第6話 出会い
「ごちそうさま!」
「ちょっとミリア、ご馳走様って、またご飯残してるじゃない。ダメでしょ、全部食べなきゃ」
「だって、あまりお腹空いてないんだもん……」
「遊んでる時に食べ過ぎたからでしょ」
一般的な家のどこにでもあるような食卓に並んだ夕食の数々。置かれた鳥の唐揚げやサラダは普段なら美味しそうに見えるのかもしれないけど、友達の家でお菓子を食べ過ぎてしまった今の私にとっては正直見ても何も感じない。というより、あまり今は食べ物を見たくない。
そのことにお母さんが怒っている。
気持ちは分かるし悪いとは思うけど、最近遊んでる友達が遊ぶ度にどんどんお菓子を出してくれるからそれをいらないと無下にするのも悪い訳で、しょうがなかったと思う。
そんな気持ちが勝って、私は自然と唇を尖らせてしまう。
「まあまあ、母さん。そういう時もあるだろうさ。いいよ、ミリア。ミリアの分もお父さんが食べるよ」
そんな私の不満を察してか、お父さんはいつものようにフォローを入れてくれた。
「えっ、良いの!」
「ああ、気にするな。次はちゃんと食べれば良いさ。それより宿題あるんだろ。早くやってきなさい」
「うん、分かった! ありがとう」
どうせ、あんなのさっさと終わってしまうだろうけどというのは言わない。
私はそのままたたっと部屋に向かって駆けていった。
「あっ、こらっ、ちょっと、ミリア! ……全く。あなたも甘やかし過ぎよ」
「まあまあ、たまには良いじゃないか。普段はちゃんと食べてるんだから」
「普段はって、ここ最近は結構増えてるんだから。世界中でもご飯を食べれない人も増えてきてるっていうのに、ちょっと不謹慎じゃない」
「だから、私が食べるって」
「……もう」
その会話が走り行くミリアの耳に届いた。
全く、お父さんは優しいのにお母さんはちょっとうるさすぎると思う。
お母さんの言っていることは理解出来る。確かに感染力が高く感染から発症、そこから死に至るまでの期間が短い、そして何よりほとんどの薬に耐性を持ち対策することすら困難と言われる赤体病という名前の病気が世界規模で流行しているというのは、私もニュースや新聞で知っている。
それで苦しんだり、家族や友達が死んで悲しんでいる人が多いというのはよく聞くけど、それらの影響で物資の流通に苦労しているという意味でご飯が食べられない人が増えているということなんだろう。でも、それと私がご飯を食べないことを繋げるのはかなり大袈裟だと思う。
確かに私の住む家は、病気の発祥地と言われている街、始まりの街から少ししか外れていないような場所にある。でも、病気の影響が特に酷いのは街の中心辺りで、何よりここまで届く前に始まりの街と外界はほぼ人も物も流通が無くなり、街自体も閉鎖的になった為まだ私の周りには影響がほとんど無かった。
だから、世界規模とか例え大きかったとしても具体的な感染者数などを聞いたところで、私には縁遠い、関係ない、どころかこれからも持つことなどないものだと思っていた。
面倒見がいいけど口うるさいお母さんも、優しいけどどこか頼りないお父さんも、私は大好きで幸せで、そんな幸せな生活を失うなんてこと全く考えもしていなかった。
……突然だった。
お母さんが急に倒れて、その次の日にお父さんも倒れた。
その後はあっという間だった。
病院で治療を受けても二人の熱が下がることはない。寧ろどんどん上がっていき、体も赤みを帯びていく。
何日か経つと体中至る所からの出血が始まった。
ニュースで聞いていた通りだ。どこかで知らない誰かがしてきた体験を今、お父さんとお母さんも、そして私自身も経験しているんだ。
私が切り離して見ていた世界は、突如私を包みこんだ。その世界は悲惨で、暗くて、とても重いものだった。
なんで。私の周りでは誰かが死んだなんて聞いてない。ニュースでも報道なんてしていなかった。なのに、なんで……。
その時ふと目をやった先、窓から見えた廊下で泣いている夫婦らしき男女の姿が見えた。その近くで、医師が申し訳なさそうに頭を下げている。状況から察すると、あの二人の近しい人、多分子供が死んでしまったのかな。
その時私は気付いた。いや、納得したと言った方が正しいかもしれない。
そっか。違ったんだ。私は勘違いをしていた。
……世界は何も変わっていない。その中にいた私が、勝手に関係ないと強がっていただけなんだ。無関係を主張して、真実から目を背けていたのは私だった。私も生まれてからずっと、この苦しみ溢れる世界の中で生きて来たんだ。
そして、数週間後。
医師の声で目覚めた私の前で、お父さんとお母さんが死んだ。
死んだ……。私の幸せが無惨に、突然奪われた瞬間だった。
ずっと泣き続けた。涙が止まらない。生きる気力が湧かない。死期を悟ったのか、父と母は死ぬ前に私に生きてと言い残して死んでいった。だけど、何故生きなければいけないのか、本気で分からなくなってしまった。
