よく現れたという事は流と話すことで物語が次に進むのだろう。
「そうだった、涼に伝えなくちゃいけないことがあった」
流は僕の想像通り物語上、都合のいい言葉を全く違和感が無いのにもかかわらず不自然極まりない口調で告げた。
「右にあったものは左へ、左にあったものは右へ」
「それは、どういうことだ?」
少なくともいつもの、この世界での川野流が言いそうな言葉では無かった。この世界の影響を受けたことで右脳と左脳が逆転してこのような事を言っているとも思えなかった。それ以前にこの左右逆転現象は人間には対応していない。
「たいてし探を涼、中日一は日今らかたしが気な様いなけいゃちくなえ伝に涼、でんか浮に頭らたき起。いならかわりぱっさはに俺 ?ぁさ」
流の声はきちんと僕の耳に届いていたが、今まで通り違和感の無かったその言葉から不自然さまで消えていた。僕は悟った。
「?ため始し調同が界世と僕」
僕の声が左右逆転した。これは、時間が無いのかもしれない。
「といな忙、僕。んめご、流」
地の文までもが左右逆転現象と同調してしまう前に。心を亡くすほど忙なくてはいけない。左右逆転したこの世界に入り込んだ僕と言う名の異物が同調して元の世界の僕の心が亡くなる前に。
「?涼、だんたしうどりなきい、いお」
「たし出い思を用急」
僕は流にそう言うと走り出した。左右逆転した道を一度も迷うことなく左右逆転した自宅へと。左右逆転した自分の部屋へと。
今朝、左右逆転したことに気付きカーテンも開けずに自宅を飛び出したことで僕の部屋はあの歌通りに太陽が西から東へと沈み真っ暗になっていた。
真っ暗で何も見えないその部屋に僕は明かりを灯した。つまり、
明
転
すると左右逆転したこの部屋に明かりが灯り、同時に左右逆転したこの世界が、
暗
転
した。
目覚めると。気が付くと。どちらも今の僕の感覚を正確に表すには適切ではない表現だが、その様な不安定な感覚を如実に感じながら僕は左右逆転した世界を右左逆転させた、つまりは姫路涼と言う少年が長い月日を過ごしてきた正確な世界に帰還してきた。
左右逆転していたものは全て右左逆転され、目覚まし時計も本棚も本の開く方向も読む方向も、西から昇ったお日様も全てが当たり前のように元に戻っていた。
さて、ここで僕が左右逆転現象に巻き込まれた理由を説明しよう。だって、どんな減少にもそれなりの理由があるのだから、語り部として語らない訳にはいかないだろう。
ゴールデンウィーク真っ只中に、ゴールデンウィークであった描写などほんの一瞬しかなかったけれど語るまでも無くゴールデンウィークの真っ只中が舞台の物語で主人公を務めていた僕が出逢ったこの現象を作り出した犯人は僕だ。
これは僕が主人公として体験した物語で語り部は僕だ。語り部である僕はこの物語を語る上で都合の良いように話を改変した。
左右逆転などしていない平凡で平々凡々で平々々凡々々な日常を左右逆転したように語り、僕の世界に存在していない川野流と言う架空の存在を都合のいい様に生み出して都合の良いように僕の前に登場させた。そして、都合よく話が終わるように僕の心を僕自身で改変した。
そうして出来上がったのがスタート地点とゴール地点だけが定められたこの物語だ。僕のただの日常が左右逆転しただけだが、一つの物語として仕上がった。仕上がっただけで読者がこの物語を読んだ時の面白さを僕は感じることが出来ない。
わざわざ良し悪しを聞こうとは思わない。良いと思ったのならそう思い続ければ良いし、悪いと思うのなら批判すればいい。語り部であり主人公である僕から言えることはただ一つ。
「だせ幸分十でれそは僕、ばらなのたっなにしぶつ暇の者読」
おっと、失礼。
「読者の暇つぶしになったのならば、僕はそれで十分幸せだ」
それでは、あなたが主人公の世界に戻してあげよう。
明
転
そして、
暗
転
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