姫路涼の継承
「ねぇ、僕の代わりに僕になってもらえないかな?」
それが彼であり後の僕との出会いだった。
「それは一体どういう?」
とても僕とは似つかない僕は笑顔を見せて僕にスプレーのようなものを噴射した。スプレーから噴出された粉は僕の意識を一瞬で削り取って行った。
目が覚めた僕は手と足を厳重に拘束され、パッと見回しただけでも百畳ほどはありそうなとても広い和室の中央で無造作に転がされていた。
「お目覚めだね。このまま目覚めなかったらどうしようかとハラハラしていた所だ」
「あなたは」
「姫路涼。と言っても君と同じように拉致されて僕の意思とは関係なく十八だか十九代目として継承されただけで本名ではないけれど」
出会ってから初めて僕と目が合った姫路涼はとても悲しげな眼をしていた。だからと言って姫路涼が僕に現在進行形で行っているこの状況を許す理由にはならないし、許す気は毛頭無い。
「あなたは僕にこんな事をしてどうするつもりですか?」
何も出来ないのに強気な姿勢でそう告げる僕の前に姫路涼は寝転ぶ僕と出来るだけ視線の高さが合うようにしゃがみこんむと抑揚の乏しい声でこう言った。
「言ったはずだよ。僕の代わりに僕になってもらいたいと。姫路涼という名を継承して欲しいと。君の意見はもう聞いた。だから、君にはこの名前を僕から継承してもらう。君がどんな考えであろうと断ることは絶対に許されない。僕だって断ることが出来ずに受け継いできたのだし、これは代々の姫路涼が言い伝えて来た掟だ」
初対面の僕を拉致して両手足を拘束してまでこのような事を言う。少なくとも悪意に塗れた冗談ではなさそうだった。
「そんな人権を無視したような掟、僕は信じない」
「若いね、僕も昔は先代の姫路涼にそうやって噛みついた。そして、この屋敷から逃げ出した」
姫路涼のその言葉を聞いて僕は無理矢理起き上がり、両手足が拘束された不自由な状態で姫路涼との距離を取った。姫路涼は僕の動きを目で追うだけで自分が動くことは無くただ微笑んでいた。僕は姫路涼の目を見ながらゆっくりと慎重かつ的確に移動して出口を確保した。
「さようなら」
僕はそう言って引き戸を開き、和室から脱出した。ただ、この時の僕は逃げる気持ちばかりが先行していて姫路涼の話をよく聞いていなかった。姫路涼は確かに『逃げ出した』と言っていた。しかし、『逃げ出せた』とは一言も言ってはいなかった。
「まずは、どこかに隠れよう」
両手はまだ良い。だが、両足の拘束は逃げる上でとても不便極まりなかった。その為には一度、姫路涼に見つからないような場所に身を潜めて無理にでも拘束を外す必要があった。
僕は廊下をぴょんぴょんと無様に跳ねながら身を潜めることが出来そうな部屋を探した。和室を出てから三分ほどが経過し、僕は先ほどまでいた和室程の広さでは無いがそれなりに身を潜めることが出来そうな大きな家具に溢れた部屋を見つけた。そこは生活感のある部屋ではあったが埃っぽかった。恐らく長い間掃除もされずに放置されていたのだろう。しかし、身を潜める場所としてこれ以上適した場所は無いだろう。僕は早速その部屋に入り、ホテルのように二つ並んだベッドの陰に身を潜めた。
姫路涼と言う男は準備こそ出来てはいたものの拉致と言う行為を行うのは初めてだったのだろう。僕の両腕は身体の後ろではなく身体の前で拘束されていた。そのおかげで僕は無理なく足の拘束に触れることが出来、手錠とは造りが異なる金属で出来た手の拘束とは違い荒縄で食い込むように縛られた足の拘束をゆっくりと解くことが出来た。
解いた荒縄を何かに役立てることが出来るかもしれないと考えた僕は部屋の片隅で何故か埃を被らずに置かれていたポーチに入れてそのポーチを腰回りに装着した。
部屋を出る前に耳を澄ませて周囲の足音を確認し、足音を感じなかった僕は足音を立てぬようにそっと部屋を出た。
「足音も立てずにどこに逃げたのかな?」
何処からともなく姫路涼の人のぬくもりを全くと言って良いほど感じさせないその声が聞こえて来た。その声に驚いた僕は咄嗟に近くの引き戸を開いて、躊躇なくその部屋に入った。
「脱衣所?」
ではあったが普通に想像するような一畳か二畳程度の小さなスペースなどでは無く、銭湯や温泉施設でよく見かけるような中央に籠の入った棚があり壁際には腕に付けることの出来る鍵付きのロッカーが備え付けられたものだった。
「あれ? 足の拘束が外されている。時間も時間だし両手が前にあるから仕方ないか」
僕の背後にはいつの間にか姫路涼が立っていた。そして、姫路涼は一歩ずつ僕に近寄りそれに合わせて僕も一歩後退した。
「僕は昔から追いかけっこは得意だったけれど、最終的には先代に捕まった。わかるだろう? 姫路涼から逃げることは出来ない。君がどう足掻こうと運命を受け入れる以外の選択肢はない」
「僕にその運命を受け入れる義務はないはずだ。僕は今日この日まで姫路涼なんて人物を知らなかった。なぜあなたは僕にその名前を押し付けようとする?」
「僕だって好きでやっている訳じゃない。勝手にそう決められて逃げても、逃げても追い詰められて押し付けられた。姫路涼から解放されるには」
