底意地・悪戯帝下達勅令
「こんなことを理由に処罰を言い渡す僕を、君は狭量だと思うかもしれない。でも僕の心は深く傷ついたんだ。この傷を癒せるものはもうもふもふとしたその毛並みしかなく、そんなことは君も与り知るところだろう」
ここまでの発言一個一個に、演劇でもやっているのかと思うほどの手振り身振りが添えられている、もったいぶった演出過多な細面の男。
これが今代の極東の帝である。
この男、この大層いらつく話し方さえ直せば世界的に見ても有能な政治家になるのだが、私的なことと話し方だけはどうやったって変わることはないようだ。
優美な毛並みを愛でそれに埋もれるのを至上の喜びとしているこの男は、確かに俺の同志でありその思想に共感できることも多いから、身分の差を無視して割と近しい付き合いをさせてもらっている。
一応俺もこれでも退魔局局長の左腕である。身分の差といってもそこまでの差があるわけでもなし。僻むものは多いが、ならばお前が帝に気に入られる努力をしたらどうだとしか思わない。
そう、現代において帝は絶対的な支配者ではない。今回の件については本当にこれで助かった。旧時代のさらに古い時代には、帝というのは全権力の頂点に座する神にも等しい存在だったという。
古文書を解読すると実際のところは貴族たちの傀儡であることも多かったようだが、それでも説話などに残る帝、天皇像は圧倒的な権力者であり雅の象徴であった。
それに比べて今の帝職は極東の頭であるという意味しかなく、帝という名が一番しっくりくるだろう程度の意味合いでつけられた、完全に名前負けの国家元首なのである。
その選抜方法は”貴族”同士の投票による選出であり、西欧の基督教の法皇と同じ選出方法となる。向こうではこんくらーべというらしい。その名にふさわしく、根比べをするかのごとく長時間かかるのが特長だ。
選考基準は向こうではより強力な法力を操れるものとなるが、極東では実務能力の高さで選出される。実務能力というのはつまり政治的な思惑も絡んでくるわけだから、つまるところこの極東で一番仕事ができ、謀略を張り巡らせることのできる腹黒いやつが目の前のこの男となるのである。
今回の選出に関しては歴代初の反対なしの一発選出だったというのだから、どれだけこの男が有能なのかは俺にも計り知れない。ただ、毎度毎度嵌められては無理難題をふっかけられているのだから、頭がいいことだけはわかる。
そして底意地が悪いこともなぁ!
「さて処罰だが、久咲くんをしばらくこちらで預かる」
「今まで世話になったな。達者で暮らせよ?」
「というのは冗談だ。なんだ今の即答は。いつ笑顔になったのかもわからなかったぞ。その笑顔も全然笑ってないし……」
「当然でしょう。あなただって、俺が玉藻前の識をいじって俺に忠誠向かせたら殺しにかかってくるでしょうに……」
「当たり前だろう。君は何を言っているんだ? 人の嫁に手を出して無事でいられとでも思ったのか」
「つまりそういうことですよ。ま、そんな戯言はいいんです。本題の無理難題はなんですか? あなたが直々に処罰を下すだなんて、今から何を言われるのか戦々恐々としていますよ」
俺が今度こそ普通の諦め顔を浮かべれば、彼も満足したらしくその厄介極まりない本題を切り出してきた。
「天国兎の密輸入をお願いしたい……というのは僕のかねてからの願いだが、今回はそれじゃないんだ。第一君にはそんな伝はないだろうから君には頼まないのだがね」
一々蛇足を挟まなければ会話できないのだろうかこの男は。俺のこめかみがひきつるのを見た彼は、今度こそ本題だからとなだめてくる。
「さて、君ならば気づいていると思うのだが式の解放の案件についてだ。最近、巷で式が解き放たれる案件が多発している。例年にはなかったことだ。君が務めるようになってから式の縛りは強固になり、例の式神稼業のおかげか安定した都市運営を行うことができていた。これらの式の開放なのだが、どれも人為的な形跡は見られず自然に式が緩んだことが原因とされている」
そこで一旦切った彼は、枯山水の方へと振り向くと彼方を見ながら続きを話す。
