山道を行く②
山道を進んでいくこと小一時間、やっと前方にそれらしき建物が見えてきた。
山小屋にしてはしっかりしている。
ここは女主人とその一人息子の二人だけで切り盛りしているらしい。亡くなった主人から受け継いだ山小屋はあちこち修繕の跡が見えるものの、中は思ったよりもずっと広く、しかし客はブレイヴたちの他に一組だという。
「カナーン地方でも栄えているのはサリタくらいだよ。あそこは儲かるからねえ。市長も他の場所なんて知らんぷりさ」
愚痴を零しながらも女主人の表情は明るい。ひさしぶりの客なのだろう。一人ひとりに玉葱のスープを配ってくれる。とろとろに煮込んだスープは熱々で美味しい。
「たくさんあるからね。遠慮しないで、おかわりしておくれ」
最初に挙手したのはデューイで、レナードとノエルもそれにつづく。今日はずっと歩きとおしだったので疲れていたのだろう。身体が温まってほっとしたところで、クライドと目が合った。彼が目顔で呼んでいるのでブレイヴはそっと席を外す。女主人の息子が焼いたという白パンが振る舞われている。喧嘩にならないようにとちゃんと人数分を用意してくれたようだ。昨晩は野宿だったので、皆もやっと安心して眠れると思う。それなのにクライドの表情はさえない。
「山賊?」
「というほどの数はいない。だがこの辺りには野盗がよく出る。つい最近も山道で巡礼者が襲われたらしい。主人がそう言っている」
ブレイヴはちらと客間を見る。女主人もひとり息子もブレイヴたちをまったく警戒していなかった。巡礼者にしては大所帯で、どこかの大貴族だと思っているのかもしれない。騎士が多ければ何かあったときに守ってもらえる。その考えは別にまちがってはいない。
「野盗くらいならどうにでもなる。女、子ども連れでもな」
ブレイヴはうなずく。彼が指摘しているのはまた別の話、面倒に巻き込まれたらここで足止めされてしまう。それだけは避けたい。
「峠を越えたらフォルネも近くなる」
「フォルネ、か」
ラ・ガーディアの国のひとつだ。最南に位置するのがフォルネ、北上すればウルーグ、その隣にはイスカ、最北にはサラザール。つまりラ・ガーディアはこの四つの国で成り立っている。ブレイヴが目指すグラン王国へはモンタネール山脈を越える必要がある。ウルーグ、もしくはイスカから登山道へと入れるが、ともかくまずはフォルネにたどり着くのが先だ。
「クライドはラ・ガーディアにも行ったことがあるのか?」
「いや、ないが」
「そうなのか? それにしては詳しいな」
「病死した王の跡を継いだのはその息子だ。まだ若い。……俺が知っているのはこれくらいだ」
十分だ。ブレイヴは微笑する。ラ・ガーディアの情勢はある程度は伝わってくるとはいえ、確実性はいかほどか。西の歴史にしても士官学校で学んだ知識くらいで、文化や風土、あるいは国力など教科書に載っている情報がすべてではない。ただ、イレスダートとちがって、ここ近年は大きな戦争もないときく。ブレイヴも知っているのはそれくらいだ。
「だが、案内役など要らなかった。あいつはフォルネでお別れだな。あの人もおなじ意見だろ」
あいつというのはデューイで、あの人はディアスだ。そういうわけにはいかないよ。ブレイヴは苦笑いで返す。むしろフォルネから先の方がわからないことだらけだ。
「報酬はあとからでいいって、そう言っていたし」
「あんたは見かけよりもずっと騙されやすいんだな」
そうかなと、ブレイヴは首を傾げる。大丈夫だ。忠告はちゃんと受け取っている。一番高く付くのが馬でもここで手放すわけにはいかないし、長旅がつづけばつづくほど手持ちが心許なくなってくる。こういった管理はこれまでジークがぜんぶ纏めてくれた。でも、もう
ディアスもクライドも、あの赤髪の青年を悪者にしようというつもりではないのだろう。たしかに人数が増えればそれだけ金も要る。
「フォルネの要人……王族にでも接触できればな。上手く取り入ればそんな心配もなくなるだろ。あんた、そういった仕事は得意なのか?」
どう答えるべきかとブレイヴはちょっと迷った。期待されているような成果は得られそうにもない。
「とにかく、部屋は三つ取っておいた」