近しい親戚はいない。会ったことがあまり無い、もしくは全く無いような親戚ならいるが、病気で死んだ両親の娘である私を引き取りたくないとはっきり言う者、別の理由で誤魔化す者、もしくは警戒してか連絡の全くないものばかり。
それに私の家が無くなった後、近所の人達からも次々と感染者が発見されたようで、もう家のある地域は警戒地域になってしまっている。その所為で救助が遅れているのかもしれない。親戚以外も誰も来ない。私は一人になった。
誰にも必要とされない。どころか邪魔にさえ思われている。生きる意味も分からないのに、私はこれからどうすれば良いんだろう……。
三人で幸せに過ごした家で、私はただ一人泣き続けた。
ただ泣いて食べて終わる生活を続けた。泣き続けて涙も枯れた。食欲は湧かないから少しずつしか食べなかったけど、家にある食料も一週間で尽きた。それから更に数日経ち、空腹が酷くなっても食べ物を食べることが出来なくて私はリビングの床にうつ伏せで倒れ込んだ。体を起こそうとしても動かない。体よりも、心が重い。
このまま動かなければ私は死ぬのかな……。それもいいや。もう起き上がるのも面倒くさいし、このままでいよう。
そう思った時だった。ふと、近くから声がした気がした。
「生きてくれ」
「生きて、ミリア」
気の所為だった。耳に届く訳がない声。脳内の記憶が甦っただけだ。
でも、そうだ。私は生きてと言われた。大好きだった二人が、私に生きろと言ってくれた。
死ぬわけにはいかない。私は生きなきゃダメなんだ。
気力で立ち上がった。体が重い。足が震える。でも、立ち上がった。
食べなきゃ。何か食べなきゃ。
ひたすら動く。なりふり構っている余裕なんて無かった。ただ生きる為に必死だった。
家を出てどれぐらい進んだか最早分からない。歩き続けて気付くと、私は倒れていた。もう限界だった。体は全く動かない。
ただ、ここは始まりの街の中。家から一番近い街に辿り着いた。それだけ分かる。ここになら食料はある筈だ。
ああ、もう少しなのに。私生きなきゃダメなのに……。死んじゃうのかな。
……嫌だな。
こんなことなら、今までお母さんが作ってくれた料理、全部ちゃんと食べれば良かったな。あの唐揚げ今考えたらおいしそうだったな……。
……嫌だよ。死にたくない。死にたくないよ……。
「おいっ、大丈夫か!」
騒々しく私に近付いて来た誰かが、うつ伏せで倒れている私に触れた。そのまま体を起こしてくれた。
手を着いた状態でお尻を地面に着けて倒れかけた私の上体を、支えてくれている。
背丈からして、私と同い年ぐらいの男の子が必死に私に呼びかけてくれている。
「どうしたんだよ! 何で倒れてたんだ! どこか痛いのか! 水か、食べ物か!」
水と食べ物と問われてコクリと頷く。
急いで男の子はポケットから取り出したパンを私の口に入れてくれる。それを持っていたペットボトルに入った水で流し込む。
服は随分汚れている。赤いチェックのシャツは模様とは関係無く、所々黒ずみ、下の短パンも汚れが目立っている。
「これを食べろ! そして生きろ! 死ぬな! 死んだら何もかも終わりだ! だから生きろ! 何が何でも生きるんだ!」
男の子は必死に叫んでいる。
悲しみに満ちた世界にひれ伏すなと。そして何より生きろと。
一人になった私に、目の前にいる初めて会う筈の男の子は、死ぬなと手を差し伸べてくれた。……お父さんとお母さんと同じことを言いながら。
「うっ、うっ、うー……」
枯れた筈だった。もう出しきったと思っていたのに、また涙が溢れてきた。枯れてなんかいなかったんだ。止まることなく、溢れ続ける。それを男の子は何も言わずに、ただ私に食べ物を運んでくれている。
上半身を起こし、貰ったパンにかぶりつきながらも、嗚咽で上手く喉を通らない。ごほごほと咳き込んでしまった。
「おいっ、大丈夫かよ」
「……うん、大丈夫」
「まだ、食べるか?」
「うん、食べる」
もう一つ、男の子は同じパンを差し出してくれた。
どこにでもある普通のパン。どころか、乾燥は酷くて喉通りは最悪、普段ならお世辞でもおいしいなんて言えないようなパン。
でも、多分、いや絶対に、私はこの先もずっと、このパンの味を忘れることは無いのだろう。
「もう大丈夫か?」
「……うん、大丈夫。ありがとう」
涙も出し切って、貰ったパンも食べ尽くした私に彼は心配げに声を掛けてくれた。
「で、お前何でそんな倒れるぐらい空腹になってたんだよ。ていうか、結構ここら辺の奴の顔を知ってるつもりだけど、お前の顔は見た覚えが無いんだけど」
「私は、この街の出身じゃないから。少しだけ外れた、ヘルサイムの方に住んでるの」
「そこって最近感染者が急増して、危険地域に指定された場所だよな?」
「……うん。それで私のお父さんとお母さんも病気で死んじゃった……。それで一人になって……」
ズキンと胸が痛んだ。
背けたかった事実を言葉に出したのは初めてだったから。
「そっか……お前も俺と一緒なんだな」
「えっ……」
申し訳なさそうな、それに同情するような目で私を見ながら言った彼の言葉を私は聞き返してしまう。
私と一緒……?
