姫路涼の時計塔
数十年前までは立派な駅舎があったという、もう二度と列車の通ることがない線路と半壊した駅のホームだけしか残されていない廃駅の前に一年に一度『6月1日』に思い出したかのように針を動かす時計台がある。
この辺りで唯一、本というものを取り扱っている古書店で数百年前に大ヒットしたのだという作者不明の物語『水色の雨傘』のシリーズだと思われる『白銀色の時計塔』を購入した僕は何か強い力に引き寄せられるように自宅とは逆方向にある『例の時計塔』へと歩んで行った。
「あ、第一村人発見」
時計塔のある廃駅前まで行くと、十数年に一度、若い女性を中心に爆発的な人気を起こすフィルム式のカメラで時計塔を撮影していた女性が僕の存在に気付き、僕を指差しそう言った。
「理由までは知らないですが、この村では人に指を指す行為は無礼とされているので僕に向けたその人差し指は降ろしてもらえますか?」
「おっと、これは失礼。この村に来てから人の姿を見なかったもので興奮してしまいました」
「まぁ、この村は最寄りの公共交通機関が車を2時間走らせないと到達できないような寂れた土地ですからね。よっぽどの理由がある人くらいしか住んでいませんよ」
「では、あなたは何か理由があってこの村に?」
「この村が市だった頃から先祖代々何百年もここに住み続けていて、そうしている内にこの村を出て行く機会を失ったから今もまだこうして住み続けているだけです」
生まれてから今に至るまでこの村しか知らずに生きて来たから不便などは感じないし『水色の雨傘』シリーズが書かれた頃の時代とは違い今はインターネットさえ繋がれば人はどこでだって生きていける時代だ。
「それで、あなたの方はどうしてこんな所に?」
「私は、自分を探しに」
「自分?」
「正確に言うなら自分と同じ名前の人を探しに」
「なるほど」
わかったようにそう言ってみたのは良いが、さっぱり理解が出来なかった。
「初対面の人に対して言うことじゃないですけど、私って変人なんですよ。自分の名前と全く同じ名前の人の情報があれば調べ尽くして自分だけで満足をする。それが生きがいなんです」
「じゃあ、ここに来たのも」
「はい、800年以上も前の私に関する有力な情報があったので」
「800以上も前の私って、同じ名前というだけで完全なる別人ですよね?」
自分は自分、それ以外に自分は存在しない。それが今の一般的な常識だ。
「そうとも限りませんよ。私が私を調べた結果、現在まで同じ私は同じ時代に存在してはいないのです。この事から私は過去に存在した私はその魂を私の名前が付いた器に転生をしているのではないかと」
「面白い発想ですね」
世間一般の常識だけが正解であると思い込んでいた僕には到底考えつかない発想だと僕は素直に感心した。
「良かったです。こんな変人の話を聞いてもらえて」
「この村に住んでいると人と直接話をする事は少ないので、もう少しその話を聞きたいくらいです」
「そうしたい所ですが、そろそろ私を探しに行かないと日が暮れてしまうので」
「そうですね。では、自分探し頑張ってください」
「引き留めてしまってすみませんでした。さようなら」
ほんの数分間の繋がりを僕は噛みしめることなく、『白銀色の時計塔』を買ったからとはいえなぜ突然本来の機能を果たしていない時計塔に引き寄せられたのか疑問に思いながら1人で暮らすには随分と大きすぎる自宅へと帰った。
読み慣れているとはいえ数百年前の言葉で書かれている『白銀色の時計塔』を読むためにはわざわざ現代語に翻訳をする手間があり、帰宅してから30分が経ったがまだあらすじと目次までしか翻訳出来ていなかった。
インターネットを活用して地道に現代語訳を行っていると『ピンポーン』という電子音が家中に響き渡った。
「な、なんだ?」
『インターホンの音かと思われます』
僕の声に反応して携帯電話の検索アプリが起動し、即座にこの音の正体を突き止めた。
「インターホン? あぁ、あれか」
使った事は無いし、使用された事も無いが、父さんから使い方を教わったことがある。
「確か、客が尋ねて来た時にボタンを押すだったか?」
詳しくは思い出せないがおおよそこの使い方であっているはずなので僕は玄関へ向かい、今の時代では不便な事この上ない手動の扉を開けた。
「あ、第一村人さん」
「さっきの……。さっきも言いましたが、この村では人に指を指す行為は無礼とされているので僕に向けたその人差し指は降ろしてもらえますか?」
「おっと、失礼。また会えるとは思わなかったので」