怒るように感情を表に出して熱く語った姫路涼は突然冷めきったように感情を失い語るのを辞めた。
「解放されるには君から名前を貰わなくてはいけない」
姫路涼は懐から免許証を取り出して僕に見せた。その免許証には僕の名前が……。彼の名前が……。僕のモノであった名前が明記されていた。
「いつ、いつそれを?」
「眠らせる前、僕が君に声を掛けるほんの少しだけ前」
姫路涼であり僕は表情一つ変えずに当たり前のようにそう告げ、こう続けた。
「僕の前職はスリだった。まぁ、それなりに稼いでいた。先代からもこんな風に財布と免許証を盗んだ。それは姫路涼にとって名前を渡す儀式のようなものだったらしくて僕は姫路涼の名前を先代に返すことが出来ないまま名前を奪われ姫路涼を押し付けられた。今回の儀式は君からスリの要領で名前を奪って名前を押し付ければ良かったが姫路涼のもう一つの掟としてこの屋敷について教えなくてはいけない。まぁ、話を聞く前に逃げるという手もある」
その言葉を聞いた僕はすぐさま姫路涼であった僕を押し倒した。すると、姫路涼であった僕は僕であった僕の免許証と一本のカギを落とした。僕であった僕は何としても免許証を取り返し、名前を取り返さなくてはいけなかったが、僕であった僕が手にしたのはカギの方だった。
ただ、幸運な事にそのカギは僕の手を拘束している金属の開錠用のカギであった。僕は名前を取り返すことが出来なかったことをひどく後悔しながらカギを口で咥え、拘束を開錠した。
拘束を外したのとほぼ同時に姫路涼であり僕は立ち上がり、僕に姫路涼を押し付ける為に手を伸ばした。しかし、地にしっかりと足がついている僕であった僕の方が僅かに早く動いた。姫路涼であり僕は僕であった僕を掴むことは出来ずその手は床に落ちた。
その隙を見て僕は一気に駆けだした。姫路涼であり僕は昔から追いかけっこは得意だったと言っていたが、僕であった僕もその点では同じだった。どちらが速いのかと聞かれたら中学、高校と陸上部で走っていた僕の方が速いのではないだろうか?
逃げている間に僕であった僕はスタート地点の和室に戻ってきてしまっていた。十数秒遅れて遠くからこの和室に向けて近づいて来る足音が耳を澄まさずとも聞こえてきた。
僕であった僕はどうにかこの状況を打開しようと天を見上げた。屋内であるこの場所から空を見上げることは叶わなかったが、その代わり状況が打開できそうな案が一つ思い浮かんだ。
足音が聞こえてから数十秒が経ち、和室に姫路涼であり僕がやって来た。
「君は何をやっているのかな?」
「見ての通り、僕はここで首を吊って自害する」
天を、天井を見上げた時に僕であった僕は剥き出しになった横にのびる木の柱を見つけた。それを見た僕はポーチに入れていた荒縄を取り出して柱に括りつけた。垂れ下がった部分に首を入れる輪を作った。荒縄が厳重に拘束するために長くなっていなければこの考えには至らなかっただろう。
「そうか、出来るというのならやってみると良い」
僕であった僕が死ぬことがないと確信しているような言い方でそう言った姫路涼であり僕の言葉の理由をこの数秒後の僕であった僕は身を持って知ることになる。
「うっ、熱い」
輪に首を通すと一瞬だけ僕であった僕の首は強烈な熱さを感じた。そして、気が付いた時には僕であった僕の首は輪に拘束されずに畳の上に身体ごと落ちていた。
「追いかけっこは終わりにしよう。姫路涼になる君にこの屋敷の秘密を教える。聞き逃さずに聞いてくれ」
僕であった僕はその掟を聞かないように耳を塞ごうと試みた。それは姫路涼になる僕自身の意思によって止められた。
その一連の動きを不思議に思うことなく当たり前のように見ていた先代姫路涼、現川野流は姫路涼になる僕に姫路涼の名を継承して屋敷の秘密を告げた。
「この屋敷は初代姫路涼によって造られた屋敷らしい。歴代姫路涼の怨念でもあるのか、この屋敷で姫路涼または後の姫路涼が死ぬことは出来ない。それに関しては僕も先代も、そのまた先代も誰もその理由について知っている者はいないらしい。もしかしたら知っている上で知らないと嘘を吐いた姫路涼もいるかもしれない。そして最後にこれはとても重要な事だから絶対に忘れてはいけない。この屋敷には姫路涼を継承した者と次期姫路涼以外は入ることを許されていない。もし入れば、その者の名前は永遠に彷徨い続けることになる」
先代の言葉は僕の脳裏に嫌と言うほど焼き付いた。
「しばらくは自分の存在が分からなくなるはずだ。僕もそうだった。でも、姫路涼となったからにはもう一つやらなくてはいけないことがある。それは言うまでもないよね?」
僕は川野流に対して小さく頷いた。僕の使命は姫路涼を継承したときに頭の中に当たり前であるかのように浮かびあがってきた。
「ねぇ、僕の代わりに僕になってもらえないかな?」
それが彼であり後の僕との出会いだった。
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