「ありがとう、クライド。助かった」
女性たちで一部屋を使ってもらって、ブレイヴとディアス、クライドが同室となり、レナードたちは残りの一部屋だ。前に泊まった宿では寝台の数が足りずに、床やカウチで寝る羽目になったと喧嘩したらしい。こういうときに、ジークだったら上手く彼らを纏めただろう。いまは仲裁役がすっかりクライドに替わってしまっている。
「俺はすこし外を見てくる。あんたたちは、」
クライドの声が途中で止まった。
「ああ、悪かった。気がつかなかった」
どうやら人とぶつかったらしい。彼の前には頭ふたつ分ちいさい少女がいる。しかし、すぐに謝罪したにもかかわらず、相手はクライドを見あげたままだ。怪我でもさせてしまったのだろうか。ブレイヴは少女をまじまじと見る。
年の頃は十五、六くらいの少女だった。
「おい、」
「……いや」
「は? なにが?」
「寄らないで」
その声は彼らにしか届かないくらいにちいさかった。ブレイヴとクライドは顔を見合わせる。別に取って食おうというわけじゃない。それは、困惑するクライドに対して少女ができた唯一の抵抗だった。
「きゃああああああっ!」
まともに悲鳴を浴びたブレイヴは耳を塞いでおけばよかったと、そう思った。たぶん、クライドも一緒だろう。いつもの無表情が困惑と驚愕のふたつに変わっている。ともかく、ここはもう一度謝った方がいい。ブレイヴは目顔でそう訴える。まだ耳鳴りがするのかクライドは動かずにいる。
「ねえ、どうしたの?」
あれだけの大きな声だ。誰よりも早く駆けつけたのは幼なじみだった。どう説明するべきかをブレイヴは考える。レオナはブレイヴを見てクライドを見て、そうして最後に金髪の少女を見た。
「クライド。どうして、見ず知らずの子にいじわるをするの?」
クライドは目を瞬かせた。ブレイヴも一緒にきょとんとした。
「は? いじわるって」
「だって、そうでしょう? なにもしなければ、あんなに大きな声を出したりしないもの」
「それはこいつが……!」
「こいつ、ですって?」
じとり、と。クライドを見る幼なじみの目がより険しくなった。
「どうしてそういう言い方をするの? ほら、こんなにこわがっているでしょう?」
「ちょっと待て。別に俺は何もしていない!」
「ほんとうに?」
助けを求めるクライドと真実を求めるレオナの両方の視線がブレイヴに集まっている。ちょっとぶつかってしまっただけ。それを説明するのは簡単だとしても、いまの幼なじみに説くのはなかなかむずかしそうだし、どちらを擁護してもよりややこしくなりそうだ。
もう一人味方がほしいところと、ブレイヴは視線を客間へと向けたもののディアスとは目が合わなかった。作戦は失敗。ところが、そこにもう一人が現れる。
「その方が言っているのは本当ですよ」
心地の良いアルトの音色だった。彼女、いや彼かもしれない。中性的に彼を見せているのは白肌と、太陽の光に近い白金の色をした長い髪。それから薄藍の瞳。聖職者の法衣を纏うのはヴァルハルワ教徒の証だ。
「お騒がせして申しわけありません。私の主人は、すこし臆病なのです」
優美な仕草で一礼をして、少女の前に立つ。主人と呼ばれた少女は貴族の令嬢なのだろう。貴人の家に敬虔なヴァルハルワ教徒がいるのは、イレスダートでもよくあることだ。
「さあ、まいりましょう。フレイア様」
「でも、あのひとたち、フォルネに行く」
「ええそうです。私たちとおなじく」
さすがに追いかける気にもなれなかったのか、クライドはただ呆然としている。まるで嵐が去ったあとみたいだ。
「ねえ、ブレイヴ。あのひとたち、ラ・ガーディアの人なのかしら?」
「たぶん。でも、もう一人は……」
二人はそのまま一番奥の部屋へと入って行った。白金の髪に薄藍の瞳、敬虔なヴァルハルワ教徒の一族にそういった容姿の者がいる。いや、いたと言った方がいいのか。どちらにしても、イレスダートではなくともこの広いマウロス大陸にはたくさんのヴァルハルワ教徒はいる。
関わり合いになるべきじゃない。ブレイヴは彼らに対する疑心も関心もそこで打ち消した。
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