招かれざる客①

 従者が報告にきたそのときに、エレノアは薔薇園にいた。

 ちょうど見頃を迎えた花たちは、いつも豊かな色彩でエレノアを迎えてくれる。はじめは無聊ぶりょうを慰めるためだったと、そう覚えている。庭師は公爵家に嫁いだばかりのエレノアにやさしく、そして丁寧に教えてくれた。そのうちに師匠よりも上手に育てられるようになり、庭師を苦笑させたのもいい思い出だ。

 エレノアは腰をあげた。すぐ傍で控えていた侍女は動揺のあまりに青ざめていて、庭師も絶句している。遅れてきたのはもう一人。蒼天騎士団の騎士団長トリスタンだ。

「わかりました。丁重にお持て成しを」

 しかし、従者はまだ動かない。

「おそれながら、エレノア様。使者は公子を、」

「あの子はここにはいません」

 従者と侍女は目で相談をし、そのあとに助けを求めるべく騎士団長を見たが、騎士は無言だった。

「さ。まいりますよ」

 歩み出したエレノアにつづいたのはトリスタンだけだ。従者は使者の元へと引き返し、侍女は部屋の準備をするために駆け出していった。まったく、騒がしいことですね。エレノアはため息を吐く。騎士団長から忠言はない。騎士は、むかしからそうだった。エレノアが普段どおりであるから、騎士もまた冷静でいられるのかもしれない。

 回廊を抜ける途中で少年騎士たちの声がした。

 少年たちに剣を教えている者こそ、アストレアの公子だった。少年騎士たちは二人掛かりだったものの、力任せの剣技は到底届かずに、受け流されているそのうちに一人が尻餅を着いた。もう一人もまもなく剣をはじかれて、そうすれば両手をあげて降参しかなくなる。彼らのうしろから見守っていたジークが出てきて、少年たちを元気づける。しかし、黒髪の騎士もまたやさしくはなかった。

 エレノアは見届けることなく、通り過ぎてゆく。王都からの使者。それも、元老院が一人。老者は長旅を経てさぞ疲れているだろう。アストレアの香茶でまずは落ち着いて、頃合いになったあたりでいい。息子へと伝えるのはそのあとだ。足を止めなかったエレノアにも、トリスタンはやはり黙したままでいる。だが、ジークはこちらに気がついていて、騎士団長はそうした目顔を送ったはずだ。それだけで、いまはいいのです、と。エレノアもまた声なき言葉を落とす。何も動じる必要はないのだとも。

 泥で汚れていた手を洗い、着替えをする。さほど時間をかけずに出てきたエレノアを騎士は律儀に部屋の外で待っていて、それから侍女が戻ってきた。不安そうに見つめる若い侍女にエレノアは笑む。応接室では一人の老人がすでにくつろいでいた。従者を連れずにアストレアまで来た老人を、このまま帰すわけにはいかない。エレノアは客人を見据える。だが、それは不可能だろう。老者はただの要人ではない。

「お待たせして申しわけありません」

 まずは、謝辞を述べる。すると、老者は茶器を置いてからこたえた。

「いえいえ。アストレアの香茶を味わっていたところです」

「まあ。元老院殿のお口に合いまして? 皆はそれは喜ぶでしょう」

 カウチに向かい合えば、老者のそれが演技ではなく本当の声だということがよくわかる。したたかな老人だときいてはいたが、貴人らしい趣味も持っているようだ。ならば、と。エレノアも微笑む。侍女は部屋の外で控えさせているので、エレノアの傍にいるのはトリスタンだけだった。騎士団長は実直な男であるから嘘が吐けないのが長所でもあり、短所でもある。だが、この場合においては好都合だ。演者となれない騎士は正直な反応をするのだから。

「さあて。そろそろ、聖騎士殿もお見えになる頃ですかな?」

 なるほど。余計な小細工など必要ないということか。このとき、エレノアは茶器を持ったままやや小首を傾げて、うしろに控えてトリスタンはまじろいだだろう。アストレアの聖騎士を城塞都市へと送ったのは、他でもない元老院だ。白々しい。エレノアはそういう笑みをする。

