第7話 成功

「おい、ミリア、起きろ。――おい、ミリア!」


 言いながら、ヴェルトは肩を揺する。目の前で眠る同い年の少女の。

 しかし、ミリアは天才少女という肩書きとその優れた容姿からは想像出来ないが、朝に弱いという一面がある。今回も、先に数分前に目覚めたヴェルトがそれからずっと揺すっているのだが、全く起きる気配がない。またか、とヴェルトは溜息を漏らす。

 しかし、それを続けること暫し。ようやくミリアが反応を示した。


「んっ……ヴェルト?」


「おっ、やっと起きたか。――って、どうした?」


 寝ぼけ眼のまま上半身を起こしたミリアは、瞼を擦ってボーッとヴェルトを見つめる。かと思うと、突然辺りを見回し始めた。釣られて、ヴェルトも改めて見回す。

 今二人がいる場所は、辺りには草花が茂った草原のような場所。そんな所で二人して寝てしまっていた。しかし、存外それも悪くはなく、生い茂った草は柔らかく、心地よい。

 そして、見回したあと再びミリアの目の照準はヴェルトの顔になる。今度は不思議そうにこちらを見つめている。


「……あれっ、ヴェルト、大きくなった?」


 小首を傾げながら、ミリアが聞いてきた。だが、逆にヴェルトが首を傾げ返す。


「何言ってるんだ、お前。寝ぼけてるのか?」


「寝ぼけてる……? そっか、私寝てたのか。じゃあ、今のは夢……」


 ミリアが呟く。

 おいおい、現実と夢を混ぜるって……。本当にこいつ頭は良いのに、そういう所は抜けているな、とヴェルトは改めて思う。

 にしても、ふと何の夢を見ていたのか気になったので、聞いてみることにした。


「お前、何の夢見てたんだ?」


「……昔の夢。お母さんとお父さんが死んでから、ヴェルトに出会うまで」


「昔の夢? そっか……。それは、その、大丈夫か?」


「なんで?」


 ポカンと本当に分かっていないという顔をするミリア。

 その様子はヴェルトにとって予想外だった。


「いや、なんでって、あまり良い思い出じゃないから気分は良くないんじゃないのかと思っただけだけど……」


「うんうん、全然」


 嫌な記憶を思い出したのだから、当然気分も悪くなっている筈。そう確信して気を使ったつもりだが、ミリアは平然と言ってのけた。


「深い悲しみの後に、大きな喜びがあったから。――最後は良い思い出で終われたから、悪くはないよ」


 強がりなんかではなく、本心からそう言っている。

 そうだと分かる。その顔は綺麗な微笑みを向けているから。


「だから心配しなくても大丈夫。……でも、ヴェルトが心配してくれたのは嬉しい。ありがとう」


 相変わらずの表情で言ったミリアに赤面し、あたふたするヴェルトだったが、それと同時に安心もした。ヴェルトも気持ちが分かるから。心配したが、何事もないなら何よりだ。


「そっか。それなら良いんだけどな。ていうか、相変わらずお前朝に弱いよな。って言っても、今は朝じゃないんだけど、結局寝起きが悪い――じゃなかった! そうだ、それどころじゃないんだよ、ミリア! これ! タイムリングを見てみろよ!」


「……タイムリング?」


 左手人差し指をタイムリングに向けて指しながら、ヴェルトは急に興奮して喋り出す。

 ミリアも素直に腕の機械に目をやる。

 二人のタイムリングに刻まれている時刻。それがタイムリープする前の時代、つまりヴェルト達がいた現代から二十五年前の七月二十五日、十三時十二分になっている。


「タイムリープが成功したんだ!」


 ヴェルトが嬉々とした声と表情で最高潮になった喜びを表現する。

 それを見て、ミリアも安堵の表情を見せる。


「良かった……。でも、正確には、タイムリープした今の時刻は私達が元いた時代から二十五年と二日と三時間後。タイムリープする前に見たタイムリングには、タイム先の時間は丁度二十五年前になっていたから二日以上のずれが出ていることになるのだけど、その程度の誤差なら、充分成功といえる範囲には収まってる」


