故郷を捨てたものには呪いという罰を
竜の谷の底、洞窟がつづいているその奥には楽園がある。
光の届かないはずのそこには年老いた一匹の竜が棲んでいる。敷き詰められた緑の絨毯、聖なる泉、そして陽光。長いときをたったひとりで生きている竜に、神々が授けた場所。竜は不老であるものの不死に
聖なる泉を囲むようにして、
見あげる先には一匹の竜が、要所要所で
最初に、竜は海の向こうからやってきたのだと、そう言った。
もともとマウロス大陸に竜はいなかった。海を渡った向こう側の大陸から竜が来たとすれば、先住者は人間だったというわけだ。
《わたしたちは疲れていたのだよ。己とは異なる存在を認めずとにかく嫌い、そうして争う。人と竜だけではないよ。あちらにはもっとたくさんの種族がいるんだ》
ブレイヴもレオナもまじろいで、アステアとセシリアは顔を見合わせた。
《人間の次に数が多いのが
ここに絵本があったならば皆でのぞきこんでいたかもしれない。
竜が語る言葉、その単語はどれもおとぎ話のなかだけの存在で、母親が寝物語として語ってくれる話のようだった。
《どこの国も争いばかりさ。共存、だなんて言葉を知らない奴らばかり。人間だって負けちゃいない。彼らには武力があるからね。わたしたち竜族は傍観者というわけにはいかなかった。なまじ強い力を持っていると、やれこっちに味方しろ、あっちに味方しろだなんて言ってくるからね。そう、だから皆疲れてしまったんだ》
それが、はじまりだったのだろう。
けれどもこのマウロス大陸へと流れ着いた竜族に、安息の日は遠かった。先住民としてすでに数を増やしていた人間たち、やがて竜の領域を侵したがために怒りを買い、竜族が求めた共存という夢はここでも実現しなかった。
「そして、マウロス大陸では人間と竜との争いがはじまった」
幼なじみがそうつぶやく。
「白き竜が人間に味方したのは、力なき人を憐れに思ったから。……けれど、黒き竜はそれを許さなかった。二匹の竜は竜王に次ぐ力を持っていて、兄弟さながらの関係だった。裏切りは、許されない。人間への憎しみをより大きくした黒き竜は、白き竜とも戦った。長い長いたたかいに終止符を打ったのは竜族の王」
マイア王家に伝わる伝承と、古き竜の語りを繋ぎ合わせるように、レオナはゆっくりと声をつづけていく。
「二匹の竜は死を、迎えていた。他の竜族も人間たちだって、ぼろぼろだった。竜の王が彼らに遺したのは、戒め……。人間の子どもに竜の血と力、それから魂を封じ込めたのは、二度とおなじ過ちを繰り返さないように、と。そして、その子らは」
《そう。そのひとりが南の聖王国を統べる者。レオナ、お前だよ》
声が途切れて沈黙が降りる。ブレイヴはさりげなくアステアとセシリアを見た。博識な魔道士の少年と、飛竜とともに生活する竜騎士。二人ならばこの伝承を知っていたはずで、けれども目の前にいる竜と幼なじみが同一の種族かどうか、認めるのはむずかしい。
「でも、わたしだけじゃなかった」
皆の視線が、
「わたし、自分以外にドラグナーがいるとは思わなかった。竜は、イレスダートからいなくなったのだと、そう教えられていたから。飛竜たちだって、このグランではじめて見たわ」
水を向けられたのに
「あのう、そもそも
魔道士の少年らしい素直な疑問だ。竜の眸が細くなる。
《良い質問だ。
人間のように。ブレイヴは口のなかで繰り返す。そう、それこそが
《でもね、竜は自分たちがどの種族よりも優れていると、そう思っている。強靱な
「あなたも、そうだったの?」
幼なじみの問いに、竜はちょっと間を空けた。
《そうだね。若い時分はいまよりもっと頑固だったし、誰の声もきかなかったからね》
頭のなかで響いてくる声が笑っているようにもきこえる。
《だからこその、呪いだよ。わたしに子は遺せない。こうして長いときをただ生きるだけ、いわば死を待つだけの人生だ》
「そんなの……」
《いいんだよ、レオナ。お前はやさしい子だね。それから飛竜たち。あの子たちはもっと頑固だからね。知性も理性もなくして野生のままに生きる。もしくは人間たちと共存することで難を逃れたようだけど》
「でも、
幼なじみの声に
「他人事みたいだな。貴女は、私たちとはちがう」
「ちがう? でも、わたしも
《ほら、また。そうやって意地悪をするんじゃないよ》
竜があいだに入らなければ
「呪いはたしかに王家の人間にも残っているだろう。だが、貴女は人間に近い。もともとの器が人間だったから、私たちのように竜にもなれない」
面と向かって否定をされたと感じたようで幼なじみは
「もう一人、いる」
幼なじみはぽつりと零す。ブレイヴは息を止めた。そうだ。忘れてはならない。レオナの他にも、グランへとたどり着くより前に、イレスダートで
「白の少年。
「ユノ・ジュールか。いまは少年の姿をしているのだな」
「知っているのか……?」
ブレイヴの問いに
「ああ。彼は
つまり白き竜と相対するもの、あの白の少年は黒き竜の末裔なのだろう。人間を
「あの人は、人間を憎んでいる。オリシスでもウルーグでも、人をたくさん殺した。……なにが、目的なの? 取り戻そうとしているの? このマウロスを、人間ではなく……、竜族のものへと」
「南の聖王国を統べる王家の一員である貴女の言葉とは思えないな。
「監視者、それは?」
話の腰を折るなとばかりに、
「ちがうのか? マイア王家は人間たちを統べる王に
二度と、争いを繰り返さないように竜の王が遺した呪い。戒め。しかし、それにしては妙だ。竜がいなくなったあと、イレスダートでは争いばかりがつづいている。北のルドラスと南のイレスダートがそうであるように。
「歴代の
ブレイヴの心を読んだかのように彼は言う。
「怠慢だ。だとしても、私たち
《あの子もまたやさしい子だよ。他の子たちを放っては置けなかったのだろう。ユノは自分を王だなんて思っちゃいない。彼はずっと独りで生きていたんだ。それを孤独などと感じてもいない強い子だったんだよ。それを、》
「
「でも、それならわたしだっておなじだわ。マイア王家は聖王国を統べる者。そうやって何世代もつづいてきたのです。人の世を和に導き、安寧を求めるのが使命。……兄は、アナクレオンはそう信じています。それに、」
幼なじみはそこで声を止め、
「あなたも、わたしを憎んでいるのでしょう?」
彼は何かを言いかけて、しかしすぐに唇を閉じてしまった。答えは
「そういう時分もあった。だが、いまはちがう。これ以上、竜族が人間たちに関わってほしくない。私たちはただ静かに生きていたい、それだけだ」
「わたしに、ユノ・ジュールを止めろと。そう、言いたいのね?」
ブレイヴは彼らを見つめているのがつらかった。なぜ、それが幼なじみでなければならなかったのだろう。求めすぎではないのかと、そう思ってしまう。だとしても、レオナはすべてを受け入れるだろう。それが、己の使命だと信じ込んでいる。
救いを求めるように、ブレイヴは竜を見た。竜の眸は母のようにやさしかったものの、それ以上の声を落とさなかった。これでもう幼なじみを止められなくなった。ブレイヴにできるのはレオナを守ることだけなのに、たったひとつのそれだけが遠い。歯痒くてならない。聖騎士とは名ばかりで、なんて無力なのだろう。
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