マイアの敵①
軍議を行うために作られたこの部屋は、何十人も入れるだけあって広い。
吹雪や寒さに耐えられるように、ルダにあるあらゆる建物は強い造りとなっているものの、大きな暖炉がひとつだけでは間に合わないほどの大雪だ。聖堂ではいまも魔道士たちが集まっている。己の限界が来るまで魔力を使う気なのだろう。そうしなければ、もうとっくにルダは雪の季節を終えているはずだ。
長机に並んでいるのは二十人ほど、ルダの文官たちはそろって大人しい性格をしているらしい。政治には積極的な姿勢を見せても、軍事にはどうにも関わりたくないようで、おまけに半年前に軍師が逝去してしまったという。その席は空席のまま、次に軍事権を持つ将軍はとにかく上の指示に従うつもりで、自身はむっつりと渋面を作っている。
他にルダの要人はと、ブレイヴは皆の顔を順番に見る。
ルダ公爵の姿はなく、子どもらにすべて委ねているらしい。長女アイリオーネはグランルーザに嫁いだ身なので遠慮しているのだろう。発言はそれほど多くなかったし、次女のアイリスも同様だ。雪原で会ったときはとにかく早口で捲し立てられたので、いまこうして大人しくしているのがちょっと不気味に思う。最後は公子アロイス。十六歳になったばかりの少年は皆の顔色を窺ってばかりいる。ブレイヴは内心でため息を吐いた。いつまで待っていてもはじまりそうになかった。
「ともかく、状況の確認をしたい」
ルダの城には昨夜遅くにやっと着いたばかりだった。夜が明けてまだ疲れが残るなか、それぞれが軍議室に集まっている。
「は、はい。では、僕が……いえ、私が、」
視線を感じたのだろう。名乗り出てくれたのはよかったが、急に立ちあがったせいか、少年が見つめていた羊皮紙がそこらに散らばった。失笑とため息、顔を赤くしながら羊皮紙を掻き集めるアロイスは泣きそうな顔をしている。緊張し過ぎた。でも、無理もないと思う。まだ成人もしていない少年が、殺気立ったこんな大人ばかりのところで上手く立ち回るには経験が浅すぎる。
「アロイス」
「は、はいっ」
「ゆっくりでいいから、きかせてもらえるかな?」
ブレイヴはもうすこしだけ声をやさしくした。ルダの面々の他にグランの竜騎士たちも同席している。ブレイヴをルダまで届けてくれた竜騎士たちは、そのままルダのために力を貸してくれるらしい。ブレイヴの隣にはセルジュ、クライドととつづいてレナードとノエル。それからレオナとルテキア、アステアとフレイアといった具合だ。クリスとシャルロットはヴァルハルワ教会の祭儀に行ってしまった。おなじく姿が見えないデューイも同行したようだ。
グランルーザからルダへと着いたばかりで皆は疲れているし、ルダの面々も苛立っている。だからこそ、アロイスにはもっとしっかりとしてほしい。酷なようだがここでルダの公子としての声を発しなければ、皆からルダを見限られかねない。
アロイスは大きく深呼吸をした。二度繰り返したところでやっと声はおりた。
「最初に、王都マイアからの書状が届いたのは、八カ月ほど前のことです。そこにはアナクレオン陛下の署名並びに、竜の印を認めましたが、しかし私たちは差出人は陛下ではないと、そう判断しました。なぜなら、書面はマリアベル王妃殿下の安否を問う内容だったからです」
ブレイヴは目を細める。冬がはじまる前となればマリアベルはまだ身重の身だったはず、もともと身体の弱い王妃を気遣うような言葉は、一見なんら問題もないように見えてもそうではない。当時、王妃がルダへと送られたことを知るのはルダでもわずかな者だけだった。王都マイアからの書状、それからマイアからの騎士団が迫るいまこそ露見したものの、あのアナクレオンという人がわざわざそんな手紙を寄越すはずがない。
「ルダとしては返答に窮しました。どちらで応えたとしても、虚偽にきこえてしまうからです」
つまりは、はいかいいえのふたつしか存在しなかったというわけだ。ルダに書状を寄越した人物は、マリアベル王妃がルダにいることをわかっていて揺さぶっている。元老院だろう。ブレイヴは口のなかでつぶやく。要するにルダは試されていたのだ。
「それからも、マイアからの書状は届きました。文面は多少異なっていましたが、いずれも王妃様に関することばかり。そしてなぜ、ルダから返答がないのかと。なんて言いますか、その……、脅迫のようで」
うつむきかけたアロイスに、ブレイヴは目顔でつづきを促す。
「そののちに、無事に王子様が生まれました。アナクレオン陛下にすぐに知らせるべきだと思ったのですが、姉に止められまして……」
ブレイヴも視線をアイリスへと向ける。腕組みをしながらただじっと弟の声に耳を傾けている公女は、やはり不気味なほど静かだ。
「そして春がはじまる前に。あっ……、でも、ルダの春はまだまだ先なのですが。ともかくその頃に、ふたたびマイアからの書状が届いたのです。それは、最後通知のようでした」
そこで少年の声が終わる。それぞれが沈痛な面持ちでいるなかで、ブレイヴも逡巡する。マリアベル王妃の懐妊自体が極秘であり、白の王宮でも知っていた者は少ないと考えられる。とはいえ、けっして身体の強くないマリアベルという人が急に王都から姿を消したあげく、何の縁もないルダへと送られてしまった。
いや、そうではない。ブレイヴは口のなかで言い換える。奴らのやり方はいつだってそうだ。アストレアのときとおなじく、虚偽を重ねたルダは逆心の意を見做されている。
「生まれたばかりの王子と、マリアベル王妃を引き渡さなければルダに明日はない。そういう脅しよ、これは」
言いながらアイリスは指で机をたたいている。相当苛立っている。声音は落ち着いているようにきこえても、ルダの公女をよく知る人間なら内心ひやひやしているにちがいない。グランルーザのレオンハルトに送った手紙とおなじだ。アイリスの言葉はけっして誇張などではなかったし、考えていたよりもずっと状況は悪い。
「そこから先はご想像どおりよ。マイアは突然、大群で押し寄せてきた。王妃サマは産後でやっと落ち着いたところ、王子は首が据わって間もない頃にね」
この機を狙っていたと言いたいのだろう。ただでさえ虚弱な体質のマリアベルだ。ルダという過酷な地に身を寄せていれば、それだけで負担が掛かる。下手に刺激をすればせっかく宿った命が消えてしまう。王族を殺めるなど重罪中の重罪であるが、世継ぎの子が生まれてしまえば話は別だ。
「しかし……、これだけの大軍を、白の王宮の一存だけで動かせるだろうか?」
皆の視線が一斉にブレイヴに集まる。元老院が
ブレイヴはそこで思考を止めた。黒騎士ヘルムートの叛逆、あれはやはり真実で、王が病に伏したという噂も正しかったのかもしれない。白の間が血で穢されたという事実を隠蔽するために、病という言葉を使う。実際はまだ公務にも復帰できずに床に伏せっている。だからアナクレオンは動けない。そうでなければ
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