「俺の両親も病気で死んだんだ」
「そう、なんだ……」
顔を少し伏せた後、すぐに上げた顔には何かを決心したような、決意のこもった顔があった。
この子も同じ、なんだ。同じ歳ぐらいで、私と同じ境遇を辿って来たんだ。
……何だろう、この気持ち。
同じ痛みを知る人がいると知って、仲間がいると知って嬉しい気持ちは確かにある。なのに何だろう、この複雑な気持ちは。喜びと共存しているこの感情は。
「でも親がいないのに、さっきのパンどうしたの? 親戚に預かってもらってるとか?」
「いや、この街にいる俺を預かってくれる親戚なんていないよ。荒廃しているこの街は、もう他の奴らにとっては近付くことすら許されない危険な場所になってしまったんだ。さっきのは店から盗んだんだ」
「……えっ?」
聞き返した言葉はさっきと同じなのに、今回は意味合いが違う。聞こえて来たその言葉があまりに衝撃的過ぎて、信じられないからだ。
しかも、それを平然と言うこの男の子の態度にも驚きが隠せない。
「えっ、じゃなくて、だから盗んだんだよ」
「盗んだって、それ犯罪なんじゃ……」
「そうだけど、二日間食事に辿り着けなかったからな。盗んででも食べなきゃ死んじまう。生きる為には仕方ないんだ。この街で親のいない子供は皆やってるよ」
男の子は立ち上がり、顔を上げながら、右手を開き太陽に向けて上に掲げる。
それから、顔をこちらに戻した。
「さっきも言っただろ。死んだらそこで終わりだ。誰もが皆そうやって無意味に死んでいくだけならこの世界は変わらない。そして今までは実際そんな無意味な死が積み重なって来た。だから俺は何が何でも生きるんだ。――生きてこんな世界俺が変えてやる。それまで、絶対に死ぬ訳にはいかないんだ」
彼は、「それに」っと付け加える。
「これは正当防衛だ。気にするな」
「正当防衛って、それ全然違う気がするんだけど……」
「えっ、嘘だっ、じゃなくて良いんだよ、どうでも。ともかく盗んだのは俺だ。お前は生きる為にただそれを貰って食っただけだ。ほらっ、お前は全く悪いことをしてないだろ」
焦った様子で、必死に説得してくれている男の子。罪悪感で沈んだ表情を見せた私を励まそうとしてくれているみたいだ。
その様子を見て、どこかおかしくて私の頬は弛緩していく。そしてクスクスと笑ってしまった。
ああ、そういえば。こうやって笑うのは随分久しぶりな気がする。失いかけた笑顔を、この人は私に取り戻させてくれた。
「それに俺だっていつか盗ってきた分は返すさ。俺が世界を変えたらチャラ所かお釣りがつくぐらいの働きだろ」
……そうか。分かった。
私はこの人に嫉妬していた。
私と同じ境遇を辿りながら、打ち拉がれることなく、ただ前を見つめている。いや、上か。
私と違って、弱みなんか見せずに、この誰もが弱者に成り下がる世界に負ける訳にはいかないと、強く必死に生きる姿を羨ましいと思ったんだ。
街は暗い。家や小さい店、商店など建物は並び決して少なくはない。なのに、荒れ果てた街は灯る灯りが少ないからというのもあるが、何より雰囲気が。どんよりと、まるでただ死を恐れ待ち続ける人々の心情をそのまま写し出したように重苦しくなっている。
でも、そんな街において、この少年は輝いて見えた。強く確かな一筋の光。本当に、この少年なら変えられる、と本気で思った。
「……あなたは強いんだね」
「そうか? 俺は自分のこと強いなんて思ったことないけどな。ただ、強くありたいと願うから、ただ一つ決めたことがある」
「……決めたこと?」
「俺は泣かない。目の前で血を吐いて苦しんでる父さんや母さんを見ながら、俺はただ泣き喚くことしか出来なかった。あんな想いはもう懲り懲りだ。俺は、このクソみたいな世界に服従しない為にも泣かないとその時誓ったんだ」