それは僕も同じ気持ちだった。そして、失礼な話ではあるが僕は今扉を開けるまでこの人の存在を完全に忘れてしまっていた。
「どうしてここへ?」
「ここに私の痕跡があるそうなので」
一体どこの情報から僕の家が特定できるのかは謎だが、自分のこと以外に興味がなさそうなこの人が物取りの為に僕の家に訪れたとは考えにくいので僕は彼女を家の中へ招き入れた。
「立派な家ですね」
「ここに住むのは僕だけなので無駄なくらいです」
「ご結婚なされていないのですね」
「僕以外は70歳以上の高齢者しか住んでいないこの村に住んでいる以上、出会いなんて諦めていますよ。それよりあなたの痕跡というのは?」
「古い情報なのですが、この家の住人に私が書いたという『黒い色の絵』が渡されたと」
「黒い色の絵」
思い当たらない事は無かったが、僕の家にある『黒い色の絵』はあまりに多過ぎた。
「僕の先祖に絵を好む人が居たようで美術作品のための部屋があります。あなたの探している作品があるとしたらそこにあると思います」
「では、そこまでの案内をお願いできますか?」
「わかりました」
僕は彼女を普段は掃除ロボットしか行くことがない美術作品のある部屋へ案内した。
「ここです」
「想像以上に広いですね。それに私でも知っているような絵が沢山」
「贋作らしいですけどね。後は値段も付けられないような素人の作品なんだとか。絵は好きでも見る目は無かったのでしょうね」
「あなたの先祖には申し訳ないですけど、私には絵の良さというのはわからないです」
そう言っていた彼女だったが、自分を探すという目的の為であれば絵に興味を示すようで軽く50を超える作品を1つ1つじっくりと眺めていた。
「あの」
すべての作品を一通り確認した彼女は自分で言っていた『黒い色の絵』ではなく鮮やかな緑色の絵の前に立って他の絵との違いを考えていた。
「どうしました?」
「この絵を額縁から外してもらえませんか?」
「この絵ですか? この絵は言っていたのとは」
「はい、確かにこの絵は私が情報で得た私の痕跡とは全く違いますが、他の絵とは違う何かが感じ取れるんです」
「この絵から……」
その話を聞いた上でよくその絵を見てみると確かにその絵だけは他の絵とは異なる力強さというか強い思いのようなものを感じ取ることが出来た。
「外しましょう」
僕が額縁を持ち上げた瞬間、額縁の裏から一枚の紙がひらりと床の上に落ちた。
「これは?」
「さぁ、僕にもさっぱり」
その紙を拾い上げてみるとその紙には探し求めていた『黒い色の絵』が描かれていてその裏には『卒業式、涼の部屋の絵、渡す、涼に好きと言う』というメッセージと、また別の癖のある字で『姫路涼、真矢咲、来世でまた出会う』と書かれていた。
「これが別のあなた、咲さんの痕跡ですか?」
「えぇ、間違いなく。って、私の名前教えましたっけ?」
「教えて貰ってはいません。そこに書かれていた名前からそうではないかと思いまして」
「でもここには2人の名前が」
「でも咲さんは言いましたよね? 『同じ自分は同じ時代に存在してはいない』とだから咲さんが姫路涼ではないと確信できました」
「つまりあなたは」
「いつかの時代で咲さんと会う約束をした僕です」
僕自身とても驚いているのだが、自分を探し続けていてこのような事には慣れているはずの咲さんは先ほどから
「嘘でしょ? 嘘でしょ?」
と、小さな声で呟いていた。
「咲さん?」
「姫路涼さん、この人は私が別の私を見つけた時に必ずと言って良いほど関わりを持っていました。そして今回も」
それは運命という言葉で済ませて良いようなものではないと感じられた。
「涼さん、初対面の変人に優しくしてくれたありがとうございました」
「咲さん、まだここに居ても」
「これ以上は過去の私の心情とシンクロしてしまって私の心が耐えられそうにないので」
咲さんは悲しそうな顔でそう言うと部屋を出てとぼとぼと玄関へ向かって行った。
「咲さん、この絵は」
「それは過去の私が過去の涼さんに渡したものです。涼さんが持っていてあげて下さい。過去の私も私が持っているよりその方が喜んでくれると思います」
「わかりました」
「涼さん、また来世で会いましょう」
未練を断ち切ったような顔でそう言った咲さんは次の自分を探しに行った。
「あれ?」
咲さんが一歩、また一歩と遠くに行ってしまう度に僕はなぜか涙を流していた。
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