姫路涼の黒鳥
醜いアヒルの子という童話をご存知だろうか? 見たことは無くても聞いた事はあるだろう。逆に聞いた事は無いが見たことはあるという人だっているかもしれない。
見た事のないという人の為に簡単に物語を説明すると『アヒルの群れの中で他のアヒルとは異なった姿で生まれたひなはその姿から周りのアヒルに辛く当たられることに耐えられなくなり家族のもとから逃げ出すのだが、他の群れでもいじめられ、ひどい扱いを受けてしまいながら冬を過ごす。生きていることに辛くなったそのひなは殺してもらおうと白鳥の住む池に行く。その最中で大人になっていたひなは初めて自分がアヒルではなく美しい白鳥だった事に気が付く』地域によって内容に差異はあるかもしれないが大まかにはこのような物語だ。
そして、この物語もそのようなハッピーエンドを迎える『醜い少年』の物語である。
彼、姫路涼はあまり自分の本心を表に出さない少年だった。良いように言えばクールな少年であるが、涼はその見た目から『無口なデブ』という醜い名称を付けられていた。涼としてもその名称で呼ばれるのは快く思っていないが、自分の体形が他のクラスメイトよりもふくよかであることは十分理解しているので悔しいがその名称を受け入れていた。
涼はこれ以外にもまだ十一年にも満たないとても短い人生の中で幾度となく悔しい思いをして来た。例えば、中休み。
小学生と言うのは元気が有り余っているもので休み時間になる度に廊下や体育館、グラウンドといった場所に集まり集団で鬼ごっこやドッヂボール、大縄跳びの様な遊びに興じる。
涼の通う小学校も例外なく中休みが始まると多くの子供が教室を飛び出して体育委員会が定めた体育館の割り当て表に従って体育館に向かった。
体育館が使えると涼の学校では大概ドッヂボールが行われる。その際には基本的に運動神経が良いクラスの人気者二人が指揮を執り、それぞれ均等な戦力かつ前回のメンバーと同じにならないように選出する。そして、最後にはあまり運動神経が良くない女子と涼が残される。
「じゃん」「けん」「「ぽん」」
今までそんなことはしていなかったが、二人の人気者はじゃんけんでどちらを自分のチームに入れるかを決めた。このようなじゃんけんで決められる場合、勝った方が女子を負けた方には涼が入ることになる。
今回は学年問わず女子人気の高いイケメンと呼ばれる部類の男子が女子をチームに引き入れ、男勝りで男女問わず人気のあるポニーテールが印象的な女子のチームに涼が入ることになった。涼がコートに入るとメンバーの表情が曇ったが気のせいではないだろう。
メンバーを決めた人気者は次にメンバー内で話し合いをして三人の外野を選出する。この時、涼は自分の意思とは関係なく半強制的に外野へと回される。
「頼むな」
「う、うん。わかった」
リーダーである少女は五センチほど背の高い涼の肩に手を置いてそう告げた。この少女に恋心を抱いている涼は嬉しい反面、共に内野として楽しむことが出来ないことを悔やんだ。
涼が表情にすら出さないその思いを誰かが気付くわけでもなく、ドッヂボールは中休みが始まってから四分後に開始され、涼の手元にボールが来ることなく試合は涼のチームが最初から外野であった涼を含めた三人以外いない状態で勝利した。
中休みはあと七分残されていたためメンバーは変えずにもう一試合行われた。外野三人のうち涼以外の二人は先ほどの試合から変更されたが涼はそれが当たり前であるかのように外野に残った。そしてまたボールに触れることなく試合は中休み終了を知らせるチャイムによって強制的に終わってしまった。
「じゃあ、姫路このボール片付けておいて」
相手チームのリーダーだった少年は意地悪な笑顔を浮かべると持っていたボールを思い切り涼に投げつけた。学校に常備されているボールの中では柔らかい部類のボールではあったが、クラス一の運動神経を持つ少年の投げたボールにはズシリとした重みがありそれを受け止めることの出来なかった涼はその場にドスンとそれなりに大きな音を立てて尻餅をついた。それを横目で見ていたクラスメイトはクスクスと笑いながら教室に戻って行った。嫌でもその光景が目に入ってしまった涼は奥歯を強く噛みしめながらドッヂボールでは一度も触れることの出来なかったボールを器具室に戻して次の授業に遅れないように急いで教室へと戻った。
