姫路涼の願い事

 今 私の願い事が叶うならば―――


 心地の良い日差しが窓から差し込んでくるある日の昼下がり、透き通るような歌声が天井を見つめるだけの退屈な生活を送っていた姫路涼の耳に届いた。


「私の願い事……」


 涼は親の顔より見慣れた天井に向かってそう呟くと、今の自分の願い事について思考を巡らせた。


「オシャレ」


 そう呟いてみた涼だったが、それは涼の願い事ではなかった。


「旅行」


 行ってみたいと思ったことは何度かあるが、いつの頃からかそれは涼の願い事ではなくなった。


「美味しいごはん」


 食事自体が好きではなくなってしまった涼にとってはそれは願い事ではなかった。


「この病気を……」


 考えるまでもなく涼の願い事はそれだけだった。


 結論が出たことで暇つぶしが無くなってしまった涼は再び天井を見つめるだけの作業に戻った。


「……」


 一度まぶたを閉じて目を開くと、涼の目の前には天井ではなく幼い少女の小さく、殻をむいたばかりのゆで卵の様にすべすべとした白い肌の顔があった。


「誰?」


「咲、真矢咲。おひめさまのおなまえは?」


「お姫様って僕の事? 涼だけど」


 そう答えると咲と名乗った少女はとても嬉しそうに微笑んだ。


「おひめさまは眠り姫? それとも白雪姫?」


「どっちだろう? 眠り姫かもしれないし、白雪姫かもしれないし」


「わ~」


 涼はどちらの選択肢も自虐のつもりで答えていたが、そんな事はわかっていない咲は目を輝かせて喜んでいた。


「ところで、咲ちゃんはどうして僕の部屋に来たのかな?」


「わからない」


「そっか、それなら僕の部屋でゆっくりしていくと良いよ。何もおもてなしは出来ないけどね」


 それから咲は涼の担当看護師が涼の病室を訪れるまでの間、涼と内容の無い会話を繰り返しながらも楽しそうに時間を費やしていた。涼は咲の遊ぶ姿をその目に移すことは出来ないながらもここ数年で一番有意義な表情をしていた。


「涼ちゃん、咲ちゃんと遊んでくれてありがとう。咲ちゃんが描いていった絵があるけど見てみる?」


「見せて」


 長く担当をしている看護師でさえも聞いたことがないほど楽しそうな声でそう答えた涼に看護師は咲が描いた絵を見せた。


「凄い、あんな小さな子が描いたとは思えないくらい上手。でも……」


 看護師は何枚も咲の絵を涼に見せた。どれも美術作品の様に繊細で美しい出来栄えだったが、そのどれも全て……色が無かった。


「咲ちゃん、生まれた時から色がわからないの。覚えられないって訳じゃなくて咲ちゃんの世界には白と黒だけしかないみたいなの」


「白と黒だけ」


 そう呟くと涼は窓の外を見つめた。こんな綺麗な青空が咲にはモノクロにしか見えない。そう思うと涼は心の底から苦しくなっていた。


「本当、凄い偶然だな」


「偶然?」


 看護師がとても小さな声で呟いたその言葉を涼は聞き逃さなかった。


「なんでも無いの。こっちの話」


「聞かせて」


 涼は少し強めの口調でそう言った。長い付き合いで涼がこの口調を使う時は何を言っても意味がないことを知っていた看護師はうっかり呟いてしまった自分に腹を立てながら偶然の意味を伝えた。


「咲ちゃんのご両親は咲ちゃんに色のある世界を見せたくて目の移植を望んでいるの。ドナーを探していたらたまたま咲ちゃんに適応した患者さんがこの病院にいたの。それが、涼ちゃん」


「そっか、僕が。それって、凄い偶然だね」


「正直驚いているわ。まさか、それを咲ちゃんのご両親に説明している最中に本人通しが仲良くなっているなんて」


「それって、すぐにドナー提供できるものなの?」


 軽い口調でそう尋ねる涼だったが、とても真剣だった。


「少なくとも涼ちゃんが生きている限りは無理よ。だから、他のドナーも探しているの」


「そっか―――」


 涼は軽くそう言うと、何かを考えるように目を瞑りそのまま眠りに就いた。


 それから、数週間おきに咲は涼のもとを訪ねるようになり涼は咲との関係を知りながらもあくまでたまたま知り合った年の離れた友達として接し続けた。


 二人の出会いから数年の歳月が経ち、咲が小学校へ入学するという報告が涼の耳に届く頃、涼は咲と会うことが出来ないほどに容体が悪化していた。


 咲がどうしてもと聞かずに入学式の帰りに涼のもとを訪れたその日。


 涼はガラス越しに再開した小学一年生の咲を見て人生で一番うれしそうな笑顔で微笑むとそのまま息を引き取った。


***


「咲ちゃん、包帯をはずすわよ」


 何の運命か涼の担当をしていた看護師は咲の担当看護師へ就任し手術を終えて包帯をはずす時期になった咲と共にいた。

「ゆっくり目を開けてみて」


「眩しい……あっ!」


 久しぶりに咲が見た光景は今まで見ていた物とは全く異なっていた。


「これが、色」


「咲ちゃん、実はある人から色が見えるようになったら渡してほしいって言われていた物があるから渡すわね」


 看護師はそう言うと新品同然のスマートフォンを手渡した。


「私たちではロックを開くことは出来なかったのだけど、咲ちゃんなら出来るはずだって」


「私なら?」


 首を傾げた咲が恐る恐るスマートフォンの電源を入れると咲の虹彩でロックが解除された。スマートフォンの画面には一つだけ『咲ちゃんへ』とタイトルの付けられたアプリがあった。


「私に?」


 咲がそのアプリをタッチすると数分の動画が再生された。


『今 私の願い事が叶うならば……僕は咲ちゃんにいろんな色を見て欲しい。

こんにちは、咲ちゃん。これを見ているのがいつなのか僕にはわからないけど、これを見ているって事は、僕と咲ちゃんは一緒に居るって事だと思います。

 最初にも言ったけど、今の僕の願いは咲ちゃんにいろんな色を見てもらってボクが見ることの出来なかったものを一杯見てもらう事です。

 咲ちゃん、君が僕に書いてくれた絵は凄く大事に取ってあります。あれは僕にとって大切な宝物です。ありがとう。

 もう一緒に遊ぶことは出来ないけれど僕はどんな時でも咲ちゃんと一緒だからね。

 以上、姫路涼でした。ばいばい』


「涼さん……」


 この動画の為だけにとても綺麗な色の洋服に着替えていた涼を見て咲は色々な感情が溢れ出し涙を流し続けた。

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姫路涼シリーズ 姫川真 @HimekawaMakoto

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