「だが、僕はこれらにはなんらかの共通する遠因が存在するのではないかと睨んでいる。あいにくと式や呪術に関してはかじった程度の知識しかないのだが、他の案件整理と同じ整理の仕方でこの案件を考えていくと、面白い事実が見えてくるんだ」
こちらに流し目を送った彼の目は冷ややかな三白眼で、先程までのおちゃらけた雰囲気はどこにもない。これが政治家・雲耀帝としての彼である。その切れ長の瞳はすべての嘘を見抜き、相手を萎縮させ、自身の思惑通りにことを運ぶ蛇の目だ。
「式が緩んでいるあやかしたちの起源になんらかの形で鬼が関わっている。鬼たちの式だけが緩むなんて、こんなこと普通は考えられないだろう?」
彼の目が俺を丸呑みにせんとしている。正直、並のあやかしよりも彼のほうがよっぽどあやかしらしい。これほどの迫力を出せる存在はなかなかいない。
「こういうのは君たちの仕事だ、
「はっ、拝命いたしました。不肖この蘆屋道臣、必ずやご期待に添えてみせます」
拝命の意を示すために跪いた俺に、上から帝が声を降らす。
「頼んだ。今回の案件、どうにも嫌な予感が拭えない」
なんとも嫌な言葉だ。彼の直感というのは、それすなわち今までの経験と彼の洞察力からくる半ば未来予知に達したものである。彼ほどの男の勘というのはそれだけ重要性が高いものなのだ。今回の案件もまた荒れるのだろう。
でなければ、こんなただの式が緩みやすくなっているだけの案件に俺を専属で当てたりしない。確かに式の緩みは民草にとって致命的な出来事かもしれないが、俺らからすれば容易く対処可能な言い換えてしまえば日常茶飯事であるので、あまり重大という意識は薄いのだ。
重大ではあるのだが、専属で調査させるほどの案件ではない。自惚れではなく俺はこの都市においても最高戦力の一つなのだから、それを動かすということはなにかあるはずなのだ。
先ほどの牛頭馬頭のことを思い出す。やつらの式も本来ならば緩むはずがなかったのに緩んでいた。やつらもなんらかの影響を受けてああやって暴れだしたのだろうか。
正直飼い主二人の影響が強すぎてあそこの二匹に関しては正確に読み取れない。詰所の方で取り調べが行われているだろうから、その結果次第だな。
とりあえず詰所で最近の式が解放されてしまった事件について調べよう。それを見ないことには何も始まらない。顔を上げ帝の方を見る。
「では、早速調査してまいります。帝につきましては御健勝の程を」
「ん、行ってくるといい。今回の案件が片付いたら今度こそもふもふの宴だ。期待しているぞ」
「はっ」
立ち上がった俺は踵を返す。後ろの方で久咲が深くお辞儀をしているのがわかるが、あいつにそこまでしてやる義理はない。今回は勅だから恭しい態度をとっただけで、普段ならもっと鷹揚にやり取りするのだ。
幸い雲耀は礼儀に厳しいやつじゃない。というより近しいっていうかぶっちゃけ兄弟みたいな付き合い方をしているせいか、二人して互いに容赦も遠慮もない。お互いに今の地位に就く前からの付き合いだから、言いたいこともある程度わかるのだ。
だから、今回の案件を彼が本気で案じていることもわかるし、それを汲み取った俺が真面目に調査することを彼も理解している。久咲も大分慣れてはきたが、さすがにここまでの以心伝心はできない。
いつかは言葉もなく連携できる程度には仕上げたいのだが、まだ先の話のようだ。
「あぁ、道臣。少し待つが良い」
そうやって立ち去りかけた俺に話しかけたのは、今まで口をつぐんで帝の横で尻尾をくゆらせていた玉藻前だ。
「これは勘違いかも知れぬのじゃが、最近どこか懐かしい気配を感じることがある。ゆめゆめ油断するでないぞ」
……これは、本格的に備えなくてはいけないかもしれない。彼の玉藻前が懐かしいと評するあやかしなど、この世界にはもう片手の数もいないだろう。古の大妖怪たる彼女に匹敵する大物が出てくる可能性を考えなくてはいけなくなった。
「ありがとうございます玉藻前。でも、きっとなんとかしてみせますよ」
今度こそ振り返ることなく内裏の庭を去る。慌ててついてきた久咲が俺の斜め後ろにいるのを確認して、俺は表内裏への扉を開くのであった。
「……ゆめゆめ忘れてはならんのじゃ。儂らはまだとなりにいるということを」
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