別の日の放課後、涼は一人で下校していた。その足取りはとても軽かったが、それは一瞬の出来事に過ぎなかった。
「よう、一緒に帰ろうぜ。ひ・め・じ・くん」
一人楽しく帰ろうとしていた涼に声を掛けてきたのはあの日、涼にボールの片づけを押し付け、ボールを投げつけた少年だった。少年は同じ方向に帰るクラスメイトを五、六人引き連れていて、その中には涼が好意を抱いている少女もいた。
涼も少年や少女と同じ方向に自宅があるため断ることも出来ずに一緒に帰ることになった。
「あー、今日は疲れたな。荷物重いし」
五メートルほど歩くと少年はワザとらしく棒読みでそう呟いた。それはつまり、涼に自分の荷物を持てと言う意味であった。
何度か同じような事をされた覚えのある涼はその意味を理解して自主的に荷物を持つと告げた。
涼が自分の思い通りに動いてくれることに気分を良くした少年は一緒にいるクラスメイトのランドセルも持つよう涼に指示した。
逆らっても良いことは無いと分かっている涼は仕方なく全員からランドセルを受け取ろうとしたが、少女だけは「いいよ、自分で持てるから」と断った。
「咲、どうした? 姫路の油がランドセルに付くのが嫌なのか?」
「そうじゃないから」
「はいはい、そういう事にしておきますよ」
気分が良いからか少年は少女に対してそれ以上言及することは無くクラスメイトと談笑しながら先頭を歩いて行った。
少年の家の前に着いて少年にランドセルを手渡すと少年はここまでランドセルを運んでくれた涼にたった一言のお礼の言葉も言わずに当たり前のように家に入って行った。
「ごめんな」
少年の代わりにそう告げたのは少女だった。そう言われた涼は表情にこそ出なかったが、とても焦り、戸惑い、恥ずかしくて何も言えなくなってしまった。
「涼があいつにあんな事をされてどんな気持ちなのかうちにはハッキリと分からないけどさ、うちから見るといじめにしか見えないから嫌なら嫌って……。言えないよな。じゃあ、うちに言ってくれ」
少女は優しくそう言ってくれたが、涼の答えは。
「大丈夫。心配してくれてありがとう、ございます」
少女に対しての感謝の気持ちは本物だったが、あくまで言葉の一部だけであり、言葉全体を見るとその言葉は本心ではない言葉だった。
涼は本心を誰にも告げられないまま小学校生活六年を終えた。涼にとって小学生生活六年の思い出はとても辛いものではあったが、少女の存在が涼の心を保たせてくれていたのは間違いないだろう。
月日が経ち、少年と中学が別になった事で小学生の時より平穏に暮らすことが出来た涼は高校生になった。
その平穏はあの時のように少年によっていとも簡単に壊されてしまった。
入学式前日、入学式前の顔合わせとして高校に初登校した涼は自分と同じように今日が初登校になる新入生の波をかき分けてクラス分けの書かれた紙を見た。
『姫路涼』の名前は一年B組の出席番号十五番の欄に書かれていた。しかし、涼の目に映ったのは自分の名前の上にある出席番号四番『川野流』と言う名前で、その名前の主は小学生時代にいじめまがいの事を幾度となく続けて来た少年だった。
誰にも気づかれないような小さなため息を吐いた涼は出来る限り関わらないように高校生活を送ろうと心に強く決めて教室に向かった。
教室は四十人一クラスとなっていて五つ並んだ座席が八列配置されていた。座席は黒板側から見て左から順番に、男子の出席番号一から五、女子の出席番号三十一から三十五、男子の出席番号六から十、女子の出席番号三十六から四十までなどと決められていた。
涼は黒板側から見て右から四列目の一番後ろの座席であり、あの少年、流からはある程度離れた場所であった。
幸運な事に流はまだ登校していなかったため、涼は堂々と流の机の前を横切って自分の座席に着席した。
「もしかして、姫路?」
不安げに指定された座席に座ると、左隣に座る出席番号四十五番の少女と呼ぶには少し大人びた女性が自信なさげに声をかけて来た。女性はまだはっきりと涼が涼であると認識はしていないが涼はその女性が誰であるのか声を聞いた瞬間に気が付いた。気が付かない訳が無かった。
「真矢、咲さん?」