「息子はガレリアに行ったきり。手紙ひとつ寄越してこない、至らない子ですわ」

 老者は喉を鳴らしながら笑った。

「いや、これは失礼をしました。子というのはそういうものなのでしょうな。私にも一人娘がおりますが、他国へと嫁いだそれきり、何の便りもないのですから」

「まあ、それは。お寂しいことでしょうね」

「孫娘も二人いるようですが、もう諦めておりますゆえに」

 老者はそう言って、また茶器へと口づけた。お喋り好きな好々爺に見えるがそうではない。老者は白の法衣を纏う。だから、エレノアはけっして騙されない。

「そういえば……、ここへと来る途中に何やらよき香りに導かれましてな。このような老いぼれでも、美しき花を見れば心が休まるものです。あれは、何と言いましたかな?」

「リアの花ですわ。アストレアにしか咲きませんから、王都の方にはめずらしいのでしょうね。でも……、そうですね。殿方には縁のないものかもしれませんが、あれを小瓶に詰めた室内香ポプリは娘たちには人気ですのよ」

「ほう。良きことをききましたな。どれ、土産にひとつ買って帰りましょう」

 老者は歯を見せて笑う。長き旅の合間に寄って、親しい者とのひさしぶりの会話をたのしむそのときのように。そして、老者の口から自然と彼女の名が零れる。

「白の王宮のレオナ殿下は殊に花を好まれる方でしてな。きけば、公子と姫君は幼なじみとか。仲睦まじきお二人にはあの白き花が似合いでしょう」

「まあ……、そうでしたの。あの子は気の利かない子ですから。そうと知っていれば、殿下にこの花をたくさん贈って差しあげましたのに」

 ブレイヴと王都の姫君は幼き頃より親しい仲だ。ちいさい頃こそは、白の王宮や幼なじみのことをたくさん話していたように思う。しかし、ブレイヴはもう子どもとはちがう。とうに成人した息子に、エレノアは根掘り葉掘りときくような母親ではなかった。ましてや、王女レオナエレノアだ。たしかに若い娘ならば花をよく好むだろう。とはいえ、エレノアが趣味で育てている薔薇にしても、群生する白き花にしても、姫君に献上するような代物ではない。

 そうだ。エレノアは王女レオナを知らないから、そういう言葉を吐く。しかし、やはり老者は食わせ者らしい。さきほどからエレノアではなく、騎士へと視線を送っている。騎士団長の目や口の動き、それから息遣いも。すべてを見逃さないようにと。

「さあて。いとまを告げるその前に、エレノア殿にお話ししておかねばならぬことがございます。ええ、ここだけの話と……、どうか他言は控えて頂きたい。実は、王都のレオナ殿下がいなくなってしまわれたのです」

 老者は大仰な仕草で物を言う。エレノアは内心で嘆息していた。寄り道を好む老人だ。最初から要件はそれであったはず、こちらの腹を探ろうとも無駄な時間でしかないというのに。

「なぜ、それをわたくしに……?」

 怯えた素振りをすればよかったのだろうか。それさえも億劫で、エレノアはしなかった。

「もうひとつ、お伝えすべきことがあるからです。これもまだ公ではありませんが、ガレリアではすでにアストレアの公子の姿はなく、ランツェスのホルスト殿が呼ばれたときいております。まあ、これも王命ならば致し方ありません。ですが、おかしな話だとは思いませんか?」

「なにをおっしゃりたいのでしょう?」

 エレノアは相好を崩さずに、けれども声の音は怒りを隠さなかった。息子は疑われている。母親として当然の反応だ。

「エレノア殿、お気を静められよ。アナクレオン陛下は妹君を案じておられます。もちろん、聖騎士殿を信頼されているでしょう。しかし……、事が事でございます。まだ陛下の耳には入っておりませんゆえに、こうして我が元老院が先に、」

「さきほど申しあげたとおりですわ。あの子は、ここには帰っておりません。これほど便りがないのなら、隠しておられるのはそちらではないかと疑っておりますことよ」

 膝の上で拳が震える。そうだ。イレスダートには他にも聖騎士がいる。それなのに、公子を名指ししたのはそちらではないか。無事に帰ってきたからよかった。けれど、次はそうとは限らない。元老院は騎士を駒のように扱う。それが、聖騎士であろうとも。

「あの子は、ブレイヴは……、敗死したのではないのですか? ですから、わたくしにこのようなことを。だとしたら、なぜお隠しになるのです? わたくしは、とうに覚悟はできております」

 完璧な演者となるのなら、涙のひとつでも零して見せればよかった。この老人が愚者ではなければ、きっと見破れたはずだ。それから、控えた騎士団長はどういう表情をしているだろう。これほど感情を乱したエレノアを止めもしないのだから、嘘を本当と捉えているのかもしれない。

「お引き取りくださいませ。わたくしは、信じません。あの子が骸となって帰ってきたとしても。……母親とは、そういう生きものでしょう?」

 招かれざる客に向けて、エレノアはもう一度だけ笑んで見せた。

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