羨ましいと思う感情と、もう一つあった想い。それが今、より強くなった。
……凄い。本当に凄い。私は、尊敬してしまっていた。
こうなりたいと強く思った。
「なら、私も泣かない」
だから、私も誓う。もう残酷な現実に負けはしないと。
「おい、別にお前までそんなこと言う必要は無いんだぜ。お前は、女の子だ。泣きたいなら泣いた方が良いぞ」
「大丈夫。私も強くなりたいから」
「……そっか、分かった」
私の顔を見た男の子は、同じく真摯な表情で答えてくれた。
「でも、生きなきゃいけないっていうのも強くなりたいっていうのも分かるけど、もう物は盗まないで」
「なっ……何でだよ!」
「人間として犯罪はダメ。……それに盗んだことで困る人も出てくる」
「それはそうかもだけど。何でお前に言われなきゃダメなんだよ」
「直して欲しいから。あなたを犯罪者にしたくない」
真っ直ぐに見つめて言う。
その私の顔を見た彼はバツの悪そうな顔を見せた。
「分かったよ。……出来る限りでな」
言葉とは裏腹に、困惑した表情で俯き加減に男の子が言う。
その言葉だけで私は納得した。
「あっ、そういえば、名前まだ聞いてない」
「ああ、そういえばそうだったな。俺はヴェルト。ヴェルト・レヴォラーだ。よろしく」
「私は、ミリア・ワー。その、ヴェルト君、よろしく」
「ヴェルトで良いよ。……でも、ふーん、ミリアか。結構良い名前だな、ミリアって」
「えっ、あっ、ありがとう」
かーっと顔が熱くなるのを感じた。
増す鼓動。
嬉しさの他に今までに感じたことのない感情を感じた。これは何だろう?
そして直後熱い視線を感じた。彼が私をじーっと見ている。更に顔の熱が増す。
しかし男の子は、そのまま不思議そうな顔をし出して、首を傾げた。
「あれ、俺たちってどこかで合ったことあったっか?」
「えっ、ないと思うけど……」
「だよな……」
記憶力には自信があるけど、全く記憶の中にはない。
私たちは間違いなく初対面だ。それは彼も確信している筈なのに、何故か彼は腑に落ちないような表情をしている。
しかし、直後にまっ、いっかと考えることをやめた様子を見せる。
「あっ、そうだ、ミリア。お前行く所無いなら、俺と一緒に来るか? 同じような境遇の仲間数人で生活してるんだ」
「……えっ、良いの?」
「逆に何でダメなんだ?」
ポカンと気の抜けたような顔で聞いてくるヴェルト。
何でダメって……。
「だって、私のお父さんもお母さんも赤体病で死んだから、その娘である私も……」
思い出される嫌な記憶。
誰も引き取ってくれなかった。皆、感染者であった父母の娘である私を引き取りたくないと、近づけたくないとはっきり言った。
それに、私の所為であの病気に誰かが罹るなんてことは絶対あってはならない。
「他の人達に言われたってか? 知らねえよ、そんなの。そうやって他人の痛みを理解しようともしないクソ野郎もいっぱいいるんだろうけどな、少なくとも俺達はんなの気にしねえよ。っていうか、俺らも同じだしな。お前も大丈夫だ。病気に罹ってるならとっくに死んでるよ」
「あっ、そっか……」
皆に避けられて、私は一人でいるべきなんだと思い込んでしまっていた。
でも、そうだ。私には今、同じ境遇を辿った仲間がいる。
「だから、さっさと行こうぜ、ミリア」
「うん!」
差し伸べられた手。それを私は勢いよく掴んだ。
孤独と空腹に潰されていた私を救ってくれたそのヒーローの背中に最高の笑顔を向けながら大きく声を出した。
「本当にありがとう、ヴェルト!」
ああ、と言いながら振り向いたヴェルトは、顔を赤くしたかと思うとすぐに前を向いて無言で走り続けた。
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