その名前は涼の初恋の相手であり、小学生時代に陰ながら気を使ってくれていた少女の名前であった。ポニーテールが印象的であった小学生の時とは違い、艶やかに伸びた髪が女性らしくなってはいたが、高校生になっても男勝りな雰囲気は微かに感じ取ることが出来た。
「やっぱり、久しぶり」
「久しぶり」
涼が喋り出すと女性、咲はクスリと笑った。小学生時代に嫌な思い出と共に見た笑い方によく似ていたが、咲の笑い方には小学生時代に見た笑いとは違い悪意を感じなかった。
「背も高いし、声も低くなっているなんてもはや別人だな。かっけぇ」
「えっ? 何だって?」
咲の最後にボソッと言った言葉を涼は聞き返したが、咲は顔を少し紅潮させて「何にも言ってない」と返した。だが、咲の言葉はしっかりと涼の耳に届いていた。届いていたからこそいつもの様に表情には出さないものの喜び、柄にもなくもう一度言ってもらいたいという欲求に駆られて聞き返していた。
「真矢さんは何というか、美人になりましたね」
「美人? 髪を下ろしているからそんな風に見えるだけだろ? 姫路ほど変わってない」
咲はそう言うと涼の頭の先からつま先まで食い入るように眺めた。特に顔と腹のあたりを重点的に。
「小学校の時に比べて随分痩せたって親戚によく言われるけど、真矢さんから見てどう?」
咲が聞いて良いのか不安になっている表情を見た咲は自分からその話題を振ってみた。
「最初に見た時に気が付かないくらい痩せたと思う。いや、痩せている」
「そう、なんだ」
自分の事だというのに涼は他人事のような返事をしてしまった。それもそのはずで、涼はつい最近まで自分が小学生の時と同じく太っていると思っていた。しかし、実際は中学に入ってからの急激な成長によって腹回りの肉は消え、密かにイケメンと呼ばれるようなルックスを手に入れていた。
「変わったと言えば」
咲はそう言うと涼のぜい肉があったはずの肉体から視線を外して、教室に恐る恐る入って来た丸い体形の少年を見た。
その少年は周りの視線を気にしながら黒板側から見て一番左の列にある前から四番目後ろから二番目の席に座った。出席番号四番の生徒が座る座席であるその椅子に座ったということはその丸い体形の少年が小学生時代に涼をいじめていた川野流であった。
「中学二年生の時に急激に。最初は『何処かの誰かと違って、俺は太ったとしても話せるデブだ』なんて粋がっていたけど、人生は甘くないって言うかそれまでが甘すぎたからあの体形を弄られるようになってからは人目が気になるみたいでずっとあんな感じ」
流の事を随分と知っているなぁと、思いながら少し劣等感を抱いているいつも通り無表情で本心が全く見えない涼を見て咲は涼の心を読み取ったかのように「幼稚園の時からの幼馴染だから話を聞いて知っているだけ。別に川野の事は体形がどうであれ好きじゃないし、好きにはならない。好きな人いるし」と妙に涼の事を見ながら涼の抱いていた疑問に答えた。
それから一週間が経ち、クラス内でグループと呼ばれるものが出来てクラスの雰囲気が完成され始めた頃。
流は小学校の時の流れが大きな変化なく成長したようなクラスの人気者でイケメンの少年に目を付けられいじりの対象にされた。それを見るまでも無く見かねた涼は流に救いの手を差し伸べた。
流はその手を断ったが、それを見ていた少年は自分のやろうとしていた幼稚な行為を反省し、少なくとも涼の過ごしているクラスの中でいじめは芽吹く前に根絶した。いじめの種は涼たちの知らない未来でも芽吹くことは無かったが、恋の種が芽吹いた。それは言うまでも無く涼の恋であった。
「姫路、前から……。小学校の時からずっと好きだった。うちと付き合ってくれ」
涼は生まれて初めての告白をされた。場所は放課後の教室。相手は涼が今まで片思いだと思っていた初恋の相手、真矢咲だった。涼は生まれて初めての告白に生まれて初めて本心からの笑顔を添えて本心で答えた。
「僕なんかで良ければ」
こうして、辛く当たられていた少年は苦しく辛い冬を越して二度と冷え切ることのない温かく長い春を迎えたのでした。
めでたし、めでたし。
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