「お前、正確に記憶し過ぎだろ!」


 ヴェルトが驚きの声を上げた。

 しかしその後に、「まあ、でもそうだな」と納得する。何が起こるか分からないタイムリープで、その程度の誤差なら許容範囲内だ。

 しかし、成功したからと言って、それで終わりではない。寧ろ、これから早急にやらなければいけないことばかりだ。


「でも、ここからだ。急いで見つけないとな」


「そうだね」


 ミリアがコクリと頷く。

 昔見た文献やトムに聞いた情報によると最初に赤体病の感染者が発見されたのは、この数週間後ぐらいとされている。だが、所詮それは発見されだだけで一斉感染の為正確には誰が最初かは分からない上に、時間も正確には分かっていない。そもそも起源は未来でも謎のままなのだ。

 大事なのはここから如何に素早く病気の発生源を特定するかだ。もたもたしていると病気の感染が広まり、手の施しようが無くなってしまう。


「で、それだけじゃないぜ。ミリア、あれ見てみろよ、あれ!」


 ヴェルトは再び興奮して喋り出すとと同時に、今度は顔、そして指を上に向ける。

 その先のものにヴェルトは目を細めた。それはあって当然の筈なのに、随分拝むのは久しぶりで、記憶にあるものよりとても眩しく感じた。

 限りなく広がる、絵の具では表現出来ないような雄大さを表現する澄み切った青で塗られた空。その空において流れ漂う雲。そして本来はそんなものでは無い筈なのに、この空では丸く青の中に収まる太陽。

 見上げた先にある全てのものが、ヴェルトの目を照り付ける。

 ああ、これだ。俺が求めているものは、これを見るのが当たり前になった世界だ。


「……こんなに綺麗だったんだ」


 同じく上を向き、開いた手を間に入れ日光を遮っているミリアがボソリと呟く。

 それは全く、ヴェルトも同感だ。美しく、そして暖かい。


「それにこの場所。これが、自然の空気か……。懐かしいな」


 今度は下に顔を向け、思いっきり空気を吸い込むヴェルト。

 体に取り込まれた空気には、最早あの世界では感じることの出来ない、爽やかさと心の汚れを落とし清めてくれるような清潔感、そして慈愛とも言うべき優しさを感じた。

 ――ああ、本当に懐かしい。

 あの青空が懐かしい。あの白い雲が懐かしい。太陽が、綺麗な自然の空気と風が、それらによって生まれる気温が、自然で生きてきた草花が。何もかも懐かしくて、美しい。

 どんなに大切なものも、あるのが当たり前という認識を持つと途端に有り難みを感じることが出来なくなる。そして失って初めて、その存在の大きさと喪失感を知ることになる。

 昔は当たり前だった筈なのに、今はとても綺麗で輝きを放つ世界がここにはある。

 確かに、あるのだ。


「俺達の時代にも取り戻したいな……」


「……うん」


 人為的に調整されて作られた植物では決して感じることの出来ないこの感覚を再び世界に。

 その為には病気を消し去らなければいけない。そしてその為に、今から二人には向かわなければいけない場所がある。


「だから、行くぞ、ミリア。この先に」


「……行くのは、久しぶりだね」


 二人が向かおうとする道の先にある街。それが始まりの街と呼ばれることになる街だ。

 さっき二人が懐かしいといったのは、今、体に感じる自然のことだけではない。この場所自体のことでもあった。

 この場所は、若干記憶と姿が違うが、二人が始まりの街に住んでいた際によく来ていた場所だった。

 しかし土が見えることないくらい隙間なく草花が茂っている今の方が、記憶より断然自然豊かだ。


「にしても、父さんはやっぱり凄いな」


「うん、時間だけじゃなく移動先の場所も大体あってた」


 タイムリープ先はあらかじめ移動先の時間と場所の座標を入力して、そこに移動する。

 座標はあらかじめトムが始まりの街に行った際に入力しておき、そこ目指してタイムリープをしたことになる。とは言っても、これも多少ずれはしたものの、少し行けば始まりの街に着く。全く問題のない範囲だ。

 本当に、今までは凄い人達に囲まれてきた。それを改めて実感する。

 しかし、その人達と今しばし離れなければいけない。


「これから、何も知らないこの世界で病気を消すまで俺達は二人でやっていかなきゃいけない」


 今まで頼っていたのに。その上、このよく知らない世界で不安が無い訳がない。

 確かに恐怖に似たものもある。それでも一人じゃない。


「でもな、俺一人じゃ多分、無理だ。だから、ミリア……その、サポート、頼むぜ」


「……うん!」


 ミリアから返ってきた声は、弾んでいた。


 

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