第171話

「けど、おれがここを離れているあいだに、初乃がくるかもしれない。初乃のことを、もう待たせたくない。そう思うとここを離れることができなかった」


 どうやら、あのときたすけにくるのが遅れて私をずぶ濡れにしてしまったことをまだ気にしているようだ。


「あのときのような初乃の顔をもう二度と見たくないから」


 恥ずかしそうに言葉をたした。


「バカ……」


 そんなこと気にしなくていいのに。私は嬉しくて、ちいさくつぶやいてしまった。


「はっくしょんっ」


 ふたたび丹波が盛大なくしゃみをする。その声ととぎれない雨音で、私の言葉はかき消された。


「ん? なに?」


 どうやらきこえなかったらしい。鼻をすすりながら、丹波がきき返す。鼻がむずむずしているといっても、さすがに地面のポケットティッシュは拾わないようだ。


「なんでもない」


 私はいう。


 よいしょといって丹波は立ちあがる。私から傘を受けとり、半分ずつでなかにはいる。


「丹波」


 私は首を左右にふった。

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